第千九百四話 修羅の刻印(一)
試合開始の合図と同時に動いたのは、無論、両者だ。
セツナは瞬時に黒き矛の穂先をラジャムに向けるとともに破壊光線を撃ち放ち、こちらに向かって飛びかかってきたラジャムの機先を制することに成功した。視界を埋め尽くした純白の光芒は、つぎの瞬間にはラジャムに直撃、大爆発が起こる。吹き荒ぶ光熱の嵐がセツナの頬を撫で、全身から汗を吹き出させる。手応えはある。だが、これで終わるような相手ではないのは、わかりきっている。
相手は、神だ。
だからこそ、セツナは一切の加減容赦なく、破壊光線をぶっ放したのだ。相手が人間ならば、この試合会場が結界で覆われていなければ、セツナとて手段を選んだだろうが、そうではないのだ。手加減をすれば、こちらが負ける。
瞬間的に背後に生じた気配を察知したセツナは、脊椎反射的に前へと飛びながら背後に向き直り、無傷のラジャムが青い光を帯びた剣を大きく振りかぶっているのを目の当たりにした。剣はそのまま勢い良く振り下ろされる。まさに神速の斬撃。剣の軌跡が、光の刃となって発射される。斬撃が飛んでくるのだ。空かさず横薙ぎに矛を振るい、斬撃に叩きつける。火花が散り、金属音が響き渡る。手に伝わる衝撃は、重く、痺れるようだった。
(さすがに)
セツナは、手のしびれに顔をしかめながら、ラジャムのつぎの攻撃に対応した。斬撃が、つぎつぎと飛来する。ラジャムの連続攻撃。まるで暴風のような剣撃が、怒涛の如き斬撃の嵐をセツナに浴びせてくるのだ。セツナは、一撃一撃が重いそれらの尽くを矛で打ち返すようにして対応しながら、両手に蓄積される反動に歯噛みした。
闘神と名乗るだけのことはある、と、彼は想った。
凄まじい斬撃の嵐をこれまた猛然たる矛の乱撃で切り抜けているのだが、このままでは押され続けることになりかねない。ラジャムの斬撃の速度は、次第に加速しているのだ。縦横無尽に振り回される剣が無数の軌跡を描き、それがそのままセツナの元へと殺到する。対応するには、同じだけ斬撃を繰り出さなければならない。体力の差を考えれば、このままでは埒が明かないどころか、分が悪いのは明らかだ。負けかねない。
ラジャムが喜悦に満ちた表情で、こちらを見ていた。
「言葉だけではないな! さすがよ!」
「あんたも、闘神というだけのことはあるじゃないか」
「ふはは! 当然よ!」
ラジャムが、気を良くしたように、告げてくる。そして、斬撃の嵐はさらに加速した。
「だが、この程度、ほんの序の口に過ぎんぞ!」
(いわれなくともわかってるさ)
セツナは、ラジャムを睨みながら胸中で言い返した。そして、メイルオブドーターの翅を大きく広げると、全力で羽撃かせる。瞬間、セツナの体は試合会場上空へと移動する。いつまでも飛ぶ斬撃を対処し続けている場合ではなかったし、本気でもないラジャムの遊びに付き合ってなどいられないのだ。
ラジャムが本領を発揮していないのは、火を見るより明らかだ。黒き矛を手にしたセツナの力を確かめるため、遊び程度に振る舞っているに過ぎない。
神なのだ。
それも、闘争を司るという神。
純粋に闘争においては、セツナがこれまで遭遇したことのあるどの神よりも優れているかもしれず、アシュトラなどよりも余程強大な力を持っていたとしてもなんら不思議ではない。同じ神だからといって、力量までも同じとは限らないのだ。
すべての人間が一定の力を持っているわけではないのと同じだ。
神々にも純然たる力量の差があり、それを埋め合わせるために神々は、ヴァシュタラなる存在へと集合したという話をセツナは知っている。かつて至高神ヴァシュタラと名乗ったそれは、聖皇ミエンディアによって召喚された数多の神々のうち、力なきものたちの集合体だったというのだ。以前セツナと交戦したアシュトラや、海の女神マウアウは、ヴァシュタラを構成した神々の一柱であり、どうやら闘神ラジャムもそのようだった。
なぜ彼ら神々が集合し、ひとつの神となったのかについては、アズマリアが説明してくれている。
神々の中でもっとも大きな力を持った二柱の神がいた、という。
その二柱の神は、片方はザイオン帝国の神となり、もう片方は神聖ディール王国の神となったという。それぞれに三大勢力の一角を構築し、来たるべき聖皇復活のときに備えたというわけだ。残された数多の神々は、二大神に対抗するべく、考えに考えた結果、ひとつに集合した。そうして誕生したのがヴァシュタラだといい、それによってようやく神々の力の均衡が保たれたのだというのだから、ザイオンとディールの神がいかに強大な力を持っているかがわかるだろう。
要するにヴァシュタラを構成していた数多の神々の、個々の力というのは、二大神に比べるまでもないということだ。
だが、ここで勘違いしてはいけないのは、それら神々の力さえ、人間などとは比べるべくもなく強大であり、世界を滅ぼしかねないほどに圧倒的だということだ。
強力な召喚武装でもってしても対抗できるかどうかさえわからない。
黒き矛の力をさらに引き出せるようになったセツナがようやく食らいつけるようになった、といってもいいくらいだ。人間も皇魔も、神の前では生まれたばかりの赤子同然といっていいのだろうし、もっと大きな差があると見ていい。
闘神ラジャムの力が、神々の中でどれくらいに位置するのかなど、人間の位置から見れば、どうだっていいことなのだ。
神の領域の闘いともなれば、人間に知覚できるわけもなかった。
実際、観客席で試合会場の様子を見守っている一般市民には、セツナとラジャムの戦闘が理解できているとは到底想えなかった。ラジャムの飛ぶ斬撃も認識できなければ、セツナの移動も追えていないだろう。ラジャムは、それでも構わないのだ。きっと、セツナとの戦闘で自分が楽しめればいいと想っているに違いない。
上空に移動したセツナは、地上に向かって矛を構えようとして、瞬時に左へ飛んだ。さらなる上空から降ってきた殺気が、斬撃となって地上へ降り注ぎ、試合会場に突き刺さる。土砂が爆発的に吹き上がったことで、斬撃の威力の凄まじさが視覚的に認識できる。頭上、ラジャムの姿があった。背に光輪が浮かんでいる。さっきまではなかったそれは、ラジャムが少しずつ神の力を発揮し始めていることの証明のようだった。
「良いぞ、良い! 良い反応だ!」
褒め称えてくるラジャムを見て、セツナはすかさず矛先を相手に向けた。破壊光線を発射する。無論、ラジャムを撃墜するためではない。そもそも、当たるとも想っていない。ただの牽制攻撃。視界を埋め尽くした光芒が夜空を白く染め上げると同時に、強烈な闘気が右に流れるのを認識する。羽撃き、追う。金色の流星の如く、それは地上に向かって流れ落ちていく。ラジャム。こちらを見ていた。長剣が虚空を切り裂く。斬撃が飛んでくるまでの時間は、ほんのわずか。矛で受け止めた刹那、セツナは、背後に殺気を認めた。
(速いっ!)
振り向くと、長剣の切っ先を突きつけてくるラジャムの姿があった。移動速度がセツナの目にも止まらないほどに上がっている。そしてそれは、攻撃速度もだ。迫りくる切っ先を穂先で受け止めるのが精一杯で、威力を殺し切るには至らなかった。凄まじい加重。勢いそのままに地上に向かって急降下する。
「もっとだ! もっと上げろ! もっと力を見せろ!」
切っ先より噴出した爆発的な力がセツナの体を突き抜け、意識が吹き飛びそうになる。辛くも堪えることができたのは、もちろん、黒き矛とメイルオブドーターのおかげだ。これらがなければセツナの意識は消し飛び、廃人になっていたかもしれない。
神の力は、生物にとって有害以外のなにものでもないという。
そんなものを直接浴びせられ続ければ、白化症を患い、神人と化す可能性もないではないが、そんなことを気にしている場合でもない。
メイルオブドーターの翅を用いても、落下を押しとどめられない。
「我とともにさらなる高みへと至るのだ! セツナよ!」
ラジャムの昂ぶりを肌で感じながら、セツナは、背中から地面に叩きつけられた。そのうえ、爆発する神威がセツナを体内から灼き、凄まじい痛みが全身をのたうち回った。




