第千九百二話 闘神降臨
「決闘……」
空を睨む。
強大な神の力は、瞬く星々を歪ませるようにしてそこに存在していた。聲は、頭の中に直接響く。故に聲の発生源を探すということはできない。おそらく、歪みの中心に神はいて、そこからセツナを見下ろしているのだ。視線。アレウテラスに到着した夜、セツナが感じた視線の正体は、神のものだったのだろう。ほかに考えられなかった。
肉体を持たざる神ならば、セツナの目で見ることなどできるわけもない。
「ラジャム様、それは真にございますか!」
ウォーレン=ルーンが、天に向かって信じられないといった声を上げた。悲痛な叫び。ウォーレンにとって予想外の事態と見ていいようだ。
《真よ。我は、セツナとの決闘を望む。勝敗を決する闘技を、求むる。それこそが我が存在意義故。それこそが、闘争を司る我の本質故にな》
「しかし……それでは話が違うのではありませんか」
ラジャムに対して食って掛かるウォーレンを見る限り、普段から、彼はラジャムに意見できる立場にあるらしいことがわかる。そして、ラジャムがウォーレンにそういう言動を許し、ある程度は聞き入れているのだろうということも、想像がつく。ラジャムが人間を支配するだけの神ではないことは、アレウテラスの闘神崇拝からも窺い知れていたが、ウォーレンとラジャムの関係がその考察を補完するようだった。
《案ずるな。なにもセツナと命を賭けたやり取りをしようというのではない。互いの存亡を賭けた戦争をしようというのではない。闘技よ。互いの力と技を競わせ合う、うぬらが先程まで我に奉じ、死せるものたちの魂を鎮め、霊を慰めていたことよ》
「闘技……」
「神様が人間と闘技をしようってのか?」
セツナには、ラジャムのいっていることがあまりにも馬鹿馬鹿しく想えた。神は、圧倒的な力を持つ。それこそ、天変地異を引き起こすことくらいたやすいのだ。人間と神が闘うなど、象と蟻一匹が闘うようなものだろう。いや、もっと絶対的な差があるかもしれない。
もちろん、ラジャムがセツナとの決闘を所望したのは、セツナがただの人間ではないからだし、そのことはセツナも承知している。だが、たとえそうであったとしても、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いたくもなるものだ。
《人間……か》
「なにかおかしいか?」
《いや……そうだな。うぬは、人間であったな。魔王に非ず》
「ああ。俺は人間だ。人間なんだよ。神様が人間と力比べをして、いったいなんになる」
セツナは空を睨んだまま、問いただそうとした。姿なき神の聲は、鷹揚であり、威厳と限りない余裕を感じさせる。聲は、いう。
《マウアウは、うぬに害意はないと見做したが》
「マウアウを知っているのか?」
《我はまだ、うぬの真意を知らぬ》
ラジャムは、セツナの質問に答えず、一方的に続けてきた。セツナは苛立ちを覚えたが、姿のない神を睨むこともできず、拳を握る以外にはなかった。
《我は闘争を司るもの。分かりあうには、闘いの中で力と力をぶつけ合い、己が魂をさらけ出すよりほかにはないと考えている》
「……そうかい。けど、俺があんたの望みを叶える道理はないぜ」
《うぬはリョハンを目指している》
「……それがどうしたよ」
セツナは、ラジャムの予期せぬ言葉に目を細めた。ここでリョハンを持ち出されるとは想っていなかったからだし、リョハンを持ち出されれば、セツナも強気には出られなくなる。神だ。ウォーレン以上にリョハンのことに精通していたとしてもおかしくはなかった。マウアウを知り、セツナがマウアウと交渉したことも認識しているのだ。リョハン方面の情報にも精通していたとしても、なんら不思議ではなかった。
《我と闘え、セツナ。さすれば、すべてが終わった暁には、うぬにリョハンに差し迫った重大事について教えようではないか》
「重大事だと……!」
ラジャムの発言を反芻したセツナの脳裏には、様々な可能性が光景となって過ぎった。重大事。ラジャムが交渉に用いるほどのことだ。余程のことなのは疑うまでもない。リョハン。セツナのいま現在の目的地であり、ファリアたちの居場所。
《我と闘え、セツナ》
「何の話だ、教えろ、いますぐに!」
《なにごとにも順序というものがある。まずは、我と闘え。話はそれからだ》
「くっ……」
ラジャムの言い分に屈したわけではないが、セツナは歯噛みした。この状況で優勢に立っているのは、情報を持っているラジャムなのだ。セツナは、ラジャムから情報を引き出すためには、ラジャムの望みを叶えるしかない。
アレウテラスについてから、そんなことばかりだ。
リョハンの情報を得るために闘都の事情に振り回され続けている。
だが、いまはその悔しさや苛立ちを飲み下さなければならないということも、理解している。リョハンの位置情報だけでなく、差し迫る重大事とやらも知っておく必要がある。それは、セツナにとっても重大事なのだから。
「御主人様」
心配そうな声に目を向けると、レムがいた。ひとりではない。デッシュ=バルガインがレムをジェイド=メッサとともに試合会場まで連れ出してくれたようだ。試合が終わったことで、控室まで降りてきたのだろう。そうすると、試合会場で異変が起きた。そこで試合会場までレムたちを連れてきたのはデッシュの独断なのだろうが、ウォーレンたちが止めなかったことを考えると、デッシュにある程度の権限が与えられていたと見ていいようだ。
「おまえはそこで見ていろよ。これは、俺の闘いだ」
「はい。どうか、無理だけはなさらないでくださいまし」
「わかってるが、そんな心配はいらないさ。神様もいってただろ。命のやり取りはしない、と」
「はい」
「だから、おまえは俺の勝利を待っていてくれればいい」
「はい!」
セツナは、レムに笑顔が戻ったことを確認し、安堵した。そして、やはり彼女にはとびっきりの笑顔が似合うのだと再確認する。
《その気になったな、セツナ。良い、良いぞ。良い闘気、覇気よな。うぬは、選りすぐりの闘士にも劣らぬ実力の持ち主。我が使徒に加えたいものだが》
「断る。それだけは断じてな」
《そういうと想うたわ》
セツナのきっぱりとした拒絶に対し、ラジャムは、むしろ嬉しそうな反応を見せた。
《いまは、それ以上なにもいうまい。いまは、闘いを楽しむとしよう。闘技を》
「それで……どうやって闘う? あんたは……」
《依代ならばそこにいる》
「まったく……仕方のない方ですね」
やれやれと頭を振ったのは、ウォーレンだ。彼はなにもかもを諦めたような表情で嘆息すると、部下たちになにごとかを告げ、セツナの目の前へと歩いてきた。
「セツナ殿。わたしとしては、あなたに奉魂の儀に参加していただくだけで十分でした。奉魂の儀は、アレウテラスが失ったひとびとの魂を鎮め、霊を慰めるための儀式。そこに華を添え、箔をつけるという意味でも、かつて大陸小国家群に名を轟かせた英雄セツナ=カミヤを参加させたかった。それが、わたしの真意。それ以上でも、それ以下でもありません」
「……そうですか」
セツナは、それ以上なにもいう気も起きなかった。ウォーレンの真意など、もはやどうでもよくなっている。ラジャムがその意図を明かした以上、ウォーレンがなにをどういってこようと関係がないのだ。無論、ウォーレンとしては釈明して起きたいところではあったのだろうし、その気持ちはわからなくもないが。
「しかし、そこにラジャム様の思惑がなかったとは、いいません。ラジャム様があなたの実力を図りたいと仰ったのもまた、事実なのですから。ですが、まさかこのような事態になるとは思いもよらず……セツナ殿には迷惑極まりないことでしょうが、馬に蹴られたとでも思ってもらう他ありません」
「酷い話もあったものですね」
セツナは、ウォーレンの言いように苦笑するしかなかった。いまさら彼になにをいったところで無意味だし、彼には神の思惑を止める力などあろうはずもない。アレウテラスは、闘神ラジャムの守護によって栄えているのだ。
「わたしは、闘神ラジャムの使徒。闘神ラジャムが望みを叶えることで、この闘都の将来を約束するもの――」
ウォーレンが語り終えるより早く、それは訪れた。
網膜を焼き尽くすような閃光と聴覚を破壊するかの如き轟音が鳴り響いたかと思うと、衝撃が大地を駆け抜け、セツナは危うく吹き飛ばされそうになった。
「そして、我は闘神ラジャム。闘争を司り、勝利と鎮魂を謳うものなり」
ウォーレンの肉声によって紡がれたラジャムの言葉は、メイルオブドーターの警戒感を駆り立て、セツナに注意を促した。
セツナはいわれるまでもなく、光の消えた世界に出現した闘神ラジャムの姿を目の当たりにして、呪文を口走っていた。
武装召喚、と。




