第千九百一話 闘神の宴(十一)
沈黙があった。
闘神練武祭奉魂の儀決勝戦。
闘技場の観客席を埋め尽くすのは、闘士たちの誇りと魂を賭けた全霊の闘技を楽しみに訪れたアレウテラスの市民ばかりだ。彼ら観客は、倍率の極めて高い奉魂の儀の客席を手に入れるため、日々の努力を怠らなかったひとばかりであり、いわば観客自体が凄まじい戦いの果てに勝ち抜いてきたのだ。日常生活に支障をきたすほどの熱の入れようは、アレウテラスにそれだけ闘技というものが根付いていることの現れであるとともに、この年に一度の奉魂の儀が、アレウテラス最高の闘士を決める大会であるという認識が強く広まっていることによるものが大きいのだろう。
試合会場には、三人の人間がいる。
ひとりは、審判員。武装した男は、予想だにできなかった結果を前に硬直してしまっている。
ひとりは、セツナ。メイルオブドーターの能力を解放したまま、立ち尽くしている。
ひとりは、ダレル。メイルオブドーターの翅で優しく包まれ、落下による重傷こそ防げたものの、意識を失い、昏倒している。
つまり、勝敗が決したということだ。
セツナが、ダレルを倒した。
にもかかわらず、会場全体が静まり返り、審判員が勝敗を告げないまま時間ばかりが過ぎていくのには理由があった。
セツナの勝利が明らかな闘技規則違反によるものだからだ。
奉魂の儀が採用している闘技形式は、木製の武器による戦闘のみを許可するというものであり、それ以外のあらゆる武器が禁じられた。当然、召喚武装の使用は許されるわけもない。明確な規則違反であり、違反が判明した以上、即座に失格判定がくだされなければならなかった。
それでもセツナが決勝戦まで勝ち進んでこられたのは、メイルオブドーターが一見、ただの鎧と認識してもおかしくはないからだ。召喚武装というのは、一般的に異形であったり、装飾が過多で、実用的ではない外見をしている。メイルオブドーターもそうだ。繊細過ぎる意匠や形状は、やはり実戦向きには見えない。しかし、武装召喚術に詳しくないものには、華美た鎧にしか見えず、故に能力さえ発動しなければ露見する可能性は極めて低かった。場所が闘技場というのも大きいだろう。闘士たちは、試合会場を取り巻く観客席からも自分がだれであるかわかるよう、自己主張の激しい武器防具を身に着けていることが多い。ダレルもそうだったし、セツナがこれまで撃破してきた闘士のいずれも例外はなかった。一見すると召喚武装のように見えなくもない武器や防具を装備した闘士も少なくはないのだ。よって、メイルオブドーターの外見が浮くこともなかったのだ。
それでも、おそらく神の加護を得ているのであろうウォーレン=ルーンにはバレバレだったようだが、彼は、己と神の目的のためにセツナが召喚武装を使用することを黙認した。やりすぎないように、という忠告だけをよこして、だ。
セツナは、ウォーレンに見抜かれていることに気持ち悪さを感じながらも、彼の忠告を護ってきた。そもそも、能力を使えば、一発で失格になるのだ。神速の勝利で奉魂の儀を手早く終わらせようという考えの元、メイルオブドーターを召喚したというのに、能力を使った結果、失格してしまっては意味がない。故に、ここまでは一切能力を使うこともなく戦ってきたのだが。
ついに、使ってしまった。
神の加護を得たダレル=ソーラを打倒するには、ほかに方法がなかったのだから、致し方がない。
その結果、観衆を沈黙させてしまったが、済んだことをとやかく考えるのも馬鹿馬鹿しい。
負ければ良かった。
負けて、勝利をダレルに譲っても、なんの問題もなかったはずだ。それによって奉魂の儀は終わったのだ。ダレル=ソーラが二年連続の優勝者となり、名声をさらに高める結果になっただろうが、それが問題になるわけもない。だれが勝とうが、だれが賞賛を得ようが、どのような評価がなされようが、どのような噂話が流布されようが、知ったことではないはずだ。
それなのに、セツナは、つい、むきになってしまった。
力に溺れ、己を見失ったダレルの言葉など聞き流せばいいだけだろうに。
(俺もまだまだ子供だな)
セツナは、猛省するしかなかった。
一方で、こうも思うのだ。セツナがダレルに負けてやった場合も、決して面白い結果にはならなかっただろう、と。それはおそらく、ダレルにとっても不幸なものとなったに違いない。黒き矛のセツナを打倒した、闘神ラジャムに選ばれたアレウテラス最高の闘士という勘違いが、ダレルの人生を狂わせることになったはずだ。ラジャムは、ダレルを選んだのではない。決勝戦におけるセツナの相手がたまたまダレルだったから、彼に力を貸してやっただけのことなのだ。それがダレル以外のだれであっても同じことだっただろう。
だから、ここでダレルを打ち負かしたことは、間違いではないはずだ。
(いいわけだがな)
静まり返った闘技場の真ん中近くで、セツナは、憮然とした。闇の翅を収め、ダレルを見遣る。彼は意識を失い、倒れているが、命に別状はない。強敵だったが、それは彼が神に力を与えられていたからであり、本来の実力とは別のものだ。本当の彼がどの程度の強さなのかは、計り知りようがなかった。
それから、審判員を見遣る。重装の審判員は、思考停止から立ち直った様子だったが、どう判定を下せばいいか迷っているように見えた。なにを迷うことがあるのか。
「判定」
セツナが告げると、審判員は、話しかけられるとも想っていなかったのか、哀れになるくらい慌てふためいた。
「え、あ、やっ……その――」
「召喚武装の使用は、規則違反……でしょう?」
「そ、それはそう……ですが」
「だったら……」
だれであれ失格にするべきだ――と、セツナが口にしようとしたとき、試合会場の東門から拍手が聞こえてきた。見ると、きらびやかな鎧を身に纏ったウォーレン=ルーンが、部下を引き連れて試合会場に足を踏み入れ、そのまま近づいてくるところだった。
審判員が畏まり、観客たちが沈黙を破って声援を送り始める。ウォーレン=ルーンは、極剛闘士団の団長にしてアレウテラスの統治者であるとともに、最上級闘士であり、また、第一回目の奉魂の儀の優勝者として、名を馳せている。アレウテラウにおいてもっとも知名度と人気度を誇る闘士であり、その人望は他の追随を許さない、とはデッシュ=バルガインの言葉だが。
実際、それを見せつけられると、ウォーレン=ルーンの優男っぷりも威圧感を帯びてくるものだ。優しげな表情さえ、研ぎ澄まされた刃を隠しているものにしか見えなくなる。彼のきらびやかな鎧は、特大魔晶灯の光を浴びて黄金色に輝き、その存在を闘技場中に知らしめるようだった。闘士が派手な甲冑を好むのは、観客席のひとびとに自分の存在を知らせるためであり、ウォーレンの格好も同じ理屈だ。実際、黄金色に輝く鎧がウォーレンの登場を明らかなものとし、歓声が上がっている。
彼は、セツナの近くまでくると、部下たちをダレルの元に向かわせ、自分はセツナへと歩み寄った。そして、にこやかに告げてくる。
「さすがは黒き矛のセツナ=カミヤ殿。見事な勝利でしたね」
「勝利? 規則違反で失格が妥当では?」
「なにを仰る」
ウォーレンは、セツナの言葉を面白おかしそうに否定した。
「召喚武装の使用でセツナ殿が失格であれば、神の加護を得たダレル=ソーラ闘士も失格にしなければなりません。それでは、あまりにもつまらない」
「つまらない? そんなことで規則を捻じ曲げてもいいと?」
「初戦から平然と規則違反をされている方がなにをいいますか」
「それは俺の問題で、俺がいっているのは、闘技全体に波及しかねないことでしょう」
「まあ……そうですが。しかし、これが我らが神の勅命とあらば、致し方なき事」
「神の……勅命……」
ウォーレンの言葉を反芻し、目を細める。
「ラジャムのですか」
「……そう。我らが闘神ラジャムは、セツナ殿、あなたの御力を試したがっておられた」
「なるほど。それでわざわざ俺をこの闘技会に参戦させたわけですか……」
「しかも、半ば強制的に、ね」
彼が苦笑したのは、セツナたちの内心の不満を理解しているという主張なのだろうが、セツナはそんなウォーレンの言動にはなにも感じなかった。彼がどれだけ善人であろうと、神に従い、神の言いなりとなり、立ちはだかろうというのであれば、敵とみなす以外にはない。無論、すべての神が敵に回るという認識をしているわけではないが、この期に及んで警戒しないわけにはいかないのだ。
「……それで、闘神ラジャムは、俺の戦いを見てなんとするんです?」
「さて……」
ウォーレンが軽く肩を竦めたのは、神の加護を得た彼にも神の心中など想像もつかないからなのだろうが。
セツナとて、ウォーレンに聞けばすべてがわかるなどと想ったわけではないが、どうにも納得のいく反応が得られず、憮然とした。すると、その直後、セツナの全身に電流が走ったような感覚があった。メイルオブドーターが全力で警戒を発したのだ。なにが起こったのかもわからないまま、空を仰ぐ。頭上、満天の星空がある。どこまで続く闇の海に浮かぶ星々と月。それは、なんら変哲のない夜空そのものだったが、セツナは、星々と空の間に異様な気配が漂っていることに気づき、拳を開いた。いつ召喚しても即座に反応できるよう、心構えをする。
《見事。見事よな、セツナ=カミヤ》
聲は、頭の中に直接響いた。
低く重々しい聲は、これまで聞いた神々の聲とは一線を画す圧力があった。ミヴューラともマユラともマウアウとも異なる感覚。重圧がありながら、どこか昂揚感を抱かせる波動。強大な力のうねり。神のものとしか想えなかった。
《鍛え上げられた肉体、練り上げられた闘気、研ぎ澄まされた本能――すべてにおいて素晴らしいものではないか》
「……闘神ラジャムか」
《クオンの記憶の中に見たうぬとはまるで異なる。故にこそ試させたが、やはり、うぬが眷属どもの支配者であったか。黒き矛の、魔王の杖の使い手であったか》
セツナの質問には答えず、一方的に言葉を続けるラジャムだったが、そのおかげでラジャムの目的が見えてきた。
セツナが本物であるかどうか確かめるためであり、魔王の杖に目をつけたようだった。
また、だ。
また、黒き矛がセツナに災いを呼んだ。
神という名の災禍の化身を引き寄せた。
「やっぱり、魔王の杖が、カオスブリンガーが目当てかよ」
《目当て? 少し違うな》
ラジャムの聲が朗々と響き渡る。
セツナのみに聞こえているわけではないのは、ウォーレンらの反応を見ればわかる。彼らもまた天を仰ぎ、神の威厳に満ちた聲の前に打ち震え、感極まった表情をしていた。観客席の一般市民も同じだ。だれもが闘神ラジャムの聲を耳にし、感動に震えている。
闘士たちにとっても、市民にとっても、アレウテラスの守護神たる闘神ラジャムは、心の底より敬うべき存在なのだ。
それは、いい。
ひとがどのような神を信仰しようと知ったことではない。たとえその神が外法を極めた邪神であろうと、どうだっていいことだ。他人の信仰に口出しする趣味はない。しかし、だからといって、降りかかる火の粉を漫然と受け止めるほど、セツナも優しくはないのだ。
《我は、うぬとの決闘を所望する》
聲が告げた目的は、セツナの予想に近いものだった。




