第千八百九十九話 闘神の宴(九)
激しい震動とともにダレルの足元から無数の亀裂が走ったかと思うと、地面が陥没した瞬間、彼の長身が飛び跳ねた。一瞬にしてセツナの頭上へと至るほどの跳躍速度には、審判員の目も、観客の目もついていけていない。この場でその動きを理解しえたのは、セツナくらいのものだろう。咄嗟の反応がセツナをわずかに後ろに下がらせる。全体重に加え、落下速度を乗せた大斧の一撃が目の前の空間を断ち切り、地面に叩きつけられた。地面が割れ、土砂が舞い上がり、ダレルの鋭い眼光がこちらを捉えた。笑っている。
木製の大斧の一撃とは思えないし、それだけの力で叩きつけられた斧が無事で済むわけがない。しかし、セツナが瞬時に繰り出した木槍の薙ぎ払いを柄で受け止めて見せたダレルの大斧の斧刃は、欠けてさえいなかった。神の加護によって強化されているのは、ダレルの身体能力だけではないということだ。木製の大斧が金属の斧以上に強固なものになっている。でなければ、地面に叩きつけた瞬間にぶっ壊れているはずだ。
当然、強化などされているはずもないセツナの木槍は、ダレルの大斧に激突するたびに凄まじい衝撃をそのまま受け止めており、いつ折れてもおかしくはない状況だった。
数十度、木槍と大斧をぶつけ合った。互いに物凄まじいといっていい攻撃の応酬。常軌を逸した戦闘速度についてこれない審判員も観客たちも、立ち止まっての攻防ならば理解できるのだろう。沈黙の中から爆発的な歓声が湧き上がり、ダレルとセツナ、それぞれを応援する声が試合会場に響き渡った。
「聞こえるか、セツナ=カミヤ。これが闘技だ。これこそが、このアレウテラスのすべて。これこそが、この熱狂と興奮が、なにもかもを失ったひとびとを奮い立たせる力となり、希望となったのだ。だからこそ、俺は負けられない。あんたを倒し、さらなる高みを目指す」
ダレル=ソーラが、試合会場を包み込む熱気の中、高揚感を隠しきれないといった様子で叫んでくる。無論、その間、彼が手を休めることはない。電光石火の早業の応酬。大斧による猛攻の数々は、メイルオブドーターを装備したセツナでも耐え凌ぐのでやっとといったものだった。
なにより、得物の強度が違うのだ。
木製の槍と、同じ木製でありながら神の加護を得た大斧。
まともにぶつけ合うような真似をし続ければ、木槍のほうがすぐに破損し、使い物にならなくなるのは目に見えている。それでは不利になるだけだ。それを防ぐためには、大斧による攻撃を木槍で受け止めた際、その力を上手いこと受け流さなければならない。
セツナは、ダレルとの猛然たる応酬の中で、毎回毎回木槍を折られないよう、計算しながら攻撃し、攻撃を受け止めていたのだ。故にセツナの攻勢はゆるくならざるをえない。そうなるとダレルが俄然勢いに乗り、一気呵成に攻め立ててくるものだから、セツナは防御を固めてしまうしかない。でなければ、木槍を折られ、打つ手がなくなる。折れた槍で勝利条件を満たすのは困難だろう。
「そして、このアレウテラスのひとびとに大いなる希望を与えるのだ!」
ダレルが吼え、踏み込んでくると同時に猛然たる横薙ぎの一撃を叩きつけてきた。セツナは、無意識の反応によって、木槍の柄で斧を受け止めようとして、その刹那、胸中で舌打ちした。
(しまった!)
脊椎反射とでもいうような反応によって取った防御の構えは、普段の愛用の武器ならば問題なく機能しただろう。黒き矛ならば、並大抵の武器で傷つけられることはないからだ。しかし、いまセツナが手にしているのは木製の槍であり、相手の武器は、強化された斧――。
柄は、見事なまでに真っ二つに断ち切られ、猛然たる勢いによる余波がセツナの体を横殴りに吹き飛ばした。ただの斬撃ではない。神の加護を得た一撃。魔法のように暴風が巻き起こり、セツナの体を中空高く放り投げるようにして吹き飛ばしたのだ。体を駆け抜ける激痛に顔をしかめながら、セツナは、眼下のダリルの姿が消えていることに気づいた。中空。動きは制限される。
(どこだ!?)
セツナの意識を貫いた殺気は、頭上から――。
「おおおおおっ!」
獰猛な獣の如き気合とともに降ってくるダリルを振り仰いだ瞬間、セツナは左手で掴んだままの木槍の柄を投げつけた。召喚武装によって強化された身体能力は、ただの投擲を凄まじい殺意の塊へと変貌させる。ダリルが瞬時に攻撃を取りやめ、大斧の腹で顔面を覆った。木槍の柄が斧刃に激突したのを見届けたころ、セツナは地面に背中から落下した衝撃を受け、呼吸を止めた。素早く横に転び、跳ね起き、飛び退く。着地したダリルがこちらに向かって殺到してくるのが見えたが、セツナが木槍を構えると、足を止めた。
反応が少しでも遅れていれば、落下の瞬間に勝負はついていたということだ。
再び、静寂が会場を包み込んでいた。
観客たちが声援を忘れて唖然としたのは、当然だろう。まるで武装召喚師同士の戦闘のような闘技が目の前で繰り広げられている。夢や幻でも見ているのではないか、というような気分になったとしてもなんら不思議ではない。息を呑むような激闘も、度が過ぎ、理解の範疇を超えればそうもなろう。
超人の領域だ。
常人についてこられるものではない。
「さすがだ。さすがは黒き矛のセツナ。伝説的な逸話もただの噂話ではなかったというわけだ。素晴らしい。素晴らしいぞ」
「期待に応えられそうでなによりだな」
「だが、噂ほどではないな?」
「ん?」
「噂が確かならば、黒き矛のセツナは……ガンディアの英雄は、幾千の皇魔をちぎっては投げ、天を衝くほどに巨大な竜を倒し、鬼神をも屠ったというじゃないか。それなのになんだ。俺と互角かそれ以下じゃあないか」
ダレルが少しばかり残念そうな表情で頭を振ったのを見て、セツナの脳裏によぎるものがあった。
(こいつ……)
「これでは、とてもとても……噂通りとはいえないな」
「あんた、もしかして自分が素のままで戦っているとでも想っているのか?」
セツナは、想ったことをそのまま口にした。ダレルは、自分のその強大な力が借り物の力であることに気づいていないのではないか。セツナがそう察したのは、彼の言動によるところが大きい。まるで自分の力だけで、超人化したセツナを押していると想っているかのようだった。神の加護を得ていることを認識していれば、あのような発言にはならないだろう。
そして、ダレルの反応は、セツナの予想通りのものだった。彼は、怪訝な顔をしたのだ。
「……なにをいっているんだ?」
「あんたは、いま、普通じゃあないっていってるんだよ」
「……ふむ。確かに普通ではないな。この高揚感、この興奮……俺の闘士人生の中で感じたこともないほどのものだ。力が湧く……それもまるで無制限に近くだ。だが、それがどうした? そんなものが俺の強さの理由になるというのか?」
「違う。そういうことじゃあないのさ」
セツナは、ダレルの胡乱げなまなざしをじっと見据えながら、その瞳の向こう側にいるであろう存在を認識しようと試みた。無論、そんなことをしても、なんの意味もない。ダレルが闘神ラジャムの加護を得ているからといって、闘神がダレルの目を通してセツナを見ているとは限らないのだ。どこかべつのところから、この戦いを観察している可能性も低くはない。
「あんたは、闘神の加護によって、普通以上の力を得ているといっているのさ」
「闘神の……ラジャムの加護を得ているだと?」
「そうだよ。でなけりゃ、あんな攻撃できるわけがないだろ」
セツナは、つい先程、ダレルが割った地面を見やった。ダレルの得物は、木製の大斧だ。試合会場は、剥き出しの地面であり、土を硬く固めたものだ。木製の斧でもある程度抉ることくらいはできるだろうが、見る限りでは、通常ありえないほどの大きさの亀裂が刻まれていることがわかる。そも、攻撃の際の余波でセツナを吹き飛ばすなど、人間技ではない。それが理解できないダレルではないはずだが、彼の意識を支配する高揚感が正常な感覚を失わせているのかもしれない。
「俺を吹き飛ばしたのだってそうだ。あんなの、人間技じゃあない」
「なるほど……確かにな。いわれてみれば、そうか」
ダレルは、セツナの指摘によって自分がしてきたことの異常さに気づいたようだ。納得したような表情で、自分の手を見下ろしている。そして、軽く大斧を素振りし、大気が唸る音を響かせた。大気を切り裂く凄まじい音。尋常ではない斬撃速度だ。やはり、神の加護を得ているというセツナの考えは正しい。召喚武装の補助ならば、ダレルがいまのような反応を示すわけもないからだ。
「これが闘神ラジャムの加護だというのか……これが……我らが神の……」
彼は、なにやらぶつぶつとつぶやきながら、二度三度と大斧を振り回した。そして、歓びに満ちた表情を浮かべてこちらを見やってきた。喜悦満面。胸の奥底から湧き上がってくる感情を抑えきれないといった様子が彼の言動のひとつひとつに満ちている。
「つまり、俺が神に選ばれたというわけだ。アレウテラスの守護神たるラジャムに……!」
「あー……」
セツナは、ダレルの予想外な反応の頭を抱えたくなった。
「そういうんじゃないと思うけど……」
セツナとしては、ダレルに神の干渉を伝えることで冷静さを取り戻させ、この戦闘を自分の流れに持っていこうとしたのだ。しかし、どうやら判断を間違えたらしい。ダレルは、神の干渉、闘神ラジャムによる加護を理解したことで、もはや制御不可能なほどの興奮状態に陥ってしまったようだった。
「いや、そうだ。そうに決まっている。俺だ。俺が選ばれたのだ。俺こそが、このダレル=ソーラこそがアレウテラス最強の闘士に相応しいと、ラジャムが選んでくれたのだっ!」
ひとり勝手に納得し、盛り上がるダレルを見つめながら、セツナは、どうするべきかと思案した。このままでは、神の加護を得たダレルに圧倒され、敗北することになる。
(ん……?)
ふと、自分の考えに疑問がよぎる。
(それのなにが問題なんだ?)
勝つことが目的ではなかったはずだ。