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第千八百九十八話 闘神の宴(八)


 召喚武装の補助。いや、副作用とでもいうべきものは、装備者の身体能力を大きく向上させるものだ。身体能力といっても、複合的なものであり、聴覚や視覚といった感覚的なものから筋力といった肉体的なものも含めた全体的な能力が、召喚武装から流れ込んでくる力によって引き上げられる。

 その際の身体能力の上昇幅はピンからキリまであり、召喚武装によって大きく異なる。黒き矛のようにとてつもなく強力なものもあれば、そうでないものもあるのだろう。実際、黒き矛とメイルオブドーターでは、身体能力の上昇幅は大きく違っていた。当然、黒き矛のほうが大きく、圧倒的だ。ただ、それでもなんの補助も受けていないときと比べると、メイルオブドーターだけでも十分過ぎるほどに強力といってよかった。

 ここに至るまでのセツナの戦績を見れば一目瞭然だろう。

 実戦経験が少ないとはいえ、日々鍛錬を積み上げてきた闘士たちを一瞬のうちに打ち倒してきたのだ。

いくらセツナが無数の死線を潜り抜け、まさに地獄の修練を経てきたからといって、歴戦の猛者を事も無げに打ちのめすことができるほどの力量はない。召喚武装の、黒き矛とその眷属の力の引き出し方こそ、以前とは比べるまでもないほどのものだが、素の身体能力はそこまで大き変わってはいないのだ。

 人間の身体能力には、限界がある。

 肉体を持つ生物である以上、無制限に強化することなどできないのだ。どれだけ厳しく辛い鍛錬を繰り返したところで、必ずどこかで限界が来る。そして、限界まで鍛え上げた肉体は、その維持が極めて困難になる。膨張しすぎた筋肉は、それだけ故障しやすくもなる。両刃の刃といっていい。故にセツナは、肉体を極限まで鍛え上げるのではなく、ある程度で維持しながら別の修練を積んだ。それこそ、黒き矛とその眷属の力をいかにすれば上手く引き出し、効率よく扱えるようになるかというものであり、武装召喚師として必須技能の向上だった。

 身体能力の強化には限界がある。

 しかし、武装召喚師としての力量、技量の強化には、ある種際限がないのだ。頭脳と精神の問題であり、肉体とはほとんど無縁のものだからだろう。召喚武装の能力次第でいくらでも強くなれるのだ。そして、強くなればなるだけ、召喚武装から引き出せる力も大きくなり、副作用としての身体能力の強化も増幅する。

 召喚武装による身体能力の向上は、人体の持つ限界を無視して作用するものであり、故にこそセツナは、歴戦の猛者たちの目にも留まらぬ早業を繰り出すことができたのだ。

 メイルオブドーターは、黒きカオスブリンガーに比べるとその恩恵は小さい。しかし、強力な召喚武装と同等以上の力を秘めているのは間違いなく、その力を自在に引き出すことのできるセツナは、以前にも増した副作用によって、尋常ではない身体能力を得ていた。

 ダレル=ソーラにもその身体能力を最大限に活用して反撃を仕掛けたのだが、彼は、それを平然と受け止めて見せていた。通常人には真似のできない反応速度。召喚武装による補助か、なんらかの力が関与していなければ、ありえないことだった。

 セツナは瞬時に警戒を強めると、竜の翅のような斧刃を持つ木製の大斧を木槍で押し退け、後ろに飛んだ。セツナは木槍。ダレル=ソーラは大斧。射程距離は、こちらのほうが広い。相手の攻撃範囲外からこちらの攻撃を叩き込むのは卑怯でもなんでもない。戦いの鉄則だ。

「遅いっ!」

「はっ」

 黒き矛に近づけたような装飾が禍々しい木槍の柄を握りしめながら、セツナは、ダレルの猛然たる突進を鼻で笑った。なんらかの力によって身体能力を大幅に強化された様子のダレルだったが、セツナの後退に合わせた突進は、だれもいない虚空を突き破っただけだった。つまり、ダレルはセツナを見失ったのだ。セツナは、空中に飛び上がり、宙返りとともに相手の背中を視界に捉えている。着地と同時にダレルがこちらを向き直った。斧の横薙ぎの一閃。轟然と大気が唸り、衝撃波が試合会場の地面を抉る。人間業ではない。

 そのとき、セツナの脳裏に浮かんだのは、この都市の守護神の名だった。闘神ラジャム。闘争を司り、勝利と鎮魂を謳う神が、この闘技によって魂を捧げる儀式を見守っていないわけがない。ましてや、この都の守護神だというのだ。どこからかセツナの戦いを見届けており、ついに口出しせずにはいられなくなったのではないか。

 いや、そもそも、最初からこのつもりだったのではないのか。

 ウォーレン=ルーンの目論見がこの戦闘にあったのではないか。だとすれば、多少なりとも納得のいかないこともない。

(神様の加護か)

 セツナは、木槍を構え直しながら、審判員の狼狽えた様子に同情を禁じえなかった。召喚武装によって強化されたセツナと謎の力を得ているらしいダレル、両者の動きを捉えきるのは、いかに歴戦の猛者であっても厳しいところがあるだろう。観客もふたりの戦闘がどのように展開しているのか、理解できていないようだった。歓声すら、鳴り止んでいる。

 ダレルが大斧の柄を両手で握りしめ、大上段に構えた。つぎの攻撃で、全体重を乗せた一撃を放つつもりなのだろう。

「こんな静かな闘技は久々だ」

「そうかい」

「静かで、それでいて心の奥底から力が湧き上がってくるような戦いなど、そうあるものではない」

「そりゃあ、ないだろうよ」

 セツナもまた、静かに呼吸を整えながら、ダレルの出方をうかがった。大斧の一閃で地面が抉れるほどの力が、いまのダレルにはある。準決勝に至るまでの彼とはまるで別人だ。やはり、闘神ラジャムの加護が働いていると見るのが確実だろう。召喚武装の力とは思えない。ダレルは武装召喚師ではない。仮に武装召喚師から召喚武装を借り出していたとすれば、ダレルは相当に召喚武装の扱いになれているということになる。でなければ、あれほどの力を発揮することはできまい。そして、あれほどの力を持つ召喚武装が契約者以外の人間に扱いきれるとは、少々考えにくいことだ。ダレルが長らく召喚武装の修練に励み続けてきたというのであれば話は別だが、極剛闘士団幹部上級闘士ダレル=ソーラにそのような暇があるはずもない。

 さらにいえば、彼が神の加護を得たのも今回が初めてなのではないか、と想像する。

(闘技を愛する神様なら、どちらかに肩入れするなんてこたあ、ないだろうしな)

 セツナは、己の経験から神というものがどういったものなのか、少しずつ分かりかけていた。無論、それはセツナの一方的な理解であって、神々の本質を完全に把握したというわけではない。

 神とは、セツナが最初に想像したような絶対者ではないようだった。神の数だけ性格があり、考え方の違いがある。司るものも異なれば、人間への接し方も大きく違うようだ。マユラは人間だろうが皇魔だろうがお構いなしに消滅させたが、ミヴューラは人間も皇魔も救ってみせると息巻いていた。アシュトラは、人間を嘲笑い、その運命の皮肉を演出することを楽しんでいたし、マウアウは、自分の海域を侵した人間にすら優しく諭し、理解すれば手を差し伸べるほどの慈悲深さを持ち合わせていた。神は、己の存在理由に素直なのだ。きっと、そういうことなのだ。だから、ミヴューラは救いにこだわり続けたのだろうし、マウアウはあのように慈悲深かったのではないか。

 闘神ラジャムが闘争に真摯なのであれば、闘士のいずれかに肩入れして闘技を穢すようなことはしないはずだ。

 ではなぜ、決勝戦の場に及んで、ダレル=ソーラに力を貸したのか。

(ま、俺のせいだろうな)

 セツナが召喚武装を身に纏い、圧勝に圧勝を重ねてきたことが、闘神ラジャムには面白くなかったのかもしれない。セツナが召喚武装を身につけていることは、ウォーレンにもバレていた。おそらく、ラジャムが見抜き、ウォーレンに教えたのだ。

 ラジャムは、セツナがあのまま圧勝を続けて優勝するのが気に食わなかったに違いない。だから、ダレルに力を貸し与えている。だから、ダレルは超人的な身体能力を得、セツナの攻撃を見切り、圧倒的な力を発揮した。

「行くぞっ!」

 ダレルが吼え、踏み込むと同時に大地が揺れた。

 


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