第千八百九十六話 闘神の宴(六)
「“烈華”フィオナ=フィレンドルは、我が闘士団でも数少ない女闘士のひとりであり、女闘士の中でもっとも実力があることは、いうまでもないな」
というデッシュの説明には、異論の余地はない。
奉魂の儀の勝ち抜き戦に参加した十六名の闘士のうち、女性闘士はフィオナ=フィレンドルただひとりだった。彼女以外全員男であり、つまり、フィオナは第一回戦、第二回戦と屈強な男の闘士を撃破してきたということになる。
レムは、フィオナの戦いぶりをその目で見てきたが、いずれも花のあるものであり、女性客が黄色い声を上げるのも無理のない話だと思えた。
フィオナ=フィレンドルが屈強な男闘士たちに負けないのは、その剣技の冴えの凄まじさによるものだろう。鍛え上げられた肉体の持ち主ではあるが、それ以上に速度と技量が群を抜いているといってよかった。その剣技でこれまでの対戦相手を翻弄し、勝利を掴んでいる。華麗な戦いぶりは、これぞ闘技というものかもしれず、彼女が人気なのも納得がいった。
さらにいえば、若く美しい容貌なのも、人気の理由だろう。
フィオナは、軽装の鎧こそ身に纏っているものの、兜は被っていなかった。素顔を晒しているのだ。それもまた、闘技の一貫なのかもしれない。闘技とは、ただの戦闘ではない。興行なのだ。観客の関心を集め、闘技場に足を運ばせるためにはあれこれと手を打たなければならない。そのひとつが、彼女の見目麗しい容貌を曝すことだといわれても不思議には思わなかった。美しい女性は、それだけで華があるのだ。
長い髪を後ろでひとつに結わえ、馬の尻尾のように垂らしている様がいかにも凛としていて、レムですら見惚れかけるほどだった。もっとも、観客席からは彼女のその美しい容貌を堪能することはできないだろうが。
レムの目だからこそ、三階の特別観覧席からも見えるのだ。
「これは強敵でございますね」
「そうなんですか?」
「ほう?」
「御主人様の数少ない弱点なのでございます」
「弱点?」
レムが深刻そうに告げると、ジェイドとデッシュがごくりと息を呑んだ。
「御主人様、女性にはめっぽう弱いので」
ジェイドとデッシュが肩をコケさせるのを尻目に、レムは、心配になりながらセツナとフィオナ=フィレンドルの試合開始を待った。
しかし、第三回戦第一試合もまた、あっという間に勝敗が決まった。
フィオナ=フィレンドルがセツナのこれまでの試合運びから警戒を強め、防御を固めたところ、セツナの情け容赦のない猛攻が襲いかかったのだ。フィオナ=フィレンドルがあまりの猛攻に耐えきれなくなり、隙を見せた瞬間だった。セツナの木槍がフィオナの足を絡め取るようにして払い、転倒を誘った。そして急所に突きつけられる切っ先がセツナの勝利を確定させる。
第三回戦に至っても魅せる戦いを一切しないセツナの徹底ぶりに、レムは、なんだか自分の心配が馬鹿馬鹿しくなるとともに、対戦する闘士たちが可哀想になってきた。セツナは第三回戦を勝ち抜いたことで、決勝戦へと駒を進めたのだ。決勝戦も、こんな調子で終わるに違いない。それでは、この奉魂の儀のために一年間自身を鍛え、闘技を続けてきた闘士や観客があまりにも可哀想ではないか。
などと考える一方で、そんな大事な儀式にセツナを半ば強制的に参加させたのは、主催者である極剛闘士団なのだから、責任があるとすれば彼らにあるのだ、と開き直る気持ちもあった。
セツナに悪い点があるとすれば召喚武装を用いているという一点だけであり、それ以外に落ち度はない。
もし仮にセツナが召喚武装を用いてなかったとしても、セツナは無事に勝ち進めてこれただろうことはレムが保証する。レムの目で見る限り、セツナに勝てるような闘士はいなかった。少なくとも、セツナと同等の死線を潜り抜けてきたような人間はひとりとしていないのだ。そんな連中にセツナを倒せるわけもない。
(競技と実戦は違うものでございますが)
だからといって、実戦で培われてきたものが競技で通用しないということはあるまい。
とくにセツナは、とてつもなく苛烈な戦場を経験してきたのだ。生き抜いてきたのだ。闘技という、ある種生ぬるい環境で生きてきた闘士たちと比べるべくもない。
「女に対しても容赦がなかったが」
「はい」
「はいって」
「女性に弱いのは確かですが、だからといって容赦しないのが御主人様なのでございます」
「えーと……」
「なにがなんだか」
ジェイドとデッシュがなぜか困惑しているのを無視して、レムは、セツナがフィオナ=フィレンドルを起こしてあげている様を見ていた。セツナの苛烈な戦士としての顔と、紳士的な態度の違いにフィオナ=フィレンドルは困惑気味の様子だったが、まさか惚れたりはしないだろう。楽観的に構えながらもどこかで警戒感を持つのは、フィオナ=フィレンドルの目がセツナをじっと見つめていたからだ。そのあまりの熱烈ぶりには、なんらかの強い想いを感じずにはいられない。
もっとも、セツナはフィオナ=フィレンドルの視線をなんとも想っていないようであり、彼女が立ち上がると、さっさと試合会場を後にしたが。
そんなセツナの背中を見つめるフィオナ=フィレンドルの反応が、妙に引っかかるレムであり、自分のそういうところが気持ち悪いと思うのだった。
第三回戦第二試合が終わり、残すところ決勝戦のみとなったところで、また休憩時間が設けられた。
ときに闘技場の上空は赤みがかっており、夕暮れが近づいていることを示していた。
レムは、セツナの決勝戦進出を全霊で祝福した。
決勝戦までに執り行われた試合は、全部で十五試合。出場闘士はセツナを含めて十七名。決勝戦でぶつかるのは、その十七名の中で激戦を突破してきた二名であり、そのうちひとりがセツナだ。セツナは、極剛闘士団の闘士ではないが、決勝に至るまでの戦いぶりから、観客たちによって既に闘名がつけられていた。その名は“神速”。一瞬で勝敗を決めてきたがためにそう名付けられたようだが、セツナ自身、悪くはないと気に入っていた。
もうひとりは、極剛闘士団の上級闘士であり“極斧”ダレル=ソーラだ。デッシュの同僚であるとともに、前年の奉魂の儀の優勝者であるということがわかっている。年齢は二十八歳。ちょうど脂が乗り始めたといってもいい頃合いだろうか。鍛え上げられた肉体は、セツナと比較するまでもない。ただ、膨張しすぎるほどではなく、ほどよく収まっているところがダレル=ソーラの恐ろしいところだ。筋肉が邪魔にならない程度に鍛えているのだ。黒地に金の装飾が施された鎧は、怪物めいた形状をしていて、目を引いたことを覚えている。
その実力は、決勝戦に進出するだけあって素晴らしいものといっていい。
セツナも多少は気を引き締めなければならない、などとうそぶいていた。
休憩が終わり、特別観覧席に入ると、満天の星空が闘技場の頭上を覆っていた。いまにも降ってきそうな星々と、試合会場の各所に灯された巨大な魔晶灯の光が、決勝戦に向かうふたりの闘士を照らしている。満員の観客は否応なく盛り上がり、闘技場全体が揺れた。
「ダレルはその闘名の通り、極剛闘士団随一の斧使いだ。斧を使わせたら彼の右に出るものはいないだろうし、たとえ斧でなくとも、彼と対等に戦えるものはそういないだろう」
「デッシュ様でも、でございますか?」
「わたしとダレルの戦績は、五分だ。なんとしてでも勝ち越してやりたいと思っているのだがな、なかなか上手くいかないものだ」
「ウォーレン様は、いかがなのでございましょう?」
「団長は最上級闘士だ。その意味がわからないわけではあるまい?」
「ですが、肩書と実力は必ずしも一致しないものでございましょう?」
「たしかにな。だが、我が闘士団においては実力が肩書となる。実力があったればこそ、上級闘士、最上級闘士になりうるのだ。当然、その肩書に相応しくないと判断されれば引き剥がされる」
「最上級闘士であっても、ですか?」
「無論だ。そうでなければ、闘士団の秩序は保てないだろう。荒くれ者揃いの組織だからな」
デッシュが嘆かわしそうな表情で告げたものの、彼自身はその荒くれ者揃いの組織とは無縁の人間のような落ち着きがある。そのことがレムたちにとっては有り難いことではあった。デッシュが言葉よりもまず先に手が出るような荒くれ者ならば、セツナと衝突していたかもしれないのだ。
「もっとも、しばらくは団長が最上級闘士に君臨し続けてくれるだろうと楽観してはいるがな」
そういってデッシュが試合会場に視線を落としたちょうどそのころ、審判員によって試合開始の合図が繰り出されたところだった。




