第千八百八十八話 包囲網(二)
にわかにリョハンが騒がしくなったのは、守護神マリクによる警告がファリアによって護山会議に通達され、七大天侍、護峰侍団の全軍を総動員した警戒態勢の強化が行われたからだ。
守護神マリクがラムレス=サイファ・ドラースから得た情報によって確認したリョハンの状況というは、決して楽観視できるものではない。
総勢十万以上の戦力による神軍の包囲網。
数ヶ月前に起こった神軍との戦いと比べると、明らかにそこに込められた殺意の量が違った。前回の敗戦による反省が生かされている、と見るべきなのだろうが、それにしても、神軍はリョハンを滅ぼすことになぜこうまでもこだわっているのか。そんなことを考えたくもなるくらい、神軍は本気らしかった。
リョハンは、難攻不落の都市だ。
独立戦争時、ヴァシュタリア軍の攻囲に対し、長期間、リョフ山を守り抜くことに成功し、ヴァシュタリア軍に音を上げさせることによって自由を勝ち取ったという事実がある。その際ヴァシュタリア軍がリョハン制圧のために繰り出した兵力は、神軍の十万を遥かに凌駕するものであるといい、そのために数多くの武装召喚師が命を落としている。が、それでもリョハンは十万を超過する軍勢を相手に空中都市を守り抜き、独立を勝ち取っているのだ。
この度も、十万以上の神軍からリョハンを守り抜くのは、必ずしも難しいものではないだろう――という声を上げるものは、少なくなかった。
一方で、ファリアのように危機感を抱くものもいないわけではない。
先ごろの戦い――つまるところ、第一次リョハン防衛戦において、神軍との戦いに赴いたものたちは、神軍の戦力を実際に目の当たりにしているからだ。神軍がただのヴァシュタリア軍残党などではないことは、明白だった。ラムレスが神の軍勢と命名した通り、神の加護を受けた将兵は、常人とは比べ物にならない力を発揮していた。優秀な武装召喚師たちにとっては雑兵同然であっても、それが物量戦の様相を呈すれば話は別だ。
数の前ではさしもの武装召喚師も押し負ける可能性がある。いくら強大な力を秘めた召喚武装の使い手といえど、人間なのだ。敵の数によっては、消耗しきったところを攻撃され、命を落とすことだって十二分に考えられる。物量を覆すのが武装召喚師の腕の見せ所とはいえ、限度というものがあるのだ。現に最終戦争では、絶大な力を持つ召喚武装である黒き矛も、その圧倒的な物量差の前では焼け石に水にもならなかった。物量というのは、それほどまでに大きく、強烈だ。
それに、独立戦争時、リョハンが戦い抜くことができたのは、リョハンを応援してくれるものたちがヴァシュタリアの各地にいて、秘密裏に食料などの物資を流してくれていたからだ。地下水脈、坑道を利用した物資の運搬路は、リョハンの籠城を支えてくれていた。それが今回は、ない。各地に伸びていたはずの地下坑道は“大破壊”の影響によって塞がれ、地下水脈も崩落によって閉ざされていた。独立戦争のような籠城戦に持ち込むことはできない。
短期決戦によって敵主軍を討ち倒し、全軍撤退へと持ち込む以外に道はないのだ。
そしてそれがいかに困難なことなのかについては、護山会議の議員たちも理解していることだ。だれもが厳しい顔をして、頭を悩ませた。
「戦いにおいては、戦女神様と七大天侍、護峰侍団に任せるしかありませんな」
「さよう。我々は、戦士ではない。残念ながら、剣を取る力さえない。こと戦闘に関しては、戦女神様の判断のほうが余程的確であることは、疑いようがない。故にこそ、戦女神様のお考えをお聞かせ願いたいのですが」
ファリアが議員たちの懸念に満ちた表情と対峙したのは、翌日の定例会議の場だ。
議長モルドア=フェイブリルを始めとする反戦女神派議員たちも、神軍十万による包囲網の話を聞くと、立場を弁えるようにしてファリアに判断を仰いだ。議員の多くは、武装召喚師ですらない普通の人間だ。実戦訓練を受けていないどころか、体を鍛えてさえいないものも少なくはない。独立戦争時、ファリア=バルディッシュとともに戦場を駆け抜けたアレクセイのようなもののほうが少ないのだ。故に彼らは戦いにおいて、ファリアたちに口出しすることはない。理解できないことに関しては口を挟まないというのは、彼ら護山会議員の美徳といえた。
そのため、ファリアは、自分の考えを余すところなく述べることができたし、それについての反対意見もほとんどなかった。護峰侍団長ヴィステンダール=ハウクムルですら、実戦に関しては口出しをしてこないのだ。
リョハンの武装召喚師たちは、実戦経験が極めて少ない。
皇魔討伐程度ならばまだしも、人間との闘争となると、先ごろの第一次リョハン防衛戦くらいしかないのではないだろうか。あとは、難民による暴動の鎮圧だが、これを実戦に数えるほど護峰侍団も愚かではない。
実戦経験において、ファリアに並ぶものはいなかった。
ファリアは、ガンディアにおける数年あまりで、常人が人生で経験しえない数の戦場をくぐり抜けてきている。それも困難を極める修羅場が多く、死線ばかりといってよかった。それもこれもファリアが所属した部隊がガンディアにおいての最強部隊だったためだが、そのおかげで、彼女はリョハンにおいて実戦経験の最も豊富な人間のひとりとなった。
戦術眼も鍛えられた。
敵の動きから、ある程度の進軍経路を予測することもできるようになった。
「籠城は、現状のリョハンでは不可能です。リョフ山に籠もったところで、神軍の包囲を助長させるだけでしょう。敵は、結界外――遥か遠方からリョハンへの包囲網を縮めつつあります。つまり、長期的な戦いを視野に入れていると見ていいでしょう」
補給線もしっかりと準備されていることだろう。つまり、どれだけ戦いが長引いたとしても、補給不足で神軍を撤退させるということができないということだ。逆に籠城戦をしたがために窮地に陥るのは、補給手段のないリョハン側ということになる。リョハンの地下坑道、水脈が利用できる状況であれば、籠城戦も考えられたが、そうではなかった。
「籠城戦は悪手以外のなにものでもありません」
「では打って出る、といことですな」
「ほかに方法はありません」
ファリアは、いい切った。
「敵主軍を討ち倒すことで全軍が総崩れになれば、勝ち目がある。逆をいえば、そこにしか勝ち目を見出すことはできません。我々の戦力ではそれ以上に有効的な戦術は取り柄ないでしょう」
「して、主軍とはいずこに?」
「ラムレス様が確認に当たってくださっています。いずれ判明するでしょう。それまでは、我々は動くこともできません」
「ふむ……」
「この度の包囲網を打破できなければ、我々に未来はない。そのことは、護山会議の皆様も御存知のことと思われます。どうか、力をお貸しください。我々、リョハンの民がひとつとならなければ、勝利を得ることは困難を極めるでしょう」
「それは、当然のことです」
モルドア=フェイブリルが、真摯なまなざしを向けてきた。護山会議の議長であり、反戦女神派の筆頭であるモルドアだが、この緊急事態においては一貫してファリアの味方だった。彼がいうようにそれは当然のことだ。なんの不思議もない。リョハンの権力者である彼が権力を維持し続けるためには、リョハンの存続が不可欠なのだ。リョハン存亡の危機に際し、ファリアの足を引っ張るなど、みずから己の首を絞めるようなものだった。
「リョハンの危機になにもせずにいるなど、だれができましょう」
真面目くさったモルドアの言にアレクセイのみがわずかに眉根を寄せたのをファリアは見逃さなかった。アレクセイとモルドアは、長年、政敵として対立し続けている。アレクセイが議長を務めていたころは、モルドアはアレクセイの反対派だったし、モルドアが議長となるとアレクセイが彼の敵となった。互いに気に食わないながらもそういう立場を利用し合う間柄であり、そういうところが政治の不可解なところだった。
ファリアには、まったくわからない。
しかしながら、モルドアのそういった言動のおかげで護山会議がひとつに纏まり、ファリアとともにリョハンを護るという意思で統一されたことには感謝した。モルドアがいなければ、こうも簡単にまとまることはなかっただろう。
さすがは護山会議の議長という立場にあるだけのことはある――というようなことを、定例会議が終わったあとにつぶやくと、それを聞いていたアレクセイがファリアだけに聞こえる声でいってきたものだ。
「あまり過信しないことだ。所詮、なんの力も持たない人間には、おまえたちを頼る以外にはないのだからな」
祖父としての言葉は、アレクセイたち議員の協力が戦争において然程意味のないものである、というようなことであり、ファリアは突如としてなぜそのようなことをいってきたのかを考え、くすりと笑った。
要するに、アレクセイは孫娘にモルドアが頼られるのが気に食わないのだ。