第千八百八十三話 闘神都市(四)
リョハンが、もうすぐ目の前にある。
いや、実際にはリョハンまでの距離は随分あるのだが、しかし、確かな所在地が明らかになれば、もはや目前といってもよかった。これまではリョハンがどこにあるのかさえわかっていなかったのだ。大陸は“大破壊”によってばらばらになっただけでなく、すべての大地が遠く引き離されたのだ。海がすべてを分かち、どこにどの国のどの都市があるのかもわからなくなってしまった。今までは地続きで、感覚的に理解できていた位置関係がまるでわからなくなったのだ。大陸図を正確に把握しているはずの帝国海軍でさえ、リョハンの位置を予想することすらできなかった。
“大破壊”がもたらした混乱のひとつが、それだ。
大陸図は、無意味なものとなった。
この大海を旅し、目的地を探すという状況においては、だが。
地続きの大地を散策する上ではいまだに役に立つはずだが、残念ながらセツナたちはリョハン近辺のことを記した地図を持っていなかった。そのため、アレウテラスの統治者であり極剛闘士団の団長、最上級闘士ウォーレン=ルーンの要求を受けなくてはならなかった。
一刻も早くアレウテラスを出発したいセツナには辛いことだが、要求さえ飲み込めば、ウォーレンからの支援も確約されているのだ。ここは耐えるほかなかった。リョハンの所在地を教えてもらえるだけでなく、食料や移動手段まで提供してくれるというのだから、その話に乗らない手はないのだ。もちろん、ウォーレン側の提案がアレウテラスへの長期滞在などというものであれば、考えるまでもなく断ったが。
もうひとつ、気になることといえば、マウアウとの交渉後、セツナたちの上空を飛行していった神軍の飛行船のことだ。マウアウによれば、神軍は世界各地に軍勢を派遣しているということであり、メリッサ・ノアを攻撃した飛行船が戦力を運搬中だった可能性は極めて高いとのことだ。飛行船は、北を目指していた。もしかしなくとも、セツナたちのいるこの大陸の何処かを目指していたに違いない。
「もしかすると、あの飛行船はリョハンを目指していたのではありませんか?」
「……かもな」
朝食の最中、レムがお茶を飲み干してから発した言葉に、セツナは、苦い顔をした。マウアウに牽引されての航海中も、可能性として考慮していたことではある。
マウアウは、セツナの記憶を覗き見たことで、セツナの目的地を理解していた。しかし、この大陸にリョハンがあるかどうかは知っておらず、故にセツナたちは上陸して情報収取に当たる必要があったのだ。
もっとも、マウアウは以前も北上する飛行船を目撃したともいっており、そのときの飛行船と同じ種類の飛行船がメリッサ・ノアを攻撃したということは間違いないようだ。その飛行船の目的はわからず、神軍がリョハンへの侵攻を企んでいるかどうかも不明とのことだ。元々至高神ヴァシュタラを構築していた神の一柱であるマウアウが、ヴァシュタラの神々を主体とする軍勢の動向について把握していないのは疑問の残るところではあったが、
《ヴァシュタラより分かれた我にはもはや関係のないことだからな。調べようとも思わぬ。好きにすれば良いのだ》
などといわれてしまえば、追及しようもない。
追及した挙句女神に嫌われ、海の藻屑にされてしまうなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。セツナ自身は戦い抜けたとしても、船が沈めばどうしようもなくなるのだ。
「だとしたら、こんなところにとどまっている場合ではありませんが」
「そうはいうけどさ、いまは情報収集のほうが先決でしょう。まずはリョハンが何処にあるのかはっきりさせること。なんの手がかりも持たず闇雲に突っ走ったところで、遭難するのが落ちですよ」
「それは……そうですが」
ジェイド=メッサが納得できないような顔をした。貸し切りの宿の食堂には、セツナたち一行と宿の主人が手配した女給しかいない。朝日が差し込む食堂は、どの料理も日差しを浴びて、鮮やかに輝いている。
「セツナ殿は、我慢できるのですか?」
「信じていますから」
セツナは、それだけを告げて、帝国陸軍少尉との話を打ち切った。取り付く島もないといったセツナの反応に困り果てるジェイドに対し、部下たちがどのような声をかけるべきか戸惑う中、セツナの隣に腰掛けたレムだけが微笑んでいた。彼女には、セツナの言葉の意味が理解できているのだ。
信じる。
そう、信じるしかない。
リョハンにいるというファリアたちを信じるのだ。
彼女たちならば、神軍なるものたちが攻め寄せてきたところで、立ちどころに打ち払い、リョハンを守り抜くだろう。ファリアたちは優秀な武装召喚師だ。ファリアもルウファもミリュウも、グロリア、アスラを含め、全員が強力極まりない召喚武装の使い手なのだ。そんじょそこらの連中では太刀打ちできるわけもない。
神軍がまさしく神の軍勢であり、神そのものが戦力として投入されるようなことがあれば話は別なのだが。
(そのときのために、俺とおまえがいる)
セツナは、汁物を飲み干したあと、机の下で拳を握った。黒き矛。カオスブリンガー。魔王の杖。様々な呼び名を持つ彼の召喚武装ならば、神を撃退することも不可能ではない。
たとえそのような事態に陥ったとしても、ファリアたちが時間を稼いでくれると信じることができるから、今朝もこうして悠長に朝食をとることができるのだ。
焦りは禁物だ。
急いては事を仕損じるという言葉もある。急がなければならないときこそ、冷静に対処するべきだ。それもルクスの教えだ。
(常に冷静であれ……か)
そうではいられなかったからこそ、あのとき、最悪の失態を演じたのがセツナなのだ。今度こそ、二度とあのようなしくじりをしないようにするためにも、冷静であり続けると肝に銘じておくべきだった。
朝食後、しばらくすると、極剛闘士団上級闘士デッシュ=バルガインがセツナたちを迎えにきた。向かう先は、昨日と同じ中央闘技場だったが、道中からして雰囲気が違っていた。昨日は人気もなく、閑散とした雰囲気が廃墟のような空気感を作り出していたのだが、今日は、昨日とまったく異なる光景が展開されていた。
宿から中央闘技場までの道に満ち溢れる、ひと、ひと、ひと――。
まるでお祭り騒ぎのような熱狂が道を歩くひとびとから感じられ、セツナは、その熱量に飲まれるような感覚に包まれた。ひとびとは、口々になにかを話している。なにやら予想を立てているものもいれば、なにかの優劣について喧しく口論するもの、浮かれ気分の女性たちもいれば、興奮しっぱなしの子供もいる。
昨日とはなにもかもが違う光景に、セツナは目が点になった。
「これは……いったい」
「不思議でございますね」
レムも、目をぱちくりとさせながら周囲を見やっていた。行き交うひとびとの生き生きとした表情、挙措動作のどれをとっても、昨日目の当たりにしたアレウテラスの光景とは一致しないものだ。“大破壊”の爪痕などどこ吹く風で、だれもが浮かれている。
「驚いたか。これがアレウテラス本来の姿なのだ」
デッシュは、こちらを向き直るなり、なにやら誇らしげに告げてきた。
「アレウテラスに住むものは、老若男女の別なく、だれもが闘技を生きがいにしているといっても過言ではないのだ。だから、闘技が行われる時間帯となると、都市そのものが活気づく。昨日、セツナ殿らが見たアレウテラスの光景は、闘技の全試合が終わったあとだったからなのだ」
「それで……街が死んだようになってたって?」
「そうだ」
デッシュは、否定するどころか、全霊で肯定してきた。レムと顔を見合わせる。
「闘技こそがこのアレウテラスのすべてなのだ。闘技が街を作り、闘技が歴史を作り、闘技が命を育んできた」
デッシュが声高に語り始めると、彼を取り囲むように人だかりができはじめた。さっきまでデッシュのことなど気にも止めていなかったひとびとが、だ。彼がデッシュ=バルガインであるということに気づいた子供がいて、その子供の一言がきっかけだったようだ。すると、デッシュの部下らしい闘士二名が人集りの整理を始める。手慣れた様子を見る限り、よくあることなのだろう。デッシュは、上級闘士だ。闘士の階級がどれくらいあるのかわからないが、最上級闘士が最高位であることを考えると、その下の上級闘士であるデッシュは、闘士の中でもかなりの高位であることが想像できる。
「考えても見よ。乳飲み子のころから闘技について聞かされ続けるのだ。物心ついたときには、闘技に関心を持たずにはいられなくなる。そして、幼心に闘技を見続ければ、それが生活の根幹となるのは当然のことだ」
デッシュの話を聞けば聞くほど、彼を取り囲むアレウテラス市民の表情にも納得がいくというものだった。杖をつく老人から、十歳にもならないような子供までもが、彼を尊敬しているのだ。そこに男女の別はなく、男も女も等しく、デッシュ=バルガインを見入っている。そして、それら市民が闘士のことを尊敬していることは、デッシュの部下たちの指示に素直に従っている様子を見れば一目瞭然だ。
市民と闘士の間に明確な階級差のようなものがあるようにも想えたが、闘士たちが特権階級などではないことは彼らの生活からも明らかだ。
「もちろん、中には闘技を毛嫌いするものもいないではないが……そういったものはこの闘都では少数派だ。闘技とは無縁の人生を送りたければ、この闘都を出て行くしかないな。闘都のあらゆるものは、闘技に結びついているといっても過言ではない。セツナ殿らが寝泊まりした宿も、闘技場の恩恵を多分に受けている。闘技場の近くという立地条件があの宿を繁盛させ、あれほど立派な建物に改築することができたのだ」
デッシュの指し示した通り、セツナたちが借り切っている宿は、周辺の建物に比べても格段に立派なものだった。この時代、四階建ての建物というだけでもめずらしい。それほどの儲けが出るほど、アレウテラスのひとびとの闘技への関心が高いということだ。アレウテラスに住みながら、中央闘技場近くの宿を利用するということは、そういうことだろう。
「このアレウテラスの中心は、闘技なのだ」
デッシュが誇りに想うのも、わからないではなかった。