第千八百八十二話 闘神都市(三)
師は、死んだ。
ルクス=ヴェイン。
“剣鬼”と謳われるほどの力量と戦歴を誇った天才剣士。召喚武装グレイブストーンを抜きにしてもその実力は当代随一といわれており、その力量に関しては、“剣聖”トラン=カルギリウスも認めていた。そんな彼が死んだのは、最終戦争が起こったためだ。
三大勢力がその支配者たる神々の目的を果たすために引き起こした大陸全土を巻き込む、有史以来最大の戦争――それがセツナたちが最終戦争と呼ぶ戦役であり、現在もその爪痕が“大破壊”とともに世界各地に深々と残っている。
この闘都アレウテラスに刻まれた傷跡の数々は、すべてが“大破壊”によるものではない。最終戦争の真っ只中、北より攻め寄せてきたヴァシュタリア軍との戦いにおける爪痕も数多くあり、アレウテラス、いや、アルマドールを護るために戦った多くの闘士、戦士たちが命を落としたという話だった。ヴァシュタリア軍との秘密裏に約定を結んだベノアガルドは例外として、それ以外のほぼすべての国と地域は三大勢力の軍勢に蹂躙され、攻め滅ぼされた状況で“大破壊”という未曾有の災害に飲まれたのだ。被害は甚大を極めるものだったのは想像するまでもない。
そんな“大破壊”が起こる目前、ルクスは戦死している。
そのルクスにとっての想い出の地となるアレウテラスに立ち寄ったことには、運命的なものを感じずにはいられないセツナがいた。
師がいかに偉大な人物であるかは、セツナが一番良く知っている。結局、セツナはルクスに勝てなかった。どれだけ厳しい鍛錬を乗り越え、体を作り、力をつけ、技を磨いても、ルクスには到底及ばなかった。当然だろう。むしろ、数年程度の鍛錬で追いつけるような人物では、セツナの師匠は務まらなかったし、そんな人間が“剣鬼”などと恐れられるはずもない。そもそも、鍛えているのはセツナだけではないのだ。ルクスは、日々、セツナ以上の鍛錬を自身に課していた。セツナがどれだけ鍛えても、ルクスはさらにその先を行っていたということだ。
『ま、人間たるもの無制限に強くなれるわけじゃないからな。おまえがこれから先、俺よりも鍛え続けるようになれれば、いつかは追いつけるかもしれない』
そんなことは万にひとつもありえないが――と、ルクスはよくいったものだ。そして、こうもいった。いずれ、ルクスも年を取り、老いるだろう。そのときには、まだ若いセツナのほうが強くなっている可能性も、皆無ではない、と。それでも可能性の問題だというのだから、ルクスがどれだけ自信家なのかがわかろうというものだが、そういい切れるくらいには彼はいつも己を鍛えていたのだ。大言壮語も、実力に裏打ちされたものであれば、嫌味にもならない。
ルクスとの師弟の日々は、いまもなお、セツナの原動力として魂の奥底で息づいている。
瞼を開く。
月明かりが差し込む薄闇の中、セツナは、妙な感覚に囚われたのだ。ひとがせっかく師匠との思い出に浸ろうとしていたときを邪魔された気がして、彼はむっとした。まるでだれかに見られているような感覚。隣を見る。レムは、彼と同じ寝台で寝ている。そういうところは従者らしくないのだが、まだ本調子を取り戻しきっていない彼女には、甘えさせてあげたいという気持ちが強かった。レムは、二年もの間、孤独に耐え続けていたのだ。少しの間くらい、セツナにべったりしていても、だれも文句はいうまい。
(レムじゃあない……か)
セツナは、小さく寝息を立てて眠るレムの寝顔の健やかさに安堵を覚えた。死神となったレムは、本来、眠る必要はない。常に起き続けることができる上、それが大した負担にならないというのだ。しかし、そうやって起き続けることは彼女の人間性が損なわれる可能性があると思い、セツナはレムに出来る限り眠るようにと命令していた。レムは当初渋々という形で従っていたものの、いまでは毎夜毎夜、しっかりと眠ってくれるので、それだけでセツナは救われる想いがするのだ。
レムは、もはや人間とは異なる存在となってしまったが、だからといって彼女自身が人間であることを辞める必要はない。むしろ、人間レムであり続けることこそ、彼女の幸福に繋がるとセツナは信じていたし、そのために彼女を気遣うことになんの疑問もなかった。レムをそのようにして縛り付けているのは、セツナ自身なのだ。
あのとき、ほかに方法が思いつかなかったとはいえ、半ば強制的にレムを蘇生し、魂を隷属させたのだから、最後まで責任を持たなければならない。
セツナは、上体を起こすと、レムの黒髪を軽く撫で、布団の中から出た。三月。四季のうち、春に入ったといえるのか、どうか。昼間は、真冬よりもは暖かい気候だったものの、夜になるとそうもいっていられなくなっていた。冬と大差のない寒風が吹き付け、まだしばらくは厚着で過ごさなければならないようだ。
室内でも同じことで、セツナもレムも厚めの寝間着を着込んでいる。
その格好のまま、窓辺に向かう。月光が差し込んできているのは、窓にかかった帳がわずかに開いたままだからだ。夜のアレウテラスの景色を見たいとレムがいうので、眺めていたときのままになっている。
窓辺に立ち、市内を見遣る。
セツナたちの部屋は、四階建ての宿の最上階にある特等室であり、ウォーレンがセツナたちのためにと手配してくれたことが窺い知れた。セツナをそこまでしてもてなすのにはなんらかの理由があるように想えるのだが、それがウォーレンの個人的な趣味によるものなのか、アレウテラス統治者としての意向によるものなのかはわからない。ウォーレン個人としてはセツナの話を聞きたがっているようだが、それだけでここまで厚遇してくれるものだろうか。
なにか思惑があるように想えてならない。そう想っていた矢先の異様な視線に、セツナは、胸騒ぎを覚えずにはいられないまま、窓の外、夜のアレウテラスを見渡した。満天の星空の下、無数の魔晶灯に彩られた町並みが広がっている。外周付近は廃墟同然の部分もあるが、中央闘技場周辺は、さすがに都心部だけあって、無事な建物や修復された建造物、新築の建物などが密集しており、アルマドールの首都の片鱗が見えた。
セツナの立っている窓辺からは、中央闘技場が丸見えだった。周辺に立ち並ぶ様々な建物群の中心に突如として出現する巨大な円形闘技場。その威圧感たっぷりな外壁と、外壁の内側から頭部だけを覗かせた二体の石像が魔晶灯によって照らし出されている。外壁には闘技中の闘士たちの絵が刻まれており、やはり闘技場を訪れるひとびとを高揚感で包もうという意図があるのだろう。
壁の内側から覗く二体の石像は、睨み合うような格好で立っている。おそらく、闘技場の会場に立っている石像なのだろうということは想像できるが、それ以上のことはわからない。ただ、何度見ても雰囲気があり、闘技場で行われるという闘技を見に行きたいという感覚に襲われるのが困りものだった。アレウテラスにおける闘技は、いつごろからか本物の剣を用いたものではなくなり、競技試合形式のものばかりになったという。血を見ることは少なくないが、死者がでることは極めて稀であり、事故以外ではほとんどありえないことだという話だった。
極剛闘士団の徹底した管理が、アレウテラスの全闘技場の健全な運営を可能にしている、とはデッシュの談であり、本当かどうかはわからない。ただ、デッシュの口ぶりから、嘘ではないように想えた。
そんなことを思い出しながら、円形闘技場を見ている。
奇妙な視線は、いつごろからか感じなくなっていた。
(なんだったんだ? いったい……)
セツナは、気の所為とも想えず、しばらく夜のアレウテラスを眺め続けていた。
「セツナ=カミヤ」
セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド・セイドロック。
あまりにも長たらしい名前から、単にセツナ=カミヤという本来の名で呼ばれることも少なくはない。かつて小国家群随一の弱小国家に過ぎなかったガンディアに突如として現れ、ガンディアに数多の勝利と栄光をもたらした人物。
「黒き矛のセツナ……か」
ウォーレン=ルーンは、だれもいない執務室でひとりつぶやいた。広い執務室。普段は秘書や側近たちがひっきりなしに訪れては彼に指示を仰ぐのだが、さすがに真夜中ともなると、そういったことはありえなかった。闘士も人間だ。夜になれば眠り、つぎの朝に備えなければならない。でなければ、闘うどころか体を鍛えることすらままならない。夜更かしなど、闘士たち戦闘競技者にはあってはならないことなのだ。
故に彼は、ひとりで静かに考え事をしたい場合、夜中の執務室に籠もった。ここでなら、秘書や部下、闘士たちの邪魔が入らない。じっくりと考え込むことができる。
考えるのは、セツナのことだ。
ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》隊長にして、ガンディアの大領伯であり、ガンディアの英雄と謳われた人物。小国家群史上、もっとも戦果を上げた人物といわれることもあるが、決して誇張ではあるまい。普通、諸外国に向けた喧伝というのは、多分に誇張が含まれるものだが、セツナに関する喧伝は驚くほど誇張が少なかった。
ログナー戦争における活躍も、ザルワーン戦争、クルセルク戦争における戦果のいずれもが、まったくの誇張なく喧伝された。いや、耳にした直後は、ただの誇張だと想うほかない。守護竜なるものの討滅も、一万以上の皇魔を撃破したという話も、ありえないことだ。考えられないことなのだ。そんなこと、人間にできるわけがない。いかに武装召喚師が常人よりも強力で、凶悪な力を持っているからといって、一万もの皇魔を半日足らずで殲滅できるわけがない――だれもがそう想う。ついにガンディアが戦果を誇張することで周辺諸国に恐怖を振りまこうとしているのだ、と。
だが、セツナの喧伝が誇張ではないことは、連合軍に参加した国々の発言や、戦後のクルセルクの内情を探ったことで明らかとなる。アバード、ジベル、イシカといった国々が、セツナの活躍を万魔不当と公式に賞賛したのだ。また、クルセルクの大地に夥しい数の皇魔の亡骸が積み上げられていたことも、アルマドールの諜報部は掴んでいる。
英雄豪傑の類は数あれど、セツナほど凄まじい活躍をし、小国家群を震撼させた人間はいないだろう。
そんな人物がいままさに彼の掌中にある。それは、彼にある種の興奮と感動をもたらしていた。彼は、純粋な闘士だ。闘士の両親を持ち、闘士としての教育を受け、闘士としての人生を歩んできた。闘うことだけが生きがいで、人生のすべてだった。大戦、そして崩壊の日がこなければ、彼はいまも一闘士としてアレウテラスの闘技場に立ち続けていただろう。
闘士としての血が騒いでいる。
小国家群の伝説として名を残すであろうセツナとの対面以来、興奮が収まるところを知らなかった。もっと話を聞きたい。もっと彼のことを知りたい。手合わせ願いたい。願わくば、競技ではなく、実戦で、剣を交えたい――そんな叶うはずもない願望を押さえつけるのに必死にならなければ、ならなかった。
《確かに中々見どころのある人間ではあった……な》
不意に脳内に響き渡った聲に、彼は眉根を寄せた。室内には彼以外にはだれもいない。しかし、確かにまなざしは感じたし、気配もあった。そしてそれは、おそらく彼以外のなにものにも感知できないものだ。
神の気配。
「また……勝手なことをされたのですね」
《ここは我が守護する都ぞ。なにをしようと、構わぬであろう》
そういわれれば、返す言葉はない。
闘都アレウテラスは、あの日以来、その聲の主の庇護下に入ったのだ。
そして、その守護により、アレウテラスのひとびとは安寧を得ることができたのだから。
闘神ラジャム。
皇神の一柱がなぜ、このアレウテラスを訪れたのかなどだれも知る由もなかった。