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第千八百八十一話 闘神都市(二)


 極剛闘士団長の執務室は、広い。

 セツナ一行全員を招き入れても余裕があるくらいには広く、普段、ウォーレンひとりで仕事をするには広すぎると想えるくらいだった。闘技場そのものと同じく石造りだが、床に敷かれた絨毯や壁際を埋め尽くす調度品の数々、天井から吊り下げられたきらびやかな魔晶灯などの存在により、闘技場の通路などとは別世界のような印象を持った。まるでここだけが闘技場ではないのではないか、というような感想。

 ウォーレン=ルーン自身、闘士とは思えないような優男だ。美丈夫といっていい容貌に均整の取れた体型、物腰の穏やかさは、荒くれ者揃いと自称する闘士たちに交わるとそれだけで浮くだろう。だからこそ団長などを務めている、などというわけもないだろうが、セツナはなんだか不思議な感じがした。

 そんなウォーレンがまるでセツナおアレウテラスへの到来を待ちわびていたとでもいわんばかりの発言をし、セツナたちを心から歓迎してくれている様子なのも、なんだか不思議だった。いや、冷静に考えれば、わからなくはない。日夜闘技に明け暮れる闘士たちには、かつて小国家群を騒がせたガンディアの英雄は、焦がれるほどに逢ってみたい人物だったのかもしれない、と。

「わたしとしては、セツナ殿に色々とお話を窺いたいのですが、それよりもまずは、あなたがたの目的を果たすことに致しましょう」

「わたしたちの……ですか」

「ええ。事情は、デッシュさんからの報告で聞いています。なんでも、リョハンを目指して遥々海を渡ってこられたとか」

「その通りです。この破壊された世界で、リョハンがどこにあるのかなどわかりませんが……」

 セツナは、目を伏せながら、いった。やっとの思いで辿り着いたアレウテラスがアルマドールの首都であり、ヴァシュタリア共同体の勢力圏に接しているということがわかったいま、目的地にかなり近づいているといえるだろうが、それも確信の持てることではない。ヴァシュタリア共同体の勢力圏も、“大破壊”によって大きく分断されているのだ。もしかすると、リョハンはこことは別の大地にあるかもしれない。ぬか喜びは、できない。だが。

「海を渡る手段を手に入れられたのも幸運ならば、この地に辿り着けたのも幸運というほかありませんね」

「どういうことです?」

 セツナがウォーレンの目を見ると、彼は穏やかで柔らかな表情のまま、告げてきた。

「空中都市リョハンは、この地続きにあります」

「っ!」

 セツナは、声にならない声を発した。衝撃が意識を貫き、感動となって心を揺り動かす。震えるような想いが全身を駆け抜け、興奮が熱量となって漲る。歓びが溢れた。レムが飛びついてくる。

「御主人様!」

「なんと……!」

「真ですか、ウォーレン様!」

 セツナは身を乗り出して、ウォーレンの机に近寄った。彼は、セツナたちの反応に顔をほころばせていたが、セツナの問いかけに対しては即座にうなずいた。

「ええ、本当ですよ。このアレウテラスより北に進めば、かつてヴァシュタリア共同体の勢力圏だった領域が広がっています、その奥地にリョフ山と呼ばれる峻険があり、その山こそ空中都市リョハンそのものなのです」

「リョフ山……」

「ファリア様から聞いた通りでございますね」

「ああ……!」

 セツナはレムの満面の笑みに、笑顔で応えた。空中都市リョハンがなぜそのように呼ばれるようになったのかについて、ファリアから講義を受けたことがあるのだ。リョフ山の内外に存在する三つの居住区(山門街、山間市、空中都)の総称であり、リョフ山こそがリョハンそのものなのだとファリアは誇らしげに語ったものだ。彼女にとってリョハン及びリョフ山がどれほど重要かつ誇らしい存在なのかがわかろうというものだった。生まれ育った場所なのだ。そうもなろう。

「なんでも、現在のリョハンは、戦女神ファリア=アスラリアによって治められているとか。ファリア・ベルファリア=アスラリア殿は、セツナ殿の部下だった方ですよね?」

「ええ」

 セツナは、ウォーレンの情報通ぶりに少しばかり舌を巻きながら、うなずいた。ファリアも小国家群内では有名な人物だったのはいうまでもないが、戦女神ファリアとガンディアのファリアを結び付けられるのは情報通というほかない。

 ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》隊長補佐としてのファリアは有名ではあったが、彼女がリョハンの戦女神ファリアの孫娘であることが公的に明言されたことは一度もなかった。

「まさか彼女が戦女神を継ぐだなんて想像もしていませんでしたが」

 しかし、時代が時代だ。“大破壊”によって秩序が失われ、混沌たる終末思想が世界を覆い、ひとびとが救いを求めて嘆き、混迷を極めている。こんな状況下で黙っていられるはずがないのが、ファリアという女性であり、だれかの力になろうとせずにはいられないのが彼女なのだ。戦女神継承の打診があれば、なんの迷いもなく請け負ったに違いない。その結果、戦女神の重圧と戦い続けなければならず、マリア=スコールをして無理をしていると診断されるほどの状況だという。マリアがリョハンにいた当時ですらそうだったのだ。マリアがリョハンを離れて一年半以上が経過したいま、ファリアがどこまで追い詰められているのか、想像もつかない。

 セツナは、一日も早くリョハンに辿り着き、ファリアに逢いたかった。逢えばそれでなにもかも解決する、などという話ではない。しかし、ファリアがセツナのことを特別に想ってくれているというのであれば、ただ逢うだけで力になることだってあるはずだ。そのうえで、支えてあげればいい。彼女が望む方法で、力になってあげればいい。

 ファリアだけではない。ミリュウもエリナも、ルウファたちも――あの日、王都で別れた皆がリョハンで待っている。

 セツナを待ってくれている。

 マリアがいうのだ。嘘ではあるまい。これで、リョハンに行くなり拒絶反応を示されたら、二度と立ち直れないかもしれない。それくらい、セツナはいま、ファリアたちに逢いたかった。逢って、皆の生存を確かめたかった。せっかく、あの場から逃れさせたのだ。生きていなければ嘘だ。しかし、それもこの目で無事な姿を確認して始めて現実のものとなる。言葉だけでは、噂だけでは、確信が持てない。

 この目で見て、この耳で聞いて、この手で感じなければ。

 そのためにも、セツナは逸る気持ちを抑えなければならなかった。

 目の前のウォーレン=ルーンのことよりも、一秒でも早くリョハンに向かいたいという想いが彼の胸の奥に渦巻き、いまにも意識を席巻しそうになっていた。

「リョフ山は、ここより遥か北に位置しています。徒歩ならば数カ月はかかる距離ですが……まあ、馬を用意すればもっと早く着くことができるでしょうし、リョフ山の所在を記した地図もここにあります」

「あの」

「なんでしょう?」

「それをわたしたちに用意してくださる、というのですか? ウォーレン様が?」

「ええ、もちろんです。遥々と海を渡ってこられたのですから、もてなして差し上げるべきだとわたしは想うのです。なにせ、あの黒き矛のセツナ殿ですからね。色々と聞きたいこともある」

 ウォーレンがなにかいいたげな表情をしてきたのもあり、セツナは彼の考えの一部がわかったような気がした。

「なるほど……それが交換条件というわけですね」

「ええ」

 彼は、にこやかに笑った。

「こちらは地図と移動手段、食料を手配する。そちらは、わたしに話をする。交換条件として、これほど楽なものはないでしょう?」

「まったく仰るとおりですね」

 セツナに異論はなかった。

 ウォーレンの求める話に答えるだけで、少しでも早く確実にリョハンを目指せるというのだ。なにをいうことがあるのか。馬や食料は市内で購入すればいい話だが、地図となるとそう簡単に手に入るものではない。アレウテラス近郊を記した地図くらいならばいくらでも手に入るかもしれないが、リョハンの所在まで記入された地図となれば、話は別だろう。その地図をウォーレンが手元に持っているというのだから、それを借りる以外に道はない。

 迷走してもいいというのならば、地図もなにもいらないが、一日も、一刻も早くリョハンに辿り着きたいのであれば、道中のことがよくわかる地図があったほうが遥かに効率がいい。遭難する可能性も格段に減るのだ。

 セツナが、ウォーレンの申し出を受けることにすると、その日は、ウォーレンの仕事もあり、解散となった。

 ウォーレンは、別れ際、中央闘技場近所の宿を一軒、セツナたちのために貸し切ってくれた上で、デッシュを案内人として手配してくれている。

 そしてデッシュに案内されて宿に辿り着いたセツナは、そこではじめて思い出すことがあった。

「そうだ……アレウテラスってあれだ」

「あれ……とは、なんでございますか?」

「師匠に聞いたんだよ」

「ルクス様に、でございますか?」

「うん」

 レムのきょとんとした顔を見つめながら、セツナの脳裏を過ぎったのは、ルクス=ヴェインとの修行の一幕だ。木剣を用いたルクスの修行は、それはもう厳しいものであり、セツナをして音を上げたくなるほど苛烈なものだった。何度も何度も打ちのめされ、床に叩きつけられた。それでも諦めないセツナだからこそ、ルクスは師匠として飽きもせず修行に付き合ってくれたのだろう。才能もなく、実力もないと言い放ってきたのに、だ。

 そんな師との修業を行っていたある日、ルクスは、セツナに昔語りをしたことがある。

『いっとくけど、俺がシグルドとしていた訓練は、こんなもんじゃなかったからな』

 へとへとになって床に伏せるセツナに向けられたルクスのまなざしは、なんともいえないものだ。セツナは息も絶え絶えといった状態で、ルクスの声に耳を傾けるのがやっとだった。なにも考えられなかった。ただ、この地獄のような修行がいつか自分の力になり、ガンディアのためになると信じて疑わなかったからこそ、乗り切れた。

『あれはそう……アレウテラスで、だったかな。俺がまだ十三歳のころさ。出会ったばかりの子供にこれ以上の鍛錬を強いるシグルドは、やっぱりいかれてるよね?』

 ルクスはそういいながらもどこか嬉しそうな表情をしていたのが印象に残っている。

 十数年前のアレウテラス。

 そこでルクスは、シグルド、ジンと出逢い、《蒼き風》に入ったという。

 ルクスが過去について話してくれたのは、それが最初で最後だったように想う。

 師は、自分語りをしないひとだった。

 ただ剣に生き、剣に死んだ。

 自分は、どうか。

 夜更け、レムの寝息が聞こえる闇の中で、彼は目を開いた。

 夜中の室内は暗闇に覆われてはいるが、月明かりの差し込んでいることで、完全な闇にはならなかった。

 今日は、三月三日。

 ベノアを出発して、ちょうど一ヶ月になる。


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