第千八百七十九話 闘都
「ほう」
鬼兜の戦士が興味深げな反応を示したのは、セツナたちがどこから来たのかを説明したときだった。
「ベノアから長い航海を経てここに辿り着いたというのか。それはつまり、ベノアガルドが遥か海の彼方にあるということだな。あの隣国のベノアガルドが……な」
鬼兜の戦士は、どこか遠い目をして、いった。そしてその言葉は、セツナたちに引っかかりを覚えさせた。隣国のベノアガルド。
「隣国?」
「そうだ。かつてこの都市が属し、我々が属していた国は、ベノアガルドの東隣に位置したアルマドールなのだ。あの崩壊の日、我らがアルマドールの国土は真っ二つに引き裂かれ、このアレウテラスとウォルレンド以外の都市はいずこかに離れていってしまったのだがな……」
「アルマドール……」
「小国家群最北の都市でございますね」
「そして、ヴァシュタリア領の国境にもっとも近い国……!」
レム、ジェイドが口々にいうのを聞いて、セツナは脳内に描いた地図に当たりをつけた。大陸図の中央に存在する小国家群、その中央最北部にアルマドールという国があったことを思い出したのだ。小国家群最北の国ということは、その北には三大勢力一角たるヴァシュタリアの領土が広がっているということにほかならない。
セツナは、やや茫然とつぶやいた。
「つまり、ここから北は、ヴァシュタリアの領土ということか……」
「やりましたね、御主人様」
「これで目的を果たせるかもしれませんね、セツナ殿!」
「なんだ? いったいなにを盛り上がっている?」
盛り上がるセツナたちの様子に呆気にとられたような反応をしたのは、もちろん、鬼兜の戦士だ。そして、彼はなぜか律儀なまでに忠告をしてくるのだった。
「確かにここより北を進めば、すぐさまヴァシュタリア領との国境があるが……いまは近づかないほうがいいぞ」
「はい?」
「ヴァシュタリア領内は、崩壊の日以来、あまり好ましくない状況が続いているようなのだ。なにも知らぬものがヴァシュタリア領内に入れば、身ぐるみを剥がされるだけでは済まんだろうな」
「へえ……なんでまた」
「これ以上詳しく話すと想うのか?」
「え?」
「我々はまだ貴様らを信用したわけではない。貴様らの上陸目的がアレウテラスにないことがわかったとはいえ、確信が持てない以上、安堵はできん。警戒を解くこともままならん。貴様らがこれ以上の情報を欲するのであれば、我々を安心させることだ。そうすれば、市内に入り、休むことも許そう」
鬼兜の戦士の発言に、レムがセツナとジェイドにだけ聞こえるようにつぶやいてくる。
(偉く傲慢な物言いですが、要求は可愛らしいものですね)
(まあしかし、彼らの言い分もわかりますよ。我々は、彼らにとっては予期せぬ来訪者なのですからね。警戒してしすぎることはないでしょうし、早く安心したいというのも本音でしょう)
セツナはふたりの意見に心中でうなずくと、鬼兜に向かって、話せる限りの事情を話した。
寒風吹き荒ぶ北の大地での事情説明は、一時間以上に渡って続いた。
セツナとレムがどういった素性のもので、なぜ帝国軍と行動をともにしているのか。セツナの目的と、帝国軍の目的がどういったものなのか、話せる範囲で説明すると、鬼兜の戦士は気難しい顔をするでもなく、素直に受け入れ、納得してくれたようだった。
そして、彼はデッシュ=バルガインという名を明かすとともに、極剛闘士団所属の上級闘士であるということを教えてくれた。
極剛闘士団とは、現在のアレウテラスを外敵から護るために結成された戦闘集団であり、アレウテラスがヴァシュタリア軍から自治権を取り戻すことができたのも、極剛闘士団のおかげなのだとデッシュは自負し、彼の部下の荒くれ者たちも誇らしげな顔をした。
アレウテラスは、荒々しい闘士たちに守られた、闘士たちのための都市なのだ。
アレウテラス。
小国家群最北に位置する国アルマドールの中でも最大級の都市であり、首都だ。アルマドールは、君主を持たず、そのため、王家や貴族といった特権階級が存在しないのだという話だった。つまり、共和国だ。小国家群――というよりイルス・ヴァレ全体――においてめずらしい国家体制であるものの、最終戦争まで存続していたということは、上手く機能していたということなのだろう。
最終戦争が始まると、北に隣接するヴァシュタリア軍の猛攻を受け、真っ先に攻め滅ぼされている。
アレウテラスが“大破壊”を生き延び、息を吹き返すことができたのは、デッシュら極剛闘士団の活躍によるものだということは触れた。闘士団は、アレウテラスを拠点に活動する闘士たちが、アレウテラスの自治権を取り戻すべく立ち上がり、結成された戦闘集団であり、ヴァシュタリア軍を激闘の末に追い出し、自由を勝ち取ったのだという。“大破壊”直後の混乱がヴァシュタリア軍の統率を乱しことが闘士たちの勝利に繋がったらしい。そもそも、アレウテラスに残っていたヴァシュタリアの戦力というのはそれほど多くはないという話もあるのだが。
ヴァシュタリア軍を撃退しうるほどの数の闘士がなぜアレウテラスを拠点にしていたのかといえば、簡単な話だ。アレウテラスが闘都と呼ばれるほどに闘技と縁の深い都市だからだ。
アレウテラスがアルマドール最大の都市であることは、知っての通りだ。その広大な都市空間の中に大小多数の闘技場が点在し、毎日のように闘技が開かれているというのだ。純粋に闘士たちの強さを競う闘技もあれば、賭け事としての闘技も行われており、“大破壊”前は、小国家群有数の歓楽都市として名を馳せ、世界中からひとびとが集まり、連日連夜、凄まじい賑わいを見せていたらしい。
「それほどの都市が、いまやこの有様……ですか」
ジェイドが先導するデッシュたちには聞こえないくらいの小声で、つぶやいた。血の気の多い闘士たちに聞かれれば、どのような反応をされるのかわかったものではない。だったら最初から言葉にしなければいいのだが、実情を見れば、なにもいわずにはいられないのが人情というものかもしれない。
実際、デッシュたちが誇るアレウテラスの町並みは、かつて賑わいを見せたというにはあまりにも寂しく、殺風景なものだったからだ。“大破壊”の影響は、セツナたちの見える範囲にも色濃く残っている。“大破壊”によって倒壊した建物の残骸や瓦礫などの撤去こそ済んでいるものの、新たに建てられた建物の数は多くなく、その分だけ空白ができているのだ。その空白部が、アレウテラスにどうしようもない寂しさを与えている。
アレウテラスの南側にあった正門をくぐり抜けたセツナたちは、デッシュに案内されるまま、ひたすらまっすぐに進んでいる。セツナたちが目の当たりにしている町並みというのは、大通りから見える範囲の景観であり、それによりアレウテラスがどれほど深刻な打撃を受けたのかが窺い知れるというものだ。ヴァシュタリア軍が取り乱し、極剛闘士団に痛撃を食らわされるのもわからないではない。
先を行くデッシュは、セツナたちの説明を信じたということで、情報の提供をしてくれるとのことだった。極剛闘士団が入手している情報がどれほどのものかわからないし、セツナたちは内心、然程期待していないのだが。それでも、なんの情報も持たずに探索するよりは、ずっとましだろう。
「ところで御主人様」
「ん?」
不意にレムが話しかけてきたことで、セツナは彼女を振り返った。小柄な少女の姿をした死神の背丈というのは、セツナよりもずいぶん低い。というより、セツナがここ数年で成長しすぎたのだ。レムと初めて逢ったときは、然程変わらない身長差だったように記憶している。
「さっきから難しい顔をして、どうなされたのでございます?」
「いや、ちょっと、気になることがあってな」
「気になること、でございますか?」
レムがきょとんとした顔をした。
「うん。アレウテラスってさ、どこかで聞いたことがあるような気がしてな」
「それは、御主人様が小国家群の都市名を記憶するために猛勉強したからではございませんか?」
「それもあるんだが……なーんか、引っかかるんだよなあ」
「御主人様がそこまで仰られること……きっと、なにかあるのでございましょうね」
「うーむ……」
セツナは腕組みをして、考え込む素振りをした。
アレウテラス。
アルマドールの首都であり、闘技場を多数内包することで知られる大都市。そこまではありふれた情報だ。引っかかるところなどなにもない。しかし、セツナはどうしようもなくすっきりしないのだ。なにか忘れているのではないか。自分にとってとても重要ななにかを。
セツナが頭の中のもやもやとの苦闘を続ける間にも、デッシュ率いる闘士達は先を進んでいく。
セツナたちは置いていかれないようにしてついていきながら、このかつて栄華を誇った都市の寂寥感に寒気さえ感じたのだった。