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第千八百七十三話 神の視線(二)


「それよりも考えるべきは、神軍の動向について、だよ」

「神軍の?」

「そう、神軍の」

 彼は、静かにいった。

 神軍。神の軍勢。蒼衣の狂王と呼ばれる竜王ラムレス=サイファ・ドラースがそう命名した軍勢こそ、いまリョハンを騒がせている難民の正体だ。護山会議や護峰侍団が難民の放逐を声高に叫んでいるのも、難民が元々リョハン侵攻を企てた神軍の将兵だったからにほかならない。敵軍の将兵をわざわざ難民として保護する理由がどこにあるのか、という主張が反対派の意見であり、それももっともだとニュウたちは想ったものだ。だが、ニュウたちは、むしろそんな敵にさえ手を差し伸べるべきだという戦女神の主張にこそ賛同し、いまもなお、戦女神の考えを応援している。七大天侍のひとりだからというよりも、ファリアのことをよく知るものとして、だ。

 話を戻す。

 神軍がリョハンに侵攻してきたのは、昨年のことだ。リョハンは、神軍の侵攻に対し、全戦力を繰り出して迎え撃った。激戦の末、リョハンが勝利したものの、その勝利にはラムレス率いるドラゴン集団の加勢によるところが大きかった。もっとも、ラムレスたちの加勢がなくとも、リョハン側の勝利は時間の問題ではあったが。

《神軍がなぜあのときあっさりと撤退したのか。なぜ、将兵を置き去りにしていったのか。本当にラムレスたちに脅威を感じてのことなのか。なにかしらほかに理由があるんじゃないか。目的があるんじゃないか……そう考えるのが妥当だよね》

「ええとつまり、難民がリョハンに問題を起こすことが神軍の目論見だってことをいいたいわけ?」

「可能性の話だよ」

 彼は、片目を瞑り、笑いかけてきた。その表情の可憐さに胸が痛くなるが、彼女はなんとか堪えた。つい手を伸ばしたくなったが、伸ばしたところで、触れられないのだ。彼が実体さえ持っていれば、我慢する必要などないというのに。

「この数ヶ月、リョハン周辺に神軍の気配はなかった。リョハンだけじゃない。この小大陸のいずれにも現れた形跡というものがない。神軍がリョハンへの再侵攻を企てているのであれば、なにかしら動きがあってもおかしくはないはずなんだけど……」

 それがないということは、考えすぎなのではないか、と彼はいうのだが。

 そもそも、神軍の目的はなにもわかっていない。

 神軍と命名したラムレスにしても、彼らの活動理念や存在意義、戦争目的を理解していなかった。ただ、世界各地、様々な都市を制圧するべく戦争を起こしているということだけがわかっており、ラムレスたちはそれら軍勢を運ぶ方舟を見つけ、追跡の果てにリョハンに辿り着いたということだ。つまり、わかっていることといえば、神軍が世界各地で侵略戦争を起こしているということであり、その侵略先のひとつとしてリョハンが定められたということなのだ。

 そして、一度失敗したからといって諦めてくれるとは思えないというのが、マリクの考えだった。神軍の目的がただの侵略であれば、一度ならず二度、三度と攻め寄せてくるに違いない。

「なんにせよ、警戒するに越したことはないからね。七大天侍の皆には、頑張ってもらわないと」

「そのために調査態勢を強化してはいるけれど」

 七大天侍率いる調査部隊ができるのは、リョハンの周辺地域の調査が限界だ。あまりにも遠く離れた場所の調査は、いまの状況では不可能に近かった。それでも一度に活動する調査部隊を二部隊に増やし、調査範囲を広げることで、調査だけでなく警戒も強めることができているはずだ。それでも物足りないと感じるのは、致し方のないことではある。実際、それだけでは足りないのだ。だからといってこれ以上七大天侍を調査に割り当てると、今度はリョハンの治安に不安を持つひとびとが現れるに違いない。

 護山会議を筆頭に、七大天侍をなにか都合のいいものに捉えている人間は少なくない。

「ぼくができるのは結界内の調査だけだからね。結界外のことは、ニュウたち任せになる。一応、ラムレスも協力してくれているから、安心していいよ」

「ラムレスが? 方舟を探してるんじゃなかったの?」

 ラムレスは、方舟にクオン=カミヤの気配を感じたといい、そのために方舟を追っていたのだ。リョハン防衛戦で方舟を見失った彼らは、戦後、リョハンに情報を提供してくれた後、すぐさま飛び立った。何処かを飛んでいるであろう方舟を追い求めて、だ。そのラムレスがリョハンを再び訪れたのは、一月ほど前の話であり、そのとき、マリクがラムレスとなにやら話し込んでいたということは聞いているが、内容は知らなかった。まさか、そのときラムレスとなにかしら約束を取り交わしたとでもいうのだろうか。

「ラムレスはね。眷属のドラゴンたちがこの小大陸各地で警戒に当たってくれているのさ」

「そうなんだ……知らなかった」

「いわなかったからね」

 マリクがなにやら面白そうに笑うので、ニュウは口先を尖らせた。

「なんでよ」

「なんでだろう」

「もうっ、意地悪」

 頬を膨らませ、そっぽを向く。マリクには、そういうところがある。昔からだ。昔から、彼の本質は変わっていない。神になっても、人間のころのままなのだ。それが嬉しくも悲しい。

「ふふ……ニュウはそれくらいがいいよ」

「えっ……?」

「いっつも深刻な顔してさ。かわいそうだ」

「マリク……」

「ぼくは、だいじょうぶだから」

 彼は、微笑んでいる。優しく、透き通るような笑顔。

「なにも心配しなくていいんだよ」

 マリクのそんな気遣いがニュウの心に幾重にも響き渡り、彼女はなにもいえなかった。いえないまま、彼に歩み寄り、抱きしめる素振りをした。腕や体が彼の体を透過しても構わなかった。ただ、彼を抱きしめたいという想いを伝えたかったのだ。

「だいじょうぶ……」

「うん……」

 その輝く手をそっと重ねてくる彼に、彼女はただ、うなずくほかなかった。

 なにがだいじょうぶなものか、などといえるわけもなかった。そんなことをいえば、彼の覚悟に水を差すことになる。それはできない。そんなこと、できるはずがない。


 ファリアは、戦宮最奥に位置する戦神の間にいた。

 それまで机に向かい、真剣な顔で書類と睨み合っていたらしい彼女だったが、アレクセイが入ると、静かに顔を上げた。凛然とした顔つきは、ここのところ、疲労が滲むようになっていた。見るからに痛ましく、どうにかしてあげたいと想うのだが、彼にはなにもできない。彼は祖父でしかない。ファリアが自分のことを祖父として愛してくれていることはわかっているが、そのことが彼女にとってなんの慰めにもならないことくらい、わかりきっている。

 彼女の心を癒やすことができるのは、やはり、彼女が心を許した人間以外にはいないのだ。そしてそういう人間は、このリョハンにそう多くはない。七大天侍の数名くらいのものだ。それ以外、ファリアの心の支えとなるような人間はいなかった。 

「護山会議の議員としての訪問でしょうか。それとも、祖父としてここを訪れたのですか?」

 ファリアが口を開くなり冷ややかに問いかけてきた。

「議員として、だな。まずは」

「まずは?」

「一先ず、護山会議員としての意見をいわせて頂きたい」

「……いいでしょう」

 彼女がうなずくのを見てから、アレクセイは、一歩、前に進んだ。

 戦神の間には現在、アレクセイとファリアのふたりしかいない。戦神の間も、戦宮のほかの部屋と同じく、壁以外の遮蔽物がなく、密閉された空間にはなりえない。故にふたりの話し声を聞くことは容易だったが、幸い、七大天侍が気を利かせてくれているため、立ち聞きされるようなことはないだろう。

 口を開く。

「戦女神様は、難民問題をどう考えておられる」

「会議の席でもいったはずです。わたくしは、戦女神として、人道と正義に基づく行いをするべきだ、と。彼ら難民に手を差し伸べることこそがリョハンの戦女神としての正義であり、大義である、と」

「しかしその結果、護峰侍団に死傷者が出ているという事実に関しては、いかがか」

「それは看過できない問題です。ですが、だからといってすぐさま難民を見放すのは、短絡的にも過ぎるでしょう。護峰侍団に死傷者が出たことはわたくしとしても痛恨の思いがありますし、どうにかしなければならないことは百も承知です。それでも、難民は救うべき対象であるという考えに変わりはありません」

「その強情さが戦女神様と護山会議、護峰侍団の関係を悪化させているとしても、ですか」

「わたくしは、戦女神です」

 ファリアは、いつにもまして強い口調でいった。そこに彼女の責任感の強さが現れているのだから、聞いているアレクセイとしてはなんともいえなかった。ファリアは、責任感の塊のような人物だった。子供の頃からだ。ファリアと名付けられたことが、彼女をそのような人間に作り上げていったのだろう。

「護山会議の代表でもなければ、護峰侍団の人間でもありません。リョハンの戦女神として正しいことを成すべきなのです。たとえその結果、護山会議や護峰侍団に忌み嫌われようと構いません」

「……ファリア」

「それは、祖父としての発言ですか」

「……ああ、そうだ。おまえの祖父アレクセイ=バルディッシュとして、いわせてもらうぞ」

 アレクセイは、ファリアの苦渋に満ちた目を見据えながら、過去に想いを馳せざるを得なくなった。

 遠い昔、いまのファリアとまったく同じ目をした人物がいたのだ。

 それこそ、先代戦女神ファリア=バルディッシュ――彼の妻であり、彼女の祖母に当たる女性だ。


 

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