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第千八百七十二話 神の視線(一)


 ニュウ=ディーは、七大天侍のひとりだ。

 戦女神の使徒にしてリョハンの守護天使たる七大天侍の使命は、リョハン市民の安全の確保にある。リョフ山の警備警戒も去ることながら、リョハン周辺の警戒も任務として入っている。“大破壊”以降は、リョハンを包む守護結界外部の調査も、七大天侍の任務として加えられた。“大破壊”によって様変わりした周辺地形の把握および安全の確保は、リョハン市民が安寧を得るために重要なことだからだ。

 ニュウの場合は、それに守護神の世話係という重要任務も加わっており、彼女は忙しい日々を送っていた。

 しかし、彼女はその自分だけに与えられた任務に対し、不満をもったことは一度もなかった。むしろ、自分以外のだれが彼の世話役になどなれるだろうかという自負もあれば、護山会議が守護神の世話役として自分を指名してくれたことには感謝してさえいる。

 守護神となり、人間であることを辞めてしまった彼とは物理的に触れ合うことはできなくなってしまったが、だからといって彼女の心が彼から離れることはなかったのだ。むしろ、以前にも増して、彼への想いが強くなっている。

 純粋にリョハンのことを想い、リョハンのために命を費やす彼をどうして嫌いになどなれようか。

 ただ、実体を持たない彼と触れ合えないことだけが悲しくて、それだけがどうしようもなく寂しかった。彼女は、守護神の座を訪れる度にその覆しようのない現実を認識し、途方に暮れるのだ。無論、表情にも言動にも出さない。そんなことをいえば、彼の覚悟に泥を塗る事になりかねない。それに彼が人間の姿を棄てたのは、ニュウのためでもあるのだ。

 だから、彼女はなにもいわない。

 なにもいわず、彼の世話役としての務めを果たすのだ。

 とはいえ、なにをするわけでもない。

 守護神マリクは、人間とは違い、一切の世話、手間がかからなかった。神なのだ。人間の手など煩わせることなどあろうはずもない。ニュウが世話役に任じられたことを知ると、護山会議の考えがわからないと苦笑したのも彼だ。

『ぼくをいったいどう世話するんだろうね?』

 神たる彼には触れることはできない。

 手で触れようとしても、擦り抜けてしまうのだ。ニュウは、何度か無意識に触れようとして、そのような目に遭ったことがあり、そのたびに現実を認識したものだ。彼は肉体を棄て、ただの力の塊となった。

 神としての力を取り戻すためだけならば肉体を棄てる必要はなかった、と彼はいう。しかし、彼の本来の力をすべて解放するためには、肉体が邪魔になるのだともいった。肉体が神の力の解放の妨げとなり、リョハンの完璧な守護を不可能にしかねないのだと。故に彼は肉体を棄て、みずからの七体の眷属とともにリョハンの守護を行うようになった。そのおかげでリョハンは“大破壊”を免れ、“大破壊”以降の世界を生き延びることができているのだから、文句をいう筋合いはない。

 それでも、ニュウは、神へと変容した少年の背中を見つめながら、寂しさを感じずにはいられないのだ。ようやく分かり合えたと想った矢先、愛した少年は人間ではなくなり、触れ合うことすら出来なくなったのだから、そうもなろう。

 だからといって、彼の覚悟や決意を知っている以上、なにもいえるわけもなく、ただ彼の世話役としての任務をまっとうすることだけを考えていた。

 それに彼と触れ合えなくとも、心は通じ合っているという確信がある。

 ただ彼と同じ空間にいて、特に言葉を交わさずとも、感情の動き、心の行方がわかるのだから、きっとそうなのだ。

 そのことは、ニュウに多少の満足感をもたらしていた。きっと、ほかのだれにも真似のできないことだ。ニュウにしかわからない。ニュウにしか、できないこと。それがあるからこそ、ニュウが彼の世話役に選ばれたに違いない。

 守護神マリクはいま、こちらに背を向け、なにか考えに耽っている。変わり果てた姿形もいまや見慣れ、愛嬌さえ感じられるようになっていた。ふとしたとき、つい抱き締めたくなるくらいには。

《資料、ざっと目を通したけれど》

「うん……?」

 ニュウは、マリクが突然なにをいいだしたのかわからず、きょとんとした。考え事をしていたと想ったらこれだ。彼の話は、大体いつも唐突だった。心が通じ合っていても、思考を完全に読むことはできないのだ。彼はこちらを振り返り、淡く輝く金色の目を向けてきた。透き通るように綺麗な金色。つい、見惚れてしまう。

《君が持ってきた資料のことだよ》

「え、ああ……暴動の資料ね」

「今日の会議は、あの資料に基づくものなんだろう?」

 彼が一瞥したのは、部屋の片隅にある机の上に積み上げられた資料の山だ。その一番上に置かれているのが、今朝、ニュウが持ってきた護山会議用の資料だろう。マリクは資料に手で触れることはできないが、手で触れずとも内容を知る方法はいくらでもある。彼は、資料を空中に浮かばせ、読み上げていた。いまは資料の山に戻されているが。

「そう聞いているわ。難民の暴動を理由に戦女神の責任でも問いたいんでしょう」

「馬鹿な話」

「本当にそう想うわ」

「そんなことは、どうでもいいことさ」

 マリクは実にくだらないというように頭を振った。

「本当に重要なのは、そんなことじゃない。そうだろう、ニュウ。リョハンにとってもっとも大切なのは、リョハンに住むひとたちが安全に暮らせるかどうかだ。戦女神だって、そのことを第一に考えているはずだろうに」

「護山会議は、難民問題が解決しないことには、リョハンに安全は訪れないと考えているのよ。実際、麓特区の暴動で死傷者が出ているもの」

 こんな状況が長引けば、もっと多くの死傷者が出るかもしれないと危惧するのは当然だろう。そしてその責任を戦女神に問うのも、必ずしも筋違いとは、いえない。麓特区は、戦女神の肝いりで作られたのであり、難民の受け入れを指示したのもまた、戦女神なのだ。難民居住区での暴動の責任を問うとすれば、彼女を除いてほかにはない。そうすることで戦女神の権威を落とそうとしているのではなく、戦女神に難民問題から手を引くよう訴えたいのが護山会議の思惑なのだろう。そして、戦女神が難民問題から手を引けば、ここぞとばかりに難民たちをリョハンから放逐するに違いなかった。護山会議にとって数万人にも及ぶ難民の命など知ったことではないのだ。難民よりもリョハン市民の命のほうが重いというのは、リョハンの為政者として当然のことではあるのだが。

 一方で、困っている人間を見過ごせないというファリアの考えもわからないではないが、リョハンのことだけを考えるのであれば、護山会議、護峰侍団の結論のほうが正しいといえる。リョハンの安全、市民の生活だけを考えるならば、だ。それならば難民のために無駄な労力を費やすなど論外という考えに至るのも必然といえる。難民は元々リョハンを襲った神軍の将兵なのだ。敵対者がどうなろうと知ったことではない、となるのも無理からぬことだ。

 しかし、そういったものたちにも手を差し伸べるのが戦女神であり、リョハンだというファリアの主張もまた、間違ってはいない。

「だからといっていまさら彼らを見捨てれば、戦女神は戦女神でいられなくなるんじゃない」

「ええ……きっとそうなるわね」

「戦女神の必要性を説いたのは護山会議だ。ファリアを説得し、戦女神にしたのもね。だったら、最後まで責任を持って彼女を応援するべきだ。それが物の道理ってやつじゃないのかな」

「うん」

「ま、護山会議や護峰侍団がなにを考えていようと知ったことではないけれど」

「うん」

 マリクは、リョハンの守護神として、すべての上に君臨している。なにものも彼に意見することなどできない。護山会議はいわずもがな、戦女神ですら、彼の上に立って命令することはできなかった。彼は自主的にリョハンの守護をしているのであり、彼が気分次第ではリョハンの守護神をやめる可能性だって十二分にあるのだ。故に護山会議も戦女神も彼の扱いには慎重にならざるを得ず、ご機嫌伺いにやってくることもしばしばだった。

 無論、ニュウは、そんなことをするまでもなく、マリクがリョハンを見捨てることはないと確信している。マリクは、先代戦女神ファリア=バルディッシュとの約束によって、この地に降臨した神だ。約束は力となり、力はマリクを縛り付けている。マリクは、リョハンがどのようなことになろうと先代戦女神との約束を履行し続けるだろう。ただし、そのことは護山会議には明かしていない。そんなことを彼らが知れば、どのような態度にでるかわかったものではないからだ。

 ニュウだけが、知っている。



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