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第千八百六十六話 リョハンと女神


「先日、麓特区で発生した暴動は、死者五名、重軽傷者百名を越える大惨事だったようだが、それについて麓特区の警備を担当する護峰侍団の意見を窺いたい」

 護山会議の議長モルドア=フェイブリルが、ぎょろりとした目を護峰侍団幹部たちに向けた。モルドア=フェイブリルは、山門街の富豪であり、金の力で現在の地位に上り詰めたといってもいい人物だ。ただし、富だけでは名声は買えず、信頼を勝ち取ることも難しい。彼は、金をリョハンのため、市民のために使い続けることで現在の地位に辿り着いたのだ。そして、議長として申し分のない働きを続けている。でなければ護山会議の議員たちによって引きずり降ろされるのが関の山だ。

 リョハンの護山会議は、強烈なまでの自浄作用が働いている。

 それもこれも、リョハンが陸の孤島であるという意識をだれもが持っているからであり、纏まりを失えば瞬く間に瓦解し、崩れ落ちるということを知っているからだ。そういう意味でも護山会議は稀有な政治組織かもしれなかった。もちろん、数百年に渡るリョハンの歴史の中で、政治腐敗のようなことが一切なかったというわけではないにせよ、昨今、護山会議の議員が汚職によって職を追われたというような出来事は起きていない。

「意見など、ありますまい」

「なに?」

「……元より無理な話なのです」

 周囲の反応を伺うように、しかしきっぱりと断言したのは、護峰侍団の頂点に立つ侍大将ヴィステンダール=ハウクムルだ。白髪が目立ち始めた黒髪を後ろに撫で付けているのと、左目に眼帯をつけているのが特徴的な人物だ。護峰侍団の頂点に長らく君臨するだけあって心身ともに優れた人間であることは疑うまでもない。武装召喚師としての腕も一流であり、時期さえ良ければ四大天侍に抜擢されていたとしてもなんら不思議ではない経歴の持ち主だった。鍛え上げられた肉体は、護山会議の議員たちに比べるべくもなく大きい。

 彼の左右には、副官であるところの参謀が二名、侍大将の威厳を保つために座している。ニレヤ=ディー、サード=ザームの二名はやはりいずれも武装召喚師だ。武装召喚術の始まりの地であり、《大陸召喚師協会》の総本山であるリョハンに生まれたものが武装召喚術を学ぼうとするのは至極当たり前のことであり、必然とさえいってよかった。

 武装召喚術を学ぶ過程で学問を修め、身体を鍛え上げることにもなるため、たとえ武装召喚師を目指していなくとも、武装召喚師の開く教室に子供を通わせる親は少なくなかった。そして、そういった子供たちの中にこそ才能が隠れているかもしれないということもあり、教室を開く武装召喚師たちも喜んで子供を受け入れ、大いに学ばせた。かくしてリョハンには武装召喚師の数が急増し、いまや人口のかなりの割合を占めるほどになっていた。とはいえ、それら武装召喚師の全員が実戦につれていけるかというとそうではない。攻撃的な、戦闘用の召喚武装を呼び出せるものばかりではなかったし、一般市民は、術が使えるからといって戦いに赴こうとは思わないものだ。いくら武装召喚術が強力だろうと、場合によっては負傷し、命を落とすことだってありうる。

 戦場に赴くのは、ある程度の覚悟を持つものだけだ。

 そういった覚悟を持った人間が護峰侍団に入り、リョハンの防衛の要となっている。

 侍大将ヴィステンダールしかり、ニレヤしかり、サードしかり。

「麓特区に住む難民の数を把握しておられるのであらば、わたしの意見もわかりましょう。難民の数は、三万人にも及ぶのです。リョハンの総人口に比べれば少なくはありますが、護峰侍団は総勢二千名足らず。召喚武装と、リョハンの地形を利用することで少数ながらも完璧に近い警備体制を取ることができているということは、護山会議の皆様ならばご存知のはず」

 ヴィステンダールは、この慎ましやかな会議場に集った護山会議員一同の顔をじっくりと見回した。アレクセイも彼の理知的な隻眼に見据えられたが、動じることはなかった。ヴィステンダールは、元来が穏やかな人物だ。持論を展開するために凄んでいるのはわかるが、政治家として長年培ってきたもののあるアレクセイには、子供が虚勢を張っているようにしか見えなかった。もちろん、彼がいいたいことはわからないではないし、そこがこの度の問題に直結しているということも知っている。

 リョハンはいま、難民の扱いという難問を抱えているのだ。

「麓特区にまで人員を割いたところで、わずかばかりの人数で三万人の難民を監視し、暴動を未然に防ぐというのは不可能に近い」

「監視というのは、語弊があるでしょう」

「これは、失礼を。警備する、の間違いです」

「よろしい」

 ファリアの一言一言が会議場を冷ややかな空気で包み込んでいくのだが、彼女はその事実に気づいているのか、どうか。この場にいる半数程度のファリアの味方も、彼女の発言には肝を冷やすしかない。ファリアは、戦女神としてどうにか上手く振る舞おうと必死であり、その責任感の強さは周囲にいる人間には痛いほど伝わっている。彼女がどれだけの想いで戦女神を演じ続けているのか、どれだけ心身に負担をかけて戦い続けているのか、ファリアを知るものほど知っている。

 逆をいえば、ファリアとの距離が遠ければ遠いほど、ファリアの苦労を理解できないということでもある。

 たとえば議長モルドア=フェイブリルのような戦女神への反発心を隠さないものには、彼女の心労など理解できようはずもない。ファリアの強情とさえいえるような言動から推し量るしかなく、結果、彼らが反戦女神として徒党を組むことになるのも致し方のないことだ。

 ファリアは、政治家ではない。

 政治のせの字も知らなかったのをリョハンのため無理矢理に戦女神という役割を押し付け、このような会議の場に出席させているのだ。本来ならば術の研究や勉学に勤しみ、恋に生きても許されるような境遇であるはずだった。それが“大破壊”によって打ち砕かれた結果、彼女は、その生来の責任感の強さでもって戦女神たらんとしている。

 それがいま、裏目に出ているということを本人は理解しているのだろうか。

「ともかく、護峰侍団の人数では、リョハン全体を警備しながら麓特区にも目を光らせ、なおかつあらゆる騒動を起こさせないというのは、不可能です。これは、護峰侍団の現状であり、リョハンの現実です」

「つまり、暴動の原因は自分たちにはない、と護峰侍団はいいたいのだな?」

 議長のモルドアがヴィステンダールの言葉尻を捉えると、侍大将は目を細めた。

「いえ。発生を未然に阻止できなかったのは我々護峰侍団の不備であることは認めます。そのために多数の負傷者を出したことも詫びましょう。しかし、このままでは、何度でも同じようなことが起きるということを、この場にいる皆様に知っておいて頂きたいのです」

「ふむ……」

「難民街の警備人数を増やせばいいではないか」

「そうだ。そうすればいい。そのための護峰侍団であろう」

 議員たちが口々にいうと、護峰侍団の参謀ニレヤが眉根を寄せた。ニレヤは七大天侍のひとりニュウ=ディーの実姉であり、本来は極めて温和な人物だ。そんな人物が眉根を寄せるなど、余程腹に据えかねる発言と捉えたに違いなかった。

「簡単に仰られるが、そうなれば、山門街以上のリョハンの警備が手薄になると知ってのことでしょうな?」

「それは……困るな」

「いまは戦女神様のおかげもあって安定してはいるが、警備が手薄になれば不安を煽りかねない。ただでさえ、難民問題で……いや、失礼。なんでもない」

 議員のひとりが言葉を濁したのは、ファリアの視線を気にしてのことだろう。もっとも、ファリアはその議員ではなく、会議場全体を見渡しているようであり、彼ひとりの言動など気にしてもいないようだった。彼ひとり気にしたところでどうなるものでもない。ファリアが直面している問題を考えれば、当然のことだ。彼女はいま、戦女神継承以来最大の難問に直面しているといってもよかった。

「なにを躊躇うことがあるのです」

 ヴィステンダールがその議員を睨み、声を荒げた。

「難民を受け入れたことがそもそも間違いであると、なぜ、声を大にしていわないのですか」

「ヴィステンダール殿」

「わたしはなにか間違ったことをいっていますか? なにも間違ってなどおりますまい。麓特区にかんするすべては、三万に及ぶ難民を受け入れたがために起こった問題なのですからな」

 ヴィステンダールのその発言には、会議場に集まっただれもが息を呑んだ。アレクセイもそうだし、議長のモルドアでさえ、ヴィステンダールの失言を認めざるを得なかったに違いない。

 難民の受け入れに関しては、きわめて慎重かつ神経質に扱うのが、護山会議内においては暗黙の了解となっていたし、七大天侍においても同様だろう。

 なぜならば、三万人にも及ぶ難民の受け入れを決定したのは、戦女神ファリア=アスラリアであり、彼女の勅命によって難民のための街、麓特区が作られたからだ。

 そしてそれによってリョハンそのものが不安定化しているという現状をだれもが認識しながら、目を背けなければならないという現実に直面していた。

 戦女神によって成り立つ社会において、戦女神の正義を非難することは、この世の有り様そのものへの疑問を呈するのと同じことだ。それは、その社会に属するものにはおいそれとできることではなかった。たとえ、つたない戦女神の政治活動に憤り、反戦女神で纏まっている議長派議員たちであっても、同じことだった。彼らは、表立って戦女神を批判したことがなかった。そうすれば、このリョハンという世界そのものが壊れかねないからだ。

 ファリアを戦女神に仕立てたのはほかならぬ護山会議であり、ファリアは護山会議の議員たちのためにも懸命になって戦女神をやっているに過ぎない。

「いかがか、戦女神様」

 ヴィステンダールは、挑むようなまなざしでもってファリアを見つめた。

 ファリアは、冷ややかな表情で彼に対峙した。

「ヴィステンダール侍団長。いかな事情があれど、彼ら難民に手を差し伸べるべきだというわたくしの考えを変えるつもりはありません。確かに麓特区における様々な問題、事件は看過できるものではありませんし、早急に対処しなければならないのも事実です。ですが、寄る辺なき彼らを野に放ち、野垂れ死ににさせるのは以ての外であると考えます」

「彼らがヴァシュタリア人であっても、ですか」

「以前もいったように、人種、国籍に関係なく、助けを求めるものを見過ごすなど、戦女神に恥ずべき行いだとわたくしは考えます。リョハンの戦女神ファリアは、公明正大で慈悲深く、正義を掲げ、愛を語るものでございましょう」

 ファリアは、決然と告げる。まさに公明正大で慈悲深く、正義を掲げ、愛を語る――リョハンの民が理想とする戦女神そのものとして、彼女はいうのだ。ファリアの中の戦女神観と、この場にいるすべてのものの戦女神観は一致し、まったくもって乖離してはいない。先代の戦女神がまさにそうだったのだ。そして、その後継者たるファリアにも、そうあるように求めたのが護山会議であり、この場にいる多くの人間たちだ。

 彼女に無理をしないよう、自分を追い詰めないよう願ったのは、アレクセイや七大天侍たちといった少数であり、多くは、彼女が先代戦女神そのままであることを望んだ。

 無茶な話だ。

 彼女は、ファリア=バルディッシュではない。

 ファリア=バルディッシュのように地獄のような戦いを勝利に導いたことで信頼を勝ち取り、自然と女神と呼ばれるようになったわけでもなければ、数十年の長きに渡る戦女神としての役割と通じて自分の在り方、立ち位置を完全に把握したわけでもない。降って湧いたように戦女神の役割を押し付けられたのだ。

 そんな彼女が戦女神たろうとすれば、当然、このようなことになるのは目に見えていた。

 なればこそアレクセイは、七大天侍とともにファリアを全力で支え、少しでも彼女が楽をできるように配慮してきたのだ。ファリアの負担をわずかでも減らし、彼女が心休める時間を与えたかった。責任感の塊といっても言い過ぎではないのがファリアの長所であり、短所なのだ。根を詰めすぎるとどうなるものか、アレクセイにはわかりすぎるくらいにわかっていた。

 だからこそ、と、彼は全身全霊でこの哀れなほどに純粋な孫娘を守ろうとしたのだ。

 神軍騒動さえなければ、そして、神軍が何万もの将兵をこの地に残していかなければ、アレクセイの思い描いたとおりに状況は推移したのだろうが。

「彼らはヴァシュタリア人であり、生粋のヴァシュタラ信徒であることは明白。棄教というのも、わたくしたちに取り入るための虚偽だという可能性も低くはありません。けれど、だからといって、この荒れ果てた冬の大地に放り出すというのは、人道に悖る行いだとわたくしは考え、故に彼らを難民として保護するよう命じたのです。そこになんの問題があるというのですか」

「ファリア様の仰ることはごもっとも、異論を申し上げる余地もございませぬ。しかし、しかしです。現実に暴動が起き、死傷者がでているのです。暴動を起こしたものたちだけが害を被るのであればまだしも、無関係な難民や鎮圧に当たった我々護峰侍団の中からもでているという事実は、看過できるものではないのではありませんか!」

 ヴィステンダールは、会議場内の張り詰めた空気を破るように声を張り上げた。

 対するファリアは、彼の言い分に耳を貸そうともしなかった。

「わたくしは、戦女神です」

 戦女神が発したとも想えぬほどに冷徹な一言は、定例会議のすべてを空疎なものにしてしまった。

 アレクセイは内心頭を抱えながら、呆然とするヴィステンダールや、苦虫を噛み潰したような顔のモルドアら議員たちの反応を見届け、そして会議が無意味に終わっていくのを認めた。

 戦女神は、リョハンの天地を支える柱だ。

 その柱は頑健であれば頑健であるほど、良い。

(しかし……)

 アレクセイは、無表情のファリアの横顔を見て、なんともいえない気持ちになった。

 このままでは、ファリアの治世は長く続かないのではないか。

 だからといって、アレクセイが彼女に意見したところ、聞き入れてはくれまい。

 ファリアはいま、二代目戦女神の責任を果たすことで精一杯なのだ。

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