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第千八百五十九話 海神領域(五)



「はっ……どいつもこいつも魔王の杖、魔王の杖ってさ」

 マウアウの下半身が動き出したのを見て、セツナはようやく自分の置かれている状況を理解した。マウアウに魅了された頭では、物事を冷静に判断することも難しくなっているのだ。上半身の美貌もそうだ。見ているだけで戦意が喪失し、抗う気さえなくなってしまう。目を見れば意気を吸われ、声を聞けば心を奪われる。それがマウアウの力なのは間違いなく、そして、神の如き力であろうことはいうまでもない。

 マウアウは、クオンの記憶を覗き見たといったのだ。人間の記憶を視ることのできるような存在がそういるはずもない。セツナは、マウアウを神と断定した。そして、すぐさまロッドオブエンヴィーを送還すると、口早に呪文を唱えた。

「いいぜ、俺が相手になってやる」

 爆発的な光の中から出現した黒き矛を手に取るなり、流れ込んでくる膨大な力と情報を処理しながら、レムに目線をやった。彼女はセツナの指示を待ち、“死神”たちを待機させている。

 マウアウが神であり、神との戦闘となれば、周囲に甚大な被害が及ぶ可能性が高い。無論、船の側で戦うつもりもなければ、メリッサ・ノア号と乗船者を巻き込むつもりも毛頭なかったが。

「レム、おまえは船を護ることに徹しろ。あいつの相手は俺がする」

「では、皆様のことはおまかせくださいませ」

 レムは、それ以上深くは聞いてこなかった。レムにもマウアウの恐ろしさが理解できているようだった。さすがは第一の下僕だと心の中で賞賛しながら、つぎにリグフォードに声をかける。彼は、事態の急変を飲み込んではいたが、どうするべきか判断を下しかねているようだった。

「将軍! 船を巻き込まないよう善処しますけど、そっちはそっちでできるだけ離れてくださいよ!」

「承った! ご武運を!」

 リグフォードも、深くは聞いてこない。彼は優れた軍人なのだ。自分が常人であり、超常の存在たるマウアウのことは、超常の力を持つものたちに任せるべきだと瞬時に決断を下すことができるというだけで、優秀だった。そして、任された以上、相応の結果を出さなければならないのがセツナの立場だ。

 セツナは、甲板上で黒き矛を構えると、マウアウの全体像を把握するべく意識を集中した。黒き矛によって拡張された五感が一瞬にしてマウアウの全身を正確に認識し、脳裏に投影する。

 マウアウは、美しい女神としての上半身と、醜悪な海の怪物としての下半身で構成されている。美神としての上半身は、いわずもがなだ。見れば見るほど意識が吸い込まれるほどに美しく完成された容貌と肢体には非の打ち所がなく、表面に浮かぶ斑紋さえもその美しさを引き立たせる装飾にしかならない。

海色の頭髪が潮風に揺れる様は、幻想的ですらある。

 一方、下腹部から下、つまり下半身はというと吐き気を催すほどの醜悪さがあった。海に棲む軟体生物をこれでもかと合成したような異形と、表面のぬめりを帯びた光沢、蠢く無数の触手など、どれをとっても嫌悪感を抱かせる代物なのだ。下半身に随所に見える琥珀のような突起物も、不快感を増加させるのみであり、上半身に浮かぶ斑紋とは真逆の効果をもたらしていた。

 そして、もっとも驚くべきはその巨大さだ。

 上半身は一般的な人間の背丈と同じくらいだが、下半身はその数十倍では済まないほどの質量があり、海上に現れているだけでもメリッサ・ノアを圧迫しかねないほどの規模だった。長大な触手を含めれば、全長一千メートルは軽く超えるのではないか。

 それほどの巨体でなければ海の支配者足り得ないというのはわからないではないが、それにしても巨大すぎた。数え切れないほどの触手の一本一本だけでも図太く、巨大なのだ。そんなのと正面からまともにやりあうのは愚の骨頂というほかない。

(じゃあ、どうする?)

 自問とともに呪文を口走る。武装召喚の四字。たったそれだけでセツナの武装召喚術は発動し、武装召喚師たちは唖然とする。話で聞いて知っていたとしても、理解しがたいものなのだろう。セツナにとっては当然のことだったし、レムも見慣れたことで驚くようなことはないが、初めて見るものたちにとっては納得できない現象ではあるようだ。

 そんな反応を黙殺して、セツナは甲板から手摺に飛び移り、さらに手摺を蹴って海上へと躍り出る。だれかがあっと声を上げる間に召喚は完了し、セツナの上半身を純黒の鎧ががっちりと包み込んだ。念じれば、黒き蝶の翅が出現したかと想うと、大気を操り、重力を跳ね除けるかのように空高く飛び上がらせる。マウアウの巨大な触手が、空中のセツナへとつぎつぎと襲い掛かってきた。

「俺だけを狙うってか? 随分優しいんだな」

《当然のことだ》

 マウアウは、巨躯をうねらせながら冷笑を浮かべる。

《我が望みはそなたが持つ魔王の杖のみ。我が神域を去ろうというものにまで手を下しては、神の名折れぞ》

「なるほど、道理だな」

 殺到する無数の触手を軽々とかわして見せながら、セツナは唸った。メリッサ・ノアは、急速に戦場となった海域から離れていく。マウアウは言葉通り、メリッサ・ノアを追撃したりはせず、セツナのみに攻撃対象を絞っているようだった。

(やっぱり、神様だったってわけか)

 マウアウの発言を受けて、セツナは胸中でつぶやいた。神。とすれば、皇神だろう。だとしても、アシュトラやマユラのような邪神とは違うように想えた。

 警告に素直に従うのであれば、攻撃してくることはなく、それどころか祝福さえしてくれそうな気配がマウアウにはあり、実際、途中まではそんな素振りを見せていた。マウアウが攻撃してきたのは、彼女がセツナを知っていて、セツナが黒き矛の召喚者だったからにほかならず、もしメリッサ・ノアにセツナが乗っていなければ、このような激突は起きなかったのだ。

(あのときも、そうだったな)

 ベノアガルドでのアシュトラとの戦闘も、あのとき、あの場所にセツナがいたから引き起こされたものだ。アシュトラがセツナと黒き矛を認識したがために、ネア・ベノアガルドによるベノアガルドへの侵攻が早められ、結果多くの命が失われる惨事となった。もちろん、ベノアガルドが混乱することを望み、ハルベルトを嘲笑うアシュトラのことだ。たとえセツナが現れずとも、遠からずベノアガルド侵攻は企てられ、実行に移されただろうが、だからといってあの戦いが避けられなかったかというとどうだろう。

 結局のところ、この黒き矛カオスブリンガーが災禍を招き、巻き添えに多くの人命を奪ったのだとすれば、許容できるものではない。

 彼は歯噛みするとともに肉薄してきた触手の一本を矛の一閃で切り払って見せた。血飛沫を上げながら海中に没する触手だったが、マウアウは悲鳴を上げることもなければ、表情ひとつ変えなかった。触手は、十本どころではなく、百を軽く超える数存在していた。その数百に及ぶ触手には痛覚がないのだろうし、だからこそマウアウは触手による猛攻を繰り出してくるのだろう。セツナはそう判断すると、中空ですかさず矛を振り抜きながら破壊光線を発した。それにより、穂先より発射される破壊の光芒が迫り来る触手の群れを薙ぎ払い、何十本の触手が消し飛ぶ。

 無論、その程度ではマウアウの苛烈な攻撃は、止まない。

 無数の触手が虚空にいるセツナの全周囲に展開したかと想うと、一斉に襲い掛かってきた。分厚く逃げ場の一切ない包囲網。セツナは即座に呪文を唱えると、左手にアックスオブアンビションを召喚、全霊の力を込めて前方に投げ放った。禍々しい巨大な戦斧が黒い輝きに包まれながら加速度的に触手の壁へと飛んで行く。触手は、避けない。激突した瞬間、凄まじいまでの破壊が引き起こされ、触手の包囲網に巨大な穴が開く。

 セツナは全速力でその穴を潜り抜けると、無数の殺気にぎょっとした。頭上四方にセツナを待ち受けるようにして展開した触手が、口を開けていた。

(口……!)

 先端に口のような部位を持つ触手は、ほかの無数の触手とは多少、様子の異なる代物だった。琥珀色の突起物を角か背びれのように生やし、口蓋の上部に双眸のような切れ目がある。その切れ目が開くと、眼球が出現した。金色の光を発する目がセツナを認識した瞬間、四つの触手がほぼ同時に咆哮した。

 光の濁流が吐き出され、セツナを飲みこんだのだ。

 



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