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第百八十五話 嵐の後

 天地を揺るがすような暴風が、止んだ。

 巻き上げられていたすべてのものが、次々と降り注いでくる。水も石も土砂も武器も死体も、豪雨のように降ってくる。戦禍そのものといっていいのだろう。戦場の中心から容赦なく舞い上げられたもののことごとくが、無慈悲にも落下していく。地に落ち、砕け散るものもあれば、川面に着水して水飛沫をあげるものも多数あった。

 それは、この戦闘が終わったことを示していた。

 暴風を産み出していた聖将ジナーヴィ=ワイバーンが息絶え、召喚武装の力も作用しなくなったのだ。

 そして、指揮官が死んだ以上、戦いは終結するだろう。生き残った敵軍の兵士たちが、状況を弁えず、抵抗したりしない限り、収束へと向かうに違いない。

 クオンは、戦禍の雨が止むのを待ってから、シールドオブメサイアを送還した。純白の盾が光の粒子となって異世界へ帰還していく。見届けた瞬間、疲労が洪水のように押し寄せ、彼の足をふらつかせた。

「だいじょうぶか? クオン」

「だいじょうぶ。少し疲れただけだよ」

 いつの間にか隣に立っていたらしいイリスに体を支えられながら、クオンは、疲労が表情に現れないように努力した。仲間を心配させたくないのもあるが、戦闘が終わったという確証がない以上、そういう姿を見せるわけにはいかなかった。まだ、なにかがあるかもしれない。そういうときに《白き盾》の団長が気を失っているのは、対外的な印象は良くないだろう。それだけのことで、彼は気絶という甘い誘惑に抗っている。

 実際のところは、凄まじい脱力感に襲われ、目眩すら覚えていた。

 シールドオブメサイアの長時間稼働による反動だった。もちろん、長時間であれ、《白き盾》団員だけを限定して守護していたならば、ここまでの消耗はなかっただろう。

 最後、ジナーヴィが自身の召喚武装の力を使い、巨大な竜巻を発生させた。それは戦場全体を巻き込むかのような嵐となり、なにもかもを吹き飛ばそうとしていた。クオンはそのとき、咄嗟に盾の力を限界まで使い、周囲のみならず、この戦場全域の人間を守護したのだ。

 ジナーヴィの嵐に対抗するには、強力な守護が必要だった。それを戦場全域に行き渡らせるなど、クオン自身、前代未聞の試みだったが、やるしかなかったのだ。あまりの消耗に意識が飛びかけたし、ウォルドたちの連携による撃破が数秒でも遅れれば、クオンは気を失い、盾の守護は消え去っていただろう。

 そうなれば、ジナーヴィの嵐がなにもかもを天高く舞い上げ、戦局そのものをひっくり返していたかもしれない。

 危うい賭けだった。

 かといって、《白き盾》団員だけを守護するという発想はなかった。そして、味方だけを護るには、猶予がなさ過ぎたのだ。敵も味方も、手当たり次第守護するよりほかはなかった。おかげで、想像以上に消耗してしまったらしい。

「クオン!」

 イリスに抱きかかえられたようだが、よくわからない。意識が朦朧としてきていた。視界はぼやけ、音も遠い。歓声を上げているようにも聞こえるし、怒声のようにも聞こえる。混濁してきた意識を現世に繋ぎ止める方法も見当たらなかった。

 勝利の余韻などはなく、彼はただ、睡魔の誘惑にも抗えない自分の弱さを笑った。



 ジナーヴィ=ワイバーンの亡骸とともに川面に着水したルクスは、全身を苛む激痛に表情を歪めた。着水の衝撃ではない。シールドオブメサイアとかいう召喚武装の能力は、ルクスの肉体をも完全に庇護下においていたのだ。水に濡れることも、水が傷口に染みこむこともない。絶対的な防壁。より完全にすれば、空気さえも通さなくなるのかもしれない。そうなれば、ひとも殺せる最強の盾と呼ばれ、恐れられること請け合いだ。

 全身を苛む凄まじい痛みから逃れようと思いついた考えに、ルクスは苦笑を漏らした。痛みの原因は、わかりきっている。ジナーヴィに最初に飛びかかったときに受けた傷だ。暴風の障壁は、ルクスの全身をずたずたに切り刻み、大量に出血させていた。意識を保てているのが不思議なほどであり、ジナーヴィを殺せたのも奇跡に近いといっていいだろう。

 ジナーヴィの死体の上に折り重なるように倒れこむことだけは遠慮して、ルクスは後方に倒れこんだ。剣の柄を握る手は緩めず、死体から抜き取りながら、転倒する。降り注ぐ土砂や水が視界を覆っていた。やがて、なにも見えなくなる。衝撃は来ない。盾の力のおかげだ。

(さすがは弟子の友人ってところか)

 胸中でつぶやき、彼は、脳裏にクオン=カミヤの顔を思い浮かべようとして、やめた。ろくに思い出せないことに気づいたのだ。痛みが疼いているから、ではない。ルクスは元々、他人の顔を覚えるのが得意ではなかった。覚えておけばいい人物のことだけは記憶している。まず、シグルドであり、ジンである。ふたりの顔を忘れたことは一度たりともない。つぎに団員たちであり、彼らのこともそこそこ覚えているはずだ。ついで、弟子であるセツナの顔。血のように紅い目は印象に残る。あとはどうでもいい人物ばかりだ。クオンもやはり、どうあがいても、どうでもいい人物にしかならない。

 ゆっくりと起き上がる。痛みに歯噛みするが、それで収まるようなものではなかった。剣を杖代わりに体を支えて立ち上がると、周囲の惨状が視界に飛び込んでくる。

 まさに嵐の後だった。

 綺麗だった川面は土砂が漂い黒く濁り、どこかから運ばれてきた兵士や馬の死体が転がっている。血なまぐさいのはそのせいだろう。兵士の死体から離れたと思しき武器の類も、川や周囲に散乱していた。川幅が少し広くなったような印象を受ける。というより、円を描くように湾曲しているのか。ジナーヴィの起こした嵐が、地形をも変えてしまったようだ。まともに喰らえばただでは済まなかったのは間違いない。ぞっとすると同時に、クオンの判断の的確さに唸る。彼の守護が間に合ったおかげで、ルクスは無事だったのだ。

 無茶は、盾の力のおかげではない。

「俺を足場にしたのかよ」

 不平に目を向けると、シグルドにも負けない筋肉の塊のような男が、立ち上がるところだった。両腕を覆う黒い篭手が、光とともに消えていく。武装召喚師。名は忘れたが、《白き盾》の一員なのは格好から明白だ。そういう点で、彼らの制服はありがたかった。

 彼がいってきたのは、打撃を空振りした彼の背中をルクスが跳躍のための足場にしたことだろう。上空のジナーヴィに到達するにはそうするよりほかはなかったし、彼を足場にしても届くという保証はなかった。ジナーヴィの目的が死でなければ、簡単に逃げられただろう。だが、ジナーヴィは逃げず、ルクスの剣を受け入れた。

「おかげで勝てたんだし、文句はないだろう?」

「そりゃそうだ」

 男が反論してこなかったのは意外ではあったが、ルクスにとってはどうでもいいことに違いなかった。彼と鉄槌女がなにやら話し始めたのを横目に、ルクスはジナーヴィの亡骸を見た。川の流れが、彼の亡骸に降り注いだ土砂を押し流している。

 安らかな死に顔だった。

 水の底で、眠るように目を閉じている。いや、実際に彼は眠ったのだ。永遠の眠りについたのだ。

(ジナーヴィ=ワイバーン……か)

 ルクスは、彼の死に様が嫌いではなかった。彼のように未練なく死ねたら、さぞ痛快で、爽快に違いない。死はだれにでも訪れるものなのだ。問題は、死に方だ。平時に死ぬのか、戦時に死ぬのか。病に苦しんで死ぬのか、老いによって死ぬのか、はたまた誰かに殺されるのか。勝利の中で死ぬのか、敗北の中で死ぬのか。

 ルクスは、自分の死に様を想起して、笑った。どんな光景も思い浮かばない。

 が、決して彼のように爽やかには死ねないのだろう。確信にも似たなにかが、彼の心の奥底でのたうち回っていた。

 そんなことを思ったのは、きっと、ふたりの声が聞こえたからだ。

「ルクス! 無事か!」

「無茶ばかりして、あなたもひとのことがいえませんね」

 駆け寄ってくるシグルドとジンの声が、幾分うるさく聞こえたのは、睡魔が迫ってきたからだ。

 眠る前に、ふたりの顔が見たい。特にシグルドの野獣のような顔を見て、それから夢に落ちたかった。そうすれば、彼の夢を見ることもできるだろう。

 不安定に揺れる視界の中で、ルクスは、ぼんやりとそう思ったのだった。



 どうやら、こちらが勝ったらしい。

 ギルバート=ハーディは、麾下の騎兵隊を纏めながら、伝令からの報告を聞いていた。

 大将軍発案の奇襲作戦はほぼ成功したといってよかった。予期せぬ待ち伏せに数百名の部下が命を散らせたが、それを補って余りある戦果が、ミオン騎兵隊にもたらされた。敵本陣を混乱させるだけでなく、戦場各地を駆け巡ることで敵軍の連携そのものを断ち切り、指揮系統を粉砕した。

 ルシオン軍が多くの戦功を上げたようだ。敵陣左翼の軍勢を壊滅にまで追いやったというのだから、うなずける話ではある。被害も少ないらしく、白聖騎士隊は数名の軽傷者が出た程度で済み、彼女らの凄まじさがわかるというものだ。もっとも、その報告を聞いて、彼は麾下の騎兵隊に怒号を飛ばすようなことはなかった。騎行による強襲を目的としたギルバートの騎兵隊と、騎乗戦闘を目的とした白聖騎士隊とでは、運用しそうそのものが違うのだ。

 当たって砕けるのが、騎兵隊の役目だ。

 損害が大きいのは当たり前であり、そのことで作戦立案者に不平を抱くこともない。アルガザードの立てた作戦は、咄嗟の思いつきにしては良く出来ていた。敵軍が勘付かなければ、間違いなく圧倒的勝利を得ることができただろう。

 なぜか、気づかれ、待ち伏せされた。

 弓の嵐の中を飛び込んでいくのは、死地に飛び込んでいくのと同じだったが、ギルバートを筆頭に何名かは切り抜けることができたし、矢が止んだあとは、後続の部隊も本陣に到達できた。あとは一方的なものだ。弓兵を蹴散らし、歩兵を殺戮する。陣形を掻き乱し、戦局を窺った。中央軍の勝利は、他の部隊の活躍にかかっていた。

 中央で激しい戦いがあったのは、吹き荒ぶ嵐を目撃したことで理解した。敵武装召喚師による苛烈な攻撃は、敵本陣周囲でも吹き荒れたし、何十名もの部下が飲まれ、命を落としている。武装召喚師という存在への懐疑は、はるか昔のものに成り果てたのだ。いまや主戦力として運用されるべきだという考えが主流になりつつあり、ガンディアは武装召喚師のみによる部隊を結成したという。ミオンも負けてはいられないのだが、戦場を知らぬ宰相マルス=バールには理解し難いことなのだろう。武装召喚師を雇うべきというギルバートらの提案は、中々受け入れられていない。

 やがて、嵐が止んだ。中央部隊が敵武装召喚師を倒したのだ。《白き盾》と《蒼き風》のおかげなのかはわからないが、両傭兵団が活躍したのは間違いない。

 勝鬨が中央から各地へと伝播していく。

「勝鬨をあげい」

 ギルバートは、部下に命じると、本陣へ向かうための支度を始めた。



 ハルベルク・レウス=ルシオンは、ルシオン軍の強さを実感していた。

 敵右翼陣地は制圧完了し、敵右翼部隊には全滅に近いほどの損害を与えることに成功した。数が二百人ほどにまでなると、統率もなにも有ったものではなく、敵に背を向けて逃げたり、狂ったように立ち向かってきたりと、まるで地獄の様相を呈した。

 戦意を喪失したものの命を奪う必要はない。ハルベルクは、命乞いをするものには武器を捨てさせ、戦場から逃げるものは放置した。命からがら逃げ出して、なにかをしでかすとも思えなかった。

 自軍右翼の救援に向かっていた三百名と追加で派遣した二百名は、ほとんど無傷といってよかった。死者は出ず、負傷者も軽傷で済んでいる。さすがはリノンクレアの厳しい訓練を耐え抜いてきたものたちだと褒め称えたかったが、まだ戦場である。それに妻の反応が恐ろしくもある。

 五百の歩兵には、それなりの被害が出た。精強ではあったし、彼らが壁になってくれたからこそ、白聖騎士隊は騎馬の機動力を活かすことができたのだ。死傷者は百十名に及ぶ。死者は十二名、重傷三十三名、軽傷六十五名。

「大勝……か」

「はい。被害は最小。戦果は上々。これ以上望むべくもないかと」

 ハルベルクの隣に馬を並べてきたのは、リノンクレアだ。戦場を駆け回った彼女の横顔は汗に濡れていたが、息は乱れてもいないようだ。

「わかっているよ」

 戦争なのだ。

 勝利を得るためには犠牲を払うしかない。その犠牲は、少なければ少ないほどよく、今回の戦闘によるルシオン軍の犠牲は極めて少ない。良い結果だ。なにも悪くはない。

 前方、きっちりと整列した騎馬隊と歩兵隊の姿に、彼はようやく安堵の息を吐いた。

 戦闘が終わった。

 ザルワーンでの初陣を勝利で飾ることができたのだ。喜び、誇るべきだろう。ガンディアにとっては宿敵であり、ルシオンにとっても忌むべき敵国だ。その軍を打ち負かし、ザルワーンの地に勝利を刻みつけることができた。リノンクレアとともにだ。

 それは彼にとっても喜ばしいことに違いなかった。

 ハルベルクは、戦いが終わり、リノンクレアの表情が柔らかくなったのを見て、微笑を浮かべた。

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