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第千八百五十七話 海神領域(三)


「御主人様っ!?」

 旅装に身を包んだレムの小さな体が甲板から海へと投げ出された直後、セツナが伸ばした手は空を切り、津波が飛ばす飛沫がふたりの視線を遮るように瞬いた。陽光が煌めく。レムの真っ青な表情を目撃して、セツナは空かさず口遊む。

「武装召喚」

 全身から光が噴き出すのは一瞬の出来事であり、つぎの瞬間には、彼の左手の中に意中のものが顕現している。異形の髑髏飾りが特徴的な黒き長杖。

 セツナはロッドオブエンヴィーを振り翳すまでもなく、髑髏の口腔から闇の腕を吐き出させ、レムの細い腰を無造作に掴み取った。そのまま、レムが驚いているのを尻目に自分の元に引き寄せ、左腕で抱き抱える。レムがきょとんとした顔をする。

「あら」

「あら、じゃねえよ。全然余裕だっただろうが」

「ええ!? そんなことございませんですよ!?」

 大袈裟に驚いてみせるレムを無視して、セツナは船体の状況を見た。船は未だ激しく揺れており、足で踏ん張るだけでは海に投げ出されるほどの勢いだった。セツナは手摺に掴まっていたため難を逃れたものの、レムのように手摺付近で気を緩ませていれば無事では済まなかっただろう。

 武装召喚師たちは無事のようであり、甲板上から投げ出された数名の船員たちは、レムが咄嗟の判断で呼び出した“死神”たちによって救助されており、海中への落下は防がれている。つまり、レムにはそれだけの余裕があったということだ。なんなら自分自身を“死神”に拾わせることだってできたはずだが、それをしなかったのは、セツナの手による救助を期待してのことだろう。信頼してくれるのは嬉しいことではあるが、状況が状況だ。セツナはレムを手放すと、彼女が甲板に尻餅をつくのを見届け、それからリグフォードの大声を聞いた。

「なんだ! なにが起きている!」

 船室に戻っていた彼は、船体の激しすぎる揺れによって異常事態に気づいたのだろう。甲板に出てくるなり、津波にも負けない大声を上げていた。

「それが、原因がまったく不明で……!」

「突然津波が襲ってきたんです!」

「津波だと? 予兆もなくか?」

「はい。なんの前触れもありませんでした!」

 船員たちの悲鳴にも似た報告が響く中、セツナは、レムがふてくされたような顔をするのを認めつつも、船の揺れが収まるのを感じた。海面の揺らぎそのものが弱まっているのだ。が、それとともに冷ややかな空気が船上を包み込んだかと想うと、視界が白く染まっていった。

「これは……」

「霧……でしょうか?」

「見ればわかるだろ」

「でも、突然、どうしてなのでございましょう?」

「さあな。俺が知るかよ」

 セツナは、レムがわざとらしく不安がって彼に縋り付いてくるのを邪険に払ったりはせず、ロッドオブエンヴィーを右手に持ち替えた。ロッドオブエンヴィーを手にしていることによる副作用は、セツナのあらゆる感覚を増大させている。聴覚は大気のうなり、波の音を捉え、魔動船の動力炉が駆動する音さえも拾っている。嗅覚は風が運ぶ潮のにおいや周辺にいるひとびとの体臭、そしてまったく理解のできない異臭を捉え、視覚は、白く濁る霧に覆われながらも、甲板上にいる船員、武装召喚師の立ち位置を把握できる程度には機能していた。

 五感の強化は武装召喚師、召喚武装使いの強みだ。

「ただ、作為的なものは感じるな」

「セツナ殿も、ですか」

「そういう将軍も?」

「ええ、まあ。海の天候は変わりやすいとはよくいうものの、なんの前触れもなく津波が起こり、霧が出るなどということは考えにくいものでしてね。なにものかが起こしている超常現象と考えるべきかと」

「皇魔の魔法か……武装召喚師か」

 セツナは、リグフォードの話を聞いて、考えを巡らせた。皇魔は、海にも棲む種がいるという話だ。中には、リュウディース、リュウフブスのように魔法を使う種がいるかもしれない。可能性としては、そちらのほうが高いだろう。武装召喚師がこの海域に住んでいるというのは、少々考えにくい。

「あるいは、まったく別のなにものかか……」

「非戦闘員は船内に退避し、戦闘員は警戒を怠るな。先程のこともある。船から投げ出されないよう、細心の注意を払え」

『はっ!』

 リグフォードの命令に船員たちが反応した直後、セツナは、異様な気配を察知した。そして。

「ひ、ひいいいいいいっ!?」

 船員のひとりが腰を抜かし、甲板に尻餅をつく。気配のした方向だった。

「い、いまっ……!?」

「なんだ? なにを見た!」

 リグフォードが船員に駆け寄るも、船員の恐怖に歪みきった顔は、頭上を仰いだままだ。震える指が虚空を示す。白く濃密な霧の壁が視界を遮っている。

「い、いま、大きな影が……そこに……!」

「大きな影だと」

「ああ……確かになにかいるな」

「はい。とてつもなく巨大でございます」

「おまえにもわかるか」

「はい」

 レムが真剣な表情でうなずいたところを見ると、彼女の知覚を総動員した限りでは、不真面目ではいられない相手だと判断したようだ。五体の“死神”が、レムの周囲に出現する。闇色の衣は、白霧の中でも決して薄れなかった。

 セツナはレムと頷きあうと、すぐさまリグフォードの元に駆け寄った。腰を抜かした船員を介抱する将軍の傍らに立ち、警戒を強める。

「セツナ殿、これは……」

「将軍も皆さんとともに船内に下がってください。相手が敵意を持っている可能性は低くない上、どんなものかもわからない」

「それは了承しますが、相手とは……?」

「おそらくこの霧を生み出した張本人」

 セツナは、ロッドオブエンヴィーの出力を最大にして、髑髏の口腔から闇の腕を出現させた。最大出力の闇の腕は、メリッサ・ノアの船体を掴めそうなほどに巨大であり、歪な掌を開くとそれだけで視界が真っ黒に染まった。その腕を掲げ、前方上空を睨み据える。白い霧でできた分厚い壁の彼方、強大な圧力を放つ存在がある。

 それに気づいているのはなにもセツナとレムだけではない。甲板上にいた武装召喚師全員が、それに気づき、戦闘準備に入っている。やはり武装召喚師の超感覚は、役に立つ。

 しかしだとすれば、その強烈な圧力を放つ存在の船への接近を許したのはどういうことなのか。武装召喚師たちは、常に警戒していたはずだ。全周囲、あらゆる方向に警戒の網を張っていたのだ。隙はなかった。それなのに、それの接近を許している。

(考えるのは、あとだ)

 セツナは胸中で頭を振ると、おもむろに掲げていた闇の腕を真横に薙いだ。

「姿を見せろよ、デカブツ!」

 闇の腕が真横に振るった瞬間、凄まじい風圧が巻き起こり、セツナたちの前方を覆っていた白霧が一瞬、消し飛んだ。そしてその瞬間、セツナたちは驚愕の光景を目の当たりにすることとなった。

 それは、海上に姿を表した巨大な軟体生物だったのだ。蛸とも烏賊ともつかぬ異形であり、無数の触手が海上に現れ、琥珀の柱に巻きついたり、海上を滑っている。表面がぬめりけを帯び、奇妙な斑紋が全体に浮かんでいる。また、琥珀状の突起物が無数にあり、海上の琥珀の柱もこの怪物の体の一部なのではないかと想像させられた。だとすれば、とてつもない巨体だが、目の前に出現している部分でさえメリッサ・ノアを上回る常識はずれの規模なのだから、一面の海に匹敵するほどの巨体だったとしても不思議ではない。

(いやいや)

 セツナは、半ば自棄になりそうな思考の中でなんとか冷静さを保とうとしながらも、その不快感を催す外見の化け物を目の当たりにすればそうもなるだろうと想ったりした。身の毛もよだつとはこのことだ。

 全身がぬめぬめとした光沢を帯び、海上に我が物顔で君臨する軟体生物の巨躯。数え切れないほどの触手が際限なく動き回り、白霧漂う虚空へと掲げられている。どこが頭部なのか、そもそも頭部などあるのか、といった疑問が浮かぶが、ともかく人間に生理的嫌悪を抱かせる外見であることは間違いない。セツナ以外のだれもが、その姿を目の当たりにして顔を青ざめさせていた。

「なんなんですか、あれ!?」

「わからぬ……だが、皇魔ではなさそうなのは確かだ」

「まあ……あんな皇魔はいないでしょうね」

 セツナはリグフォードの考えを肯定しながら、メリッサ・ノア級の巨大生物の動きを見ていた。怪物は、海上に巨躯を出現させてはいるものの、こちらに攻撃する素振りを見せてはいなかった。船を揺らすような津波も、海上を包み込む白霧も、攻撃的なものではない。見た目は不快感を抱かせるものではあるが、だからといって敵対者かどうかは、わからない。

 皇魔ではないだろう、というリグフォードの判断を肯定した理由のひとつは、皇魔にそこまで巨大な種が存在したという記録がないからだ。つぎに、皇魔は外見上、特徴的な部分がある。目だ。眼球がなく、眼孔から赤い光を漏らしているのが皇魔の特徴であり、その烙印ともいえる特徴を持たないものは皇魔ではない。もちろん、怪物の頭部がどこにあるのかわからない状態ではそこを判断基準にはできないが、最大の理由がある。

 皇魔は、人間と見れば襲わずにはいられないという本能があるのだ。

 隙を伺うようなことはあったとして、このようになにもせず静観の構えを見せることはまずなかった。故に人類と皇魔は敵対の歴史を歩み続け、双方を分かつ深い溝が生まれたともいえる。魔王ユベル率いる皇魔たちは、魔王に支配されているからこそその本能を抑えられているのであり、通常、皇魔は人間を目の当たりにすれば、攻撃性を隠しきれないものなのだという。

 目の前の化け物は、その悪魔のように忌まわしい外見だけを見る限り、人類の敵である皇魔と断定したとしてもおかしくはないのだが、攻撃してこない以上、その考えは捨てるべきだった。

「御主人様……どういたしましょう?」

「俺に聞かれてもな」

「敵……では、ないのですか?」

「それも、わかりませんね」

 リグフォードの質問にセツナは首を横に振った。

 いまのところ、海の怪物に敵意は見受けられなかった。ただメリッサ・ノアの側面に姿を表しただけに過ぎない。もっとも、メリッサ・ノア号は、その航行を停止せざるを得なくなっている。濃密な白霧の中邁進するのは、あまりにも危険すぎる。

「あれがいったいなんなのか……まったく……」

 セツナが答えを出すのを保留していると、化け物の目前の海上に巨大な水柱が立ち上った。すわ攻撃かと身構えたセツナとレムだったが、そうではなかった。白霧の中、空高く聳え立った水柱が無数の飛沫を飛ばしながら割れていくと、中からまったく想像だにしないものが姿を見せた。

《我はマウアウ。この海の守護者なり》

 水柱の中から現れたそれは、嫌悪感を抱かせる軟体生物とは正反対に神々しささえ感じさせる姿をしていたのだ。

《我が神域を穢すものよ。海の藻屑と消え去りたくなくば、早々に立ち去るが良い》

 海のように青い髪と金色に輝く瞳を持つ美貌の女神は、心に直接訴えかけるような聲で告げてきた。

 


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