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第千八百五十六話 海神領域(二)


「海には不思議なものもあるのでございますね?」

 レムが、話しかけてきたのは、甲板の手摺に掴まりながら海を眺めていたときのことだった。セツナは、きょとんと彼女の横顔を見た。穏やかな潮風が、彼女の黒髪を柔らかに揺らしている。その表情は、新鮮な驚きに満ちていて、ただしばらく眺めていたいという欲求に駆られた。

 レムにとって、いや、大陸の内陸地に生まれ育った多くの人々にとって、この広大な海ほど好奇心を掻き立てられるものはないのだ。広大な大陸の内陸部は、川や湖といった水辺こそあるものの、海とは無縁の場所だったのだ。水平線の果てまで続く膨大な青さは、見るだけで圧倒され、息を呑まざるをえない。当初ははしゃいでばかりいたレムもこの十数日の船旅によって、海にも見慣れ、騒ぐようなこともなくなっていたのだが。

「不思議なもの……?」

「あれにございますよ、御主人様」

「あれ……なんだ?」

 レムが指し示したのは、船の進路上だった。陽光を浴びて碧く輝く波間を貫き、高く聳えるものがあった。岩の柱のようだが、透明感のある黄色は、琥珀を思わせる。しかし、琥珀にしては質量が大きすぎた。さすがに大型の船の甲板にまでは届かないものの、海面から数メートルほどの高さまで突出しているのだ。海上を漂っているのではないことは、微動だにしていないことからもわかる。海底深くから突き立っているということだ。全長数メートルどころではない。数十メートル、数百メートルはあっても不思議ではなかった。

 存在そのものは不思議極まりないのだが。

「なんか琥珀みたいだな」

 本物の琥珀をこの目で見たことはないものの、映像として知っている琥珀と海の中に聳える柱の色合いはよく似ていた。もちろん、琥珀などではあるまい。琥珀が海の中、巨大な柱となって聳えているなどという話は聞いたこともなかった。

「綺麗ですね」

「確かに綺麗だが……なんだろうな?」

「海の名物ではないのですか?」

 今度はレムがきょとんとした。海のことをよく知らない彼女には、海に出れば遭遇するものだと考えてしまったのだろう。

「いや。俺の世界じゃ、聞いたことも見たこともないな」

「我々も長い間船旅をしておりますが、あのようなものを見るのは初めてですな」

「わお」

「驚かれるほどのことですか」

 振り向くと、リグフォード・ゼル=ヴァンダライズが苦笑を浮かべていた。西ザイオン帝国海軍将軍は、西帝国軍将兵とは異なる白基調の軍服を着込んでいる。ほかの海軍士官も同様に白基調の軍服を着込んでおり、階級によって装飾が派手になったり少なかったりしている。西帝国軍の一般的な将兵は黒基調の軍服を着込んでいることから考えられるのは、陸軍と海軍で身につける制服の意匠が異なるということだ。

「いやそりゃいきなり話に割って入ってこられたら、だれだって驚くでしょう」

「ふむ……それは確かに。失礼仕りましたな」

「いや、いいんですけどね。でも、将軍も知らないことなんですね」

「ええ。わたしは帝国海軍の人間として長らく海に携わり、帝国領近海のことは知り尽くしたと自負しておりますが、世界中の海となると話は別でしてな。ましてや崩壊によって地形が大きく変わった現在、かつての常識は通用しないといっても過言ではない有様で」

 リグフォードは、自慢の髭を撫でながら琥珀の柱を眺め、目を細めた。おそらく何十年と海とともにあった彼の目にも不可思議なものとして写っているらしい。

「進路上、同様の柱が多数確認されておりますが、メリッサ・ノアが衝突するようなことはありませんよ。万が一の場合は、我が海軍の武装召喚師たちが処理してくれるでしょう」

 彼は、そういいきると、前方に視線を戻した。

 セツナとレムは、いつものように彼の饒舌ぶりに驚くしかない。野営地やマイラムでは寡黙で厳粛な雰囲気を身に纏い、近づきがたいとさえ感じられていたリグフォードだが、海の上では、このようにセツナたちも驚くほどに饒舌振りを発揮していたのだ。

 その豹変ぶりは、乗船した直後からだったため、セツナもレムもそろそろ慣れていいはずなのだが、いかんせん、重厚な見た目とは真逆を行く口の軽さのため、ふたりとも呆気に取られるのが関の山だったりするのだ。もっとも、そんなリグフォードだからこそ話しやすく、船の上での生活にも安心していられるのだが。

 リグフォードとの日々の会話は、セツナたちに彼への信頼感をもたらしていたのだ。リグフォードとの情報交換は、帝国の現状を知ることにも繋がり、また、世界の現状を理解することにも繋がった。

 約二年前の“大破壊”は、ベノアだけに多大な被害をもたらしたわけではない。ザイオン帝国領土も“大破壊”によって蹂躙され、数多くの命が失われたという。秩序さえも崩壊しかけたところに立ち上がったのがニーウェであり、その献身的とさえいえる戦いぶりは、リグフォードをして史上最高の皇帝といわしめるほどのものだ、と彼はいう。

 リグフォードは、ランスロットの話にあったとおりのニーウェの信奉者であり、だからこそセツナに対しても優しく接してくれているらしい。セツナがニーウェの同一存在であるという話をリグフォードは知っているのだ。ニーウェが彼にセツナとの一部始終を話したということからは、ニーウェがリグフォードを強く信頼していることが窺い知れる。そんなリグフォードのことをどうしてセツナが信頼せずに要られよう。セツナは、ニーウェの信頼するリグフォードを信頼していたし、そのため、彼のいうことに疑いを持たなかった。

 彼のいうとおり、琥珀の柱が船の邪魔となれば、海軍の武装召喚師がなんとでもしてくれるだろう。

 ザイオン帝国は、一大武装召喚師国家といってもいいくらい武装召喚術の普及、武装召喚師の育成に力を入れていた。大陸全土で帝国ほど武装召喚師の育成に熱を入れた組織は存在しないだろう。武装召喚術誕生の地であり、《大陸召喚師協会》の総本山であるリョハン以上なのは、最終戦争における帝国の武装召喚師投入人数を思い出せば一目瞭然だ。

 二万人の武装召喚師が、大陸最後の戦いに動員されている。

 それは帝国軍の保有する武装召喚師のすべてだったということが、リグフォードの口から明らかになっている。海軍所属の武装召喚師たちも最終戦争に駆り出されたというのだ。もっとも、海軍所属の武装召喚師たちは後方に配され、出る幕などほとんどなかったとのことだが、その話を聞いてセツナはひとり胸を撫で下ろしたものだった。セツナは、最終戦争時、帝国軍の武装召喚師を手当たり次第殺している。そこに海軍の武装召喚師がひとりでも入っていれば、話がこじれた可能性もあるからだ。無論、帝国軍所属の将兵、武装召喚師を散々殺しているのだから、そんなことを言い出せばきりがないのだが、それはそれとしてだ。身近な人間の死は、影響力が強い。

 なぜ、海軍所属という立場の武装召喚師が存在するのかというと、話は簡単だ。

 この世界には、人間に害をなすものたちがいる。聖皇の魔性――皇魔だ。皇魔と一概に呼ばれているものの、その姿形、生息場所は千差万別であり、多くは陸地に生息するものの、水中で生活する皇魔もいれば、海に棲む皇魔もいるのだ。海上における皇魔対策が万全でなかった昔は船を出した直後、皇魔に襲われて沈没するという事例が跡を絶たなかったという。

 そういう話を知れば、アデルハインの大陸外周一周がどれほどの偉業なのかわかるだろう。当時は武装召喚術もなく、海に棲む皇魔から身を守るには、船の防御力、迎撃能力を高める以外には有効的な手段はなかったのだ。そんな時代に大陸外周一周を計画し、実行しただけでなく、成し遂げてしまったのだから、アデルハインなる皇帝が帝国のみならず、世界中で礼賛されるのもわからないではなかった。帝国と決して友好的ではない三大勢力のヴァシュタリアや聖王国でも、アデルハインだけは特別扱いを受けるくらいには信じられないできごとのようだ。

『魔動船の技術を持ってすれば大陸外周一周など、取るに足らぬことですが……だからといってアデルハイン帝の偉業が色褪せることはありません』

 リグフォードの言葉が思い返される。

 もっとも、と彼は付け足した。

『大陸が失われたいま、アデルハイン帝の偉業は過去の産物に成り果ててしまいましたが……』

 それでも、偉大な記録であることに違いはあるまい。セツナがそんな風なことを言うと、彼は目を細めて笑ったものだ。


 メリッサ・ノア号には、六百余名の陸海軍の将兵が乗り込んでいる。陸戦用の陸軍将兵が五百名、メリッサ・ノア号を動かすための船員としての海軍将兵が百余名、だ。その百名の内二十名が武装召喚師であり、これが魔動船においてもっとも肝要であるとリグフォードたちはいう。

 魔動船。

 魔力によって動く船という意味だそうだ。

 二十名の武装召喚師のうち、五名が船周辺の警戒と防衛に当たり、残り十五名中十名は非番、五名は別の任務に当たる。それが、この魔動船の心臓部である魔動炉での任務だというのだが、それがどういった内容なのかまでは明かされなかった。本来ならば部外者に過ぎないセツナたちには、魔動船の内情を説明する必要はなく、魔動炉なるものがあるということを教しえてもらえただけでも厚遇されていると考えるべきだった。

 甲板上で周囲の警戒に当たっている五名の武装召喚師の中には、セツナたちが乗船した時、魔動機を操作していた女性士官もいた。名は確かアイシャ=メディンといったはずだ。

 武装召喚師たちは、やはり白い軍服を着込んでおり、その上でそれぞれ思い思いの召喚武装を呼び出していた。甲板上各所に配置された彼らが、強化された感覚による周囲の警戒に当たっている以上、皇魔による襲撃も未然に防げるだろうし、船がなんらかの問題にぶち当たることもないだろう。実際、アデルハイン号率いる船隊がザイオン大陸からベノア島までの長旅を何の問題もなく突破できたのは、武装召喚師による索敵が上手く機能しているからだ。

 メリッサ・ノア号の北への船旅がここまでなんの問題もなかったのも、それだ。海に棲む皇魔に遭遇さえしなかったのは幸運というほかないそうだが、たとえ遭遇したとしても、さきにこちらが気づけばいくらでも対処できる。

 武装召喚師たちがしっかりと警戒していれば、メリッサ・ノア号に問題が起きるはずもない。

 セツナもレムも、そう信じて、揺れる甲板の上にいたのだ。

 故に、突如として船体が激しく揺れたときには、なにが起こったのかわからなかった。

「なんだ!?」

「あっ!?」

 船体が激しく揺れ動き、大きく傾いだ。すると、手摺に凭れるようにしていたレムの小さな体が空中に投げ出された。

「レムっ!」

 セツナは咄嗟に手を伸ばしたが、レムの華奢な手は彼の手に届かなず、水飛沫がふたりの視線の間を舞った。

 突如として巻き起こった津波が船体に叩きつけられていたのだ。


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