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第千八百五十四話 嵐ヶ丘(七)


「確かに、君のいうとおりだ」

 ウェインが蹲りながら、脾腹に手を触れた。既にスネークラインの切っ先は彼の肉体から離れている。鎧の隙間から血が流れていた。夥しい量の血液。普通ならば死ぬしかない状況だが、死者である彼になんの意味があるのかはわからない。勝敗がついたという以外には、演出にしかならないだろう。

 ここは地獄。亡者の国だ。

「戦いの最中勝ち誇ったものは、そのときには敗北している――それが道理だ」

「それがわかってて、なんで気を抜いた?」

「気を抜く? 違うな」

 ウェインがこちらを見て、苦笑した。

「そういうことではないよ。そういうことでは……」

「じゃあ、いったいなんだよ。なんなんだよ、あんたは……」

 セツナは、元の長さに戻ったスネークラインを足元に放り投げた。ウェインにはもはや戦意は見当たらなかった。脾腹の傷が致命傷になったわけではないだろうし、セツナがそうであったように戦おうと思えばいくらでも戦えるはずだが、彼の言動や表情にはそんな意志は見当たらなかった。決着がついたとでもいわんばかりの反応。

 静寂がある。

 無論、丘そのものは以前、嵐に包まれている。しかし、嵐の中にあって無風状態である丘の頂には、風の音は聞こえなかった。静けさだけが横たわり、彼の小さな声さえセツナの耳に届いた。

「端からさ。わかっていたことだ」

「なにが」

「アークブルーとスネークラインでは、勝負にならないってことさ」

「おい」

 セツナは、憮然とした。スネークラインとアークブルーを交互に見る。

「ん?」

「それ、酷くねえか」

「そうだな。酷いな。酷い勝負だ。本当に酷い……」

 ウェインは、馬鹿馬鹿しそうに笑うと、その場に寝転がった。痛みはもはや感じないのか、表情に苦痛さえ浮かべていない。

「最初から俺の勝ちが決まった戦いだった。どう足掻こうと、スネークラインではアークブルーに太刀打ちできない。こちらがどこかで隙を見せない限りは、君に勝ち目がない」

「だから、隙を見せたってのか?」

「いままでだって、見せてきただろう」

「えっ」

「気づいていなかったか」

 ウェインが当然のようにいってきた事実に、セツナは、返す言葉もなかった。何百時間と続けてきた戦いの最中、彼が常にどこかに隙を作っていたのだと知れば、沈黙せざるを得ない。つまりセツナは、先程に至るまでウェインの隙を見出せなかったということにほかならないのだ。

「最初からわかっていたことだからな。君に勝ちの目をあげないと、不公平だ。それでは意味がない」

「戦いに公平も不公平もないだろ」

 剣術の競技試合ならばまだしも、実戦にはそんなものはない。戦争に規定さえない世界だ。どんな方法、どんな戦術、どんな戦略を取ろうと勝手だ。ましてや死者の国たる地獄で命の遣り取りをするのであれば、なおさらだ。

「それをいったら、俺は、どうなる」

 黒き矛のセツナは、理不尽かつ圧倒的な力を持っていた。不公平という以外にはない存在だった。そのことは常に考えることではあった。ただの一振りで雑兵たちがあっというまに死んでいくのだ。黒き矛の力の大きさを直視せざるを得ず、直視すれば、考え込まざるをえない。

「……不公平の塊だな、君は」

 こちらを一瞥したウェインの目は、どうしようもないほどに透き通っていた。だから、セツナは見入られるようにして彼の目を見ていた。ナーレスの目を思い出した。死を目前に控えたものの目が、死者の目に似ているというのは皮肉なのか、なんなのか。

「君と黒き矛は、強力無比だ。君らを相手にすれば、どんなものであれ敗れざるを得ない。卑怯なほどに強力な召喚武装だ。君の矛は」

 彼は、右手を自分の目線の高さに掲げた。指先には血がついている。脾腹の傷跡を探った際についた血はまだ乾ききっておらず、生々しく光っていた。その手を握り、拳を作る。

「だからこそ、俺は君との再戦を望んだ。黒き矛を持つ君にこのアークブルーとスネークラインで挑み、打ち勝たんとした。そうすることで、あのときの記憶を払拭しようとした」

「記憶……」

「俺は……君を斃すことを考えるあまり、よく知りもしないものに頼ってしまった」

「ランスオブデザイア……か」

「そうだ。あの槍は、俺の召喚武装なんかじゃあない。俺の知らない召喚武装だった。そんなものに頼るなど、武装召喚師の風上にも置けない。あってはならない失態なんだ」

 彼は、悔いるように、いう。

 武装召喚師としての誇りや矜持が、あのときの暴走への後悔となって彼を責め立てているのが表情からもよくわかった。

「俺が君に敗れ、死ぬのは、そう考えれば当然だったんだ。当然だったんだよ」

「ウェイン……」

「でも、いや、だからこそ、俺は全力で黒き矛の君に挑みたかった。再戦し、たとえ食らいつくことさえできなくとも、完膚なきまでに敗れ、身の程を思い知りたかったのさ」

 そういってこちらを見るウェインの目は、どこか安らかだった。諦観がある。なにもかもを悟り、諦めきったようなまなざし。セツナはなんだか申し訳なくなった。黒き矛をここに持ってこられたなら、彼の望みを叶えることもできたというのに。

「そうか……それは、済まない」

「なにを謝ることがある」

 ウェインが、苦笑してくるが、セツナは笑い返さなかった。真面目に、告げる。

「黒き矛を折ってしまった」

「不可抗力だろう」

 と、彼はいう。彼は知らないからだ。そして、召喚武装が破損するようなことは、本来、不可抗力だということがわかる。セツナが黒き矛を折ったのは完全に自業自得だが、そんなことは通常、考えられないことなのだろう。だからこそ、余計に惨めだ。

「ううん。そうじゃないんだ」

「ん?」

「俺が馬鹿なことをした結果さ」

「……君も、か」

 ウェインの小さな声が耳朶に染み入るようだった。

 馬鹿なことをした結果、セツナは、矛を折り、ウェインは武装召喚師としての誇りに傷をつけた。まったく異なることであって、共感しうることではない。

「だが、謝ることじゃあない。死んで後、再戦しようなどと甘い考えだったというだけのことだ。死者の、亡者の願いが叶うことなどあってたまるものか。俺は死んだんだよ。あのとき、愚かにも見知らぬ力に頼り、惨めに死んだ。それが俺だ。再戦など許されるものか」

 ウェインは、唾棄するようにいって、上体を起こした。そのまま平然と立ち上がったところを見ると、脾腹の傷はもう塞がったらしい。さすがは死者というべきなのか、どうか。

「しかし、君とこうして再び戦うことができたのは、良かった」

 彼はおもむろにスネークラインを拾い上げると、送還してみせた。ただし、召喚武装本来の送還とは違い、光の粒子となって散ったりはせず、風の中に溶けて消えた。本物の召喚武装ではない、ということだ。カインの顆粒状と同じく、ウェインの記憶を元に再現された召喚武装というべき代物なのではないか。

 アークブルーも、おそらくはそうだ。

 アークブルーは、セツナが完膚なきまでに破壊したのだ。彼が送還していれば修復されたかもしれないが、そんな機会はなかった。彼は、アークブルーを身に纏ったまま、死んだ。

 ウェインがこちらに視線を戻す。まっすぐで透明なまなざし。

「君の成長を感じとれた。君は、強くなったな。あのときよりも何倍も」

「そうかな」

「ああ。胸を張っていい。君は強くなったんだ。少なくとも、素人同然だったあのころとは違う」

 ウェインの言葉にセツナは自信を持った。

 ログナー戦争当時、セツナはあらゆる面で素人に毛が生えた程度ですらなかった。戦士としての覚悟もなければ、武装召喚師としての腕前などあろうはずもなく、戦闘者としての技量も力量もない。ズブの素人とはまさにこのことで、よくもまあ生き延びることができたものだといわざるをえない。無論、それもこれも、黒き矛のおかげなのだということはいうまでもない。

「だからこそ、俺の隙を衝くことができたんだろう」

 確かに素人同然のころのセツナでは、隙だらけの彼にさえ攻撃できず、ただ地上に落下し、そのまま死んでいたかもしれない。もちろん、この地獄で死ぬことはないのだとしても、重傷を負っていたことは間違いない。

「さて。俺はそろそろ行こう。つぎに君が地獄に落ちてきたとき、今度こそ黒き矛の君と再戦するために」

「……そのときは、手加減しないからな」

「俺も……そう願うよ」

 ウェインがどこか嬉しそうにいって、笑った。そんな透き通った笑顔を見送るのは、少しばかりつらいとセツナは想う。だから、彼に背を向ける。目指すべき方角はどちらかわからないが、まずは彼と別れることを優先した。すると、

「そうだ。ひとつ、言い忘れていた」

 ウェインが思い出したように声をかけてきた。

「まだなにかあんのかよ」

 セツナは、半ば呆れながらウェインを振り返った。彼は、少し離れた位置に立っていた。

「エレニアのこと、ありがとう」

 予期せぬ言葉に胸が詰まる。

「あなたがエレニアとレインを生かしてくれたこと、心から感謝している。死者の願いがかなうなんて、あるべきことではないというのにな……本当にありがとう――」

 ウェインの感謝の言葉は、風に乗ってセツナの耳に届いた。

 風はウェインの姿を掻き消し、丘を覆っていた嵐も吹き飛ばす。

 まるでなにもかもが夢幻だったかのような出来事で、セツナは、彼が残した言葉を胸に抱いて、しばし茫然とした。

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