第千八百五十二話 嵐ヶ丘(五)
セツナは、スネークラインがウェインを雁字搦めにしたのを確認すると、ようやく安堵の息を吐いた。
使い方を習得する時間こそ与えられたものの、初めて扱う召喚武装での戦いは困難を極めるものだった。いくら使い方がわかったからといって、自由自在に能力を引き出せるものでもない。召喚武装だ。契約者、召喚者でなければ、その本来の持ち味を発揮できないのは当然のことで、セツナは、スネークラインを縦横無尽に走らせることに多大な労力を必要とした。黒き矛を操る以上に精神的な負担は大きかった。消耗は、少ない。だが、能力制御には慣れが必要であり、そのために必要以上に神経を使うこととなったのだ。
そのため、セツナは、ウェインを上空に追い詰め、拘束することができたことにほっとした。
最初から、ウェインを奇襲で倒せるなどとは想ってはいなかった。ウェインは必ず回避するだろう。そして、上空へ逃げるだろうという推測が当たったことから、つぎの手を打った。それがスネークラインの刀身による結界の構築。それもうまくいくかどうかの保証はなかった。なぜならウェインの地上への攻撃方法次第では、スネークラインを操りながら回避し続けることなどできないかもしれないからだ。ウェインの地上への攻撃手段が空気弾だけだったからいいもの、そうでなければこうも上手くはいかなかっただろう
「やるじゃないか」
上空から、白刃によって拘束されたウェインがどこか嬉しそうにいってきた。
「さすがは俺の宿敵だ」
「宿敵……か」
「そうだろう」
ウェインの一言一言に殺意が溢れていた。
「おまえは、俺の敵だ」
彼がそういった瞬間、セツナは、風を感じた。風は頬を撫で、鼻孔に死のにおいを満たす。そしてつぎの瞬間、セツナを立っている地面もろとも吹き飛ばした。一瞬、なにが起こったのかわからない。だが、直後には理解している。そして、理解したときにはなにもかもが遅すぎた。爆風に煽られるようにして吹き飛ばされながら、ウェインが白刃の拘束を脱し、急加速によってセツナへと殺到してくるのを目の当たりにする。群青の甲冑から吹き出す暴風が、彼を限界まで加速させていた。一瞬。ただの一瞬でウェインはセツナを捉え、彼の右腕がセツナの首の付根に埋め込まれた。衝撃と激痛。呼吸ができなくなった直後、セツナは背中から丘の上に叩きつけられ、さらに連続的な衝撃が彼の全身、あらゆる箇所を貫いていった。
凄まじい痛みの連鎖。爆発に次ぐ爆発の中で、セツナは苦悶の声を発したような気がする。それさえも不確かなのは、意識が消し飛びそうなほどの激痛があったからだったし、ウェインの殺意に満ちたまなざしが目の前にあったからだ。
「死ね」
叩きつけられる言葉も、力も、殺意そのものだ。
セツナは、そのときようやく、自分の立場を理解した。
ウェインにとってセツナは、殺すべき敵でしかないのだ。そのために彼は再戦を待ち望んだ。彼は、黒き矛を携えたセツナを殺したかったからこそ、この地獄で鍛錬を続けてきたのだ。黒き矛を手にしたセツナをも殺し切るほどに鍛え上げたと自負しているのだ。スネークラインでは、対抗しきれるわけもない。最初からわかりきった結果だったということだ。それでもなおセツナは食らいつこうとしたが、無駄だった。
だが、ウェインにしても、納得のいく戦闘結果ではなかったのだろう。
セツナは、殺されなかった。
全身に凄まじい痛みを負った状態で解放され、地面に放り投げられた。
セツナは、闇色の空をぼんやりと眺めながら、全身がばらばらになったような感覚の中で、血を吐いた。内臓がぼろぼろになっているのがわかる。内臓だけではない。全身の筋肉という筋肉、骨という骨が破壊されている。もはや立ち上がることさえかなわない。それどころか、呼吸さえも困難だった。このままでは死ぬだけではないか。
そんなことを考える。
死ぬ。
それも地獄でだ。
死んで地獄に堕ちるのではなく、地獄に堕ちて死ぬのだ。
順番が逆ではないかと思わないではないが、そういうのもありかもしれない。
(んな馬鹿な話があるかよ)
胸中、吐き捨てるが、動けない体ではどうしようもない。しかし。
「ここは地獄だ。死ぬような傷を負ったところで、なんということもないさ」
ウェインは事も無げにいってくると、こちらを見下ろして、冷ややかな言葉を投げつけてきた。
「飽きるまで、戦い続けよう。そして、俺に殺され続けてくれ」
彼は、本気でそう想っているようだった。
どれほどの時間、ウェインと交戦したのかわからなかった。
カインとの戦闘時間など可愛く想えるほどの長時間、セツナはウェインと戦い続けた。
無論、セツナはスネークラインを、ウェインはアークブルーを用いた。
戦う度にセツナはアークブルーに蹂躙され、全身ぼろぼろになるほどの重傷を負ったが、ウェインがいった通り、なんということもなく治った。時間を要することもあったものの、かすり傷程度ならば一休みするだけで回復した。
『ここは地獄。修羅の巷さ』
ウェインはそんな風にいって、セツナに戦い続けることを強要した。
いや、セツナとしても願ったり叶ったりだ。
彼は、戦うためにこの地獄に堕ちたのだ。戦い、自己を鍛え抜き、より強くなるために。もう二度と、敗北しないために。もう二度と、逃げ出さないために。
前に進むための力を取り戻すために。
ウェインの情け容赦のない戦いぶりは、むしろセツナにとって喜ぶべきものだった。カインにはどこか甘さがあったが、彼にはそんなものは一切なかった。清々しい決闘などでもない。ただひたすらに蹂躙され続けるような戦いばかりが続いた。一蹴されることもあれば、辛くも食らいついたこともある。だが、結果としては惨敗続きだった。
「強くなったんじゃなかったのか?」
ウェインが期待はずれといわんばかりに告げてきたのは、何百回目かの敗戦後のことだった。セツナは、ずたぼろになった体を休めていた。
「うるせえ」
「なにがうるさい」
「俺だってがっくり来てんだよ!」
セツナのその叫びは、本心だった。
ウェインとの戦いから数年が経過し、セツナは自分が強くなったと想っていた。実感もあれば、周囲のだれもがそう褒めそやした。実際、体格も大きく変わっている。ウェインと戦ったころに比べると、筋肉の付き方もまったく違う。ただの運動しかしらない子供と、本格的な鍛錬をするようになった大人の違いがあるのだ。それだけではない。戦い方の基礎や応用を学び、数多の実戦を経験した。セツナほど、数え切れない死線をくぐり抜けてきたものは、そうはいまい。
そういった経験が自分を強くしたものだと想っていたし、間違いではなかったはずだ。黒き矛がなければガンディア兵にさえ勝てなかった以前とは違い、いまならば騎士団騎士とやりあっても勝利をもぎ取れるくらいには強くなったのは事実なのだ。
だが、ウェインに敗れ続けていると、その認識も甘かったのだと想わざるを得ない。
結局は、黒き矛に頼り切っていたという事実を直視するしかない。
黒き矛ならば、いまのウェインも容易く打ち倒せるだろう。それこそ、苦にもなるまい。圧倒できる。だが、その考え方が愚かなのだ。黒き矛さえあればどうにでもなるという考え自体が、黒き矛への依存、甘えに繋がっている。いかに黒き矛の持つ圧倒的な力に頼り切っていたのか。
ほかの召喚武装を使えば、はっきりとわかる。
(武装召喚師としての実力がついた? んなわけあるかよ)
セツナは、内心、自嘲せざるを得ない。武装召喚師としての力量ではなく、黒き矛の使い手としての力がついただけだったということだ。
ウェインの視線が殊更に痛い。
「なるほど。図星だから、痛いのか」
「うるせーってんだ!」
「ふっ……」
「なにがおかしいんだよ」
「……昔の自分を見ているようでね」
ウェインは、肩を竦めた。
「俺も昔は弱かった。剣の腕もなく、騎士になど到底なれるものでもなかった。それでも俺は、テウロス家の人間として、嫡子として、騎士にならなければならなかった。でなければ生まれた意味がない。でなければ、存在する価値がない。やっとの想いで、死に物狂いで手に入れたのが、この力だ」
そういって彼が指し示したのは、アークブルーだ。碧く輝く甲冑は、以前にも増して強力無比になっていた。おそらく、この地獄での鍛錬がアークブルーのさらなる力を引き出させたのだろう。スネークライン程度では、太刀打ちできない。
「君はどうだ。セツナ=カミヤ。君は、死に物狂いになったことはあるか?」
セツナの脳裏に、かつて見たウェインの記憶が過ぎった。何度となく祖父に打ちのめされ、それでも諦めなかった少年の記憶。
「君は、自分の存在価値について、考えたことはあるか? なんのために生き、なんのために死ぬのか、真剣に考えたことは、あるか?」
ウェインの問いかけに対し、セツナは、即座に応えた。
「いまが、それだよ」
「ふむ……?」
「いま、ここにいるのが、あんたのいう死に物狂いなんだよ!」
叫び、自身で納得する。死に物狂い。そうだ。死に物狂いだったはずだ。この地獄に堕ちたのは、死に物狂いに力を欲した結果だったはずだ。力が湧き上がる。こんなところで立ち止まっている場合ではない。足踏みしていて言い訳がない。何十時間、何百時間も殺され続けるような状況にあるべきではない。
立ち向かわなければならない。
ウェインが、納得したような顔をした。
「なるほど。理解したよ。君は、地獄に堕ちてでも力を手に入れなければならない事情ができた、ということなんだな。黒き矛が折れたのもそれに関連するのだな。なるほど、そういうことか。そういうことならば、話は早い」
ウェインの周囲で大気がざわめき始めた。
「さあ、勝負を続けよう。君が力を欲するならば、自分の全存在を賭けてでも先に進もうというのならば、その剣で俺を斃すべきだ。力の差は歴然。埋めがたいものがある。だが、それでも君は前に進まなければならないのだろう。死に物狂いなのだろう。ならば立てるはずだ。戦えるはずだ」
大気のざわめきは次第に大きく、激しくなっていく。
「来い。セツナ。セツナ=カミヤ」
嵐が起こる。
「おまえの全存在を賭けて、俺を斃してみせろ」
丘全体が嵐に包まれる中、セツナは立ち上がった。