第千八百五十一話 嵐ヶ丘(四)
「期待はずれにも程があるだろう」
「うるせえ」
セツナは、痛む体を強引に跳ね起こすと、いつの間にか地上に降り立っていたウェインに叫び返した。
どれほどの時間、昏倒していたのかわからない。
とにかく巨大な竜巻を避けきれず、直撃を受けたのは覚えている。天を覆い尽くさんばかりの竜巻だったのだ。避けきれるわけもない。それで凄まじい痛みの中で気を失ったのだ。死ななかったどころか傷ひとつないのはどういう理屈なのかは不明だ。ウェインの特大竜巻には、五体がばらばらになるほどの威力があったはずだ。少なくとも、丘には大穴が開いている。セツナの体とスネークラインだけが無事だった。
「こちとら弱っちい召喚武装で対抗してんだ、手加減しろっつの」
「実戦でどんな敵が手加減してくれるというのだ」
彼は、セツナの言い分に呆れ果てるような顔をした。
「……ああ、そういえば、君がいた」
「……う」
「君は、俺に手加減をしたな」
ログナー領内におけるウェインとの戦闘後のことだ。確かにセツナは、殺せたはずのウェインを見逃している。彼は、こちらを見て、肩を竦めた。
「まったく、馬鹿なことをしたものだ。あのとき、君が俺を殺していれば、ガンディアの兵士たちは無駄に死ぬことはなかった」
「ああ。そうだよ。その通りだ」
返す言葉がない。
ウェインを見逃した結果、ガンディア軍に多大な被害をもたらしたという事実があるのだ。生き残ったウェインのために千人以上の兵士たちが命を落としている。それは、セツナがウェインを殺していれば防げた被害だった。そのことでレオンガンドやガンディア将兵がセツナを責めることはなかったが、セツナの胸の内には常にそのことへの悔恨があった。そして、それからというもの、セツナは敵に容赦しなくなった。完全に戦意喪失した敵以外には、一切の情け容赦なく、矛を振るうようになったのだ。
敵は、斃さなければならない。
生かせば、後の禍根となる。
ウェインとの戦闘は、セツナにとって良い教訓となった。そのために死んでいったものたちはもう二度と戻っては来ないし、経験などといって喜んでいいものではない。戒めだ。もう二度と同じことはしないという戒め。あれ以来、セツナがウェインのように敵を見逃したことはない。その結果、殺さずに済んだものまで殺してきたかもしれないが、味方の被害が増えるようなことはなかったはずだ。
そういう意味では、セツナはウェインとの出会いに感謝してもいた。ウェインがあのとき情け容赦なくセツナの甘さを衝いてくれたからこそ、セツナはそれ以降、同じ過ちを犯さずに済んだのだ。成長できたのだ。あれからというもの、セツナは変わった。変われたはずだ。敵に対して一切の情けをかけなくなったはずだ。
その果てに得られたものがなにもなかったとしても、決して無駄ではなかった。無駄なことなどなにひとつなかった。彼は柄を握りしめた。スネークライン。扱い方は、もう理解しきっている。ただ、この召喚武装の能力では、アークブルーに打ち勝つのは至難の技だ。通常武器に比べれば遥かに強いのは明白だが、アークブルーの能力を見せつけられたいまとなっては、覆しようのない圧倒的な力の差を意識せずにはいられない。
それでも、セツナは、諦めるつもりもなかった。無手ではないのだ。少なくとも、ウェインはカインよりも優しい。埋めようのない差、ではない。どうにか食らいつけるくらいのものだ。セツナは、その場に座り込んだまま、ウェインの視界に入っていないスネークラインの切っ先を地面に突き刺した。そのまま、念じる。
「だが、もうあの頃の俺じゃあないんだよ」
「そうあってくれることを願う」
「願われずとも!」
セツナの意思に応じて、スネークラインの刀身は際限なく伸長し、自由な軌道を描く。それだけでも十二分に強力な武器といえる。アークブルーのような長射程広範囲攻撃が可能な召喚武装に比べるとどうしても見劣りするが、使い方次第では、敵の不意をつき、気づかぬうちに殺すということも不可能ではない。
たとえば、いま、セツナがそうしているように、スネークラインの刀身を地中に進ませ、対象の真下の足元から突出させることで、敵の意識外から奇襲攻撃をしかけることも可能だ。もっとも、
「不意打ちなら、殺気を隠すべきだ」
セツナがウェインの隙を衝こうと繰り出した地中からの一撃は、彼が軽々と空中に飛び上がったことで空を切り、失敗に終わったが。そのまま、セツナはスネークラインの刀身にウェインを追撃させる。ウェインは、地獄の空を自在に飛び回りながら、スネークラインを回避しつつ、地上に向かって攻撃してくる。
「もっとひねるべきだな。それでは、俺には届かない」
「これなら!」
「無駄だ。遠い。遠すぎる!」
「あんたのも、遠いってんだ!」
セツナは負けじと叫び返しながら、つぎつぎと降ってくる空気弾を飛んでかわした。濃密に圧縮された空気の塊は、骨だらけの丘の上に直撃すると、大きな爆砕を引き起こし、骨の破片を撒き散らしていく。直撃すれば全身ばらばらに砕け散るだろう。それだけの威力の攻撃をまるで雨のように降らせるウェインに対し、セツナのスネークラインは届きもしない。だが、それでもセツナは諦めない。上空を縦横無尽に飛翔するウェインを睨みながら、スネークラインを操り、追い続ける。つぎつぎと起こる爆砕が、嵐の丘を徹底的に破壊していくが、それも黙殺する。爆風に煽られ、こけかけても、なんとか堪え、飛び続ける。飛散する骨と降り注ぐ空気弾を回避しながら、スネークラインを操り続けるのだ。
スネークラインの刀身は、まるで限界がないかのように伸び続け、セツナの頭上に白刃による複雑怪奇な図形を描き出している。無論、彼の意図したものではない。まったく意味のない図形は、単純に白刃の追跡軌道であり、ウェインの回避軌道に過ぎない。水平四方だけでなく、垂直の四方にも刻まれる軌跡は、空中に白刃の結界を構築しているかの如くだった。
すると、ウェインの回避行動が最初のように自由自在なものではなくなっていることに気づく。空を埋め尽くすかの如き白刃の結界がウェインの飛行を制限しているのだ。スネークラインは、召喚武装なのだ。高速移動中に触れれば、いかにアークブルーに包まれていようと痛撃を喰らわざるをえない。白刃に激突しないためにも、ウェインは飛行速度や軌道に気をつけなければならなくなっていく。しかも、セツナへの攻撃を考えれば、丘の上を離れるわけにはいかないし、先程のような大規模な攻撃を行うこともできない。力を集めている間にスネークラインに貫かれかねないからだ。
ウェインが舌打ちするのがわかり、セツナはにやりとした。空気弾による攻撃頻度も落ちている。
セツナもセツナで、スネークラインの刀身同士が激突しないよう、細心の注意を払わなければならなかったが、刀身は分厚くもなければ幅が広いわけでもないため、ウェインほどの注意は不要だった。それもあり、彼はスネークラインで積極的に攻め立てた。ウェインを追うのではなく、追い詰めるように軌道を描く。ウェインは、セツナの企みに気づいているのだろうが、白刃の結界が邪魔をして自由に飛び回ることもできず、スネークラインに追われるままに回避行動を続ける。その結果、ウェインは白刃の結界の中心へと追い込まれた。
そうなるともはや空気弾によるセツナへの攻撃も諦めざるを得なくなったのだろう。彼は、観念したかのように空中で静止し、飛来してきたスネークラインを紙一重でかわした。手が刀身を掴む。だが、そんなウェインの行動を無視するように剣は伸び続ける。無制限に伸び続け、無軌道に動き続けるスネークラインの白刃は、やがてウェインの体に絡みつくと、彼を雁字搦めにした。
セツナの目論見は、見事に成功したのだ。