第千八百五十話 嵐ヶ丘(三)
スネークラインは、召喚武装としては平均的な力を有した剣だった。
特別強力な能力を持っているわけでもなければ、絶大な破壊力を秘めているわけでもない。使用者の身体能力、五感を強化する副作用があり、それによって引き上げられる幅もそこまで大きくはなかった。かといって決して弱いわけではないのは、その能力からも明らかだ。
刀身を自在に伸縮させるだけでなく、自由に曲げることができた。
使用者の望むままにどこまでも伸びる剣など、強力以外のなにものでもあるまい。攻撃対象の射程外から攻撃することはおろか、複数の対象を同時に切りつけることも可能だ。さらに刀身を自在に曲げることができるということは、複雑な軌道を描いて味方を無視し、敵だけを攻撃するといった使い方もできるに違いない。強力な召喚武装ほど味方を巻き込みかねないことを考えると、味方を巻き込まないように使えるということはそれだけで強みになる。
セツナは、エスク=ソーマが愛用した召喚武装ソードケインを思い出さずにはいられなかった。あれは、剣というよりは短杖型の召喚武装だが、短杖の先端から伸びる光の刃がその能力だった。ソードケインの光の刃は、刀身の長さだけでなく、形状や横幅、厚みまでも自由自在に操ることができるということであり、スネークラインよりも使い勝手がいいだろう。ただし、その分扱い方を極めるのは、スネークライン以上に困難であり、セツナがあっさりとスネークラインの使い方を掴めたのは、その単純な性能のおかげだった。ソードケインならば、そうはいくまい。
あっさり、とはいうものの、セツナがスネークラインを手にしてから優に数十時間は経過していた。
その間、ウェインはアークブルーを身に着けたまま髑髏の丘に座り込み、瞑想していた。セツナにスネークラインの使い方を伝授してくれることもなかった。そこらへんが不親切だと文句を垂れると、彼は敵に助け舟を出すバカがどこに居るのかと鼻で笑った。
時間だけはたっぷりとあった。
急ぐ必要はない。
焦る必要もない。
スネークラインは、黒き矛とは無縁の召喚武装だ。しかし、その扱い方を極めるのは、決して無駄にはならないだろう。召喚武装の能力を使うということは、精神力を消耗するということであり、精神を鍛えていくのと同じことなのだ。つまり、どんな召喚武装でも使えば使うだけ、少しずつではあるが自身の精神力を鍛えているということになる。
セツナのこれまでの戦いも、一切無駄にはなっていない。
黒き矛を使い、精神を酷使し続けてきたことは、いまになって力になっていることがわかる。
スネークラインの力に振り回されないということは、それだけ精神力が鍛えられているという証明なのだ。もちろん、スネークライン程度の召喚武装に振り回されるようであれば、黒き矛など扱えるわけもないのだが。
ともかく、セツナは修行の一貫としてスネークラインの習熟に時間を割いた。
どんな修行も、決して無駄にはならない。
「よし」
セツナは、スネークラインの刀身で虚空に文字を描き出し、ようやく納得のいく練度になったことを認めた。
そのころには、ウェインも瞑想を終えていた。彼の青い目がこちらをじっと見据えている。鋭く、烈しい視線。見つめ返すのも勇気が必要なのではないかと思うほどに強い意志があった。
「地獄はいいものだ。飲まず食わずのまま、何十時間、何百時間を耐えぬける。果てのない修行にはうってつけの場所だ」
「だから、なんだろう」
「ん?」
「俺が地獄に落とされたのはさ」
セツナは、ここに至ってようやくアズマリアが彼を地獄に落としたがっていた理由に思い至った。確かに地獄はウェインのいう通り、修行に最適の場所だった。疲労もなければ、様々な欲求に苛まれることもないのだ。何十時間、何百時間――いや、何千時間でも修行に明け暮れることができるだろう。現世ならばありえないことだ。どれだけ鍛え上げた人間でも眠らずにはいられないし、飲まず食わずで生きていけるわけもない。そんなことをすれば、修行の最中に死ぬことになる。だが、死者の居場所である地獄ではそんなことを心配する必要はなかった。
だからこそ、アズマリアはセツナを早々に地獄に送りたがったのだ。地獄に落ちれば、いくらでも自身を鍛え続けることができる。もしセツナが召喚されて早々に地獄で修行を積んでいれば、様々な状況が変わったのは間違いない。セツナが苦戦することはなく、勝利だけを積み重ねるようなことになったかもしれない。
もっとも、その場合はガンディアのセツナではいられなかっただろうが。
地獄での修行の間にガンディアがログナーとザルワーンか、あるいはクルセルクによって滅ぼされていた可能性が高い。
「ふざけた話だな」
「そうかい」
「それはそうだろう。地獄は、死んだものの行き着く先だ。最果て。魂の終焉の地。だのに君は、修行のためにここに堕ちてきたという。まったく、ふざけている」
「……ああ、そうだな」
認める。
確かに、ウェインのような死者、亡者からすれば堪ったものではないだろう。馬鹿げた話というほかない。ここは地獄。死者の居場所なのだ。そこに生きたまま紛れ込むなど、あるべきことではない。あってはならないことであり、ありえないことだ。その上、目的を果たした後、還ろうというのだ。死者からすれば、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。ウェインが憤るのも無理はなかった。
「君は、その修業を終えればまた現世に戻るのだろう。この昏い“あの世”から、あの輝かしい“この世”へ」
「ああ」
「地獄の亡者どもがそんな話を聞けば、黙ってはいないだろうな」
「はっ。だったらなんだってんだ」
セツナは、スネークラインの柄を握りしめ、ウェインを見据えた。
「俺はだれにどう想われようが、もう一度強くならなきゃならねえんだよ。だから、恥を忍んで堕ちてきた。だから、あんたとも戦う。それでいいだろ」
「ああ、それでいい。それが、いい。よくぞいってくれた。そうだ。俺は、君と戦うただそのためだけに今日の今日まで鍛え続けてきたのだ」
ウェインが無手のまま、構えた。彼の武器は、その全身に纏う群青の鎧だ。アークブルー。大気を操る召喚武装。その上でスネークラインを召喚したのは、黒き矛のセツナと戦うためにほかならない。黒き矛が召喚できないとなれば、さらなる召喚武装は不要だと彼は判断したのだ。それでも彼の優位は揺るがない。
こちらの武器は、彼の召喚武装スネークラインなのだ。その能力、特性は、ウェインのほうがよく知っていることだろう。
「たとえそれが仮初の一瞬であっても、構いはすまい。君が生きていようと死んでいようと関係のないことだ。君との再戦。それだけが俺の望み」
「なら、ぐだぐだいってないで、始めようじゃねえか」
「ああ」
ウェインはうなずくと、にやりとした。
「では、こちらから行くぞ」
ウェインが、地を蹴った。血塗られた頭蓋骨で埋め尽くされた丘の上、彼の体は一瞬にして最高速度に到達する。セツナの視界から消失したかと想うと、凄まじい突風が彼の頭頂部を掠めた。暴風がその後を追うように吹き抜け、セツナを嬲った。振り仰ぐ。アークブルーの群青が闇の空に輝いて見えた。剣を振り上げながら、念じる。刀身が急激に伸長し、虚空を切り払いながら上空のウェインへと殺到していく。が、ウェインの攻撃のほうが格段に早い。彼は、上空から下方のセツナに向かって両腕を振り下ろしていた。
大気が咆哮を上げていた。世界が軋むほどの重圧に、セツナは唖然としながら真上を見上げた。
まるで、空が降ってくるかのような光景が眼前にあった。
巨大な竜巻が丘の頂目掛けて降ってきたのだ。