第千八百四十九話 嵐ヶ丘(二)
ウェイン・ベルセイン=テウロス。
ログナーの騎士である彼は、とりわけ優秀な武装召喚師だった。
青騎士の由来となった群青の甲冑アークブルーを戦場では常に身につけているだけでなく、赤騎士グラード=クライドのためにディープクリムゾンなる鎧を召喚し、維持していた。その上で攻撃用の召喚武装までも追加で召喚していたという事実がある。つまり、三つの召喚武装を同時併用していたということであり、その事実は、彼の実力が凄まじいものであるということを示している。
普通、武装召喚師は召喚武装を二つ以上同時併用したりはしない。それは召喚者にかかる負担が大きすぎるからであり、維持するだけでもとんでもなく大変だからだ。だから、どれだけ強力だからといって複数の召喚武装を呼び出すような真似はしないのだ。
とてつもなく強力だからといって無数の召喚武装を呼び出した結果、制御しきれず逆流現象を起こしてしまえばそれまでだ。
そのため、制御できる強力な召喚武装をひとつ呼び出せればそれで十分だという教えが、武装召喚師の中にはあるのだ。
つまり、複数の召喚武装を同時に呼び出しながらそれらを完全に制御できていた彼は、並の武装召喚師ではなかったということになる。それこそ、リョハンの武装召喚師たちにも匹敵するのではないかと想えるほどだ。
もっとも、彼と戦った当時は、そんなことまったく想像もしなかった。ただ倒すべき敵として認識し、戦ったのだ。
エレニアから、彼を奪ったのもそのときのことだ。
「あれから二年以上経ってんだ。成長しなきゃ、嘘だろ」
「まったくだ」
彼が苦笑混じりに肯定してきた。
ウェインは、アークブルーを身に纏っていた。全体的に流線型の青い甲冑。大気を操り、突風を起こすことも、大気を圧縮した防壁を作り出すことも可能な強力な召喚武装。おそらく、この丘を覆う暴風も彼が鎧の力で引き起こしているに違いない。だとすれば、以前にも増して強力になっているというほかないのだが、彼がこの地獄で鍛え上げたのだとすれば、納得も行く。
無論、彼が本当に死んだウェインの成れの果てであり、死後も鍛え続けることができるのだとしたら、という前提だが。
「だが、だったらどうして君がここにいる」
ウェインのまなざしは、射抜くように鋭い。
セツナも負けじと見つめ返すが、彼を睨みつける気にはなれなかった。彼は、カインとは違う。ガンディアとログナーという敵国同士だから戦うことになったのであり、恨みはなかった。憎んではいなかった。斃さなければならないから斃したのだ。それがセツナなりのけじめをつけることにもなっていた。
戦いが終わり、彼が死んで、セツナの中でウェインへのわだかまり消えて失せた。しかし、それもまた一方的なものだろう。
「ここは地獄。死者の行き着く果てだ。君は、なぜ死んだ。だれが君を殺した。あのときの俺を殺せるだけの力を持った君を殺せるものがいたというのか?」
「いや……そういうわけじゃないんだ」
「だとしたら、なおさら不可解だな。死んですらいないものが地獄を彷徨うなどありえないことだ」
ウェインは吐き捨てるようにいうと、右手を掲げた。
セツナは咄嗟に身構えたものの、武器も防具も持たない自分になにができるのかと考えたりもした。カインとは、違う。彼は、カインのように遊んではくれないだろうという確信がある。きっと、おそらく、彼が戦うとなれば、最初から本気で挑んでくるはずだ。そうなると、いくら修練の末、あのときよりも遥かに強くなったとはいえ、ただの人間のセツナにはどうしようもなくなる。
武装召喚師と常人の戦いなど、結果は見えている。
「だが、君が眼の前にいるのは否定しようのない事実だ」
「ああ」
「ならば、再戦といこうじゃないか」
ウェインの右手の先に大気が集まり、渦を巻いた。小さな竜巻が形成されたかと思うと、その中から一振りの剣が出現する。ウェインの手が剣の柄を握り締めた。見たことのある剣だった。名は知らないが、ウェインがレオンガンドを殺すために振るった召喚武装だったはずだ。セツナが黒き矛で破壊した――。
「あの日、俺は君に勝てなかった。ランスオブデザイアに身も心も捧げてなお、君に及ばなかった。だが、今度はそうはいかない。今度こそ、俺が勝つ」
彼は、剣を構えると、そう息巻いた。
「さあ、セツナ。召喚しろ。君は術式が不要だったはずだ。術式もなしに武装召喚術を行使する異能者。それが君だ。俺を斃した君だ。違うか?」
「違わねえよ」
セツナは彼の言葉を否定しなかったものの、即座に首を振った。彼の期待に応えられないことは、少しばかり残念だったが、致し方がない。
「でも、無理だな。あんたの望みは叶えられない」
「なぜだ?」
「黒き矛が召喚できないんだ。折れちまったからな」
「黒き矛が折れただと? にわかには信じがたいが……なるほど、そういうこともありうるか。召喚武装は召喚武装だ。いくら黒き矛が強力無比とはいえ、絶対不壊ではないか」
「そういうこと」
セツナが彼の言葉を肯定すると、ウェインは、しばらく沈黙した。なにか考え事をするような表情をした後、口を開く。逆巻く暴風の渦の中、対峙するふたりのいる空間は平穏そのものだ。
「だが、だからといって君をこのまま返すわけにはいかないな。俺は、この地獄で君との再戦を待ち望んでいた。いずれ君が地獄に堕ちてくるのは明白だったからな。再戦の日のために、このときのためだけに鍛え続けてきた。君を倒すためだけに」
ウェインの台詞に合わせて、丘を覆う暴風がその勢いを増した。大地が震撼するほどの風の勢いは、まさに天変地異そのものであり、それほどの風を操れるようになったのはこの地獄での修練の賜物だと彼は暗にいっているようだった。あのとき、何年も前に戦ったときと比べるまでもない。どれだけの修練を積んだのか、想像に難くなかった。そんな彼の望みを叶えてあげられないのは、少しばかり心苦しい。
彼は、黒き矛の遣い手であるセツナとの再戦を望んでいたはずだ。黒き矛の圧倒的な力に対抗するためにみずからを鍛え上げ、アークブルーの力をさらに引き出せるようになったのだ。それなのに目の前に現れたセツナは肝心の黒き矛を召喚できないという。彼からしてみれば失望どころの話ではないだろう。が、ウェインの目は、落胆してなどいなかった。
「しかし、武器も持たないものを圧倒したところでなんの意味もないのもまた、事実。自慢話にもならない。勝てて当然の話だ。そうだろう?」
「……ああ」
「君が黒き矛を召喚できないというのであれば、致し方がない――」
そういうと、ウェインは手にしていた剣を投げつけてきた。緩やかな曲線を描いて飛来した剣は、セツナの足元の髑髏に突き刺さる。彼は、告げてくる。
「それが、君の武器だ。スネークライン。伸縮自在の剣だ。黒き矛に比べれば頼りないだろうが、俺が用意できる中ではアークブルーに次ぐ代物だ」
「これで、戦えって?」
セツナは、即座にその場にかがみ込むと、髑髏に突き刺さった剣の柄に触れた。握りしめ、引き抜く。その動作の最中、セツナの五感が冴え渡る感覚に包まれた。召喚武装を手にすることによる副作用そのものだ。ウェインは、スネークラインを召喚したわけではないのだが、いったいどういうことなのか。この地獄では、術式を必要としないのか。
それとも。
(この戦いそのものが幻覚なんじゃあないだろうな)
カインとの戦闘も、どこか幻覚めいていた。いや、幻覚というのは正しくないだろう。実感はあったし、記憶にも残っている。しっかりとした感触があり、現実味を帯びてはいる。ただ、どこか本当の出来事ではない空疎さがあった。
「スネークラインとアークブルーでは、どう考えても俺が有利だが……」
ウェインは、スネークラインの感触を確かめるセツナの考えを理解したように目を細めた。
「あのときは、君のほうが召喚武装の能力で上回っていたのだ。別に構うまい?」
「……そうだな」
無論、黒き矛と拮抗したランスオブデザイアのことをいっているのではない。
黒き矛対アークブルーでは、黒き矛のほうが圧倒的に有利だったことをいっているのだ。アークブルーは強力な召喚武装であり、ウェインもとてつもなく優れた武装召喚師だったが、召喚武装の能力としては黒き矛のほうが遥かに上回っていた。比べるべくもないほどにだ。アークブルーを用いて敗れたからこそ、彼はランスオブデザイアの召喚に走った。ランスオブデザイアがなぜ彼の呼び声に応えたのかはいまでもよくわからないが、おそらくは、黒き矛の力を手に入れるためだろう。
眷属はいずれも、主たる黒き矛を下し、その力を掌握しようと企んでいたようだった。その企みも潰えたいまでは、いずれの眷属も黒き矛の支配下に収まり、セツナの召喚に応じるようになっていた。もっとも、黒き矛が折れ、召喚が不能となったいまは、エッジオブサーストはおろか、すべての眷属が召喚できなくなっていたが。
もし眷属が召喚できるのであれば、それで戦えばいいだけのことだ。
「ただ、このままいきなり戦うのは不公平にも程がある。君がスネークラインを使いこなせるようになるまで待とう」
「余裕だな、あんた」
「ようやく再戦の機会が訪れたのだ。そのためにさらに多少の時間を費やすくらい、なんてことはないさ」
「……それだけ、俺との再戦を待ち望んだってことか」
「当たり前だろう」
ウェインが冷ややかに告げてくる。
「君は、俺の未来を奪った唯一の敵だ」
彼はそんな風にいって、セツナを睨み据えた。