第千八百四十六話 風は止まらない
新生《蒼き風》を構成していたのは、最終戦争を生き延びた《蒼き風》の団員だけではない。
同じ傭兵集団《紅き羽》と、ガンディア軍ガンディア方面軍の生き残りが集い、およそ五百名に及ぶ戦闘集団が形成されていた。
シグルドが彼ら生存者を取りまとめたわけではなかった。
彼らが勝手にシグルドの元に集まったというのが実情であり、シグルドはむしろ、そんな風にして自分の支配下に入ろうとするガンディア正規兵たちを不思議に想ったものだった。しかし、彼らの話を聞けば、そういうものかと受け取れもした。
《紅き羽》団員たちが《蒼き風》に合流するのは、わからないことではない。同じ傭兵集団だ。何度となく戦場でぶつかり、また、協力しあった間柄だ。互いに知り尽くしていたし、なにより、《紅き羽》の団長ベネディクトは、《蒼き風》の突撃隊長ルクス=ヴェインと結婚し、ゆくゆくは《紅き羽》を《蒼き風》と合流させようと考えている節があった。そのことは団員たちも了承済みのことであったらしく、エンジュールに到着したすぐ後、《紅き羽》幹部より生存者の《蒼き風》への受け入れ要請があった。シグルドはベネディクトの思いを汲み取り、彼らを受け入れることとした。
ルクスの妻としての幸福を噛み締めていた彼女が《蒼き風》の団員となることを望んだのは、わからなくはないことだった。ベネディクトは、昔からルクスのことを愛していた。歳が離れていることを気にしていたことを思い出す。ルクスが年齢など気にしないどころか、むしろ年上好きだということがわかると積極的になったのは懐かしい話だ。
ルクスは、そんなベネディクトを悪からず想っていたのだろう。だから彼女に結婚を申し込んだ。最終戦争の真っ只中。ふたりの結婚生活は短かったが、ふたりとも満ち足りた日々を送っていたはずだ。少なくとも、シグルドが妬けるくらいには幸福を満喫していた。そんなふたりの未来を奪うしかなかったことには、後悔しかない。
《紅き羽》の残党を受け入れた段階では、《蒼き風》は四十人未満の少人数に過ぎない。
そこにガンディア方面軍の生存者四百名超が、《蒼き風》に入ることを希望してきた。
シグルドは、最初、彼らがなぜ《蒼き風》への入団を希望しているのか、まったくわからなかった。彼らはガンディアの正規兵だ。ガンディアという国が最終戦争から続く“大破壊”で失われたかもしれないとはいえ、当てのない傭兵崩れに身を窶すなど落魄にもほどがあるだろう。
だが、彼ら生き残りには、生き延びることができたのは奇跡だと考えており、それもこれもルクス=ヴェインのおかげであるという認識があったのだ。
それは、事実だ。
シグルドも、ジン=クレールも、ほかの団員たち、ガンディア正規兵に至るまで、あの地獄のような戦いの中を生き残ることができたのは、ルクスが命を賭して、シグルドたちを護ってくれたおかげにほかならない。それ以外にはない。それだけがシグルドたちが生を享受できている理由なのだ。
そのことを彼らはルクスに感謝している、というのだ。
ガンディアの軍団長であったケイト=エリグリッサ、ミルヴィ=エクリッドまでもが、そういった。
『ルクス殿への恩返しをせねば、死した後、ルクス殿に合わせる顔がありませんからな』
『ケイト殿のいう通りです。わたしも、《蒼き風》に入ることで、ルクス殿への恩返しとさせていただきたい』
ふたりの軍団長の考えに軍団員たちも非を唱えなかった。
シグルドも、そこまでいうなら、と彼らを《蒼き風》に受け入れた。
それが二年近く前のことだ。
それから二年余り、シグルドは《蒼き風》を動かすことなく、エンジュールに籠もっていた。そのことを団員たちは歯がゆく想っていただろうが、シグルド自身にもどうすることもできないことだった。
踏ん切りがつかなかった。
エンジュールの協力要請に応じれば、再び戦場に赴くことになる。
戦うことそのものは、恐ろしくもなんともない。これまで、幾度となく死線をくぐり抜けてきた。それこそ、最終戦争に匹敵するような泥沼の戦いを経験したことだってある。生きているのが不思議なほどの激戦も記憶に刻んでいる。それでも生き抜いてきたという自信は、いまもなお、シグルドの魂を奮い立たせている。しかし。
「俺ァ、怖かったんだろうよ」
「シグルド」
「それが俺の本音なんだよ」
シグルドは、ジン=クレールだけに聞こえる声でいった。追悼式典が終わった後も、マイラムの共同墓地には喪服のひとびとで溢れている。慰霊碑を前においおいと泣くもの、黙祷するもの、祈りを捧げるもの――様々な形で死者との別れを感じている。
大きな慰霊碑だ。そこには、反攻作戦で死んでいったものたちの名が刻まれている。無論、新生《蒼き風》の団員たちの名も多い。二百名以上が死んだ。それもそのほとんどは、為す術もなく船から落下したために命を落としており、彼らの無念を考えると、身が竦むようだった。
「怖かったんだ」
戦場に出れば、また、だれかを失うことになる。
こればかりは、避けられない。
常勝の軍団であろうと、戦いとなれば死傷者を出さずにはいられない。無敵の軍勢など、通常、ありえないことだ。どんな戦場でも自軍に犠牲を出さずに済むなど、あの《白き盾》くらいのものだ。
それは、わかりきっていたことだ。
傭兵となってから今日に至るまで、数多の戦場を駆け抜けてきた。自軍に、《蒼き風》に死傷者の出なかった戦いなど、ほとんどない。数えるほどだろう。多くの団員の死を看取ってきた。最初は取り乱したものだが、数をこなすうちに慣れていった。死んだ奴は弱かったのだ。そういって、無理やり納得させる必要もなくなるほどに、慣れきっていた。
それが突如として彼の意識を席巻したのは、ルクスを失ったからだ。
ルクスは、彼にとって大切な家族だった。弟であり、息子であり、半身といっても差し支えのない存在だった。死ぬなら同じ戦場で。そう想える間柄というのは、そう簡単にできるものではない。シグルドにとってはジンとルクスのみが、そういう相手だった。だからこそ、最後の戦いも恐れることなく前に進むことができたのだ。
それなのに、ルクスは一方的にシグルドを護るために命を燃やした。
シグルドは、彼を止めることができなかった。
心に大きな穴が空いた。
「だから、エンジュールの要請も断り続けてきた」
「それが、どうしてまた?」
「わかりきったことを聞くなっての」
シグルドは、鼻を掻いて、ジンから視線を外した。そのまま、慰霊碑に背を向ける。団員たちとの別れは済ませたし、エンジュールからマイラムはそれほど遠くはない。いつでも挨拶に訪れることくらいはできる。
「ルクスに笑われるから、ですね」
「……ああ」
静かに肯定する。
腰に帯びた鞘には、グレイブストーンが収まっている。女神の強烈な攻撃にも決して折れなかった魔剣。刀身が折れているのは、ルクスが能力を開放したがために違いなかった。シグルドたちを護るために開放された能力。
「ルクスは、あんな俺を望んで生かしたわけじゃねえよな。俺には、俺らしく生きてほしいから、《蒼き風》の団長として駆け抜けてほしいから、俺を生かしたんだよな」
「……ええ、きっと」
「だったら、やるしかねえじゃねえか」
シグルドは、まっすぐに前を見つめた。
「《蒼き風》のシグルドとしてよ、行けるとこまで行くしかねえのさ」
“大破壊”によって世界の形は変わり、生き難い世の中となったが、それでも歩みを止めるわけにはいかない。
ルクスが与えてくれた命。
しっかりと使わなければ、ルクスにどやされるだろう。
きっと地獄でベネディクト、ファリューとともに見守ってくれているはずなのだから。