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第千八百四十五話 戦うということ

 女神マリエラ討伐戦における戦死者の多くは、マイラムの共同墓地に葬られた。

 マイラムの共同墓地には、数多の死者が眠る。ログナーの歴史がそれだけ数多くの死者を出したということであり、たとえ戦いなどなくとも、ひとは死ぬという証でもあるのだろう。

 彼女にとって最愛のひとであったウェイン・ベルセイン=テウロスも、この共同墓地に眠っている。

 エレニア=ディフォンは、戦死者の追悼式典にエンジュールの代表として参列するべく、マイラムを訪れていた。無論、ウェインとの間に生まれた息子レインも連れてきており、彼をウェインの墓前に連れてきたのはこれが何度目かのことだった。

“大破壊”は、数多くの命を奪った。

 その爪痕はあまりにも大きく、深い。生きとし生けるものたちの心を抉り取るように深々と傷をつけ、いまもなお塞がることなく残り続けている。

 追悼式典に参列したひとびとは、“大破壊”の痛みを思い出したに違いなく、エレニアもその胸の奥底をかきむしるような痛みに耐えながら、戦死者の霊が天に召されることを祈った。

 式典が終わると、彼女はレインを伴い、ウェインの墓前を訪れた。“大破壊”後から今日に至るまで、エレニアがウェインの墓前を訪れたのは何度目になるのだろうか。エンジュールの代表として、ログノールとの交流事がある度にマイラムを訪問しなければならず、そのたびに彼女は時間を見繕ってはウェインの墓前に立った。

 ウェインは、彼女の人生で唯一愛した男性だった。

 レインの小さな手を優しく握りながら、彼の墓を見つめ続ける。そこに彼はいないのだろう。彼の霊は、彼の魂はとっくに天へと召されているはずだ。それでも彼女は墓前に立ち、心の中で彼に話しかける。声には出さず、そっと、語りかける。

 これまで、色々なことを話してきた。

 エレニアのこれまでの人生。

 ウェインを失ってから今日に至るまでの波乱に満ちた人生を伝えた。

 彼にとっては驚くべきことばかりだったかもしれない。ただひとつ確信できるのは、レインが生まれたという事実は彼もきっと喜んでくれただろうということだ。彼が生きていれば、結婚だってしていただろうし、アスタル=ラナディースやグラード=クライドだけでなく、同僚たちも祝福してくれたはずだ。結婚していれば、どのような日々を送っただろうか。想像するだけで胸が一杯になり、もはや叶わぬ願いだと気づいたとき、虚しさに目を細める。

 ウェインが殺されたことに関しては、できるだけ考えないようにしていた。

 ウェインを殺したのは――ウェインの命を奪ったのは、セツナだ。

 だが、そのことでセツナを責めるのは、お門違いだ。

 戦いだったのだ。

 互いに全力で殺し合ったのだろう。

 ウェインが生き残るということは、セツナが殺されるということだ。セツナが生き残る道は、ウェインを殺す以外にはない。そこに正義も悪もない。ただ、互いに生き残るために全力を尽くした結果なのだ。

 もちろん、最愛の人を奪われて恨み言をいわない人間などはいないし、そんな聖人君子になどなりたいとも想わない。

 エレニアは、散々、セツナを恨んだ。恨んで恨んで恨み抜いて、果ては暗殺計画の実行犯となり、彼を殺しかけた。しかも彼は、殺されることを受け入れたのだ。もし救助が間に合わなければ、彼はあのとき命を落としていたに違いない。となれば、どうなっていたか。

 考えるだに恐ろしいことだ。

 彼女は、愛する我が子の手を強く握りしめた。

「どうしたの?」

 レインが、不思議そうな顔をして、こちらを見上げていた。幼いころのウェインに本当によく似た男の子。彼がこの世に生を受け、こうしてなんの問題もなく成長することができているのは、エレニアが生きていくことを許されたからにほかならない。セツナが彼女の罪を赦してくれたからなのだ。

 もしあのとき、セツナが彼女の手によって死んでいれば――確かに復讐は果たされただろう。きっと復讐の満足感の中で、処刑されるときを待ち続けることができたに違いない。ただし、その場合、エレニアは、ウェインとの愛の証ともいうべきレインをこの手に抱くこともできなかったのだ。

 それは、いまになってみればとても考えられないことだった。

「なんでもないわ……レイン」

「そう?」

「うん。だいじょうぶよ。お父さんに挨拶は済ませた?」

「うん!」

 レインは、満面の笑みを浮かべる。その笑顔はまるで太陽のようにあざやかで、エレニアはいつも心が救われる想いがするのだ。彼女は、自分が生きていられることに感謝していたし、自分を生かしてくれた上、生きる場所を与えてくれたといっても過言ではないセツナに心から感謝していた。

 だからこそ、彼女はセツナの領地であったエンジュールを護るために全力を費やしたのだし、ゼフィロスが顕れたのだ。

「お母さんは?」

「済ませたわよ」

 エレニアは、レインの顔を覗き込みながら、いった。

「行きましょうか。皆を待たせるのも悪いし」

「うん! また来るね、お父さん!」

 レインは、ウェインの墓石に向かって大きく手を振ると、エレニアを引っ張るようにして駆け出した。エレニアは、レインの元気っぷりに笑い出しそうになりながら、彼に引っ張られるのに身を任せた。

 ログノールが主導になって開催された追悼式典にエンジュールの代表として参列したのは、なにもエレニアひとりではない。エンジュールの防衛戦力である黒勇隊、黒剛隊の幹部たちも彼女とともにマイラムを訪れているのだ。エレニアは、ウェインの墓を訪れるため、彼らから特別に時間をもらっていた。 

 黒勇隊、黒剛隊は、エンジュールの守護であるエレニアの支配下にある部隊だ。その幹部たちもエレニアの命令に従う。少しくらい待たせたところで、彼らはなにも想わないだろう。が、しかし、エレニア自身がそれを許せなかった。エレニアは、黒勇隊、黒剛隊の手本にならなければならない立場にあるのだ。そんな立場の人間が、私情で時間を厳守できないなどあってはならない。

 レインの目もある。

 彼女は、愛する我が子の目に映る自分が情けない存在であることなど許せなかった。レインが、エレニアのことを自慢の母であると胸を張っていえる人間になりたいのだ。そのための努力ならばどんなことも苦痛にならなかった。

 ちなみに、エンジュールは三つの戦闘部隊を保有している。

 ひとつは、黒勇隊。セツナ=カミヤがエンジュール領伯だったころ、私設軍として彼の肝いりで創設されたことは有名な話だ。実際は、司政官ゴードン=フェネックが領伯に必須だろうと考えた末に主導したというが、セツナの許可は得た上でのことだ。黒勇隊は、ガンディアを震撼させたジゼルコートの反乱の際、エレニアとともにエンジュールの防衛に死力を尽くし、守り抜いたという実績がある。それ故、エンジュール三隊の主力部隊となった。

 ほかには温泉の発掘作業などに従事していた人夫らを募り結成した黒剛隊、エンジュールのために働きたいという婦女子を集めた黒迅隊があり、それぞれ、エレニアの支配下で機能している。いずれもいまのエンジュールになくてはならない部隊であり、いずれセツナがエンジュールに帰還した暁には驚くこと請け合いだとゴードンなどは楽しみにしていた。

 エレニアは、墓地の外で待っていた三隊幹部と合流すると、彼らとともに政府官邸へ向かった。

 追悼式典に参加するためだけにマイラムを訪れたわけではないのだ。

 エンジュールの代表としての仕事が残っている。


 シグルドは、マイラムの共同墓地にいた。

 共同墓地に新たに作られた大きな慰霊碑には、先の戦いで死んだものたちの名が余すところなく刻まれている。もちろん、人間の名前だけだ。死んだ皇魔たちの名前などどこにも刻まれてはいない。それは無論、コフバンサール側からの要請であり、追悼式典を計画したログノールの考えではない。ログノールとしては、三者同盟の一員であるコフバンサールの皇魔たちの名も慰霊碑に刻みたかったに違いないのだ。そうすることで三者同盟の絆を深めたいと考えるのが普通だが、コフバンサールからの強い要請とあれば応じるしかない。ここで強行して皇魔の名を刻めば、むしろコフバンサールとログノールの仲が悪くなるだけのことだ。

 女神が倒れ、女神教団が壊滅したいま、コフバンサールの魔王軍が三者同盟に参加し続ける道理はなくなったのだ。いつ三者同盟から離脱してもおかしくはなかったし、シグルドなどは戦いが終わればすぐにでも離脱するのではないかと想っていたほどだ。

 人間と皇魔は相容れない存在だ。

 そのことは、皇魔たちと戦場をともにしたシグルドには痛いほどわかった。ルニア、ガ・セル・ギはシグルドたちに対し協力的だったが、結局は最後まで分かり合うことはできなかった。互いに嫌悪感を抱いたまま、戦いを終え、戦いが終わると、馴れ合う必要もないとでもいいたげに冷徹な対応になった。当然だろう。それが人間と皇魔というものだ。

 だが、魔王軍は、いまだに三者同盟に所属し続けていたし、この度の追悼式典には、魔王みずからが参列し、戦死者に哀悼の意を示していた。魔王は三者同盟が長く続くことを願っているともいった。

 そういう意味でも、ログノールがコフバンサールの要請を受け入れたのは間違いではなかったということだ。もしログノールが慰霊碑に皇魔の名を書き加えていれば、魔王は目の色を変えて、マイラムを去っただろう。そして、三者同盟から離脱し、コフバンサールからも去ったかもしれない。

 そうなれば、どうなったか。

 ログノール、エンジュールの中には、魔王率いる皇魔たちを忌み嫌う人間は少なくない。いや、そもそも、魔王軍を受け入れている人間の数が圧倒的に少ないのだ。それは皇魔と人間の関係を考えれば致し方のないことであり、三者同盟は、そういった相互不理解に納得した上で成立している。互いに理解し合えないという絶対的な事実を理解しているからこそ、深くは関わり合わず、平穏を脅かす外敵に対抗するときにのみ協力し合うという関係を結んでいるのだ。

 コフバンサールが三者同盟を離脱すれば、それ見たことかと皇魔への敵意を剥き出しにするものが現れ始めるだろう。そして、そういった連中が世論を動かし、皇魔討伐への流れを作るかもしれない。コフバンサールの魔王軍を野放しにしておくのは、人間の精神衛生上、決して喜ばしくないことなのだ。

 そういう意味においても、コフバンサールを三者同盟に留め置くのは正解に違いない。

 戦力的にも、魔王軍ほど頼りになるものもない。

 シグルドは、傷ひとつない己の体と、墓碑に刻まれた団員たちの名を見比べるようにしながら、渋い顔をした。

 新生《蒼き風》は、初陣となった反攻作戦によって団員の半数以上を失った。



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