第千八百四十二話 白い騎士たち
三者同盟軍本隊と女神教団軍の戦闘は、熾烈を極めるものとなっていた。
丘の上に陣を敷き、曲翼の陣の中央に位置した魔王軍が女神教団軍の注意を引きつけるべく、戦端を開くと、女神教団軍は、まず魔王軍を制圧するべく丘へと殺到した。魔王軍は、女神教団軍の雑兵を皇魔の圧倒的な力にねじ伏せながら、膨大な兵力差を徐々に覆していかんとした。
しかし、女神教団軍の主力である白異化体の戦場への投入によって戦況は一変する。魔王軍の優勢が覆され、女神教団軍の優勢へと様変わりしたのだ。
白異化体の強靭な生命力は、皇魔の力でもってしても簡単に捻じ伏せられるものではなく、リュウディースたちに大魔法の準備をさせなければならなかった。そのために別の皇魔たちを白異化体にあてがうのだが、それでも抑えきれず、蹴散らされ続けた。
白異化体となった人間、皇魔は、通常の人間、皇魔に比較するまでもなく強靭な肉体と生命力を得、凄まじいまでの戦闘力を発揮するようになる。通常武器で切りつけても傷つけることは難しく、たとえリュウディースらの魔法によって肉体を損傷させたとしても、すぐさま復元してしまうのだ。首を切り離しても意味はなく、心臓を潰しても動き続ける化物。それが白異化体であり、そんな白異化体を打ち倒すには、白異化した部位に隠れるもうひとつの心臓を壊すしかないという話だった。
たった一体の白異化体にさえ苦戦を強いられるのだ。複数体の白異化体が前線に出てくると、それだけで戦線が崩壊した。
魔王軍だけでは持ち堪えることはできず、丘の上の本陣を放棄し、後退しなければならなくなると、両翼の部隊の陣形も崩壊を始めた。
女神教団は、同盟軍本隊打倒のため、マルスール防衛のため、間違いなく主戦力を投入してきている。十体以上の白異化体がその証左であり、それはまさに同盟軍の望むところではあったのだが、だからといって耐え切れるかどうかというと別の話だ。白異化体を一体倒すのも至難の業である以上、十体を超える白異化体の同時侵攻に対しては蹴散らされざるを得なくなる。
まさかここまで戦力差があるとは、ユベルも想定していなかった。魔王軍二千ならば女神教団軍の一部を引き受けることくらい、決して難しいことではないと考えていたのだ。だが、どうやらそう簡単なことではないらしい。
「マイラムはまだか!」
ユベルは、女神教団軍の圧倒的戦力に蹂躙される中、強襲部隊が目的を達するのを願った。願うほかなかった。白異化体の突出によって陣形は崩れ、丘の上に構えていた本陣までも攻め落とされかけたのだ。ユベルが無事だったのは、ノノルが必死になって彼を護り、彼を抱えるようにして後方に飛んでくれたからだ。そのために何名かのリュウディースが犠牲となったが、ノノルはユベルを護るためならば当然といった顔をした。無論、同族を失って悔しくないわけがない。だが、白異化した皇魔たちは、リュウディースの攻撃魔法にさえ強い耐性を見せるのだ。
戦線が崩壊した以上、逃げの一手を打つしかない。
「皆の者、下がれ! 下がれっ!」
ユベルは、魔王軍の皇魔たちに向かってあらん限りの大声で命令すると、自身はノノルらリュウディースらとともに後退した。
とにかく後退し、敵戦力を引きつけることに専念するのだ。戦力差は、圧倒的というほかない。元々兵力差で下回っていたのだが、それも敵軍が通常戦力だけならば問題がなかった。人間対皇魔ならば、皇魔のほうが圧倒的に強く、有利だ。しかし、白異化体が複数混じっていると、それだけで戦力差は著しく変化した。激変といっていい。敵軍が絶対的な優勢を得、同盟軍は劣勢にならざるを得なくなった。当初の勝勢はいまやどこ吹く風といった有様だったが、それでもユベルは決して諦めるようなことはなかった。
強襲部隊が女神を討ってくれることを信じながら、魔王軍を大きく交代させ、女神教団軍本隊をとにかく引きつけた。
すると、両翼の部隊が敵軍の視界から外れた。両翼の部隊は、人間のみで構成されている。エンジュール、ログノールの将兵たちは、魔王軍に比べると頼りがいのない連中ばかりではあったが、中には武装召喚師もいるし、歴戦の猛者もいるという。それら主戦力を中心とした部隊が、魔王軍の追撃に専心する女神教団軍の後背を衝いた。
瞬間、女神教団軍に動揺が走る。
ユベルはその気を逃さず軍を反転、反撃の狼煙を上げた。リュウディースらの大魔法が白異化体を二体同時に焼却すると、魔王軍のみならず同盟軍本隊の士気が否応なく高まった。それでも戦力差が埋まったわけではない。女神教団軍はすぐさま盛り返し、同盟軍を蹴散らすが、敗色濃厚だった同盟軍に勝機が見えてきたのもまた、事実だった。
ユベルは、この調子で戦い続ければ勝てると想い、またしても後退を命じた。白異化体の猛攻に対処するには、後退に徹するしかない。そうして敵の注意を魔王軍だけに集め、再び別部隊との挟撃を行うのだ。女神教団軍の動きそのものは、単純だ。単調といってもいい。白異化体に頼った強引な戦術。いや、戦術とさえいえない正面突破。故にユベルの考えているような戦術が効果を発揮しうるのだろう。
だが、そんな戦いも長くは持たなかった。
女神教団軍が、白異化体に同盟軍別部隊を攻撃させ始めたからだ。魔王軍に主力を向けながら、別戦力を後方に向ける。これにより同盟軍による挟撃を防いだのだ。途端に同盟軍は劣勢に逆戻りし、ユベルたちは息も絶え絶えといった有様になった。
女神教団軍本隊との死闘に同盟軍に属する将兵の多くが絶望し始めたそのとき、突如として女神教団軍に異変が起こる。軍勢が動きを止めたかと思うやいなや、つぎつぎと白異化体がその巨躯を崩壊させていったのだ。
ユベルは、その情報をベクロボスより聞いたとき、なんとも腑に落ちないものを感じた。自壊したというわけでもないのだ。白い甲冑を纏ったなにものかが、白異化体を破壊して回っていたという。
しかし、女神教団軍最大の脅威だった白異化体があっという間に全滅したという報せは、すぐさま同盟軍の各部隊に通達され、全軍の士気を最大限にまで昂揚させた。一方、女神教団軍は、頼みの綱の白異化体を失ったことで戦意を喪失させ、同盟軍による猛攻の前に降参した。
女神マリエラに忠誠を誓っているはずの女神教団軍が投降してきたことも、不思議というほかなかった。
もちろん、同盟軍は、女神教団軍の投降を受け入れている。それにより、マイラム南方の戦いは終了を迎えることとなった。
その後、女神教団軍の将兵の供述により、白異化体を滅ぼして回ったのは純白の鎧を身につけた女であるらしく、二本の剣を軽々と振り回しながら白異化体をあっさりと撃破して見せたという。その正体は一切不明だったが、そのおかげでユベルたちが生還することができたのだから、なにものであれ感謝するよりほかなかった。
もっとも、その白い甲冑の女は、白異化体を殲滅した後、どこかへと消え去ったといい、感謝を述べる暇もなかったが。
ユベルは、そんな話をエイラ=ラジャールから聞いたのち、魔王軍の損害状況を知り、胸を痛めた。
何百名もの皇魔がこの戦場で命を散らせていた。
皇魔たちは、ユベルを頼り、メキドサール、コフバンサールに集ったのだ。そういう皇魔の中には、ユベルの元でならば人間と無駄に争うことなく、平穏に暮らせると想ったものが大勢いた。人間を忌み嫌いながら、人間と争うことすら無駄に感じる皇魔は少なくはない。皇魔としても、目に入れば殺したくなるようなものと接触する機会はできるかぎり減らしたいというのが本音なのだ。それなのに、彼らを人間との共闘に巻き込み、人間との戦いに連れ出し、命を散らせた。
かつてクルセルクの魔王として君臨していたころからは考えられないことだが、彼は、そんな皇魔たちのために涙を流していた。
そんな彼の様子を無関係な人間たちが奇異な目で見ていることを知り、やはり人間とは相容れないのだと、ユベルは内心想わざるを得なかった。
ユベルは、身も心も皇魔に近づいているようだ。
その後、ユベルは魔王軍の残存戦力を纏め上げると、エイラ=ラジャールから報告を受けた。
「女神教団軍の将兵の話を聞く限り、女神への忠誠心は失われているようです」
「つまり、女神は打倒された、と考えてもいい、と?」
「おそらく」
エイラは、自信なさげにうなずいたものの、女神教団の人間が突如として女神への誹謗中傷を始めたという彼女の報告を聞く限りでは、ほかに考えようのない話だった。いまのいままで女神マリエラ=フォーローンの命令に従い、命を賭けて同盟軍と戦っていた連中なのだ。そんな連中が突如夢から覚めたかのように態度を豹変させるということは、女神によるなんらかの支配が解除されたと考えるしかない。
そして、女神が彼ら教団教徒の支配を解除する理由がない以上、考えられることはひとつだ。
強襲部隊の作戦が成功したということだ。
勝鬨が、同盟軍を包み込んだ。