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第千八百四十一話 偽りの女神(八)


 逃げ場などあろうはずもない。

 シグルドたちの帰還先であるエンジュールは、いま、女神教団軍の猛攻を凌ぐべく、奮戦しているはずだ。マイラム南方でも同盟軍本体が女神教団軍と戦っている。

 それら戦闘の勝利条件は、ここでシグルドたちが女神を討つこと。女神を討たない限り、教団軍との戦闘に終わりはなく、いずれ敗北する可能性が高かった。この度の戦闘を凌ぐことができても、つぎの戦い、つぎのつぎの戦いでは敗北しかねない。圧倒的な戦力差は、軍師エインの頭脳を持ってしても覆しようがないのだ。

 だからこそ、このような賭けに打って出るしかなかった。

 その賭けが失敗すれば、すべてはご破算となるしかない。

 だからこそ、逃げる訳にはいかない。

 かといって、打つ手もない。

 勝ち目などはなく、可能性のかけらさえ残されていなかった。

「……ですが、あなたたちにはもう為す術もないのですよ。生きたければ素直に降参なさい。わたくしは、わたくしを信仰しようとするものまで否定するつもりはありませんよ。わたくしの庇護の元で未来永劫生き続けるのです」

「んなもん、願い下げに決まってんだろ!」

「では、抗いますか? このわたくしに、戦いを挑むというのですか? この状況で」

 女神は、シグルドたちに優しく言い聞かせるようにいってくる。まるで駄々をこねる子供をあやすような口ぶりだった。それが癇に障る。

「無理なことはやめましょう。女神に挑むなど、端から無駄なことだったのです。散々戦っても無理だとわかったのですから、いまここで諦めたところでだれもあなたがたを責めたりしませんよ。むしろ、感謝するでしょう。ここまで戦い抜いたのですから」

「だから、そういう問題でもねえのさ、これがな」

 シグルドは、グレイブストーンの柄を両手で握りしめ、女神を睨んだ。マリエラの微笑みは、美しい。だがそれは作られた偽りの美しさだ。女神としての力が彼女の外見をそのように作り変えたのだと想像させるほどの不自然さがあった。

「降るくらいなら、死んだほうがましだ」

 もちろん、そう簡単に死ぬわけにはいかないのもまた事実としてシグルドの中にある。死ねない。死ぬ訳にはいかない。泥をすすってでも生きていくべきだ。でなければ、ルクスに合わせる顔がない。かといって、ここで女神に降って生きていくのもまた、違うのだ。それでは、地獄に落ちたとき、ルクスになんといわれるかわかったものではない。

 きっと、嫌われるだろう。

 ルクスは、だれかに降るシグルドのために命を棄てたのではない。

 シグルドがシグルドらしく生きて死ぬことにこそ、彼は全生命を費やし、生かしてくれたのだ。

 そう、シグルドは受け取っている。それがシグルドの一方的な勘違いという可能性も大いにあるのだが、ルクスが、シグルドに生き恥をさらしてでも生き延びてほしいなどと想っているとは、考え難かった。ルクスのことは、シグルドがだれよりも知っている。潔く戦って死ぬことを由としたのがルクスだ。

「そうですか……しかし、それはあなたの意見ですね? ほかの皆さんは、そう想っていないかもしれませんよ」

 マリエラのそんな言葉に対し、真っ先に口を開いたのはリュウディースのルニアだ。魔力が彼女の周囲に展開する。

「残念だが、わたしは人間と同意だ。貴様に降るくらいなら、ここで戦って死ぬ」

「そうだな。人間と同じ考えになるのは癪にさわるが、お館様を裏切ることなどありえん」

 ガ・セル・ギもまた、刀を構えながら、告げた。

「なんだか酷い言い様だな、おい」

「当たり前だ。人間と同じなど吐き気が出る」

「うむ」

 ルニアとガ・セル・ギの変わらないシグルドへの態度に、彼は渋い顔になった。が、すぐさま気を取り直し、女神と向かい合う。

「……まあ、そういうこった」

「……それは、真に残念なことです」

 女神は、極端に落胆したような顔をして見せた。

「しかし、あなたがたの気持ちもわからなくはありません。異教の神に降るというのは、恥辱の極みに等しい。ならば、あなたがたの魂を肉体の檻から解き放ち、その上で大いなる愛で包み込みましょう」

「ふざけるな……!」

「ふふふ……ふざけてなどいませんよ。さあ、はじめましょう。あなたがたの最期を飾る戦いを」

 女神の背後に無数の光の帯が出現する。先程、シグルドを瀕死にまで追いやった攻撃で、今度は全員を相手にしようとでもいうのかもしれない。光の帯の数が格段に増えていた。

 シグルドは、覚悟を決めると、意識を研ぎ澄ました。呼吸を整え、マリエラの動きに注目する。女神の攻撃は、手数も威力も範囲も、どれをとってもシグルドとは比べ物にならない。こちらから攻撃を仕掛ければ、その瞬間、手痛い反撃を食らうのは目に見えている。かといって、後の先を取ってどうにかできる相手でもないのだが、光の帯対策となれば、ほかに方法が思い浮かばなかった。無論、また同じ方法でやられる可能性も少なくはない。

 それでも、シグルドは女神の出方を待った。女神の動きに反応し、翻弄してやる――彼はそう考えていた。

 だが、女神は動かない。女神は、張り付いたような笑顔のまま、虚空にあった。

「ん……?」

「なんだ?」

「来ないのか? ならばこちらから……」

「いや、待て、様子が変だ」

 ルニアがガ・セル・ギを止めた直後だった。

 女神の胸に穴が空いたかと想うと、心臓が目の前の虚空に浮かんだ。血や体液が飛び散り、女神が苦悶に満ちた表情になる。

「これは……馬鹿な……!」

 まるでなにが起こったのかわからないといった様子のマリエラだったが、シグルドたちも同じ気持ちだった。武器を構えたまま、顔を見合わせ、再び女神に目を向ける。

「馬鹿なのはあんたのほうだろう、マリエラ=フォーローン」

 荒々しい男の声は、女神の背後から聞こえてきていた。

「まさか、ばらばらになったヴァシュタラの加護を利用し、女神を偽証するなどという馬鹿げた行いをするとはな。巡礼教師も堕ちたもんだ」

「なに……を……!」

 女神が背後を振り向きながら光の帯を操作する。無数の光の帯が背後の空間へと殺到するが、ただのひとつも背後の空間を貫くことができず、弾き返される。なにかがそこにいるのは間違いなかった。声の主だろうが、その姿は見えない。

「あんたは女神なんかじゃあない。ただ、神の力のかけらを手に入れて浮かれただけの愚か者さ。だから、俺を感知できない。だから、俺の攻撃を防げない。本当のカミサマならば防げて当然のはずの攻撃をな」

「あなたは……!?」

「さあ、消えな。あんたが手に入れた力は回収させてもらうが……あんたは不要だ。偽りのカミサマなんざ、カミサマだらけのこの世界じゃあいらないんだよ」

 男は、吐き捨てるように告げた。刹那、虚空に浮かんでいた心臓が握り潰されるようにして、砕け散った。

「ああああっ――」

 女神の断末魔は、夜空に響き渡る最中に途切れ、余韻も残さず消え失せた。それは、女神の肉体そのものがこの世から完全に消滅したからにほかならない。心臓が粉砕されたと同時に消えて失せたのだ。心臓が女神の力の源だったようだ。

 女神が浮かんでいた場所には、ひとりの騎士が拳を掲げるようにして立っていた。女神の胸を貫いた姿勢のまま、立ち尽くしているに過ぎないのだろうが。

 白い騎士だった。夜の闇の中でもそれとわかるくらいの純白の甲冑。装飾が多く、儀式的ですらある甲冑は、とにかく重々しかった。体格の問題もあるのだろう。騎士の体格はシグルド並みかそれ以上であり、その上に仰々しい鎧兜を着込んでいるからより一層大きく見えた。顔は兜によって完全に隠れている。

「あ、あんたは……」

「貴様は何者だ?」

 シグルドの質問を遮るようにして問いかけたのは、ルニアだ。

「人間でも皇魔でもなければ、ましてや神でもない」

「あん?」

 白い騎士がこちらに顔を向けた。鋭角的な兜には目の覗き穴があるものの、シグルドの視力をもってしても彼の目を見ることはできなかった。

「あんたたちの疑問に答えて、俺になにか得があるってのかい? そんなもん、ないよな」

「答えないつもりか」

「ご名答。まったくもってその通り。あんたたちに教える義理もないからな」

 取り付く島もないとはまさにこのことであり、ルニアはシグルドを一瞥して、肩を竦めた。

 シグルドも、ガ・セル・ギも、白い騎士を相手にどうすればいいのかわからず、言葉を発することも忘れた。

 白い騎士は、周囲を見回している。そして、予想だにしない言葉を口にしてきた。

「しっかしまあ、なんだな。こんな騒ぎになったってのに、あんたたちの英雄サマは現れないってのか」

「英雄……? 俺達の?」

「黒き矛の英雄サマだよ」

 白い騎士の発した言葉に、シグルドはただ愕然とした。黒き矛の英雄とはつまり、セツナのことだ。セツナ=カミヤ。黒き矛のセツナとして知られた人物は、かつて、ガンディアにおける英雄だった。彼は、そのことをいっているのだ。

「シグルド=フォリアー。あんた、ガンディアの所属だっただろう」

「俺のことを知っているのか」

「知らないことはないさ。知らずにいられるわけもない。それがどれほどつまらないことかあんたらにはわからんだろうがな」

 確かに白い騎士の言葉はわけのわからないことではあった。まったく想像もつかなければ、理解することもできない。ただ、なにか疲れているような気配があるのは間違いない。

「さて、任務は無事終了したし、そろそろ戻るかね。あとのことは、あんたらの勝手にしな。この島がどうなろうと、俺の知ったことじゃあない」

「お、おい」

「じゃあ、な――」

 白い騎士は、一方的に話を終えると、忽然と姿を消した。

 その際、男が見せた背中にはおそらく所属を示すものと想われる紋章が刻まれていた。

 円盾に描かれる獅子の横顔という紋章は、シグルドのよく知る紋章にどこか似ていた。しかし、獅子の横顔を紋章に用いるのはよくあることであり、その紋章がガンディアの国章と似ているからといって、即座に関連づけて考えるほどシグルドに妄想癖はない。

 シグルドたちは、だれもいなくなった戦場の虚空を見遣りながら、しばらく黙り込んでいるよりほかなかった。

 女神との死闘の結末がまさかこのような予期せぬものになるとは、だれが想像できただろうか。

 シグルドたちは、女神の消滅によって女神教団軍の統制が失われたのを確認すると部隊を纏め上げ、マイラムからの脱出へと移行した。

 この戦力では、混乱真っ只中とはいえ、女神教団軍を制し、マイラムを奪還するのは不可能だ。

 目的は、達した。

 女神の打倒こそ叶わなかったものの、女神そのものは倒れたのだ。

 三者同盟の、このログナー島の未来は、切り開かれた。

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