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第千八百四十話 偽りの女神(七)


 シグルドは、グレイブストーンを空振った態勢のまま、死を覚悟した。

 女神の紋章がどのような攻撃であれ、直撃を喰らって無事で済むわけがなかった。かといって回避できる状況ではない。剣を振り抜いた勢いを殺すことはできない。その上、満身創痍だ。もはや体を自由に動かすこともままならない。だが、しかし、彼は決して納得していないわけではなかった。女神の注意を自分に集めるという役割に徹することができた上、女神は、彼の思惑以上に彼に注目してくれたのだ。リュウディースたちの大魔法の準備時間は稼げただろう。十分過ぎる働きをしたはずだ。

(だからといって、死にたかあねえが)

 死にたくないというよりは、死ぬ訳にはいかないという思いのほうが、強い。

 ルクスに生かされた命だ。彼から託された想いをここで途絶えさせるなど、言語道断だろう。命をとしてシグルドたちを生き残らせた彼のためにも、こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。

 だが、眼前に迫る絶対的な結末という現実を否定することは、できそうになかった。

 女神の紋章が真っ白な輝きを放った瞬間。

「仕方がないな」

 シグルドの耳朶を涼風のような声が通り過ぎたかと想うと、彼は、突如吹き荒んだ暴風によって空高く舞い上げられていた。突然の出来事に、頭の中が真っ白になる。なにが起こったのか、さっぱりわからなかった。一瞬にしてマイラム上空に到達したシグルドは、地上近くを漂う女神と、その凄まじい攻撃が引き起こす災害にも似た現象を目の当たりにする。

 女神が手の先に作った光の紋章が地面に浮かび上がったかと想うと、紋章の形状の光が地中から吹き出し、範囲内のなにもかもを消し飛ばしたのだ。その場にいた三者同盟軍、女神教団軍の兵士たちが巻き込まれたのはいうまでもない。断末魔の悲鳴さえ聞こえなかった。一瞬にして消し飛ばされたのだ。痛みを感じることさえなかったのかもしれない。

 シグルドは、茫然と、マイラム中心部近くの破壊跡を見下ろしていた。何十人、いや、何百人の敵味方が巻き込まれている。《蒼き風》の団員たちはいわずもがな、女神教団軍の排除に協力してくれていた皇魔たちの多くも巻き込まれ、命を落とした。女神教団の兵士たちもだ。

 女神マリエラ=フォーローンの考えが、ますますわからなくなった。

 シグルドたちを屈服させることに執念を見せたかと想うと、自分に付き従っているはずの教徒たちさえも巻き添えにするほどの攻撃を行うなど、正気の沙汰ではない。

「エレニアの頼みだ。力を貸してやる。ただし、そうだいそれたことができるわけじゃない。できることには限りがある」

 爽やかな声は、空中に浮かんだままのシグルドの後ろから聞こえてきた。聞きなれない声だが、その声が発した名前には聞き覚えがある。エレニアとは、エンジュールの守護のことだ。

「エレニアの……って、はあん?」

 振り向くと、青白い青年がシグルドの肩に手を触れていた。青白いというのは比喩でもなんでもない。髪の先から足の先まで青白いのだ。全身、青白く発光しているようですらある。女神マリエラよりも余程神秘的な存在に見えて、シグルドは何度も瞬きした。

「……あんたはいったい?」

「わたしの名はゼフィロス。話は後だ。力を貸す。なにをしたい?」

「女神の足止め……っていっても、もう時間稼ぎの必要はなさそうだがな」

「どういうことだ?」

「まあ、見ていろよ」

 シグルドは、ルニア率いるリュウディースたちが大魔法の発動準備を終えたことを彼女たちの声から察することができたのだ。ルニアが呼びかけたガ・セル・ギ率いる皇魔たち、武装召喚師たちが最後の時間稼ぎとして、女神に総攻撃をかけている。それら総攻撃は、やはり女神の足止めにしかならない。だが、ルニアたちにはそれで十分なようだった。

 総攻撃によって身動きの取れない女神に対し、上空のルニアがなにごとかを告げた。リュウディースたちは、女神の攻撃を逃れるため、空中に浮かんでルニアを中心とする陣形を組んでいたのだ。その陣形が、大魔法なるものを発動するための準備のひとつだったに違いない。

 赤い光の帯によって結ばれた二十名に及ぶリュウディースたちが一斉に腕を掲げた。青白い指先がマリエラへと伸ばされる。直後、シグルドの目は、総攻撃を耐えしのぐ女神へと収束する力の波を捉えた。大気が揺らぎ、風景が歪んでいくことで、見えざる力が波動となって女神の元へと集まっていく。その強大な力の波は、皇魔や武装召喚師たちの攻撃さえも飲み込みながら、光の障壁に覆われた女神を包み込むようにして集約していく。全方位、あらゆる方向からだ。逃げ場などはない。マリエラは、総攻撃を耐えしのいだ直後に訪れた新たな攻撃に気づくと、少しばかり驚いたような顔をしたものの、女神としての己の力を過信しているのか、取り乱すことすらなかった。だが、リュウディースたちの大魔法は、そんな女神の余裕さえ打ち砕く。

 力の波動の先端が女神の防壁に触れた。力と力の激突は反発を生み、連続的な爆発を起こす。それでも力の波の収束は止まらない。ただひたすら女神の元へと集約し、光の防壁を侵蝕していく。女神が顔色を変えた。だが、時既に遅く、力の波による防壁の突破は、なった。刹那、女神の肉体は力の波に触れ、蹂躙され始めた。

 さすがは十分近くの準備を要する大魔法というだけのことはあった。

 女神は、半狂乱に陥ったが如く取り乱し、叫んだ。為す術もなく、そうならざるを得なかったのだろう。ただ、圧倒的な破壊の力に蹂躙され、手の指先、足の爪先から壊されていく。壊される度、女神の肉体は再生を始める。だが、女神の再生速度よりも大魔法の収束のほうが早く、再生が追いつかない。破壊の連鎖。女神の全身がただ粉々に打ち砕かれていく。血と体液を撒き散らしながら、女神は叫ぶ。なにを叫んでいるのか、シグルドにはわからなかった。きっと、言葉にすらなっていないのだ。

 大魔法の力が完全に収束すると、今度は拡散が起きた。爆発だ。それも凄まじいものであり、膨大な光の発散となって夜のマイラムを震撼させ、戦場をしばらく白く塗り潰した。余波が、シグルドの全身を包み込んだが、無害だった。

 やがて、大魔法の光が消えると、収束点はただの虚空になっていた。女神の姿は見当たらない。大魔法が見事に女神を打ち倒したのだ。その事実が伝わったとき、全軍が歓喜の声を上げ、女神教団軍の攻撃が止んだ。手に手を取って喜ぶリュウディースたちの姿が印象に残ったのは、この勝利の立役者たちだからだろう。

「なるほど……わたしは不要だったわけか」

「いんや、不要なんかじゃあないね」

 シグルドは、ゼフィロスと名乗った青白い青年には、感謝していた。彼がいなければ、シグルドはいまごろ死んでいたのは間違いないのだ。そして、死んでいようといまいと結果は変わらなかったのだから、あのとき、彼が助けてくれたことには感謝しかない。

「あんたのおかげで俺は死なずに済んだ」

「ふむ……」

「エレニア殿に感謝しないとな」

「そうしてくれ。わたしは、エレニアの願いに応じただけだからね」

 青年はそういって微笑むと、シグルドを連れて地上へと降下した。風が逆巻いていることから察するに、ゼフィロスは風を操る力を持っているようだ。地上に降り立つと、彼はふっと風のように消え去り、シグルドはその場にへたり込んだ。歓喜の輪の中だ。シグルドも、なんだか嬉しくなって顔を上げた。すると、目の前にルニアの姿があった。駆け寄ってきたようだ。

「無事だったか、人間」

 そのどうでも良さそうな反応からは、彼女にはゼフィロスの姿が見えていなかったことが窺い知れる。見えていれば、まず質問してきたはずだ。ゼフィロスは、この強襲部隊の動員戦力ではない。突如として出現し、シグルドを助けてくれた存在なのだ。部外者といっていい。そんな存在を認識すれば、人間に無関心なリュウディースでさえ、問わずにはいられないだろう。

 ルニアの目を見つめながら、告げる。

「ああ。なんとかな」

「しかし、いまにも死にそうだ」

「だったら」

 治してくれよ、といおうとしたとき、ルニアが笑った。

「わかっている。これでいいだろう」

「お、あ、ありがとよ」

 あっさりと体中の傷が塞がれ、痛みが除去された事実にシグルドは茫然とした。リュウディースの魔法の凄まじさには感嘆するよりほかないのだ。瀕死に近い状態から、完全回復とはいかないまでもほぼ完治に近い状態まで回復している。鎧の復元まではできないようだが、十分過ぎた。

「感謝されるまでもない」

「あれが大魔法か」

 と、ルニアに話しかけたのは、ガ・セル・ギだ。いつの間にか、彼も近くまで来ていた。

「ああ。我らがほぼすべての魔力を叩き込んだのだ。いかに女神といえど、無事では――」

 ルニアが勝ち誇ったそのとき、

「うふふ」

 シグルドの耳は、嫌な声を拾っていた。グレイブストーンを手にしていることによって強化された聴覚が、遥か頭上から降ってくる笑い声を認識している。

 仰ぐ。

 暗雲渦巻く夜空に光点があった。それは、次第に大きくなったかと想うと、シグルドたちの目の前に降臨する。

 女神マリエラ=フォーローン。

「うふふふふ。これがどうしたのです。どうしたというのです。あれで、わたくしを滅ぼしたおつもりですか? あんなもので、あんな程度の攻撃で、このわたくしを、女神たるわたくしを斃したおつもりなのですか?」

 女神は、シグルドたちを嘲笑う。

「そんな……」

「馬鹿な!」

「生きているだと」

「ええ。当たり前です。わたくしは女神ですよ」

 女神は、傷ひとつない体を誇るでもなく見せつけてきていた。大魔法によって破壊されたはずの腕も足も法衣さえも完全無欠の状態で、そこにある。

 シグルドは、愕然とせざるを得なかった。シグルドだけではない。その場にいた強襲軍の全員が同じ気持ちだったはずだ。大魔法が炸裂し、女神が滅び、勝利の歓喜の中にあったのだ。そんな最中、歓びをぶち壊すかのように出現した女神の姿は、大魔法など意にも介さないというようなものであり、シグルドたちの心を折るには十分過ぎるほどの威力を持っていた。

「女神たるわたくしが、あの程度の攻撃で滅びるわけがありません。もっとも、あの程度の攻撃が、あなたがたの最終手段だったことは想像に難くありませんが。さあ、皆さん、わたくしを打倒することは諦め、わたくしの下に降りなさい。そうすれば、平穏と安息に満ちた日々をお約束いたしますよ」

 女神が両腕を広げたのは、シグルドたちを迎え入れようという仕草のつもりなのだろうが。

「人間も皇魔も分け隔てなく、愛しましょう」

「ふざけんなっての」

 シグルドは、グレイブストーンの折れた刀身を女神に向けた。心も折れかけているが、だからといって女神に下るという選択肢は存在しない。ここで女神に下れば、己の存在意義を否定することになりかねない。生きるために女神に下るなど、ルクスに顔向けできる気がしなかった。

「だれがてめえの支配を受け入れるか!」

「では、どうするのです? わたくしと、まだ戦うというのですか?」

「ったり前だ!」

 シグルドはいい切ったが、ルニアの囁きで冷静さを取り戻す。

(だが、どうする。我々はもはや力を使い果たしたぞ)

(それは我々とて同じこと)

(つまり、もう余力は残ってねえってことだな)

 シグルドは、ルニア、ハ・セル・ギの言葉によって状況を理解した。

 状況は、絶望的というほかない。

 倒すべき対象たる女神は無傷でそこにいて、強襲軍のほとんどは力を使い果たしたといっても過言ではない状態だった。この状況下で戦いを挑み、勝てる保証はない。そもそも、最大の攻撃手段であったリュウディースたちの大魔法さえ効果がなかったとなれば、ほかに方法などあろうはずもない。武装召喚師たちも疲労困憊といった様子で、女神を見ている。だれもが力尽きようとしている。

 そんな現状。

 シグルドがひとり気を吐いたところで、どうなるものでもない。

 それはわかりきっている。わかりきっているが、それでも抗わざるを得ない。立ち向かうしかないのだ。勝てなくとも、その結果、殺されるしかなくとも、戦うしかない。

「ここはマイラムの真っ只中。血路を開き、逃げようなどとは想わないことです」

「はっ……どこへ逃げるってんだ?」

「うふふ。それも、そうですね」

 女神は、極上の笑顔となった。


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