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第百八十三話 つがいの飛龍(中)

 まるで悪い夢を見ているようだと、ゴードンは思っていた。

 ガンディア軍の兵士は、確かに弱兵だったようだ。ゴードン麾下の七百名と第六龍鱗軍の三百名は、想像以上の戦果を上げてくれたのだ。川辺まで迫ってきていた敵部隊を対岸まで押し返すことに成功し、さらに三分の一は削りとったというのだから素晴らしい。

 ゴードンが有頂天になるのも無理はなかった。

 戦争とはこれほど簡単なものだったのか、と彼は勘違いしかけたが、理性がそれを押し止めた。ナグラシアでの敗戦を思い出せたのは、ゴードンの臆病さ故のものだろうが、おかげで彼は蛮勇を振るわずに済んだ。部下とともに左翼陣地に留まり、前線からの伝令に一喜一憂するだけでも、彼の心臓は激しく震えた。

 第三龍鱗軍の死者が五十人を超える頃になると、彼はいてもたってもいられなくなったが、部下たちに強く諌められ、なんとか踏みとどまることができた。無能が前線にいっても役に立つことなどない。あるとすれば、味方の壁になることくらいだ、という辛辣な評価には、ぐうの音も出ない。

 ゴードンは、ただただ待った。勝利の時をひたすら信じた。最弱のゴードン部隊が優勢なのだ。ほかの部隊も押しに押しているに違いない――そんな期待は、つぎつぎと飛び込んでくる悲報の前に、音を立てて崩れるよりほかはなかった。

 右翼に展開したケルル=クローバー率いる第七龍鱗軍が壊滅に近い状態だという。本陣後方からは敵奇襲部隊が現れ、迎撃も虚しく、大打撃を受けた上に指揮系統も混乱しているらしい。中央前面も押されており、健闘していたのはゴードン隊だけだということになる。

 そんな馬鹿げたことがあってたまるか、と彼は怒鳴り散らしたくなったが、そんな意気があるはずもなく、嘆息とともに頭を抱え込んだ。

 そこへ、ルシオンの騎馬隊が突っ込んできた。

 左翼陣地の兵はほとんど出払っており、ゴードンは部下の判断のおかげで、命からがら逃げることができた。

 部下に誘導されるまま川へ向かい、第三龍鱗軍の二百名と合流する。それで少しは安心できたのだが、そうもいってはいられない状況なのは間違いなかった。後方からはルシオンの騎馬隊が迫ってきており、前線の部隊こそ善戦してはいるものの、ルシオンの騎馬隊に後背を衝かれれば、挟撃され、壊乱するのは火を見るより明らかだ。

 ゴードンは、声を張り上げ、二百名とともに騎馬隊に対抗した。

 が、一瞬で蹴散らされた。

 ルシオンが誇る騎馬隊の圧倒的な突破力の前に、ゴードンと二百名の兵士は為す術もなかった。

 生きているのが不思議なほどだ。

 彼は、仰向けに倒れたまま、星空を眺めていた。川のど真ん中だ。水深は浅く、耳に水が入ってくるようなこともない。川の水の冷ややかさが、戦場の熱狂を遠いものにしていくようだ。冷静になれと、自然に呼びかけられているような錯覚に、彼は苦笑を漏らした。

 夜空に瞬く無数の星々は、今宵、この戦場で散った兵士たちの魂を看取ってくれたのか、どうか。

 月が大きい。とてつもなく巨大で、うんざりするほど膨大な光を降り注がせている。

 彼が上体を起こすと、同じく騎馬隊に蹴散らされた兵士たちも立ち上がろうとしているところだった。幸いなのか、死者は出ていないらしく、皆、軽傷で済んでいる。騎馬隊の目標がゴードンたちではなかったから、これで済んだのだろう。目的はおそらく、ガンディア軍の救援であり、前線のゴードン隊を挟撃することにあるのだ。

 ゴードンは、彼らのうち、ひとりでも多くが生き延びることを願って止まなかった。彼には、そうすることしかできない。騎馬隊の背後から襲いかかったところで、さらなる援軍に挟まれ、窮地に追い込まれるだけだ。

 轟く馬蹄が、左翼陣地からこちらに向かってきている。挟撃のための後詰。ガンディア軍は、勝利を決定的なものにしようとしている。

「逃げましょう」

 部下のひとりが提案してきたが、ゴードンは、なにもいわなかった。

 逃げようにも、逃げ場所がない。

(降伏しよう)

 ゴードンがそう思ったのは、この敗戦によって自分の将来がますます危うくなるだろうことが明白だったからというのも大きい。が、なにより、彼は疲れ果てていた。

 ナグラシアでの敗戦からこの方、彼の心が休まることはなかった。ケルルとの再会によって、安息が得られるかと思ったのも束の間、ジナーヴィなる暴君によって心の平穏は破壊された。不平を漏らしたがために首を刎ねられたものたちの亡骸は、明日の我が身かもしれなかった。戦々恐々。ジナーヴィに付き従うことだけが、ゴードンが生き残るための方法だった。

 そうやって、ここに立っている。

 なんのための戦いなのかがわからなくなってきていた。国土防衛という大義はわかる。絶対的な正義だ。そのためにだれもが命をかけ、散らしていくのはわかりきったことだ。だからといって、そのために仲間を殺すような男に付き従い、死んでいくなど、納得できるものだろうか。

 ゴードンは、ふらふらと歩いていく。部下たちが彼に付き従ったが、彼は部下たちに声をかけてやることもできなかった。

(ナグラシアに帰りたい……)

 ナグラシアは故郷ではないが、妻が待っている。妻に逢いたいという想いが、日に日に強くなっていた。彼女のふくよかな体をただ抱きしめていたい。そういう一日があっても、いいのではないか。

 そのためには、生き残らなければならない。

 ゴードンは、目を見開くと、部下たちに命じた。

 生き残れ、と。



 ジナーヴィは、竜巻による水の障壁を展開したまま、周囲の気配を探っていた。

 視界は水と風で荒らされ、不明瞭だ。見えざる敵への対抗手段が自分への不利益ともなっている現状に、苦笑しか出ない。いや、そもそもこの強敵とどう戦うのか。どう戦い、どう死ぬのか。そう死ねば、記録に残るのか。ジナーヴィ=ワイバーンとフェイ=ワイバーンの戦場結婚は、どれほど激しい死に様を残せば、記録されるのだろう。

 彼の頭の中には、それだけしかなかった。

 勝とうとなど、想いもしない。もはや決着はついたのだ。敵軍が奇襲に成功し、こちらの迎撃が失敗したとき、戦いの趨勢は決まった。

 多分、そこなのだ。

 迎撃のための兵力をもっと用意し、ジナーヴィ自身も力を振るっていれば、こんな事態にはならなかったのだろう。あのとき、敵奇襲部隊に圧倒されなければ、戦場というものの恐ろしさに触れなければ、勝てたかもしれない。

 彼は、自嘲した。可能性を考慮しても仕方がない。後悔する必要もない。敗色のおかげで、吹っ切ることができた。あらゆる呪縛から解き放たれ、フェイと名実ともにひとつになることができたのだ。

 それだけでいい。

 それだけで十分だ。

 呪われ、血塗られた人生の最期を飾るには、十分過ぎる輝きだ。

 ミレルバスのことも、いまやどうでもよくなっていた。憎悪も愛情もすべて、過去のものに成り果てた。母や兄、そして妹のことも、頭の中から消え失せていく。

(俺は聖将ジナーヴィ=ワイバーン……)

 ライバーン家の人間ではない。

 だからこそ、充実している。

 死ぬことができる。

 ジナーヴィは、気配が接近してくることに気づいた。水の壁の向こう側から、鉄槌の女が迫ってくる。武装召喚師だ。深窓の令嬢のような見た目とは裏腹に鍛え上げられた肉体を持っているに違いない。彼は油断しなかったものの、見えざる敵にも意識を割かなければならなかった。女が川底を蹴った。水飛沫が舞う。女が水流障壁を突破してくる。長い髪がきらめき、鋭い視線がジナーヴィを射抜く、猛然たる鉄槌の一撃を、ジナーヴィは後方に飛翔することで回避した。鉄槌に触れてはいけない。剣で受け止めるのも悪手だろう。彼女の鉄槌によって小石が爆発したのは、ついさっきのことだ。

 水流障壁を展開したまま、女との距離を取った。

 瞬間、ジナーヴィの左腕の肘から先が吹き飛んだ。鉄拳を振り抜いた男の姿が、彼の視覚に映り込んだのは、その一瞬だけ。つぎの刹那には、男の姿は再び掻き消え、脅威となった。

「重なってきたのか……!」

 意識が消し飛びそうな激痛の中で、ジナーヴィは男と女の連携攻撃に舌を巻いた。女と同時に水流障壁を破れば、ジナーヴィにも気づきようがない。

 左腕の傷口から零れ落ちる血の量に、彼は笑った。死が、確実に近づいてきている。だが、まだ足りない。まだ暴れ足りない。もっとだ。もっと暴れなければ。ここにジナーヴィ=ワイバーンがいたという証を立てなければならない。

「なあ、フェイ?」

 ジナーヴィは、妻の名を口にして、高度を上げた。

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