第千八百三十七話 偽りの女神(四)
「ガ・セル・ギ。勇ましいのは構わないが、この状況で飛び込むのは死ににいくようなものだぞ」
ルニアが呆れ果てるようにいうと、ガ・セル・ギを始めとするレスベルたちがその真っ赤な肌を燃え上がらせるようにして、彼女を睨んだ。好戦的な鬼たちには、魔女が悠長なことをいっているようにしか思えないのかもしれない。
「このまま奴の攻撃が止むのを待つか?」
「……待っていれば被害が拡大するだけだな」
ガ・ゼル・ギの一言にルニアが頭を振った。
彼女のいうとおりだ。このままマリエラの無差別爆撃が止むのを待つなど、論外極まりなかった。女神は、シグルドの挑発によって発狂でもしたかのように周辺を攻撃し続けている。その攻撃は、シグルドを狙っているのではなく、女神を中心とした周辺に破壊をもたらすものだった。まず、女神の足元の建物を粉微塵に破壊し尽くすと、周辺の建物にも被害を振り撒いている。留まることを知らない女神の爆撃は、ゆっくりとだが確実にその攻撃範囲を広げており、このまま放置していればマイラム全土が女神の攻撃によって破壊され尽くすかもしれない。そうなれば、この作戦の意味がなくなる。
女神の打倒は、マイラムの奪還も目的とするものであり、マイラムに取り残されたひとびとの救出もまた、重要な任務といってよかった。マイラムが女神教団の拠点というだけならば破壊され尽くそうと問題ではない――むしろ好都合だ――が、マイラムがログノールの首都であり、ログノールの国民が数多く取り残されているという事実を見過ごすわけにはいかないのだ。
「だろう。なれば、貴様らが支援してくれればいい」
「……まったく、貴様らという奴は軽々といってくれる」
「魔法でなんとでもできるだろう」
「これだから鬼は嫌いなんだ」
「ふん、なんとでもいえ。すべてはお館様がため」
「……わかった。好機はわたしたちが作る」
なにやら口論しながらも理解し合っている風ではあるふたりのやり取りに、シグルドは、少しばかりほっとした。リュウディースとレスベルの仲が良くないという話は魔王軍についてよく知るエインから聞いていた。が、目的のためであれば仲が悪かろうと力を貸し合うのが魔王軍所属の皇魔であるらしく、その点での心配は不要のようだ。
ルニアは、リュウディースたちを集め、何事かを話すと、こちらを見下ろしてきた。
「人間ども、いまの話は聞いたな。我々が奴の攻撃を食い止める。その隙に接近し、奴に全力を叩き込め。好機は一度しかないと考えろ。奴に同じ手が二度通用するなどと想うな」
「了解した!」
「あいよ、任せな」
シグルドは、ルニアの期待に応えるつもり満々だったのだが、彼女はいたずらに冷ややかな眼差しを彼に投げかけてくるのだった。
「特に心配なのはそこのおまえだ」
「俺かよ」
「おまえに攻撃手段はあるのか?」
「あるけど?」
「……ならば、いいが」
シグルドが当然のように返答すると、ルニアは渋い顔をした。シグルドは、武装召喚師ではない。ただの人間だ。そんなものが女神への攻撃に参加できるとは到底思えない、とでもいうような反応だった。実際その反応は間違ってはいない。当初の作戦では、シグルドたちは女神への攻撃参加は見送られている。露払いがシグルド率いる《蒼き風》の役割だったのだ。現状、その必要性はなさそうだから、女神への攻撃に参加することになったのだが。
ルニアは、それでもシグルドに対する態度を変えなかった。
「足手まといにはなるなよ」
「だれがなるか」
「ふん、口だけならなんとでもいえる」
「見てろよ」
「見せてみろ」
ルニアの小憎たらしい口ぶりは、人間と皇魔の関係性故のものとは到底思えず、なにが気に食わないのだろうと考え込まざるを得なかった。とはいえ、彼女のことに気を取られている状況ではないのも確かであり、シグルドはすぐさま思考を切り替えると、部下たちを見回した。ジン=クレール、イディル=モウグを始めとする《蒼き風》の団員たち。どれほどの人数が既に命を落としたのかわからないが、生き残っていてシグルドの近くにいるのは、五十名に満たない数だった。最初の女神の攻撃で同じ船に乗った二百名の大半が攻撃に巻き込まれるか、落下して死亡したということだ。シグルドは、そのことを思い出して、心を震わせた。
「準備はいいか? 奴の爆撃が収まった瞬間、駆け抜けろ」
「おうよ!」
「任せた!」
「やれ!」
シグルド、武装召喚師、ガ・セル・ギの三者が声を上げると、ルニアたちが動いた。
「行くぞ」
ルニアの掛け声とともにリュウディースたちが一斉に魔法を放ったのが感覚的に理解できた。夜空が震撼するような衝撃が頭上を貫き、見えざる力が女神の元へと収束していく。女神の周辺で無差別に引き起こされ、次第に拡散していた爆発が逆に女神の元へと近づいていくのがわかる。シグルドは、ルニアの考えを理解するとともに雄叫びを上げた。《蒼き風》の戦士たちを奮い立たせるとともに、自分自身をも躍動させるためだった。
そのときには、既にガ・セル・ギ率いる皇魔の軍勢が動き、武装召喚師たちも動いている。《蒼き風》の団員たちもだ。シグルドたちは、まっすぐに破壊された屋根上を駆け抜けていく。女神の爆撃の範囲が狭まっていくのを確認し、確信する。ルニアたちリュウディースの魔法は、効果的に作用しているのだ。そこへ武装召喚師たちの攻撃が立て続けに叩き込まれ、レスベルたちの咆哮とともに発射される雷撃、ブリークの雷球が殺到し、大爆発が起こる。その真っ只中を駆け抜けるのがシグルドであり、爆煙が舞い上がる最中、彼はグレイブストーンの力を通してみずからの進路を認識した。飛ぶ。
「うおおおお!」
シグルドは吼え、爆煙の中で爆発攻撃を続ける女神へと肉薄した。煙が薄れ、女神の顔が見えた。無傷だった。武装召喚師の猛攻も、皇魔たちの攻撃も、女神には届いてさえいない。そしてマリエラ=フォーローンの若々しい顔は、シグルドを認識するなり、凄まじい形相となった。両手で握り、思い切り振りかぶった剣を叩きつけんとした。女神は嗤う。シグルドは剣を振り下ろす。全身全霊の斬撃。鋭く、強烈極まりないものだ。
しかし。
「そんな折れた剣でわたくしを討とうなどと、笑止千万――」
マリエラが無造作に掲げた右手がグレブストーンの刀身を握り、受け止めて見せた。
「――ですよ」
シグルドは、胃が引き攣るような感覚に襲われながら、覚悟した。剣は微動だにしなかった。限りなく鍛え抜かれたシグルドの肉体とグレイブストーンによる補助を受けてもなお、女神の力の前では無力だったのだ。女神の双眸から漏れる光は金色で、神々しいといっていいのだろう。だが、彼女は本物の女神などではない。それは断定していい。シグルドの直感が、そういっている。ラディアンと同じものだ。同じ、神そのものとは異なるものの、神聖な力。
「あなたには、わたくしの下僕となり、未来永劫、わたくしのために尽くしてもらいますよ」
「はっ、冗談じゃねえ」
「冗談ではありませんよ。わたくしは本気です」
グレイブストーンの刀身を素手で受け止めたまま、血を流すこともなければ、傷つくことさえなく、女神は告げる。その金色に輝く目は、神性を感じさせなくはなかったものの、シグルドは、彼女が本物の神だとは思わなかったし、思えなかった。ただ、圧倒的な力は感じる。絶望的な力の差。只の人間に過ぎないシグルドには覆しようのない力量の差が、巨大な壁の如く立ちはだかっている。
「わたくしの在り様を否定したあなたには、わたくしとともに悠久の時を生き、わたくしの存在を認めていただかなければなりません。わたくしがどれほど慈悲深く、愛に満ちているのか、思い知っていただくのです」
「笑わせる」
シグルドは、微動だにしないグレイブストーンを握り締めたまま、吐き捨てた。
「本当に慈悲深い奴ぁ、自分から慈悲深いなんていわないもんだぜ」
「わたくしを愚弄するおつもりですか」
「だからいってんだろ、あんたのような本当の姿を隠そうとする醜い女なんざ、願い下げだってな」
「よくぞいい切った」
声が聞こえるのと、マリエラの表情が一変するのはほぼ同時だった。なにが起こったのか、召喚武装を手にしていることによる超感覚のおかげで、把握できる。マリエラの背後にルニアとガ・セル・ギがいた。ガ・セル・ギをルニアが魔法で移動させたような気配があった。
「貴様のおかげだ、人間」
「隙だらけだったな、女神なるものよ」
「あ、あなたがたは、なにを……!」
苦悶から激怒へと表情を変化させながら、マリエラが身動ぎした。マリエラの脇腹を一振りの刀が貫いている。背中から脇腹にかけて体を貫通した刀身は血と体液にまみれ、一目見て致命傷と知れる。もっとも、人間にとって致命傷だったとしても、女神マリエラにしてみれば大したことはないのかもしれない。しかし、鬼のような形相への変化は、マリエラが痛みを感じたことを示しているはずだ。痛みが敗北感を与え、怒りを生んだ。
「わたくしになにをしたのですかっ!」
マリエラが激昂とともに力を拡散させ、女神の全身が光を発した。