表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1835/3726

第千八百三十四話 偽りの女神(一)


 一瞬、なにが起きたのかわからなかった。

 ただ、眼下、マイラムの夜景を光が過ぎったかと想うと、つぎの瞬間、彼の目の前が真っ白に染まった。そして衝撃が彼の肉体を貫いたのだ。熱があり、轟音が聞こえた。船体が激しく揺さぶられていることがわかった。皇魔たちが吼えた。振り向く。船体を貫く光の柱を目撃し、何人もの部下たちが光の中で蒸発するかのようにして消えていくのが見えた。

 手を伸ばしたときには遅かった。

 船体が真っ二つに割れ、シグルドは、船首に掴まったまま、ばらばらに砕けゆく船を見ていた。何人もの《蒼き風》団員が地上へと落下し、断末魔の悲鳴を上げるのが聞こえた。ジンやイディルたちがどうなったのかも、わからない。

 船は真っ二つになったのだ。

 船首側と後部側に分かれ、船首側には船首に掴まったシグルドと欄干に掴まっていた十数名が辛くも生き残っていた。船が真っ二つになりながらも落下していないのは、船首とネグルベフが鎖によって結ばれているからであり、ネグルベフは悲鳴にも似た咆哮を発しながら降下速度を上げていた。やはり、ネグルベフ一体では重いらしい。

 後部側も、態勢を大きく崩しながら落下してはいない。二体のベスレアと鎖で繋がれているからだ。だが、シグルドの位置からは無事に生き残ったものたちの姿を確認することも難しかった。できるだけ多くの団員の生存を祈るほかなかった。

(くそが)

 内心吐き捨てるが、そんなことをしてもなんの意味もないことはわかっていた。

 それでも毒づかずにはいられない。

 いまの光は、間違いなく女神教団側の攻撃だったのだ。つまり、女神教団側は、上空から船が降りてくるのを発見するなり即座に攻撃してきたということだ。それもただの攻撃ではない。召喚武装かそれに近いなにかによる攻撃。砲撃といってもいい。

 シグルドは腕の力だけで船首の上に登ると、ほかの二隻の船もまた、真っ二つにされていることを確認した。雲間を裂いて降り注ぐ月光の中、半分になった船が空を降下する光景は奇妙としかいいようがなかった。

 どれほどの数が地上に振り落とされたのか、どれだけ生き残ることができたのか、想像したくもなかった。地上に降りれば、否応なく数えざるを得まいし、認めざるを得なくなるだろう。それはわかっている。だが、それでも、いまは考えたくなかった。いまは、目の前の戦いに集中しなければならない。

 戦力は大きく減ったが、問題は、女神を討てるかどうかだけだ。女神を討つのは、彼の仕事ではない。彼は、敵戦力を引きつけておくのが役割なのだ。それならば、どれだけ数が少なくとも問題はないはずだ。無論、大切な団員たちを失ったことはシグルドにとって痛恨極まることだが、いまはそれに囚われている場合ではない。目的を果たさなければならない。女神の打倒。そのためには全滅も厭わない。

「飛行能力を有した皇魔に船をくくりつけ、運ばせるとは中々に面白い趣向ですね」

「だろ。本当、おもしれえよな、うちの軍師様はよ」

 突如下方から聞こえてきた優しげな女の声に返答しながら、シグルドは視線を巡らせた。暗闇の中を上昇してくる発光体を間近に発見し、それが声の主であると断定したのは、よく見ると、人間の形をしていたからだ。そしてそれは、シグルドの眼前まで上昇すると、船体の下降に合わせるようにして降下していくのだ。

「あんたが……女神サマか?」

 シグルドは、一定の高度を保ってこちらを見下ろす発光体を見据えながら、問うた。光り輝いているのは、人間の女だ。決して若いとはいえないが、美しいとはいえるだろう。容姿端麗という言葉が良く似合う。その上で全身が光を放っており、いかにも神々しい。女神と自称するものに相応しい姿といえなくはない。女にしては長身だが、シグルドよりもずっと低い。均整の取れた体型で、豪奢な法衣を身に纏っていた。白異化した人間や、ラディアン=オールドスマイルのように異形化してはいない。だが、ラディアンのような特異な力を有していることは、確かだ。

 先程、船体を貫いた光を放ったのも、この女なのだろう。

 発する光を弱めながら、女は微笑した。慈愛に満ちた笑顔というよりは、弱者をいたぶるような笑顔。

「よく御存知ですね。そうですよ、わたくしが女神マリエラ」

「御存知もなにも、女神サマ以外にこんなことできるやつがいるのかってんだ」

「ふふふ。それもそうですね」

 マリエラ=フォーローンは、微笑む。そのひとをひととも思わないような笑顔は、たしかに神のような高次の存在に相応しいものなのかもしれない。しかし、シグルドは、彼女が本物の女神であるなどとは一切想っていなかった。彼女はおそらく人間だろう。人間がなにか強大な力を得て、神を名乗っているだけに過ぎない。本物の神であれば、目の当たりにした瞬間、平服したい気分にでもなるはずだ。

 そうはならなかった。

 ただ、女神への敵意がシグルドの全神経を集中させた。

「なるほど、女神というに相応しいくらいの美人だな」

「ふふ。褒めてもなにもでませんよ?」

「はっ、素直な感想をいったまでだ」

 といいつつ、シグルドは、腰に帯びた剣の柄に触れた。グレイブストーン。刀身の途中で折れた長剣は、まったく使い物にならないわけではないのだ。むしろ、鍛え抜かれた剣よりも高性能といっていい。グレイブストーン本来の力は失われてしまったのかもしれないが、召喚武装の特性が残っていることは既に確認済みだ。つまり五感や身体能力の強化がシグルドの全身に作用した。

(なにもでなくとも、時間稼ぎにはなる)

 シグルドは、一瞬にして強化された感覚を研ぎ澄ませ、船隊の状況把握に務めながら、マリエラに話しかけた。

「あんたは、いったいなにものだ?」

「なにものもなにも、あなたがさきほどいったではないですか。女神だと」

「……そうなんだがな。あんたはいつ、女神になったんだ」

「それは確かに疑問かもしれませんね」

 マリエラは、口に手を当てて微笑むと、ゆっくりと降下する中で話を続けてくれる。

「あなたの考えているようにわたくしは元々ただの人間でした。ヴァシュタラなどという偽神を信仰していた哀れな人間のひとりに過ぎなかった」

「偽神?」

 シグルドは、ほかの船体上の皇魔たちが臨戦態勢に入りつつあるのを認識しながらも、マリエラとの会話に集中することにした。いまだマイラムの上空高くにあり、ここで戦闘を始めるのは自殺行為にしかならない。もう少し時間稼ぎをしながら、マリエラの正体を探るのも悪くはないだろう。巡礼教師マリエラ=フォーローンが命をかけて信仰していたであろう至高神を偽神といって切って捨てたのには、一体どういう意図があるのか、気にかかるところだった。ヴァシュタラ教徒にとって、至高神への侮辱ほど許せないものはないはずだ。もちろん、彼女がヴァシュタラ教を棄てたことは知っているし、女神教団などという新たな宗派を立ち上げたことも理解しているが、それにしても自分の半生を否定するなど簡単にできることではない。

「んなこと言って、だいじょうぶなのか?」

「あらあら、自分のことより、わたくしの身を心配してくださるのですか? うふふ。だいじょうぶに決まっているでしょう。至高神ヴァシュタラなどという神はもはや存在しないのですから」

「なんだって? それは、本当なのか?」

「本当も本当ですよ。わたくしがあなたのようなひとに嘘をついてなんになるというのです? ヴァシュタラ教徒でもないあなたには、どうでもいいことでしょう」

「そりゃあ……そうだが」

 気にかかる言葉ではあった。

 至高神ヴァシュタラがもう存在しない、ということは、以前は存在したということでもある。そしてそれを認知した上で、彼女はヴァシュタラを偽神と断定し、吐き捨てたのだ。

「ヴァシュタラは、大陸の崩壊を防ぐこともできなかったのです。わたくしにとって愛すべき、救うべき同胞の多くが崩壊とその余波の中で命を落としました。至高の神を名乗るものが、これまで何百年にも渡って信仰してきたものたちに手を差し伸べることもなく、だれひとり救わなかったのです」

 女神は、冷ややかなまなざしで告げてくる。

「これが偽りの神ではなく、なんだというのです。神なるものは、救いを求めるものに手を差し伸べてこそ、神足り得るのです」

「はっ」

 シグルドは、十分に船体の高度が下がったことを確認した上で、笑った。

「だったらあんたも神なんかじゃあねえな」

「あら? どうしてそう想うのです?」

「あんたも俺たちのような人間に手を差し伸べねえじゃねえか」

「なにをいうかと思えば、そのことですか」

 女神の全身の光が強くなったかと想うと、圧力がシグルドを襲った。危うく船首から振り落とされそうになり、船首にしがみつく。無様な格好だが、地上に落下するよりはましだろう。

「わたくしの庇護下に入れたければ、女神教団に入ればいいではありませんか。そして、わたくしを信じ、仰ぎ、敬い、祈り、尊びなさい。さすれば、わたくしはあなたたちのような心の貧しいものであったとしても、分け隔てなく慈しみ、護り、愛しましょう」

 女神がつぎの瞬間発した光は、いくつもの光条となって四方八方に拡散し、シグルドたちが乗る船体前部をでたらめに貫き、爆散させた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ