第千八百二十九話 反攻作戦(三)
三者同盟にとって起死回生となるこの度の反攻作戦は、三段構えとなっている。
第一段は、魔王軍を主力とする四千の本隊によるマルスールへの攻撃に見せかけた、マイラム女神教団軍への誘引。これにより、マイラム女神教団軍が軍勢を二手に分けて進発させるまでが、第一段だ。
第二段は、女神教団軍の動きを受けての反転。つまり、同盟軍本隊がマルスールからマイラムに向けて転進し、本隊に差し向けられた女神教団軍を迎え撃つのだ。そのままマルスールを襲わないのは、マルスール攻略中に後背を突かれては、いかに同盟軍主力といえどいかんともし難いからだ。
第二段には、当然、エンジュール、バッハリア方面の防衛も含まれている。これには、同盟軍別働隊が当たる。アスタル=ラナディースを指揮官とする別働隊二千五百は、女神教団が必ず差し向けてくるであろう戦力による同盟軍拠点の壊滅を阻止しなければならない。
第三段がこの女神マリエラ討伐戦における要であり、本命だ。
第三段が成るか成らないかが勝敗の分かれ目だった。
なんとしても成功しなければならず、そのためにエインは投入戦力の調整に全精力を注がなければならなかった。
第三段は、戦力のほとんどいなくなるであろうマイラムに直接乗り込み、混乱の中を潜り抜けて女神マリエラ=フォーローンを探し出し、討たなければならない。女神マリエラ=フォーローンがただの人間ではないことは、様々な情報からも明らかだ。女神教団の教徒たちにいわせれば、まさに女神といって差し支えがないほど、様々な奇跡を起こしているという話だったし、魔法めいた現象を起こすことなどたやすいことらしいのだ。白異化した人間や皇魔を使役するのも、そういった不可思議な力の一種なのかもしれない。
そんな化け物染みた存在を相手と戦い、斃さなければならない。ぶつける戦力の選定は、慎重に慎重を重ねた。
まず、ログノール、エンジュールを合わせて総勢十名足らずの武装召喚師の中から五名を主軸に置いた。そこに魔王軍の中からとくに強い皇魔を加えている。さらにダメ押しとして、新生《蒼き風》を同行させることとした。
『新生《蒼き風》の初陣が敵本陣とはねえ』
『まったく、あなたは相変わらずですね』
エインがそのことを伝えたときの反応はというと、シグルド=フォリアーはどこか嬉しそうな笑みを零し、ジン=クレールは呆れ果てたといわんばかりの顔をしていた。
『いやあ、それほどでも』
『褒めてませんから』
『ひどいなあ。これでも真面目に考えた結果なんですけど』
『真面目に考えた結果死にに行けといわれた側の気持ちも考えてほしい』
『でしたら、降りますか?』
『はっ』
彼は、鼻で笑うと、先程いったことを真逆のことをいった。
『馬鹿いえ。戦場はどこだって死と隣り合わせだぜ。戦に出るってことは、死ににいくのと同じことだ。なんのこたあねえっての』
傭兵とは、日銭を稼ぐために死地に赴くもののことをいうのだ、と彼は暗にいった。
新生《蒼き風》は、総勢五百名足らずの傭兵集団だ。最終戦争を生き残った《蒼き風》の団員は数えるほどであり、そこにガンディア軍の生き残りも加わっているらしい。なぜガンディア軍人が傭兵に身をやつしたのかというと、ともに地獄のような戦いを潜り抜け、さらに《蒼き風》によって命を拾われたからのようだった。《蒼き風》と行動をともにしていなければ落命していたのは間違いないらしい。それほどの地獄を味わってなお戦いに赴こうというのだ。
エインは、そんな傭兵たちに心強さを感じるとともに、哀れな気持ちを持たざるを得なかった。
エインがシグルドたちに作戦を伝えたのは、本隊がエンジュールを発する二日前のことだ。その場には、エンジュールの守護であるエレニア=ディフォンがいた。彼女は、《蒼き風》のために用意した武具が無駄にならなかったことを確認して、心の中で喜んでいるようだった。
そうなのだ。シグルドたちが装備している武器防具の大半は、エレニアがいずれ彼らがエンジュールの戦力となったときのために用意したものだったのだ。その話を聞いたシグルドたちは、エレニアに感謝し、感激したらしいが当然だろう。
そんなエレニアがシグルドになにかを手渡すのをエインは見ている。
『そうだ。シグルド殿、これを持っていってほしい』
『こりゃあ……なんだ?』
シグルドが手渡されたのは、布製の小袋だった。シグルドが袋を開けると、中には、なにか金属の破片のようなものが入っていた。それがなんなのか、まるで見当もつかない。
『お守りだよ。きっと役に立つ』
『ん……? まあ、安全祈願のお守りってんなら、受け取っておくが』
『そんなものだ。この戦いにエンジュールの存亡がかかっているといっても過言ではないのだ。どうか、よろしく頼む』
『おう、任せてくれよ。長い間、世話になってたんだ。恩返しはしないとな』
シグルドの野性的な笑みは、とにかく明るく、見ているだけで元気が貰えそうだった。エレニアもそんなシグルドの反応に安堵を覚えたようだた。
『シグルド殿』
『これまで……済まなかったな。あんたからも逃げ回ってた』
『いや……気にすることではないさ。わたしもあなたの気持ちを考えもしなかった』
『他人を思い遣っている暇もないほど大変だったんだろう。心中、察するぜ』
『……ありがとう』
『それはこっちの台詞だ。いまのいままで、ありがとうよ』
シグルドは、エレニアに心の底から感謝している様子だった。
『で、肝心の移動手段がこれか』
と、シグルドがエンジュール郊外の森の中で零したとき、エインも同行していた。
第三段の本命部隊がマイラムに乗り込むのは、地上からではない。当たり前のことだ。エンジュールから地上を進んでいけば、マイラムから発した女神教団軍とぶつからざるを得ない。北を大回りしたところで、監視の目に引っかかり、対応されるだろう。となれば、どうすればいいか。考えられるのは、ひとつしかない。
空だ。
空を翔ることができれば、敵軍の監視の目を欺き、地上部隊に引っかかることもなくマイラムに乗り込むことができるだろう。
だったら最初から全戦力を空から運び込めばいいのではないか、という疑問も当然のように上がったが、当たり前の話だが、空から乗り込むには、空を移動する手段が必要となる。六千以上の将兵をマイラムまで空輸する手段などあろうはずもない。また、一万二千に及ぶ大戦力が一堂に会するマイラムに直接乗り込めば、泥沼の、それこそ地獄のような戦いが起こり、不要な血を流すこととなるのは明白だった。
マイラムの女神教団戦力をできるだけ多く引き出し、そして出来る限り遠くに引き離さなければならない。
そのためのマルスール侵攻なのだ。マルスールに戦力の大半を注ぎ込むことで、エンジュール、バッハリアが手薄であると悟らせるということも、ある。それを理解した女神教団が同盟軍本隊のみならず、エンジュール方面制圧のために戦力を繰り出すだろうと見越してのことだった。仮にマルスールに少数の戦力を繰り出しただけならば、陽動であると悟られ、マイラムの防備が固められるだけだったに違いない。ここは、マルスール侵攻に本気であるという構えを見せなければならなかった。
そうして女神教団の軍勢が南と東へと進発すれば、マイラムは必然的に手薄になる。主力が揃った同盟軍本隊にはそれなりの戦力をぶつけなければならないし、エンジュール、バッハリアを制圧するのも少数の戦力では不可能だ。
マイラムの防衛戦力は多く見積もったとして二千から三千程度だろう。
それくらいならば、なんとかいなしながら女神の居場所に辿り着けるはずだ。
と、エインは見ているが、実際にできるかどうかは、わからない。防衛のために白異化した人間たちを配置しているかもしれず、その場合、苦戦を強いられるのは間違いないからだ。とはいえ、女神を討つ以外に女神教団への対抗手段はなく、この作戦に同盟の未来を賭けなければならなかった。
マイラムの全戦力を外に出すことができれば一番なのだが、そのためには同盟軍の戦力が足らなすぎた。