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第百八十二話 つがいの飛龍(前)

 ジナーヴィとフェイが敵陣に向き合った直後、前方から、ひとりの女が進み出てきた。

 盾の少年と同じく軽装なのは、少年の盾による庇護が余程強固であり、信頼しているという証明にほかならない。女の手には無数の棘のついた鉄槌が握られている。普通の打撃兵器にも見えるが、召喚武装のようにも思える。

 女は、包囲網の内側に入り込んでくると、左手に掴んでいたらしい複数の小石を放った。即座に鉄槌を振るい、小石に叩きつける。鉄槌に殴打された小石は、光を発しながら暴風圏に吸い込まれ、大爆発を起こした。閃光と轟音がジナーヴィの五感を震撼させるが、それだけだ。彼にはなんの実害もなかった。

 が、その爆炎に乗じて、なにかが飛来してくるのが彼にはわかった。隣のフェイが反応する。水面を蹴り、跳んだ。暴風の中を平然と突っ込んできたのは、二刀流の女だ。傷ひとつ負わず、吹き飛ばされもしない。ジナーヴィは苦笑した。馬鹿げている。

「勝てるかよ」

 吐き捨てた瞬間、彼は腹部に強烈な衝撃を受けていた。予期せぬ激痛に呼吸を忘れる。後方に吹き飛ばされる中、視界に男の姿が浮かび上がる。両腕に黒い篭手のようなものを身につけた巨漢。その姿が再び視界から消え去るが、視覚以外の感覚でも捕捉できない。水面に叩きつけられる寸前に烈風を纏い、中空に留まる。

 ジナーヴィは、苦痛に顔を歪めながら、暴風防壁を解除した。盾の守護の前には無力だと思い知ったからだ。ただ、フェイが矢にやられたりしないように、彼女には風の鎧を纏わせた。盾の庇護下にないものは、彼女に手を出すことはできまい。

 視線を巡らせ、全感覚を働かせて敵を探す。どうやら姿形のみならず気配までも消失させることのできる召喚武装らしい。打撃そのものは、天竜童を突き破るほどの威力ではないにせよ、感覚の死角からの打撃は、予期せぬ痛打となって彼の意識を苛んでいた。

 全身に緊張を漲らせ、打撃の瞬間に反応できるように神経を研ぎ澄ませる。川面に波紋が走るのが見えた。なるほど、姿形は見えずとも、存在そのものを消し去っているわけではないのだ。さきほどの不意打ちは、爆発に気を取られたせいだと考えなおす。

 自身を中心に小さな竜巻を起こし、周囲の水を巻き上げる。川の水が螺旋を描いて障壁となったが、当然、防御能力を期待してのものではない。見えざる敵がこちらに近づくには、この水の壁を突破しなければならない。盾の加護を受けている以上、簡単に破られよう。しかしそのとき、敵の影は、ジナーヴィからは丸見えになる。

 敵は、警戒したようだ。

 ジナーヴィは、口の端を歪めた。

 いくら最期とはいえ、一方的にやられるのは趣味ではない。

 暴れるだけ暴れよう。

 でなければ、ガンディアの歴史に名を刻むこともできないのだ。



 爆発を目眩ましに天竜童の暴風陣を突破してきたのは、最初にやりあった女だった。

 まるで矢のように飛来していた女に対し、フェイも素早く飛びかかった。互いに二刀流。剣の長さでは向こうに分があり、軽さと早さではこちらが有利だった。しかし、女は人間とは思えないほどの怪力の持ち主であり、一撃一撃が重く、召喚武装の能力で底上げされたフェイであっても支えきれないことがあった。

 互角などというものではない。

 はっきりと、押されている。

 だが、それでも、彼女に負けるつもりはなかった。

 幸福の絶頂。

 彼女は、これ以上にはないくらいの幸せの中にいた。負ける気になれなかった。かといって、生き残ろうとも思わない。生き延びて、悲惨な人生を歩むよりも、ジナーヴィとともにこの戦場で果てるほうが、きっと何倍、何十倍も素敵だ。

 フェイは女との交錯の瞬間、両剣を全力でぶつけ、火花を散らせた。着水し、対峙する。動きやすそうな格好の女だ。黒髪が月明かりの下で輝いて見える。両手の剣。刀身が波形を描く剣と、刀身に文字が刻まれた剣。長剣ではなく、ショート・ソードの類だ。それでもフェイの小刀よりも長い刀身を持っており、フェイが女とやり合うにはかなり接近しなければならない。

 もっとも、どれだけ接近し、隙を衝き、斬撃を浴びせたところで、女の肌には傷ひとつつかないのだが。

 女も、女の仲間たちも、絶対的な防壁に守られている。

 これならば、ジナーヴィの鎧を破壊した男のほうがまだしも可愛げがある。

(負け戦ってやつ?)

 フェイは胸中で自嘲気味に笑った。最初から、敵うような相手ではなかったらしい。

 しかし、彼女はそこですべてを投げ出すほど素直な人間でもなかった。

 女が、地を蹴った。飛沫が散り、間合いが一瞬で縮まる。フェイは下がらない。むしろ踏み込み、二刀を叩き込む。金属音。衝撃が両腕に重くのしかかってくる。女の顔が間近に見えた。目に、苛立ちがある。

「戦場で結婚だと? ふざけるな」

「ふざけてなんかいないわ。ジナはいつだって本気」

「それをふざけているというのだ!」

 そのまま数度斬撃をぶつけ合い、再び間合いを取る。女は勢いに乗じて追ってくるが、フェイは左手の小刀を投げつけて牽制した。女は右手に跳んだ。絶対的な防御があっても、肉体の反射は、防壁を考慮してのものではないらしい。なればこそ戦いようはあるのだが、突破口は見当たらない。

 フェイは、意識がさらに拡大する感覚に襲われた。投げつけた小刀が中空で停止したのを確認する。その小刀がなにものかに握られたかと思うと、フェイとまったく同じ姿をした存在が構築されていった。擬体。数秒のうちの出来事だ。が、そのときには二刀流の女は、既にフェイの背後にまで回り込んでいる。フェイは、意識を擬体に飛ばした。

 フェイだったものの首が飛ぶのを、彼女は見ていた。小刀がフェイだったものの手を離れると、その肉体が砂のように崩れ去った。本体が擬体へと入れ替わったといってもいいだろう。実際は違うのだが、似たようなものだ。魂の転送。双竜人の生み出す擬体と本体は、等価であり、魂と呼べるものの存在がどちらかを本物とし、偽物とする。それだけで、召喚武装がいかに人智を超えた兵器なのかわかるというものだ。

 二刀の女は一瞬、なにが起こったのかわからなかったようだ。手応えは十分にあったはずだ。実際、それはフェイの肉体そのものだったのだ。彼女が自我を移した瞬間、それは偽物と成り果て、切り捨てられた。

 フェイは、地に落ちた小刀にさらにフェイの擬体を生み出させると、意識を共有した。視野が広がり、あらゆる感覚が倍増する。しかし、混乱は起きない。脳は当然のように情報を処理する。それも召喚武装のおかげだった。

 いざというときはどちらかに意識を移してしまえばいい。そうすれば、精神力の持続する限りは戦い続けることができる。そして、魔龍窟で培った精神力は、生半可な消耗では尽きるようなことはない。

 これが、召喚武装・双竜人の能力。

「ふざけているのはあなたたちよ」

 フェイは、腰に下げた鞘から小太刀を抜き二刀流になると、擬体に女を襲わせ、自分は包囲陣の雑兵に殺到した。

 こちらの攻撃が通らない敵を相手にすることほど、馬鹿馬鹿しいことはない。



 レオンガンドは、中央からの報告にどう反応していいのかわからないまま、ゼフィルの顔を見ていた。口髭の紳士もまた、どういう表情をすればいいのか困惑している様子だったが。

「結婚……」

「まったく、意味がわかりませんな」

「そのままの意味でしょうが、確かに理解できません」

 バレット=ワイズムーンもまた、首を傾げていた。

 結婚。

 戦闘中、聖将ジナーヴィ=ワイバーンと名乗る男が、唐突にそう宣言したのだという。相手は、彼の部下らしい女でフェイ=ヴリディア。敵軍に証人になれ、というのだから馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせばいいのか、粛々と受け止めればいいのか、困ったところだ。

 ジナーヴィは敵軍の指揮官であるらしく、彼を殺せば、こちらの勝利は確定するようだった。もっとも、善戦から届く情報を統合すれば、中央軍の勝利は明白なのだが、敵将の死ほど勝敗を明確にするものもないだろう。

 中央に展開する部隊は、彼を倒すために全力を上げているに違いない。

「結婚……か」

 レオンガンドが再びつぶやいたのは、彼もまた、この戦争が終われば結婚することになるからだ。レマニフラの姫君との政略結婚。同盟の紐帯をより強固にするためだけの、打算と計算に基づいた婚姻であり、それ以上のなにものでもないはずだ。が、それでいいとも思っている。王族として生まれた以上、結婚に期待や夢を重ねることはなかった。

 それに、ナージュは良い女だ。

「ジナーヴィという男は、なにを考えているのでしょうか」

「気が狂れたというわけでもあるまい」

 レオンガンドは、伝令がもたらしたジナーヴィの発言を鑑みる限り、敗色濃厚であるが故の狂気ではないと考えていた。彼は、女との結婚を承認されたがっている。ジナーヴィ=ワイバーンとフェイ=ワイバーンがこの戦場で結婚したということを、ガンディアの戦史にでも刻んで欲しいかのようだ。

 確かに、忘れられない出来事ではあるだろう。戦いの真っ只中、敵軍に対して結婚を宣言するなど、前代未聞といっていい。大陸中の歴史書を紐解いても、記載されてなさそうな珍事だった。

 そして、記録に残り、歴史の片隅にその名とともに刻まれることにもなりそうだ。

 ザルワーン侵攻時、王率いる中央軍が戦った最初の相手なのだ。

 レオンガンドが、生きている彼と対面することがかなわないのは残念ではあるが。

 この衝撃を忘れることは、当分あるまい。



「馬鹿げている」

 ケイオンは、伝令からの報告に対して、唾棄するようにつぶやいた。伝令は眉を顰めたが、彼が睨むと、後難を恐れて退散した。意気地のない男だ、とケイオンはその伝令に対する評価を胸中に書き留めたが、その評価によって伝令の立場が悪くなるようなこともないだろう。

 軍師見習いケイオン=オードの戦いは、いままさに終わろうとしている。栄光もだ。

 戦術を学び、いつかは父を越えようと思っていた矢先、聖将ジナーヴィ=ライバーンに拾われ、聖龍軍という即席の軍勢の軍師として迎えられた。父への鬱屈とした感情を爆発させるにはここしかなかった。ここでジナーヴィに勝利をもたらし、評価を得ることができれば、自分を見捨てた父の鼻をあかすことができる。無論、それだけがここにいる理由ではなかったが。

 それらはすべて、瓦解しようとしている。

 右翼に展開したケルル部隊が壊滅し、ケルル部隊を交戦していたルシオン軍が左翼ゴードン部隊へと侵攻。唯一押していたゴードン部隊も二方から攻められれば、徐々に押し込まれるよりほかはない。次第に戦力を失い、陣形も崩壊しつつあるようだ。中央は既に壊乱状態であり、立て直しようもなかった。敵奇襲部隊は、こちらの本陣を占拠してしまっている。

 ケイオンは、自分に与えられたわずかな供回りとともに本陣を離れ、戦況を窺っていたのだが、こうなるともはや撤退もなにもあったものではなかった。大敗もいいところだ。残る戦力は左翼のゴードン部隊と、中央の第四龍牙軍くらいのものだという。

 しかし、それでもジナーヴィさえ生き延び、ともに行動してくれるのなら、光明の持ちようがある。

 ケイオンは密かに供回りを走らせ、第四龍牙軍の生き残りを手元に集めようとしていた。ゴードン=フェネックにも連絡を取っている。彼が五百人でも連れて来てくれることを願い、また第四龍牙軍の精兵たちが百名以上生き残っていることを切に願うしかなかった。

 だが、そんな彼の奮闘を消し飛ばすような報告があったのだ。

「結婚……だと」

 ジナーヴィとフェイの結婚。

 聖将と副将の結婚である。

 平時ならば、素直に喜び、祝福したところだった。

 しかし、いまは戦闘の真っ只中。

 しかも、敗走一歩手前という惨状なのだ。

 彼は、ジナーヴィという男の考えがまったく読めず、ただ失意と絶望の中で立ち上がった。ジナーヴィにせよ、フェイにせよ、魔龍窟にいた人間というのは、どこかが壊れているらしい。それは本人たちの言葉なのだが、普段、接する限りはそんな風には見えなかったのだ。だから、ケイオンは彼を慕い、彼のために自分の力を振るおうと思った。

 父への意趣返しなど、後でいいとさえ思ったのだ。

 だのに、彼はケイオンを見捨て、ふたりで死のうとしている。

「馬鹿げている……」

 ケイオンは、再び吐き捨てると、供回りを連れて、左翼、ゴードン部隊の陣地へと向かった。

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