第千八百二十八話 反攻作戦(二)
エンジュールを発した三者同盟軍本隊四千は、ログナー島の荒野をひたすら南西に向かって進軍を続けた。
本隊の内訳は、魔王軍二千、ログノール千五百、エンジュール五百であり、やはり主力となるのはユベル率いる魔王軍にならざるをえない。当然の話だ。ログノール、エンジュールが保有する武装召喚師の数はたかがしれており、その数だけでは魔王軍が誇る皇魔の物量を上回ることなど到底不可能だった。そんな戦力では女神教団に抵抗することすら敵わないのは自明の理であり、よって彼らは魔王軍を頼らざるを得なかったのだ。
故にログノールもエンジュールもユベルに頭を下げ、協力を要請した。存亡の危機を回避するためならば、人間のくだらない自尊心や無意味な誇りなど度外視にして皇魔の王に頭を下げられるだけ、ログノールの総統もエンジュールの守護も優良な人間と見ていいいだろう。彼らとて、皇魔にいい感情は抱いていないはずなのはわかりきっているのだが。
ユベルは、同盟軍本隊に同行し、魔王軍二千の陣頭指揮を取っていた。そもそも魔王軍の指揮は人間に任せられるものではない。魔王の腹心たちがこれにあたるのだが、さすがに二千もの皇魔の軍勢となると、それら腹心のみに任せるのも危険だと判断したのだ。
魔王軍は、ユベルが外法によって開花した異能力でもって、支配・掌握している。
ユベルの支配は、広範囲に及ぶ。それこそ、ログナー島全域が支配下に入っているといっても過言ではない。ユベルたちがメキドサールを放棄し、コフバンサールに移り住んでから魔王軍の戦力が増加したのは、ログナー島全域に隠れ住んでいる皇魔たちを招集したからなのだ。ユベルが皇魔の招集を行ったのは、メキドサール放棄、マイラムからの撤退において、多大な損害がでたからにほかならない。女神教団との戦いにより、魔王軍はその総戦力を半数以下にまで激減させられたのだ。故に彼はコフバンサールに新たな集落を作りつつ、ログナー島の皇魔を招集した。
ユベルとの対象皇魔の距離が近ければ近いほどその支配力は強くなり、遠ざかればそれだけ弱くなっていく。意志力の弱い皇魔ならばまだしも、自我が強く、強烈な人格の持ち主となると、ある程度遠ざかるだけで彼の思い通りに動かなくなる可能性があった。これまで皇魔に裏切られたことはないが、そうなる可能性があり、危険性がある以上、無茶はできなかった。それならば、みずからが出向く方がいい。
残る一千の皇魔は、妻でありリュウディースの女王たるリュスカに一任してある。人間のことを嫌っていないリュスカが指揮を取る限り、人間たちに対して不利益をもたらすことはないだろう。
逆は、駄目だ。
リュスカを最前線に送りこみ、みずからは後方でのうのうとしているなど、ユベル自身が許せない。
故に彼自身が前線に出て、二千の皇魔たちを指揮することとしたのだ。そうすれば、皇魔が万が一にも味方の人間を襲うことなどありえない。
マルスールは、エンジュールから全速力で駆け続ければ二日もかからないほどの距離に位置している。マルスールへの強襲が目的ならば当然、休息を惜しみ、強行軍で駆け抜けなければならない。マイラムの女神教団本隊が、マルスール救援のために、三種同盟軍本隊の後背を突くために動き出すのは明白だからだ。女神教団本隊が到着する前にマルスールを落とすには、速さが肝要だった。
もっとも。
「マイラムが動いたか」
ユベルは、斥候としてマイラム方面に飛び、彼の元に戻ってきたベクロボスからの報告により、状況が参謀エイン=ラナディースの思惑通りに動いていることを知った。浮遊する大きな眼球とでもいうべき姿のベクロボスは、その異様な外見だけで人間から忌み嫌われている。皇魔の中でも特に奇異な姿なのだ。しかし、その優れた視力と飛行能力は、情報収集に向いており、斥候として役に立つため、重宝していた。
ベクロボスの報告によってマイラムの動きを知ったユベルは、本隊人間部隊の指揮を取るログノールの指揮官に連絡を取った。ユベルは皇魔たちの統制を取りことすれ、全軍の指揮を任されているわけではないのだ。本隊全体の指揮を取るのは、ログノールの将校であるエイラ=ラジャールという女だった。彼女は、その名から分かる通りエイン=ラナディース(旧姓ラジャール)の血縁者だそうだが、指揮官に抜擢されたのは参謀の血縁だからというわけではないようだ。ログノールもエンジュールも人材不足であり、猫の手も借りたいほどだという。
(皇魔の手を借りるほどだものな)
苦笑する。
ユベルは、エイラ=ラジャールからの伝令を聞くと、すぐさま、魔王軍を転進させた。
同盟軍本隊の目的は、マルスールの制圧ではない。
マイラムに駐屯する女神教団の主戦力の大半を引き出し、マイラムから遠く離れた場所に引きつけておくことなのだ。
『女神マリエラは、ただの巡礼教師でないことは、これまでの戦いからも明らかです。ある程度の戦術に精通した人物なのは、間違いない。でなければ、メキドサール、マイラムと立て続けに落とすことなどできなかったはず。もちろん、女神教団の戦力によるところは大きいのですが』
会議のとき、エイン=ラナディースは、女神教団教祖マリエラ=フォーローンをそのように評価した。無論、メキドサールを放棄する結果に終わった戦いが女神マリエラの描いた戦術だったのかは不明だ。しかし、女神教団がマリエラによって完璧に近く支配されていることはまず間違いなく、マリエラ以外の人間の意図が教団軍の動きに反映されているとは考えにくいのだ。
故にエイン=ラナディースは、女神教団軍を動かしているのも女神マリエラであると断定している。
『となると、こちらの動きを見て、その意図をある程度看破するだろうと考えるべきでしょうね。半端な戦術では、対応してきた女神教団の戦力によって押しつぶされることうけあいです』
参謀エインがそのうえで組み上げた戦術がいま、まさにユベルたちを突き動かしている。
まず、同盟軍の全戦力のうち、半数以上に当たる四千をマルスールに向ける。女神教団全兵力に比べるとなんともか弱い戦力だが、女神教団は、マルスールに二千足らずしか防衛戦力を残していないという事実がある。マルスールを落とすには、四千(内皇魔二千)もあれば十分すぎる。
しかし、そううまくいくわけもない。
この動きは、女神教団にもすぐに伝わることだ。なぜならば、女神教団はログナー島制圧のため、マイラム以東に監視の目を光らせていたからだ。斥候を各所に伏せさせ、同盟軍にわずかでも動きがあれば知らせるよう、情報伝達の経路が組み上げられている。エイン=ラナディースはそのことを承知の上で、いやむしろそれを利用するようにして戦術を組んでいた。
同盟軍本隊の兵力、進軍経路がマイラムに伝われば、女神マリエラはどう判断するか。
『女神はおそらく、軍を二手に分けてマイラムを進発させるはずです。ひとつは、マルスールに向かった同盟軍本隊の後背を突き、マルスールの軍勢とともに挟撃するため。ひとつは、エンジュールに集まった残りの同盟軍を討つため』
童顔の参謀の想像通り、ベクロボスは、マイラムを出発するふたつの軍勢を確認しており、そのふたつの軍勢のうちひとつが南に向かい、もうひとつが西に向かって進軍し始めたということも、把握済みだ。
『女神教団は、同盟軍が主力をマルスールに向けて発し、戦力が分散したいまこそ、同盟軍との戦いに決着をつける好機だと考えるでしょう。本隊と別働隊、各個に撃破しようとするはずです。女神教団にとって、これほどの好機はありませんからね。反応しないわけがない』
エインは、マイラムの女神教団を動かすため、わざと主力をエンジュールから引き離し、女神教団にとって望むべくもない状況を作り上げたのだ。
『そうなると、どうなります?』
『マイラムが手薄になるな』
『ご明察』
エインは、ユベルの返答ににこりと笑った。だれでもわかるような簡単な問題だ。
『我々の勝利条件は、女神マリエラ=フォーローンの打倒。これ以外にはない。女神を討たなければ、いつか完全に敗北を喫することとなる。しかして、女神みずからが前線に出てくることなど考えられない以上、マイラムに乗り込まなければ、勝利の可能性さえ見い出せません』
かといって、正面からマイラムに乗り込もうとしたところで、どうしようもない。圧倒的な兵力差、戦力差を前に蹴散らされるだけだ。
マイラムに集まった女神教団戦力をいかにして女神から引き離すことができるか。
それに同盟軍の勝敗がかかっていた。
いまのところ、エインの思惑通りに推移している。
同盟軍本隊は、マルスールまであと半日というところで北へと転進し、小高い丘の上に陣を敷いた。北からは女神教団の軍勢が土煙を上げながら迫ってきつつあった。その数およそ六千。
「エンジュールには四千ほどが向かったそうだ。つまり、マイラムに残っているのは二千ほどと見ていいわけだ」
「では、マイラムは相当手薄になっているのだな」
ユベルの言葉に、隣に立つエイラ=ラジャールが静かにいった。エイン=ラナディースによく似た女将校は、レスベルやリュウディースといった皇魔であふれかえる魔王軍本陣でも物怖じしないどころか、嫌そうな顔ひとつしなかった。
「いまのところ、エイン参謀の思い描いた通り……」
「あとは、彼らがうまくやってくれること祈るのみだが」
ユベルは、北の荒野から迫りくる軍勢ではなく、北東の空を仰ぎ見た。
真冬の晴天は青く澄み切っているが、その彼方に飛行する物体があるはずだった。
それこそ、この女神マリエラ討伐戦の要だ。




