第千八百二十六話 守護精霊
「レインの守護者……ですの?」
リュカは、ただ言葉を反芻するようにして、青年を見つめた。
青白い光を発する青年は、それだけで普通ではないことがわかる。いやそもそも、光の塊が変じて青年の姿になったのだ。その時点で普通ではない。そしてそれがリュカたちが使うような魔法ではないことも、力の流れからわかるのだ。魔力ではない。もっと別の、不可思議な力が働いている。それは優しく、穏やかな力だった。
「そう。わたしは彼の守護者。彼とエレニアを守るためにこの世に示現した。それがわたしのすべて。それがわたしの存在理由。存在意義……」
「よく……わかりませんの」
リュカは、ゼフィロスと名乗った青年の話が少し難しいと想った。いいたいことはわからないではない気もするのだが、それはそれとして、説明としては不十分ではないか。
「エンジュールがぶじなのは、ゼフィのおかげなんだよ」
「そうなんですの?」
「うん!」
元気いっぱいうなずくレインを見る限り、彼が嘘をついているわけではなさそうだった。彼は、彼の信じている本当のことをいっているのだろう。つまり、エンジュールは、ゼフィロスという青年によって護られてきた、ということになる。
エンジュールは、かつて存亡の危機に直面したという。
最終戦争とも呼ばれる大陸全土を巻き込んだ大戦争がエンジュールに及んだ際、エンジュールは数え切れないほどのヴァシュタリアの軍勢に攻め滅ぼされようとしたというのだ。しかし、結果は、ヴァシュタリア軍の大敗につぐ大敗であり、エンジュールは最終戦争をほとんど無傷で生き残ったといわれている。直後に起きた“大破壊”がその勝利を台無しにしたものの、ヴァシュタリア軍による介入を避けられたおかげで、エンジュールは現在も無事なのだから喜ぶべきだろう。
そんな話をリュカが知ったのは、レインと出逢い、彼がエンジュールに住んでいるという話を聞いてから必死になって調べたからだ。レインのことをもっと知りたいという想いが、彼女を苦手な勉学へと走らせた。そうして身についた知識が役に立つかは不明だが、少なくともいまは色々な想像が働く力となったのは間違いない。
なぜヴァシュタリア軍がエンジュールに大敗を喫し、制圧を諦める結果に終わったのかは、諸説ある。ひとつは、エレニア率いる黒勇隊が神出鬼没の戦術でヴァシュタリア軍を撹乱し、手痛い損害を与えたというもの。ひとつは、エンジュール全土を暴風の障壁が包み込み、ヴァシュタリア軍を撃退したというもの。黒勇隊の戦力ではヴァシュタリア軍を撃退できるわけがないのだが、かといって、運良くエンジュールを覆うような暴風が吹くかというと、疑問が残るところだった。
その疑問の解決の糸口が、目の前の青年であるらしい。
「では、レインのいうとおり、あなたがエンジュールを護ったんですの?」
「そう。わたしはエレニアとレインが生きるこの郷を護った。そのために多大な力を消耗したけれど、無駄ではなかったはずだ。こうして、レインも生きている」
「うん!」
レインが力強くうなずく。ゼフィロスを前にしたレインは、いつも以上に生き生きしているように見えた。いや、彼はいつだって元気いっぱいで、ときに体力で勝るはずのリュカが音を上げることもあるほどだったが、今日の彼の元気さは、いつもとは様子が違うものだった。なんだか、はしゃいでいる。ゼフィロスといるのがそんなに嬉しいのだろうか。
リュカは、なんだかゼフィロスのことが嫌いになりそうな自分に気づいた。
「リュカといられるのも、ゼフィのおかげだよ!」
「そう……ですのね」
レインの満面の笑顔に毒気を抜かれて、リュカは、茫然とした。
確かにそういわれれば、そうだ。ゼフィロスが本当にエンジュールを護ったというのであれば、リュカがレインと出逢えたのも、ゼフィロスのおかげというほかない。ゼフィロスがいなければ、いまごろエンジュールはどうなっていたのか。ヴァシュタリア軍によって攻め落とされた後、散々に蹂躙されていたのではないか。マルスールと同じ運命を辿っていたのではないか。そうなった場合、リュカがレインと運命の邂逅を果たすことなどなかったのではないか。
そう考えたとき、リュカはレインとの出会いにさらなる運命を感じた。
そして、ゼフィロスに感謝した。
ただ、気になることがあった、ゼフィロスがどうやってエンジュールを護ったのか、ということだ。
「もしかして、あなたが嵐を起こしたのですの?」
「そうだよ、愛らしいお嬢さん」
ゼフィロスが穏やかな微笑みを投げかけてきて、リュカは戸惑った。その笑顔がどことなくレインに似ていたからだ。よく見ると、目の形がそっくりだ。
「わたしが風を起こした。わたしは風の化身だからね。それくらいのことは、できる」
「でしたら、女神教団との戦いにも協力してくださればよろしいのに。エレニア様にも、レインにも、危険が及ぶかもしれませんのよ?」
「……そうしたいのは山々なのだけれど」
ゼフィロスは、残念そうな顔をした。
「エンジュールを護るために力を使いすぎたんだ。いまはこうして力を蓄えておくことしかできない」
「なんとも頼りないことですのね」
「ゼフィはがんばったんだから、そんなこといわない」
「……それも、そうですわね。ゼフィロス様、ご無礼のほど、許してくださいな」
「気にしていないよ。それに君のいうとおりだ。愛らしいお嬢さん」
リュカは、ゼフィロスの彼女の呼び方が気になって仕方がなかった。なんとも気障な言い方に聞こえてならない。ただ不快感はない。気になる程度のことだ。
「わたしにもう少し力があれば、レインやエレニアの力になってあげられるのに。もどかしいことこの上ない」
「あなたは……どうしてそこまでエレニア様やレインの力になりたいのですの?」
リュカは、ゼフィロスがエレニア、レイン親子に拘る理由がわからず、疑問を持った。ゼフィロスがいったいなにもので、なぜレインたちだけを守りたがっているのか、まるでわからない。
ゼフィロスは、リュカを見つめながら少し間をおいて、口を開いた。
「わたしはかつてアークブルーと呼ばれたものだ」
「アークブルー?」
「レインの父親は知っているかい?」
「ウェイン・ベルセイン=テウロス!」
「あら、レイン。いまのはわたくしへの質問でしてよ」
「あ、ごめん……」
「別に構いませんが。もちろん、知っておりますわ。稀代の武装召喚師だったとか」
“大破壊”よりずっと以前、大地が地続きであり、ログナーが独立した国だった頃、ログナーには二名の高名な騎士がいた。赤騎士グラード=クライドと青騎士ウェイン・ベルセイン=テウロスだ。その青騎士ウェイン・ベルセイン=テウロスについては、調べられるかぎり調べている。
なぜならば、レインの父親だからだ。リュカは、レインに関することはなんでも知りたがった。知るために時間を惜しまなかったし、そのことが勉学への熱意の現れとして受け取られ、ナルナや両親を勘違いのまま喜ばせたことには、多少の罪悪感を覚えたりしたものだ。
ウェイン・ベルセイン=テウロスは、ログナーが誇る武装召喚師だったと記録にある。複数の召喚武装を同時に扱うという時点で、並の武装召喚師ではないと記録はいうのだ。飛翔将軍アスタル=ラナディースの片翼であり、飛翔将軍の魔剣とも呼ばれた人物。しかし、彼の活躍は、ガンディアの躍進によって途絶えている。のちにガンディアの英雄として名を馳せたセツナ=カミヤによって斃され、命を落としたというのだ。
セツナ=カミヤは、その後も活躍を続け、エンジュールを領地として拝領している。つまりレインは、父親の仇の領地で生まれ育っているということになるのだが、彼は、そんなことを気にしている風もなかった。むしろ、エンジュールを生まれ故郷として愛し、誇りに思っている様子すらある。おそらく、エレニアがそのように育てたからだろうし、周りからの影響もあるのだろう。少なくともレインは、エンジュール領伯のことを悪く想っているようには見えなかった。
ちなみに、リュカの父親であるユベルも、セツナ=カミヤ擁するガンディア軍に敗れ去ったという歴史がある。しかし、ユベルはそのことを悪し様にいわず、セツナを賞賛することのほうが多かった。むしろ、その敗北があったからこそいまの自分があり、リュスカとの日々があり、リュカが生まれたのだという旨のことをいっていた。リュカもそういう経緯からセツナのことを悪く想っていなかった。逢ってみたいという気持ちのほうが強い。父ほどの人物を退けたのだ。どれほどの人間なのか、見てみたかった。
それは、ともかく。
ウェイン・ベルセイン=テウロスが当時においては最高峰の武装召喚師のひとりであるらしいということは、記録上確かなようだ。その稀代の武装召喚師が愛用した召喚武装の名が、確か――。
「そういえば、ウェイン・ベルセイン=テウロスの召喚武装にありましたね、アークブルー」
「ほう、よく知っていたね。そう、ウェインの召喚武装なんだよ」
「あなたが……ですの?」
「……厳密にいうと、違うんだけれど」
「どういうことですの?」
「わたしにも、よくわからない」
彼は、頭を振った。
「わたしは気がつくと、ここにいたんだ。頭の中には、ウェインのこと、エレニアのことがあった。だからエレニアのことを護ると決めた。すると、エレニアは、ウェインとの間に生まれた子供がいた」
「ぼくだよ!」
「わかっておりましてよ」
「うう……」
「レインのことも護らなければならなかった。それがわたしの存在意義だからね」
「ゼフィロス様、あなたは……」
「いっただろう。よくわからない。ただ、ウェインが愛したひとを護るためだけに存在するという事実以外、なにも……」
結局、ゼフィロスがなにものなのか、わからないようだった。彼がいうにはアークブルーだったものということなのだが、それも確証があってのことなのか、不明なままだ。ただ、彼は、いう。
「疑問はない。わたしの存在はそれがすべてだ。そして、それでいい。それ以外、なにもいらないんだ。ただ、エレニアとレインが健やかに生き抜いてくれれば、それだけでわたしは満たされる」
ゼフィロスはそう言い切ると、レインを見て、それからリュカに目線を戻した。淡く輝く目が、綺麗だった。
「リュカ。どうか、レインとこれからもずっと仲良くしてやってほしい」
「た、頼まれなくとも、仲良くしておりましてよ」
「そうか。それは良かった。ね、レイン」
「うん!」
レインは、ゼフィロスに大きく頷くと、こちらを振り返った。いつもと変わらない満面の笑みは、この上なく魅力的で、それだけで彼女は満たされた。
(これからも……ずっと……)
ゼフィロスの言葉を胸中で反芻したとき、彼女は胸の奥が熱を帯びるのを認めた。それだけでなく、体中が暖かくなった気がした。