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第百八十一話 血塗られた龍の結婚式

 視界が霞んでいる。感覚も、鈍ってきている。血を流しすぎたのだ。深手を負ってしまったからだ。馬鹿げたことだが、いまさら取り返しようがない。傷口を一瞬で塞ぐような便利な召喚武装など聞いたこともないし、この世に存在したとしても、使い手がこの軍にはいなかった。

 ルクス=ヴェインは、逆巻く暴風の中心で女を抱きしめる男の姿に茫然としながらも、そのまま気を失いそうになっている自分にも気づいていた。

 低空飛行する男に接近したがために酷い目に遭ってしまった。暴風に切り刻まれ、全身が悲鳴を上げた。強烈な痛みに涙目になっている。それでも意識をなんとか保てているのは、グレイブストーンを握っているおかげだろう。手放せば、一瞬で意識が飛ぶに違いない。それほどの重傷だった。シグルドは軽口を叩いてきたが、ルクスはそれどころではなかった。

 ふらつく体を何とか固定して、男を見ていた、

 飛び立てば、再び斬り込むつもりだった。今度こそ、五体はばらばらにされるかもしれないが、その前に男を斬り殺すことができれば、無事に生き残れるだろう。

 そういう気概が相手に伝わっているのかは不安だったが、暴風圏を構築したまま動かないところを見ると、それなりに効果はあるように思えた。だが、それもいつもでも続かない。男が動き出すというよりも、ルクスの意識が持ちそうになかった。

 暴風による防壁は強固だ。

 シグルドは突破することもできずに弾かれていた。ジンも無理だろう。ルクスが突破できたのは、グレイブストーンで風を切り裂き、その間隙に身を滑り込ませることができたからだ。二度目の斬撃で、相手の鎧の羽を切った。それで飛行を止められるかどうかは少々不安だったが、上手くいった。斬撃が通らないという可能性も考慮したものの、あそこでルクスが飛びかからなければ敵は本陣へと到達していたに違いない。その場合、クオンが盾の力で本陣を守護してくれたとは思うが、間に合ったかどうかまではわからない。

 ともかく、ルクスが敵をこの場に足止めできたのは僥倖だといえる。

 男は暴風防壁を展開したまま、動こうとはしない。

 なにを考えているのかはわからないが、本陣に特攻しないというのなら好都合だった。もっとも、暴風圏には通常の弓はおろか、《白き盾》の鉄槌女による爆撃も効果が期待できない。突っ込むしかないが、それは《白き盾》にやってもらえばいい。盾の庇護下ならば、問題なく接近できるはずだが。

「ガンディアの勇士諸君!」

 不意に、男の声が響いた。甲高く、やや耳障りな声だが、雄々しく、勇ましくもあった。

 男は、抱きしめていた少女の体を離していた。

「我が名はジナーヴィ。国主ミレルバス=ライバーンより聖将位を授かり、諸君らを撃滅するためにここまできた。が、諸君らは強く、我らは弱かった。敗因のひとつは我が方の弱さではあるが、ひとつは俺の存在だろうな。俺は戦争というものをよく理解していなかった。それだけのことだ」

 ジナーヴィと名乗った男の演説染みた言葉が、戦場に響き渡る。彼が立っているのは、戦場の中心辺りだろう。両軍の中央部隊が対峙し、視線が交錯したであろうちょうどその中心。暴風が逆巻き、川の水が巻き上げられ、月明かりの反射によって光の渦のようになっている。

「さて、諸君。諸君らが勝利を決定づけるには、この俺を殺すことが必要だ。聖将ジナーヴィ=ワイバーンを殺せば、軍は纏まりを失うだろう。戦う意欲もな。君らの勝利は決定的なものとなる」

《白き盾》の団員たちが、ようやく《蒼き風》の包囲陣に辿り着いたようだった。ルクスの目の前に、クオン少年が進み出る。シールドオブメサイアの加護があれば、彼らは無傷で暴風圏を突破できるだろう。が、クオンとその部下たちはまだ動き出さない。

 ジナーヴィの最後の言葉を聞いてあげようというのだろう。あまりに甘い。あまりに温い。いまが好機。いまを逃す手はない。

(が、悪くない……)

 朦朧とする意識の中で、ルクスは自分の甘さも笑った。だが、戦場とはこういうものなのではないか、とも思うのだ。峻烈極める戦場で、死を覚悟したものを嘲笑うことは、だれにもできない。

「だが、その前に、俺は彼女、フェイ=ヴリディアを妻とすることを諸君らに宣言する! ジナーヴィ=ワイバーンとフェイ=ワイバーンの結婚、しかと見届けよ!」

 一方的に宣言してきた男は、小柄な女を抱きかかえると、その唇を吸った。濃厚な口づけは、ふたりの愛の深さを戦場の兵士たちに魅せつけるかのようだった。

 ルクスは、意識が復活するほどの驚愕の中で、素っ頓狂な声を上げていた。

「はあ?」

「やっぱりいかれてやがるぜ、あいつ」

 シグルドがあきれ果てたようにつぶやいた。

「狂っているからこそ、こんな惨状なのでしょう」

 シグルドとともに振り返ると、ジン=クレールが立っていた。

「お、副長」

「伝令からの報告です。敵右翼部隊壊滅。右翼に当たっていたルシオン軍が中央に展開、ミオン騎兵隊とともに中央の部隊も撃破し、敵陣左翼へと雪崩れ込んでいるとのこと」

「勝利は目前、か」

 シグルドがやや呆然とつぶやいたのは、あまりにあっけない戦闘だったからだろう。奇襲が成功したことで、戦況がこちらに傾いたのだ。そしてジナーヴィのいった通り、敵軍の兵が弱すぎた。中央はそこそこ頑張って吐いたが、それでも《蒼き風》と《白き盾》の連携の敵ではなかった。

 ルクスは、前方に視線を戻した。光の渦の中で、男と女が抱きしめ合ったまま、なにかを語っている。ルクスの耳には届かない声で、なにかを語り合っている。女は、涙を浮かべていた。

「ジナーヴィ=ワイバーン……」

 彼を殺せばこの戦いは終わるだろう。

「ま、忘れられねえ名前にはなったな」

 シグルドの発言で、ルクスは、彼がなにをしたかったのかを悟った。

 生きた証を残したかったのだ。



「嬉しい……!」

 唇を離したとき、フェイがいままでに見たこともない笑顔を浮かべていたことが、ジナーヴィにとっては歓喜そのものだった。彼女の両目から涙がこぼれ落ちていくのを見届けながら、その華奢な体を地面に下ろす。このままずっと抱きしめていたかったが、それは許されないだろう。ここは戦場なのだ。

 戦禍逆巻く戦場での結婚宣言。

 証人は敵兵であり、敵軍の記録に刻まれればそれでいい。

 天も地も人も、祝福などしてくれはしないだろう。だれもが呆気にとられ、苦笑するか、冷笑するか、嘲笑するか。

 だが、それでいい。

 所詮、呪われた人生だ。

 その末期を飾るのに、他人の評価など気にする必要はない。ただ、証言してくれればいいのだ。ジナーヴィ=ワイバーンと名乗った男が、追い詰められてとち狂い、部下の女フェイ=ヴリディアと結婚した、と。ジナーヴィ=ワイバーンとフェイ=ワイバーンの死の記録を残してくれさえすればいい。

「わたし、ジナのお嫁さんになれたんだね」

 フェイは、うっとりとしたように自分を抱きしめていた。溢れ出る感情のすべてを自分の胸に閉じ込めるように、強く、優しく。

 ジナーヴィは、そんな彼女の姿を網膜に焼き付けていた。これが最期だ。それで終われる。後悔はない。死ぬことができるのだ。

「ああ、しかも、ワイバーンだぜ。もう、なにものにも囚われなくていいんだ」

「うん!」

 ジナーヴィの言葉にフェイが力強くうなずいた。

 ジナーヴィが名乗ったのは、ライバーンではない。ワイバーン。とっさの思いつきだったが、ライバーンと名乗るよりは余程良かったと自負していた。五竜氏族という血の宿業から解き放たれるには、こうするよりほかになかった。無論、名を変えたところで、ふたりの体に流れる血を変えることはできない。呪われた宿業と忌むべき血は、死ぬまで流れ続けるだろう。

 しかし、ガンディア軍の記録には、どうだ。

 ガンディアという国の歴史の片隅に刻まれる名は、ジナーヴィ=ライバーンではなく、ジナーヴィ=ワイバーンであるはずだ。フェイ=ヴリディアではなく、フェイ=ワイバーンであるはずだ。

 ザルワーンという国に生まれ、五竜氏族の血に縛られ、故に見捨てられ、地の獄に繋がれた。闇の中で、光を求め続けてきた。見つけたのは、同じように光を求める少女の魂であり、彼女との触れ合いが、ジナーヴィのいまにも壊れ落ちそうな魂を現実に繋ぎ止めてくれた。

 彼女を幸せにしたい。

 ただそれだけが、彼の原動力だった。

「最高に幸せだよ、ジナ」

「俺もさ、フェイ」

 ふたりは、もう一度だけ抱きしめあって、敵に向きなおった。

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