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第千八百十八話 首脳会議(一)


 大陸暦五百六年二月七日。

 魔王ユベルは、エンジュールの守護エレニア=ディフォンの再三に渡る催促に応じる形で、エンジュールで開かれる三者同盟首脳会議に参加するべく、コフバンサールを出立した。

 ユベルひとりでは危険があるため、護衛としてリュウディースのナルナ、ベクロボスのミュウが同行することとなり、また、リュカも連れていくこととなった。

 魔王の娘たるリュカはともかく、なぜナルナとミュウなのかというと、この二名が皇魔でありながら皇魔とは一線を画する外見の持ち主だからだ。ナルナはリュウディース特有の青白い肌ではなく、白くなめらかな肌をし、紅い光を発するだけの眼孔ではなくなっていた。目があるのだ。それはベクロボスのミュウも同様であり、空中を浮遊する眼球という奇異な姿をした他のベクロボスとはまったく異なる、金色の毛玉というべき姿をしたミュウは、見る限り皇魔には見えなかった。

 リュウディースの女王であり、ユベルの妻であるリュスカは、コフバンサールに残り、皇魔たちが勝手をしないよう、彼の代理を務めてくれている。が、ユベルやリュカに万が一のことがあれば、リュスカは皇魔たちの暴走を止めないだろう。むしろリュスカが率先してエンジュールやログノールとの戦争を始めるかもしれない。平和主義、博愛主義のリュウディースだが、家族が傷つけられれば地獄のような闘争を始めるのもまた、彼女たちリュウディースの種族的特徴なのだ。

「エンジュールには温泉があるという話だったな」

「おんせん……とはなんなのでございます?」

「天然自然に湯が湧いているのだそうだ」

「お湯が、でございますか?」

 リュカは、ナルナの膝の上できょとんとした。それから、頭の上にちょこんと乗っかったミュウを両手で掴み、自分の膝の上に持っていきながら、睨めつけてくる。

「お父様、またリュカを騙そうとしているのですね?」

「またとはなんだ。わたしがいつおまえを騙したんだ」

「まあ」

 リュカが驚きの余り両手を離し、ミュウが膝の上に落下した。黄金色の毛皮に覆われた小動物じみた皇魔は、リュカの膝の上で丸くなる。

「もうお忘れになられたのですか? この間だって――」

 リュカとの会話は、とりとめがない。

 いつ果てるともわからない会話を続けながら、ユベルは、エンジュールでの会議に想いを馳せた。


 三者同盟首脳会議が開かれることになったのは、無論、唯一乗り気でなかった魔王ユベルがエレニアの交渉に根負けしたからにほかならない。ユベルが拒絶し続ければ、いつまでも開催される運びにはならなかっただろうし、三者同盟そのものが決裂し、女神教団によって蹂躙され尽くしていたことだろう。

 女神教団は、それほどまでに凶悪だった。

 女神教団。

 みずからを女神と称するマリエラ=フォーローン率いる宗教団体であり、国家だ。数か月前まではヴァシュタリア共同体の生き残りとして、マルスールからログナー島全域の支配を目論んでいたが、あるときを境に女神教団と名乗るようになった。

 マルスール・ヴァシュタリアと呼んでいたころと戦力的に変わっているわけがなかったのだが、去る一月前、メキドサールを電撃的に襲撃した女神教団の戦力は、魔王軍の全力をもってしても撃退しきれないほどのものであり、魔王とリュスカは協議の結果、メキドサールを放棄した。メキドサールごと女神教団の軍勢を業火で包み込むことで最後の反撃としたが、女神教団にどれほどの損害を与えることができたのかは不明なままだった。少なくとも大打撃にさえならなかったことは、その後、マイラムに逃げた魔王軍を女神教団の軍勢が猛追してきたことからもわかっている。

 ともかく、女神教団は、ヴァシュタリアを名乗っていたときよりもなぜか凶悪化していた。

 その凶悪化の原動力のひとつに、白異化した人間や皇魔をつき従えているという事実がある。

 白異化。

“大破壊”以降見られるようになった、肉体が白く異形化する症状のことだ。白異化は、人間や皇魔、あらゆる動物に発生する症状のようであり、白異化が進行すると、肉体が大きく変容するとともに周囲の生物を無差別に攻撃するようになるということが判明している。白異化は一度発症すると進行を食い止める方法はなく、治療法もなかった。

 殺す以外には。

 白異化は、ログノール、エンジュールのみならず、メキドサールでも度々確認されてきたものであり、メキドサールでは、白異化したものはみずから望んで命を断ってきた。皇魔の中には、種の存続のためであれば己を殺すことも能わないものが少なくない。皇魔は、異世界から召喚されてきたものたちなのだ。この寄る辺なき異世界で生き抜くためには、多少の犠牲もやむを得ないという考えがあり、連綿と受け継がれてきたのかもしれない。

 しかし、家族となったものたちを失うのは苦痛だ。

 ユベルは、白異化の治療法を確立するべく、配下の皇魔たちに研究を命じていた。しかし、リュウディースの魔法をもってすら痛みを和らげることしかできない症状を治療することなど可能なのか、どうか。不可能に近いのではないか、と、だれもが考えているようだが、ユベルは諦めるつもりはなかった。これ以上、家族や配下から白異化によって命を断つものを増やしたくはなかったし、白異化した挙句、女神教団の手先となるようなものを見たくはなかった。

 女神教団がどうやって白異化したものたちを戦力に組み込み、操っているのかはわからない。それが女神を名乗るマリエラの力なのかもしれないし、まったく別のものなのかもしれない。

 皇魔を支配する異能が存在する以上、白異化したものだけを支配する異能があったとしてもなんら不思議ではないとユベルは考えている。ただ、その場合の脅威度は、魔王の異能よりも遥かに高いということも考慮に入れなければならない。

 白異化し、変容したものは、皇魔ですら太刀打ち出来ないほどの力を発揮する場合がある。

 魔王軍がメキドサールを放棄したのは、第一に白異化した皇魔の圧倒的な火力に捻じ伏せられたからなのだ。

 白異化したものへの対抗手段がない限り、三者同盟に勝ち目はない。


 やがて、ユベルたちを乗せた馬車がエンジュールに辿り着いたのは、コフバンサールを出発した翌日のことだった。

 ユベルたちを乗せた馬車は、エンジュールがわざわざ用意してくれたものであり、なんの問題もなくエンジュールの強固な門を通過することができている。エンジュールの守護たっての願いで参加することになったのだ。それくらいの便宜を図ってくれるのは当然のことではあるが、気遣いが行き届いているという事実に代わりはなく、彼はエレニアや司政官ゴードン=フェネックの手際に感心した。そんなエレニアでも、失態を犯すのだから、人間に完璧を求めてはいけないのだ。

 エンジュールは、温泉郷として知られる小さな集落であり、“大破壊”による被害から立ち直りつつあるという話通り、活気に満ちていた。差し迫る女神教団の恐怖に脅えている様子もなければ、皇魔の集落コフバンサールの影響も見当たらないほど平穏に満ちあふれている。

 盆地だ。

 周囲をなだらかな丘や山に囲われた盆地にエンジュールの市街地があり、周囲の山々の中に多数の温泉宿があるという話だった。

「おんせんはどうでもよいのですが、レインはどこにいるのでしょう?」

「明日にも逢える」

「あしたまで待たなければなりませんの?」

「一晩も待てないのか?」

「お父様はいじわるです。リュカはレインに会うためについてきたのですよ」

「……そうだったな」

 馬車の窓の外を覗き込む娘の何気ない一言が胸に深々と突き刺さり、彼は、憮然とした。ナルナがおろおろとしているのを見てとって、視線を逸らす。娘に友達が出来たのは、喜ぶべきことだ。いや、リュカには、友達は多い。魔王配下の皇魔のほとんどが彼女の友達といって差し支えはないだろう。しかし、その友達はリュカがそう想っているだけであり、彼らは、リュカを主君として見ているのだ。本当の意味での友達は、ひとりとしていない。

 その点、レイン=ディフォンは違う。同年代の男児である彼は、リュカを主君としてではなく、親しい友人として接している。そのことがリュカにもなんとはなしにわかるのだろう。彼女がことさらレインに逢いたがり、レインがコフバンサールを訪れるだけでこの上なく喜ぶのは、そのためだ。レインは、本当の意味でリュカにとって初めての友達なのだ。

 それは、父親であるユベルにとっても、母親のリュスカにとっても喜ばしいことだった。リュカが見せる素直な笑顔は、親にとってかけがえの無いものであり、彼女が満ち足りた様子で遊び回るのを見ているだけで、彼もリュスカも幸せだった。

 人間と皇魔の共存は、不可能だ。

 それは、これまでの経験やエンジュールでの拒否反応が証明している。

 しかし、リュカは、どうか。

 リュカは、人間と皇魔の混血という奇跡の象徴のような存在だった。

 彼女ならば人間とわかり合うという奇跡も起こせるのではないか。

 いや、それをいえば、レイン少年はどうだ。

 彼は生粋の人間だというのに皇魔に対してなんの先入観も持っていないようであり、リュカのみならず、ナルナやミュウ、ほかの皇魔とも積極的に触れ合い、皇魔こそ困惑させていた。不思議な少年だった。魔王と同様の異能を持っているわけでもないことは、彼が人語を介さない皇魔と意思疎通ができなかったことからもわかっている。それなのに皇魔に対して物怖じひとつしないのは、異様なことだった。

 そんな彼だからリュカと屈託なく接することができたのだろうし、人間に対し硬化し始めていた彼女の心を開くことができたに違いない。

 それそのものは、親として嬉しいことだ。

 だが同時に切ないことでもあるということを、彼はいまさらのように思い知った。

 リュカがレインに夢中であるということがなぜこうまで苦しいのか。

 簡単な話だ。

 リュカがユベルにとって目に入れても痛くないほどに可愛がっている娘であり、レインが男の子だからだ。

 レインに出会うまでユベルにくっついてばかりいたはずの娘が、いまやレインのことばかり考えているとなると、彼もそう想わざるを得なくなる。

 リュカは、レインのことが異性として好きなのではないか。

 彼はかぶりを降る。

 リュカは、外見上、五歳児くらいに見えなくもないが、実際にはもうすぐ三歳になるほどに幼いのだ。恋愛感情を知るには幼すぎるし、早すぎるだろう。

(考えすぎだ)

 彼は、馬車に揺られながら、苦笑を浮かべるほかなかった。


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