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第千八百十五話 三者同盟(一)


 エンジュールは、ログナー島東部、バッハリア近郊の集落だ。

 かつては、集落というには活気がありすぎるくらいにあったことは、エンジュールの住人のみならず、近隣住人ならばだれもが覚えていることだろう。ログナーにおいてバッハリアに続く第二の温泉郷として名を馳せていただけでなく、ガンディア躍進の要であった英雄セツナ=カミヤの最初の領地になったことは、エンジュールに多大な恩恵をもたらした。黒き矛のセツナの雷名と威光ほど強烈な呼び水はなく、エンジュールはバッハリアにならぶ観光地となっていったのだ。温泉を愉しむために訪れるものもいれば、英雄の領地ということで訪れるものもおり、また、英雄の庇護下ならば何不自由なく暮らせるだろうという想いがひとびとを惹きつけたのはいうまでもない。

 かくしてエンジュールは小さな温泉街とは言い切れないほどの規模へと発展したのだが、それには司政官ゴードン=フェネックの辣腕も大いに貢献したことは、エンジュール住民のよく知るところのようだ。

 そんなエンジュールだが、最終戦争を生き延びたのは、無論、黒き矛のセツナの威光のおかげなどではない。

 セツナの威光がヴァシュタリア軍を寄せ付けないほどのものであれば、そもそも、ガンディアが攻め込まれることなどなかっただろう。いかに一騎当千、万魔不当のセツナとて、何百万もの戦力を誇るヴァシュタリア軍を名前だけで撃退しうるほどの影響力はなかった。

 エンジュールは、当然、ヴァシュタリアの軍勢の攻撃を受けた。

 何度も、何度も、それこそ火の出るような猛攻を受けたが、エンジュールが陥落することはなかった。それどころか攻め寄せたヴァシュタリア軍に多大な損害を与え、エンジュールへの侵攻を諦めさせることとなったのだ。エンジュールのひとびとはその大勝利を喜び、領伯たるセツナにも顔向けできると想ったのも束の間、“大破壊”が起きた。

 大陸をばらばらに引き裂いた有史以来未曾有の大災害は、ヴァシュタリア軍を退けたエンジュールですら回避することはできなかった。人間の軍勢と自然災害は全く異なるものだ。たとえ神秘的な力によってヴァシュタリア軍を撃退することができたからといって、世界をずたずたに引き裂いた災害からも逃れられるなど、都合のいいことがあるわけもなかったということだ。

 とはいえ、“大破壊”から二年が経過したいま、エンジュールは少しずつではあるが確実に復興の道を歩み始めている。“大破壊”に被災し、壊滅状態だった温泉宿のいくつかが営業の再開に漕ぎ着けていたし、エンジュール内の被害状況は改善しつつあるとのことだった。

 このままゆっくりと時間をかけ、復興を進めていけば、必ずやエンジュールは元通りになるだろう。

 しかし、ログナー島はの現状は、そういった甘い考えを許さないものであり、エンジュールの代表である守護エレニア=ディフォンと司政官ゴードン=フェネックの悩みは尽きることがなかった。

 女神教団の勃興が、ログナー島の状況を一変させた。

 ログナー島南部の都市マルスールを支配していたヴァシュタリア教会の巡礼教師マリエラ=フォーローンは、ログノール領への第一次侵攻の失敗後、至高神ヴァシュタラの教えを捨てることを告げた。マリエラは、なにを想ったのか、みずからが女神であると宣言するとともに女神教団を立ち上げたのだ。ヴァシュタリア軍の将兵は全員が全員ヴァシュタラ教徒だったが、ほとんど女神教団に転じたという。ほかに生きる道はなかったからなのか、それとも、だれもがヴァシュタラへの信仰を捨てざるを得ないなにごとかがあったのか。いずれにせよ、ヴァシュタリア軍が女神教団軍になったところで、大勢に影響はない――ログノール政府もメキドサールの魔王軍も、エンジュールのエレニアたちもそう考えていた。

 実際、女神教団の樹立から暫くは、なんの音沙汰もなく、ログナー島は一月ほどの間、不安定な平穏に包まれていた。その間、ログノール、エンジュール、メキドサールの三者同盟は、度々情報交換を行い、女神教団との戦いに備えることを忘れなかった。名前を変えようとも戦力が変わるわけもなければ、考え方が変わるわけもない。度々目撃される斥候の姿などから、女神教団が依然としてログナー島の統一に野心を燃やしていることは明らかであり、警戒に値する存在であることに違いはなかった。

 つまり、三者同盟は、女神教団を脅威と見做し、万全の態勢を整えていたのだ。

 であるにもかかわらず、三者同盟は戦線の崩壊を招くほどの大敗を喫している。


 エレニア=ディフォンは、エンジュールの守護という立場にある。

 元々、領伯セツナ=カミヤの暗殺未遂事件の実行犯だった彼女は、エンジュールにおいては忌み嫌われるべき存在だった。セツナが赦したためにエンジュールにて監視下に置かれていたのだ。当然、風当たりも強く、エンジュールの住人の彼女に対する目は、まさに悪魔を見るようなまなざしだったことは、いうまでもない。

 そんな彼女がなぜ、守護と呼ばれる立場になったのかについては、様々な事情が絡み合っており、簡単に説明できるものではない。

 ひとつには、エレニアがエンジュール住民の信頼を勝ち取っていたことがある。

 ジゼルコートの反乱により、エンジュールが脅威に曝されたとき、彼女はエンジュール防衛の指揮を取り、見事守り抜いたのだ。その事実は、エンジュール住民に広く知れ渡り、それが彼女の贖罪のひとつであるとして受け入れるような流れができあがったようだ。

 さらには、領伯自身が率先してエレニアを登用しようとしたことが公然の秘密として知れ渡ったことも大きいだろう。セツナが、エレニアに暗殺されかけたことを毛ほども気にしていないことは周知の事実だったが、彼女の功績を称えるのみならず、登用しようとしたことは、エンジュール住民に感銘を与えたようだ。

 セツナの度量の広さ、器の大きさについては、エレニアも感じ入るものがある。

 もちろん、彼女の中には割り切れぬ想いもあるし、そのことは一生、心の奥底に留まり続けるのだろうが、それはそれとして、セツナを認めなければならないという想いもまた、存在する。セツナへの感謝の気持ちもあるのだ。セツナが赦してくれなければ、エレニアは刑殺されていたのは間違いないのだ。ガンディアにとっての最重要人物を殺そうとしたのだ。極刑こそ相応しい。

 セツナが生かしてくれたからこそ、エレニアはこうして生きていられるのであり、我が子の健やかな成長を見守ることができるのだ。それは、この上なく幸福なことであると、この絶望的な世界においても度々実感する。

 レインの成長だけが彼女の心の支えになっていたし、彼がなんの問題もなく生きているという事実こそが、彼女のセツナへの限りない感謝への源泉となっていた。

 そんなセツナの最初の領地であり、第二の故郷のように愛したこのエンジュールを守ることこそ、彼への恩返しとなるに違いない――と、エレニアは、だれにいわれるでもなく行動を起こし、最終戦争におけるヴァシュタリア軍の撃退に大きく関与した。

 そのことがきっかけとなって彼女はエンジュールの守護と呼ばれるようになったのであり、現在、エンジュールは守護エレニア=ディフォン、司政官ゴードン=フェネックのふたりによって運営されている。

 ゴードンは、エンジュールはいまもセツナの領地であると主張しており、そのためにかつてログノールとの合流を拒んでいる。ログナー島の統一を目指していたログノールにとっては、ゴードンの石頭は予想外の事態だっただろうが、エレニアを始めとするエンジュール住民には想像できたことではあった。ゴードンほどの力量があれば、彼がエンジュールの支配者になることも不可能ではなかったが、彼の律儀さはそれを拒み、いずれ帰還するであろうセツナを迎え入れることばかり考えていた。

 そんな律儀者のゴードンだからこそ、エンジュール住民は彼の考えを支持し、彼とともにログノールと戦うことさえ表明した。もっとも、エンジュールの戦力ではログノールと戦うなど不毛以外のなにものでもなく、ログノールと協調することになったのだが。

 ログノールは、ログナー再興を謳う国家だ。ガンディアの一都市という立ち位置のエンジュールとは根本的に相容れない存在だったが、マルスール・ヴァシュタリアという目前の脅威に対しては、手を組むことも辞さなかった。さらにログノールは、魔王率いるメキドサールとの協力関係を締結、第一次マイラム防衛戦後、エンジュールを含めた三者同盟が結ばれることとなった。

 それから二月ほどが過ぎた五百六年二月。

 エンジュール守護エレニアは、三者同盟の維持に奔走していた。

 ログノール、エンジュール、メキドサールからなる三者同盟は現在、決して良好といえる状況にはなかったのだ。

 先程も触れた三者同盟の大敗の結果、三者の間に軋轢を生んでいた。



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