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第千八百十四話 船出


 大陸暦五百六年二月六日。

 西ザイオン帝国海軍が保有する帝国最大級の艦船アデルハインを旗艦とする船隊の出航準備が整ったとの報せが、セツナたちの元に届いた。

 旗艦アデルハインは、その名の通り、かつての帝国皇帝の名を冠している。アデルハイン・レイグナス=ザイオンは、世界に名だたる冒険家であり、海洋冒険家としても世界的に知られているという話だ。ワーグラーン大陸のおおよその形が判明したのは、アデルハインが世界初の大陸外周一周を成し遂げたからであり、彼がその航海によって作り上げた大陸概要図は、世界中ありとあらゆる国と地域を席巻した。

 三大勢力のうち、帝国を除くヴァシュタリア共同体と神聖ディール王国がアデルハインの了解への侵入を許可し、補給のための寄港を許したのも、彼に大陸図を書き上げさせるためだといわれている。つまり、それまでは三大勢力のいずれも、大陸の正確な形を把握していなかったということであり、アデルハインの世界への貢献は類を見ないほど大きいということだ。

 そんなアデルハインは、帝国においても偉大な皇帝のひとりに上げられており、彼の偉大なる功績を讃えるとともにその栄誉に預かるため、この超大型艦船にその名がつけられた。

 帝国における武装召喚術の第一人者であり、ニーウェの師でもあったイェルカイム=カーラヴィーアが秘密裏に作り上げたアデルハインは、最大級の魔動船だという。魔動船とは一体どういうものなのか、まったくもって説明されなかったものの、どうやらただの海船ではないらしいということはその呼称からも想像がつく。

 メリッサ・ノア、キリル・ロナーの二隻も同じ魔動船だが、アデルハインに比べて一回りも二回りも小さく、乗船可能な人数もアデルハインの一千名超に比較すると、五百名そこそことその規模の差が窺える。魔動船としての性能差はそこまで大きなものではないらしく、大型魔動船の二隻のいずれかでも十分に航海可能であるということは、彼らの長い船旅によって立証されている。

 一体どんな機能が備わり、風力、火力とも異なる動力がなんなのか、そういったことは不明なまま、セツナとレムは、ランスロットに連れられて沿岸へと至った。

「魔動船は我が師イェルカイムがその才能のすべてを結集して作り上げたもの。彼の狂気に等しい情熱と想像を絶する知識の結晶なのです。おそらくこの世界でアデルハインに並ぶ船は存在しないでしょうよ」

 ランスロットは、自慢げな表有情を浮かべながら、超巨大艦船を見ていた。

 海に浮かぶ要塞とでもいうような威圧感がそこにはある。艦首に飾られた女神像の美しさも、圧倒するような黒い外装によって打ち消されるかのようだ。人体の何倍、いや何十倍もある巨大な船。そんなものを個人が秘密裏に作り上げることなど不可能だろう。そんなセツナの疑問に対する回答はというと、

「無論、師が個人的に作り上げたわけではありませんよ。エンシエルの地下工場を総動員していたんですから」

「つまり、総督閣下の指示ってことですか?」

「師が提案し、閣下が承認したんですよ。もちろん、内陸地で巨大艦船を建造するなんて馬鹿げたことですから、閣下も冗談半分に受け取っていたようですが……師は本気だった」

 くすりと笑ったのは、彼にとって師イェルカイムがそのような人物だったからなのだろうが。

「本気で歴史に残る船を作り上げてみせたんです。まさか完成に漕ぎ着けるとは、当時建造計画に従事していただれもが想っても見なかったでしょうがね。わたしだって、信じていなかった。きっとまた失敗するだろうとばかり」

「また?」

「発明に失敗はつきものですぞ、セツナ殿」

「そりゃあ……そうか」

「師は帝国に利をもたらす様々なものを発明しましたが、同時に数多の失敗を繰り返してきた。魔動船もそのひとつとばかり想っていたのですが、どうやら成功し、アデルハインの完成に漕ぎ着けた。その完成が幸運だったのはいうまでもありませんが、師は、完成したアデルハインを見ることが叶わなかった。それだけが心残りです」

 ランスロットが遠くを見るような目をして、いった。

 最終戦争が起きなければ、イェルカイムが命を落とすことはなかっただろう。イェルカイム=カーラヴィーアは、おそらくカイン=ヴィーヴルによって殺されている。カインがイェルカイムを殺したのは、イェルカイムがガンディオンを砲撃したからであり、もしそのようなことにならなければ、彼はアデルハインの完成を見届けることができたに違いない。もっとも、その場合は、アデルハインが海に出るまでさらなる年月を必要としただろうし、最悪、海に出ることも叶わなかったかもしれない、とはランスロットの言葉だ。

「エンシエルは内陸部ですし、ニーナ様もニーウェ様も疎まれていましたからね。同時にふたりに入れ込むイェルカイム師も、中央から遠ざけられていた。魔動船が採用されていた可能性は低いでしょうな」

 そんな魔動船がこうして日の目を見たことは、弟子として喜ぶべきなのかどうか。ランスロットは少しばかり複雑そうな表情で、アデルハインに向かういくつもの小舟を見ていた。小舟には、野営地から最後の撤収作業を行っている兵士たちが資材とともに乗り込んでいる。大半の兵士がすでにアデルハインに乗り込んでいるということだった。

「ま、こうして師が敬愛したニーナ様やニーウェ様のお役に立っているということは、師にとって喜ぶべき状況なのは疑いようがないのもまた、事実です。師は、ニーナ様こそ皇帝に相応しいという考えの持ち主でしたから、ニーウェ様が皇位継承なされたことには渋い顔をしているかもしれませんがね」

 そういって、彼はその話を打ち切った。

「わたくしどもが乗り込むのは、アデルハインではなく、メリッサ・ノアでございましたね」

「アデルハインは、キリル・ロナーとともに帝国本土への帰路に着きますのでね。もちろん、お二方がリョハンではななく、帝国を優先してくださるのというのであれば、一向に構いませんが」

「すみませんが、それは」

「わかっていますよ。こちらとしても、心ここにあらずな方々を戦力には数えられません。さっさとリョハンを見つけ出して、問題を解決してくださり、すっきりした状態で味方になってくれたほうがいい」

 涼しい顔でずばずばと切り込んでくるランスロットだったが、その言い分はセツナにも理解のできるものだ。

 メリッサ・ノア、キリル・ロナーの二隻は、アデルハインと違い、エンシエル地下工場で建造されたものではない。元々、帝国海軍が保有していた船をニーウェが皇位継承早々に回収し、独自に改造を施したものであるらしい。その改造というのは、アデルハインの動力機関であるところの魔動機関を組み込み、動力部を一新した上で外装を分厚くした程度のことのようだ。つまり、同じような手法を使えば、魔動船を量産することは不可能ではなく、西帝国は実際に魔動船の量産を進めつつあるという。

 ちなみに、メリッサ・ノアもキリル・ロナーもアデルハインとともに大陸外周一周に付き従った海軍将軍であり、海における皇帝の腹心として知られる人物らしい。つまり、アデルハインの従属艦に相応しい命名だということだ。

「ああ、ちなみに、わたしも閣下ともども帝都に帰るので、あしからず」

「ええ!?」

「それでは、わたくしたちはどうすれば?」

「リグフォード将軍が丁重にもてなしてくださりますよ」

 ランスロットがにこやかに告げてきたのは、セツナの予想通りの人物の名前だった。リグフォード・ゼル=ヴァンダライズ。帝国海軍の将軍ということだが、厳粛な空気を纏う寡黙な人物ということ以外、なにもわかっていない。

「……あのひとか」

「おや、苦手ですか?」

「苦手とかそういうことじゃなくてですね」

「まあ、無口な方ですからね。とっつきにくいのはわかりますが、しかし、あのひとほど律儀で実直な方もいませんから、なんの心配も不要ですよ」

「はあ……」

 セツナは、ランスロットのなんとも軽薄な口ぶりに不安を覚えた。そもそも、リグフォードとは挨拶を交わしただけの間柄だ。ひととなりについてはまったく理解できておらず、そんな人物と長い航海をともにすることがどれだけ心もとないか、ランスロットにはわからいのかもしれない。無論、リグフォードの能力や彼を将軍に任じた帝国の采配を疑っているというわけではなく、ごく個人的な感情の話だ。

「なによりあのひとはニーウェ陛下が闘爵のころから応援していた数少ない方ですから、陛下そっくりのセツナ殿を無碍に扱うことはありますまい」

「そういう問題ですか」

「陛下からセツナ殿のこともよく聞いているでしょうしね」

「どんな話を聞いたんだか」

「御主人様がニーウェ様を打ち負かしたことを根に持ったりしていなければよろしいのですが」

「怖いこというなよ」

 レムの何気ない一言にどきりとする。

 ランスロットやニーナの反応を見る限りはニーウェがセツナのことを悪し様にいったことなどないだろうが、それをどう受け取るかは聞いたもの次第だ。リグフォードがランスロットのいう以上に熱烈なニーウェ信者であれば、彼を打ち負かしたセツナを恨んでいたとしてもおかしくはない。今日に至るまでの何度かの対面において、そういった感情を見せることはなかったが、本心を隠しているだけかもしれないのだ。

「あはは、将軍に限ってそのようなことは……あるかな」

「あるんですか」

「まあ、きっと、たぶん、おそらくはだいじょうぶですよ、ええ」

「うわ、すごい不安になる言い方」

 セツナがたじろぐと、ランスロットは手をひらひらさせながら笑った。

「たとえ内心では嫌っていても表に出すような方ではありませんよ」

「そりゃあそうでしょうけど……」

「おや、噂をすればなんとやら、ですな」

 ランスロットがセツナたちの後方を見遣りながら、にやりとした。ランスロットはもしかするとセツナに対してなにか想うところでもあるのではないか。リグフォードではなく、ランスロットこそ、ニーウェを負かしたセツナを恨んでいるのではないか――そんな風に勘繰りたくなるほど、彼のセツナへの言動というのは、どこか棘がある。そんなことを考えながら振り向くと、リグフォードが数名の部下とともに歩み寄ってきているのがわかった。

 鍛え上げられた肉体に金糸の飾りが施された白基調の軍服を纏う壮年の大男は、セツナの目の前に辿り着くと、恭しく頭を下げてきた。黒基調の軍服が帝国軍の特徴だと想っていたのだが、どうやら海軍は違うらしい。

「セツナ殿、レム殿、お迎えに上がりました。どうぞ、わたくしのあとについてきてください」

「は、はい」

「よろしくお願い致します、リグフォード様」

「……ええ、こちらこそ。お手柔らかに」

 想像よりは口数の多かったリグフォードだったが、その物静かな雰囲気は、軽率とさえいっていいような空気の持ち主であるランスロットとは極めて対照的な重厚さがあり、セツナは奇妙な感覚に苛まれた。対面しているだけで息がつまりそうになるほどの重圧があったからだ。そんな人物、中々いるものではない。

 すると、ランスロットが不意に口を開いた。

「リグフォード将軍」

「なんですかな、光武卿」

「セツナ殿、レム殿のこと、なにとぞ宜しくお願い致します。陛下と帝国の未来がため、必要不可欠なお二方ですのでね」

「いわれるまでもないことです」

 リグフォードは笑いもしなければにべもなく告げた。そして、底冷えのするような視線でランスロットを見据える。

「光武卿こそ、陛下のこと、宜しくお頼み申し上げます」

「ええ、こちらもいわれるまでもないこと。陛下の身の安全は我ら三武卿におまかせを」

 リグフォードの視線に怯むことなく涼やかな笑みを浮かべたランスロットの胆力には、セツナも舌を巻く想いがした。セツナならば、たじろがざるを得なかったかもしれない。

「では、セツナ殿、レム殿。お二方の武運長久を祈っております」

「ありがとうございます、ランスロット様」

「ランスロットさん、陛下に、必ず力になると伝えてください」

「ええ、必ずや」

 ランスロットは、セツナに向かって初めてといっていいくらいの爽やかな笑みを見せた。

「では、いずれ帝都で」

 それが、ランスロットとの別れの言葉となった。

 その後、リグフォードたちが用意した小舟に乗り、大型魔動船メリッサ・ノアへと接近することとなった。野営地や浜辺から見ただけでも圧倒的な巨大さを感じることができたものだが、船に近づくたびにその質量の凄まじさに気圧されていった。圧巻というほかない。それでもアデルハインより二回りは小さいというのだから、アデルハインがどれだけ巨大なのかがわかろうというものだ。

 メリッサ・ノアは、アデルハインからかなり離れた場所に停泊しているのだが、その位置からでもアデルハインとの規模の違いははっきりとわかった。メリッサ・ノア、キリル・ロナーは同型艦だが、アデルハインは明らかにこの二隻とまったく違い、根本の設計思想からして異なるものであるらしい。

 メリッサ・ノアに近づいた後はどうするのかというと、甲板から垂らされた吊籠に乗り込み、上から引き上げられるのを待つだけでよかった。縄梯子でも登ることになるのではないかと覚悟していたのだが、そうではなかったのだ。

 吊籠は人力で引き上げられるのではなく、魔動船に搭載された魔動機によって半自動的に引き上げられるという話を聞いた。

「魔動機ってなんでもありなのでございますね」

「本当にな」

 レムが感心する傍らで、セツナも腕を組んだものだ。魔動機とはいったいなんなのか。これまで一切の説明がなかった。もしかすると帝国の機密情報なのかもしれず、故にどういったものなのかあかせないのかもしれない。

 もっとも、魔動機そのものは甲板上に設置されていたため、セツナたちが甲板に辿り着くと、すぐに視界に飛び込んできた。吊籠から伸びた縄を巻き取っている大きな機械こそ、吊籠を引き上げたり海に垂らしたりするための魔動機なのは、一目瞭然だった。全高二メートル程はあるだろうか。大きな機械で、横に吊籠に結ばれた縄を巻き取るための器材が付属している。

 機械の前には若い女性がひとり立っており、目についた。海軍の士官なのか、白基調の軍服を身に纏っていたが、それよりも目につくのは魔動機と思しき機械に突き刺すようにしている得物のほうだ。奇妙に捻れた棒状のなにかは、魔動機の付属物というよりはまったく無関係のもののように想えたからだ。

(まるで召喚武装のような……)

 セツナがじっと見ていると、魔動機を操っているらしい女性士官がこちらを見て、はにかんだ。セツナがすぐさま視線を逸らしたのは、気まずさを感じたからだ。

 リグフォードたちが吊籠の中から、甲板へと足を踏み入れる。そして、促されるまま、セツナとレムもその後に続いた。

「ようこそ、メリッサ・ノアへ」

 リグフォードが、セツナとレムを振り向くなり、口を開いた。

「メリッサ・ノアは、わたくしども帝国海軍が誇る移動要塞といっても過言ではありません。これから長く苦しい旅が始まるとお思いでしょうが、そうはならないことをわたくしどもが保証致しましょう」

 リグフォードを始めとする海軍将校らの自信に満ちた表情には、頼もしいという言葉以外思いつかなかった。

 大陸暦五百六年二月六日、快晴。

 雲ひとつ見当たらない青空の下、水平線の彼方まで果てしなく続く大海へと、セツナたちを乗せた魔動船メリッサ・ノアが泳ぎ出した。

 果てしなき戦いへの旅の始まりとなるとも知らず。



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