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第千八百十二話 ニーナの頼み事(一)


 セツナとレムが西帝国軍野営地に入った翌日に当たる二月四日、セツナは、レムと食後の運動で汗を流していると、唐突にランスロットに呼び止められた。

 すわ、出港準備が整ったのかと息巻いたセツナにランスロットは苦笑するほかなかったようだが、それもそうだろう。昨日、しばらく時間がかかるといったばかりだ。翌日に準備が完了するくらいなら、そんな言い方はしないはずだ。

 セツナは自分の早とちりに照れながら、ランスロットの用件を聞いた。彼は、ニーナがセツナに話があるとだけいい、すぐさま自分の仕事のために離れていった。

「なんだろうな?」

「はて?」

 レムに問うたところで答えが出ないことくらいわかりきっていたので、セツナは、さっそくニーナのいる天幕に向かった。

 道中、野営地の撤収作業がつつがなく進んでいることが、天幕の数や鉄柵などの配置物がつぎつぎと撤去されている様子から窺い知れた。

 上陸した島に真っ先に野営地を築くのは、島内の情勢がわからない以上、迂闊に内陸部まで歩を進めることができないからであり、島内の調査そのものも慎重に進めなければならないからだ。まず橋頭堡たる野営地を築き、そこから島内の調査に乗り出す。都市を発見すれば、そこから情報収集を行い、国の統治者との会見に臨むのだという。

 しかし、そうやっていくつかの島を巡ってきたニーナたちが戦力を得ることができたのは、この度が初めてのことだといい、どこの島のどの国も戦力に余裕がないという話だった。

 そんなことを考えている内にニーナがいる一際大きな天幕に辿り着いた。衛兵に話を通し、中に入れてもらうと、ニーナはひとり書類仕事をしていた。セツナとレムが天幕内に入ってきたことを認めると、手を止め、顔を上げた。彼女は、書類に向けていたしかめっ面をすかさず打ち消し、なんともいえない笑顔を作る。

「わたしの勝手な呼び出しに応じてくれたこと、感謝する」

「それは構わないんですが、俺に話って、なんです?」

「セツナ殿には出港準備が整うまで自由にしていて欲しいといった矢先ということもあって、とても言い出しにくいことなのだが……」

 ニーナが、不意に目線を泳がせるようにして、セツナから視線を逸らした。どこか照れたような、気恥ずかしそうな表情は、まるで思春期の少女のような可憐さがある。年齢と立場に見合わぬその反応こそ、ニーナ・アルグ=ザイオンという人物の本質に近いのだということを、セツナは知っている。ニーウェの記憶を通して知るニーナとは、まさに乙女というべき女性だった。

「出港準備が整えば、わたしはアデルハイン、キリル・ロナーとともに北ザイオン大陸に戻ることになっている――その話は、聞いているな?」

「ええ」

 セツナはうなずき、ニーナに目で促されるまま、レムとともに天幕内の椅子に腰掛けた。大きな会議室ともなっている天幕の中には無数の椅子がある。セツナとレムが座る椅子を探すまでもなかった。

 ニーナのいったことは、本当だ。

 ニーナは、セツナたちのリョハン探しの旅には付き合わず、西ザイオン帝国領に帰還することになっていたのだ。それも当たり前の話ではある。ニーナは、西帝国軍大総督――つまり、西帝国の軍に於ける頂点に立つ人物なのだ。東帝国に動きがないからという理由で大総督みずから戦力確保のため海に出たものの、それ自体、異常事態というべきものであり、本来ならば西帝国本土にあって全軍の指揮に当っていなければならなかった。それでも大総督を戦力確保の旅に差し向けたのは、西帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンの勅命であるといい、彼は、帝国が本気で戦力が欲していることを主張する上で、それだけは譲れないといったという。

 ニーナがやっとの想いで西帝国本土への帰還を果たせるのは、セツナがリョハンを探し終え、目的を果たした後、西帝国軍に協力すると約束したからであり、セツナとレムだけとはいえ、十分過ぎるほどの戦力を確保できたからだ。

 一年近くに及ぶ長い長い船旅が、西帝国本土への帰還によって終わることを彼女はただひたすら喜んでいた。船は揺れるから苦手なのだそうだ。それでも不満ひとつ漏らさずここまで来たのは、ひとえに皇帝の勅命であり、実弟にして最愛のひとであるニーウェからの頼み事だったからなのだろう。ニーナには、ニーウェのためならばどのようなことも成し遂げられるだけの覚悟がある。

 そんなニーナが目前に迫った帝国本土への帰還に思うところがあるようなことを言い出すのは不思議でならず、セツナは、彼女の顔をじっと見つめながら、言葉を待った。

「ならば、わたしの言いたいこともわかると思うのだが……」

 彼女は、そう切り出したはいいものの、続く言葉を実に言いにくそうな顔になった。セツナとレムが顔を見合わせることができるほどたっぷりと間を置いて、予期せぬことを口走ってくる。

「セツナ殿、今日一日の間、わたしの側にいてくれないか?」

 ニーナがさながら決死の想いで口にした頼みごとは、セツナの想像とはまるで異なるものであり、彼の頭の中は一瞬真っ白になった。


 よくよく話を聞けば、彼女がなぜそのような頼み事をしてきたのか、わからないではなかった。

 いくつかの理由が複雑に絡み合っているのだが、まずひとつは、セツナがニーウェの生き写しだということだ。セツナとニーウェは、異世界における同一存在であり、姿形のみならず、声質などもそのままといっていいほどそっくりだった。いや、そっくりという水準ではなく、セツナが鏡を見ているような錯覚さえ覚えるほどなのだ。ふたりのことをよく知らない人間には見分けがつかないだろう。判断基準となる育ちの違いも、無関係な他人にはわかりようがないのだ。どちらか片方のことをよく知っているものからすれば、口調が荒っぽいのがセツナであるということさえわかれば、判別もできるだろうが。

 それほど似ていることが、ニーナが頼み事をしてきた理由のひとつだ。

 もうひとつは、出港準備が整い、ベノア島を離れれば、ニーナは西帝国本土に帰還するための長い航海に出るということであるとともに、セツナたちはヴァシュタリアを探す旅路につくということだ。そうなれば、しばらく――短く見積もっても数ヶ月は逢えなくなる。そのことがニーナを突き動かしたようだ。

 そして最後。

 これが重要なことだが、彼女が西ザイオン帝国本土に帰還を果たし、帝都シウェルエンドに戻ったとしても、ニーウェとふたりきりの時間を持つことができないということなのだ。

 無論、皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンに拝謁し、直々にこの度の長い航海の成果を報告することはできるだろう。彼女は、大総督だ。西帝国軍の頂点に立つものとして、西帝国軍の戦力確保という重大な使命を帯びた長い長い航海の最高責任者だった。セツナの協力を取り付けたことは、ニーウェにとっても予期せぬ事ではあるだろうが、彼はきっとこの成果を手放しで喜んでくれるだろう。彼ほど黒き矛を欲したものはいない。

 ニーウェほど、黒き矛の力を熱望し、全存在を賭けてまで手に入れようとしたものはいないのだ。

 結局、ニーウェはセツナとの戦いに敗れ、黒き矛の力を得るどころか、彼の支えとなっていたエッジオブサーストを手放すことになってしまったとはいえ、彼が黒き矛とその主たるセツナの力を理解していないわけがなかった。むしろ、黒き矛の眷属の主だった彼は、黒き矛の力の凶悪さをだれよりも深く理解しているのではないか。

 そんな彼ならば、ニーナの報告を心から歓び、セツナたちの帝国本土への到来を首を長くして待ってくれることだろう。ニーナたちが長い間西帝国本土を空けていたことの意義が生まれ、彼女たちの苦労が報われるのだ。そのためにもセツナたちは一日でも早くリョハンを見つけなければならない。セツナは、ニーウェたちに手助けすることも重要なことであると考えているのだ。

 ともかく、ニーナの報告そのものは、皇帝となったニーウェにも喜んでもらえることは、ニーナ自身よくわかっているという。

 しかし、だからといって、皇帝ニーウェハインがニーナのために時間を割いてくれることはないのだ、という。

 彼は、皇位継承を宣言してからというもの、三臣を除く余人を自分の側に近寄らせることを避けるようになったというのだ。ニーウェがニーナを帝国軍大総督という要職に任命したのも、遠ざけるためではないかと彼女は考えている。大総督ともなれば休む暇もないほど忙しい身だ。ニーナがニーウェに会うための時間を作ることも難しく、たとえそんな時間が生まれたとして、皇帝もまた政務に忙殺されており、時間が合わなくなる。自然、逢えない時間が増えた。

「わたしのことを信頼していないわけではないと思うのだが……な」

 ニーナの寂しそうなまなざしに胸を締め付けられ、セツナは、彼女の要望に応えようと想った。

 ニーナは、ニーウェと同一存在であるセツナによって、ニーウェと接することさえできない日々の寂しさを補おうと考えたのだろう。ランスロットがセツナとニーナを即刻引き合わせたのも、そんなところだった。ニーナがニーウェを溺愛しているということは、一部の人間には知られていることなのだろうし、隠すようなことでもないのかもしれない。

「いっておくが、わたしが心移りすることなどありえんぞ。万が一にもな」

 ニーナが念を押すようにいってきたことが、セツナにはおかしくてたまらなかった。

「いわれずともわかっていますよ」

 セツナは、苦笑を返しながら、ニーナの照れくさそうな表情を見ていた。彼女がニーウェ一筋なのは、ニーウェの記憶を垣間見たセツナにはわかりきっていることだったし、その透明なまでに純粋な想いを穢すことなどなにものにもできないだろうということも、知っている。

 だからこそ、セツナはニーナの頼み事を受ける気になったのだ。


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