第千八百九話 希望を求めて(二)
騎士団本部に着くと、騎士団長オズフェルト・ザン=ウォードと副団長シド・ザン=ルーファウスがセツナたちの到着を待ち侘びていた。
ほかの騎士団幹部がいないのが少し寂しかったものの、仕方のないことだと諦めた。ルヴェリスとの挨拶はすでに済ませていたし、ベインは任務でマルディアに赴いている。ロウファは、ストラ要塞とサンストレアを行き来する多忙な日々を送っているという。
騎士団長と副団長のふたりに挨拶できるだけでも御の字だと想うほかなかった。
「早いうちに出立したいという話はうかがっていましたが、それにしても早すぎませんか」
シドは、セツナの顔を見るなり、そんな風にいって渋い顔をしてきた。彼には、セツナがどうも生き急いでいるように見えるらしい。
「帝国の方々は昨日の内に野営地に戻られたと聞きます。俺だけベノアでのうのうとしているわけにはいきませんから」
とはいったものの、ニーナたちからは、出港準備には時間を要するため、二・三日はゆっくりしていても構わないと聞かされていたのだが。
セツナは、ベノアで世話になったひとたちに話すこともあるだろうとでもいうようなニーナたちの気遣いには感謝したものの、急く想いに突き動かされるまま、ベノアを出発しようとしていた。ゆっくりしてなどいられないのだ。もちろん、心身ともに疲労を蓄積させたままなど言語道断であり、休めるときに休ませなければならないことは百も承知だが、居ても立ってもいられない以上、致し方がない。ベノアで待ち続けるよりも、帝国軍野営地で出航の瞬間を待っているほうが少しは気も紛れるというものだろう。
そんな想いがセツナを駆り立て、会談の翌日である今日、午前の間にベノアを出発することにしたのだ。
そのために騎士団にも協力を仰がねばならず、野営地までの移動用の馬車を手配してくれた騎士団には、感謝しかなかった。
「帝国側は、セツナ殿の協力を必要不可欠なものとしているのです。行動を合わせるべきは、セツナ殿よりも帝国側でしょう。セツナ殿は、セツナ殿の調子を崩さず、どっしりと構えておればよいのです」
オズフェルトもまた、セツナの忙しなさを不安視するようにいってくる。
「オズフェルト様、シド様、申し訳ございませんが、我が主はどうしようもない困った方なのでございます」
「おい」
「マリア様にリョハンの話を聞き、ファリア様や皆様方が御主人様の不在を嘆いておられることを知ってからというもの、御主人様の心は遥かリョハンの天地を探してさまようばかり。大海を渡る翼があればすぐにでも飛んでいったのでしょうが……それもなく」
「海を渡る手段を得た以上、居ても立ってもいられなくなった……と」
「はい。ですので、御主人様を引き止めるのはなにものにも不可能かと」
「セツナ殿にとって大切な方々が待たれているのであれば、当然のこと。謝ることではありませんよ、レム殿」
シドが穏やかな表情を浮かべた。
「セツナ殿も、逸る気持ちはお察し致しますが、あまり焦らぬことです。セツナ殿の実力、黒き矛の力を疑っているわけではありませんが、焦りに駆られ、自分を見失っては本来の力を出すこともままならなくなる。我を忘れたものは、どれほどの実力者であっても雑兵の一矢に射抜かれるもの。ゆめゆめ、冷静さを失わないことです」
「ご忠告、心に留めおきます」
「まあ、セツナ殿になら忠告するまでもないことでしょうが」
彼は、苦笑交じりにいって、再び微笑みを浮かべた。シドは、セツナの前では微笑を絶やさなかった。それはめずらしいことであると、フロードなどはいう。普段から渋面を作り、近寄り難い空気をまとっているのがシド・ザン=ルーファウスだというのだが、セツナを前にしたシドは、どうもほかとは違うらしい。どういう理由なのかは、いまいちよくわからない。シドがセツナのことを高く評価してくれているからだということこそは理解しているのだが、なぜそこまで評価されているのかまでは、不明だった。
セツナは、自分が騎士団に相応しい人間だと想ったことは一度だってなかった。
救済、救世を理念に掲げる騎士団は、他者の幸福のために命を投げ捨てることのできる人材によって成り立っているといっていい。騎士団長から末端の従騎士に至るまで、現在騎士団に参加しているすべての騎士が、そういう意識を持っているのだ。
たとえば騎士団全員が命を捨てれば、世界中の人々が幸福になるというのであれば、彼らは喜んで命を捨てるだろう。自分の幸福よりも他人の幸福こそが、彼らにとって重要なのだ。
無論、そんなことは仮にもありえないことだし、たとえ神がそのようにいってきたところで信用できるものではない。
「確かに、セツナ殿ならば、どのような状況であっても冷静さを失うことなどないでしょう。いまも、急いでいるのは、一瞬でも早く旧知の方々を助けたいからだ。違いますか?」
オズフェルトの質問に対し、セツナは、少しばかり戸惑った。彼の言っていることはおおよそ合っているのだが、微妙に違う気がする。
「助ける……っていいますか、ただ、逢って、自分が無事に生きているということを伝えたいんです。その上で、俺にできることがあれば、力を貸してやりたい。そう想っています」
「やはりあなたは我が騎士団が誇る名誉騎士に相応しい人格の持ち主だ」
オズフェルトが、セツナの返答に大いに満足したようだった。
「自己を顧みず、困っている他者に救いの手を差し伸べようとするその姿こそ、騎士団騎士が辿り着くべき境地なのですから」
オズフェルトの絶賛にシドが満面の笑みを浮かべた。
騎士団長、副団長のふたりに面と向かって賞賛されるのは、なんとも面映ゆく、こそばゆいものだったが、今回こそは彼らの評価を素直に受け取り、感謝とともに別れの挨拶を交わした。
他者からの賞賛は素直に受け取るべきだというシドの言葉が、セツナの胸に深く刻まれている。
「それにしても、渡航手段がベノアガルドの問題が片付いてから手に入ったというのは、我々にとって幸運以外のなにものでもありませんな」
などと笑いながらいってきたのは、フロード・ザン=エステバンだ。
ベノア島北岸の帝国軍野営地までは、フロードが同行してくれることになっていた。サンストレアからベノアへ向かう際、ロウファ・ザン=セイヴァスによってセツナの案内役に命じられたのが、彼とセツナの最初の出逢いだった。それ以来、一月以上、ほぼ毎日のように顔を合わせては、軽口を叩きあったり、稽古で烈しくやりあったりした。ネア・ベノアガルド軍との戦いでは肩を並べたし、黒き矛の力を目の当たりにしてからというもの、彼の中のセツナ評は大きく変動してもいる。
最初は、セツナのことを低く見ていたということを彼は反省するように告白してきたものだ。
「俺にとってもだよ、フロードさん」
「はて?」
「先に船が手に入ってたら、ベノアガルドの方に集中できなかったかもしれない」
「なるほど」
「フロード様、御主人様流のくだらない冗談ですので、笑い飛ばして差し上げてくださいまし」
「ほほう」
「なにがだよ。いまのどこが冗談なんだ」
「なにがもなにも、全部でございます」
横の席に座ったレムが、セツナの目を真剣な顔で見据えてきた。
「一度引き受けたことを中途半端に投げ出すようなことをなされる御主人様がこの世のどこにおられるのでしょうか?」
「……そういわれると、だな」
セツナは、レムに考えを見透かされて、黙り込んだ。
それもそうだ。たとえベノアガルドの問題が片付く前に帝国軍が上陸したとしても、セツナがベノアガルドを離れることはなかっただろう。まずは目の前の問題を片付けなければ、前に進めなかったはずだ。いつだってそうだった。どんなときだって、そうだったはずだ。それが自分なのだ。それがセツナ=カミヤという人間なのだ。
「やはり、名誉騎士殿に逢えて良かったと、想いますぞ」
「俺もですよ、フロードさん」
セツナはフロードとの出会いに心から感謝していたし、彼の人柄に触れることができたことは自分のこれからの人生にとって大きな力になると想っていた。
セツナたちを乗せた馬車を含めた騎士団の一隊が、ベノア島北岸に築かれた帝国軍野営地に辿り着いたのは、大陸暦五百六年二月四日午前のことだった。
辺り一面の銀世界が真冬の北国を象徴するかのように展開していた。