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第千八百六話 マリア=スコール(二)


 西ザイオン帝国と東ザイオン帝国の対立およびその戦力差の深刻さが、ニーウェたちが海外に戦力を求めた理由だ。

 南ザイオン大陸内で新たな戦力を募ることはもはやできなくなった以上、国外、大陸外に協力者を求めるほか、戦力差を覆す方法はなく、できれば東ザイオン帝国が本格的に侵攻を開始する前に戦力を確保したいというのがニーウェたちの想いだった。

 そこで西帝国軍大総督ニーナ・アルグ=ザイオンみずから外部戦力の確保のため、外海に船出したのがおよそ半年前のことだという。西帝国が保有する最新式の超大型艦船アデルハインを旗艦とする三隻の船隊は、南ザイオン大陸から西へ西へと海を渡り続け、いくつかの島を経て、ここベノア島に辿り着いている。

 ベノア島に至るまでの間、いくつかの島でも同じように戦力の勧誘を行ったのだそうだが、どこの島でも芳しい反応は得られなかったという。

 当然だろう。

 どこの島も、どこの国も、“大破壊”の被害から立ち直りきったとはいえないような状況だったはずだ。そんな状況下で帝国のために力を貸して欲しいといわれて応ずる国がどこにあるというのか。ニーナたちが訪れた国の多くは、かつて大陸小国家群に属していた国のはずだ。それら国々は、帝国がさん大勢力の一角として最終戦争を引き起こしたことを昨日の出来事のように覚えているはずであり、帝国を恨んでこそすれ、協力したいなどと想うわけがなかった。

 騎士団は、最終戦争の真相を知っているからこそ、帝国との交渉に応じただけのことであり、真相を知らない多くの小国家にしてみれば、小国家群を蹂躙した帝国がなにをいうのか、という気持ちだったに違いない。これまでニーナたちが戦力を得られなかったのは、必然としかいいようがないのだ。

 しかし、それもセツナにとっては決して悪いことではなかった。

 ニーナたちがベノア島に至るまで必要な戦力を確保できていれば、セツナたちが航海手段にありつくことなどできなかったのだ。運命に感謝するほかない。

 そんなことをマリアと話し合った。

「ついにベノアを離れるんだね」

「ああ。やっと、リョハンを目指すことができる」

「だったら早くいってあげな。ファリアやミリュウが待ってるよ」

「うん」

 マリアが安堵したようにいってきたのは、彼女にとっても渡海手段が見つからないことに対して想うところがあったからだろう。セツナにリョハンに行くべきだといったのは、彼女だ。しかし、リョハンに行くためには広大な海を渡る手段が必要であり、その手段が用意できない限りは、ここベノアで腐り続けるしかない。そんな日々がセツナたちの心に悪影響を与えないか、心配していたのかもしれない。マリアは、心配症なところがある。

 そんな彼女が、不意に笑った。

「ふふ」

「ん?」

「なんだかんだいって素直な旦那が一番だよ」

「素直さだけが取り柄でございますものね」

「なんだよそれ」

 セツナが不服に頬をふくらませると、マリアがレムを注意する。

「そうだよ。素直なだけじゃない、だろ?」

「あら、マリア様がそのようなことを仰られるとは」

「驚くことかい」

「はい」

「おいレムてめえ」

 レムを横目に睨むも、彼女の満面の笑みに敗北する。レムは、マリアとのやり取りを心底愉しんでいる。そんな彼女を見るのは、悪いものではない。すると、マリアの膝の上にちょこんと座っていたアマラが、話に割り込んでくる。

「なんじゃなんじゃなんの話じゃ?」

「なんでもねえよ」

「なんでもないわけなかろう。なにを楽しそうにしておるのじゃ」

「どこのだれが楽しそうなんだよ」

「セツナもレムもマリアも楽しそうではないか。うちだけ仲間はずれじゃ」

「仲間はずれなんかじゃないさ」

 マリアがアマラの小さな体を抱きしめるようにした。

「あんたも、セツナのこと、好きだろ?」

「うむ。マリアのつぎにのう」

「はは、よっぽどあたしのことが気に入ってくれてるみたいだね」

「当たり前じゃ」

「当たり前、か」

 アマラが当然のように発した一言は、マリアの胸に響いたようだ。彼女は、アマラの後頭部に顔を埋めるようにして、アマラを困惑させた。どう反応していいか戸惑っているアマラを見つめながら、セツナは口を開いた。

「アマラ」

「なんじゃ?」

「マリアのことを頼む」

「なんなのじゃ? 頼まれずともうちはもう二度とマリアを危険な目に遭わせぬぞ」

 アマラは、自信満々といった様子でいってきた。二度と、というのは、別館を破壊した神人たちがマリアを捕獲したことを一度目と数えているからだろう。アマラは、そのとき、マリアを守れなかったことを痛いほど悔しがっていた。もしあのとき、マリアの身にもしものことがあればどうなっていたか。彼女はそのことを想像する度に身震いするのだ、という。

「そういってもらえると、安心できる」

「どうしたのじゃ」

「俺もレムも、しばらくここを離れるんだよ」

「名残惜しいことでございますし、アマラ様と離れるのは心苦しいのでございますが」

「なんじゃと……」

 アマラは、マリアの腕の中で暴れた。

「どういうことなのじゃ! うちとマリアを見捨てるというのか!」

「そういうことじゃあないんだよ、アマラ」

「マリア! ぬしはよいのか!? ぬしにとって、セツナとはその程度の存在なのか!?」

「なにいってんだい」

 マリアは、アマラの言い様がおかしかったのか、小さく笑った。そして、膝の上のアマラの体を自分に向き直させる。

「あたしにとっては掛け替えのない存在だよ。旦那も、レムも、もちろん、あんたもね」

「じゃったら!」

「でもね、旦那には旦那の人生があり、目的がある。あたしは、ここで研究を続けると決めた。ここで一日も早く白化症の治療法を確立してみせるってね。だから、あたしはここに残る、旦那とレムは、ここに留まり続けることはできない。だって、旦那には、ほかにも大切なひとがたくさんいるからね」

 マリアのいうセツナにとっての大切なひとたちとは無論、マリアとも関わりのある人物がほとんどだ。マリアは常に《獅子の尾》とともにあった。セツナが《獅子の尾》の隊長であった以上、関わり合うのは当然のことだったし、セツナが大切に想うひとたちをマリアが大事にしてくれるのは、ある意味必然のことでもあった。ファリア、ルウファ、ミリュウ、エミル、シーラ――数多の顔が脳裏を過ぎり、消えた。

「そしてそれは、あたしにとっても大切なひとたちなんだ。そのひとたちの無事を確認してもらいたいのさ」

「むう……!」

「これで今生の別れってわけでもないしさ」

「しかし……!」

「なにより、旦那にリョハン行きをけしかけたのはあたしなんだ。引き止める理由はないよ」

 そういわれると、アマラは黙り込んだ。そして、マリアの胸に顔を埋めるようにしたのは、どういう意図があるのかはわからない。そんな彼女を慈しむマリアの表情は、まさに聖母のようであり、彼女を女神と崇めた白化症患者たちの気持ちが少し、わかった。

「アマラは、ようやく対等に話せる友達ができて喜んでたんだよ。だから、離れるのが嫌なんだろ」

「対等? レムがか」

「旦那だよ」

「俺かよ」

「あはは」

 マリアが心の底からおかしそうに笑うので、セツナは憮然とした。対等の友人。よくよく考えれば、なにも悪いものではない。むしろ喜ばしいことではないか。精霊と対等な関係を築き上げることができていたのだ。

「では、わたくしはなんなのでございましょう」

「もちろん、あんたもだよ、レム」

「それを聞いて安心いたしました。仲良くして頂いたのに、なんとも想われていないのは悲しいものですから」

 レムのそれは本心に違いなかった。彼女は、アマラをこの上なく気に入っている。アマラに気に入られていないなどといわれると、きっと落胆してしまったに違いない。が、そうではなかったことが彼女を興奮させたのは、どうかと想うが。

「ま……話も長くなったが、先もいったようにあたしはここで研究を続けるよ。それだけがあたしの取り柄だからさ」

「そんなことはないと想うけど」

「そういってくれるのは嬉しいけどね」

 マリアが、アマラの小さな背を撫でながら、微笑む。

「でも、あたしには研究が肌に合うのさ」

「うん。俺も別に無理強いするつもりはないですよ」

「ありがとう」

「感謝するのはこっちのほうですよ。マリアさん」

 セツナは、マリアの青い瞳を見つめながら、いった。

「あなたが俺の命を繋ぎ止めてくれたこと、忘れていませんから」

「――ああ」

 マリアが一瞬きょとんとしたのは、セツナがいったいなんのことをいったのか、すぐにはわからなかったからだろう。

 ずっと前のことだ。

 それこそ、五年近く昔の話。

 ザルワーン戦争が終わった後のこと。エレニアに刺され、瀕死の重傷を負ったセツナを死の淵から掬い上げてくれたのがマリアだった。マリアが懸命に治療に当たってくれたからこそ、セツナの命は繋ぎ止められた。マリアがいなければどうなっていたものか。そんな想像をするたびに彼女へのどうしようもないほどの感謝が溢れてならない。感謝だ。感謝しかなかった。

「うん」

 マリアが小さく頷く様を見てから、口を開く。

「つぎに逢うときには、皆を連れてきますからね」

 それは、約束だ。

 つぎにベノアを訪れるときまでには、皆を、マリアもよく知る皆を連れてくるのだ。そうすれば、きっと、彼女の心も満たされる。不安が消し飛び、安心するはずだ。いまのマリアは、アマラという精神安定剤によって心の安定を保っているようなものだ。それもいつまで保つものか。ひとの心というのは不安定なものであり、どのような出来事で悪い方に傾くのかわからないのだ。

 マリアに安心感を与えてあげるには、どうすればいいか。

 セツナなりに導き出した結論が、皆を連れてくるということだった。安易な結論だが、複雑な回答を導き出すよりはずっといいだろう。

 セツナが側にいてあげるという答えもないではなかったが、それでは、彼女がいらぬ気遣いをするに違いなかった。

「うん。待ってるよ。健康にはくれぐれも気をつけるんだよ。無理をするな……なんていっても聞かないだろうけどさ、絶対に皆を悲しませるようなことだけはしちゃあだめだからね」

「はい。わかっていますよ」

「レムも」

「はい」

「旦那のこと、頼んだよ」

「はい。頼まれました。マリア様も、健康にお気をつけてくださいまし」

「医者にそれをいうかい」

「お医者様でも、健康を害することがありましょう?」

「それもそうだね」

 マリアが面白おかしそうに笑った。

 なにも永遠の別れではない。悲しむ必要はなかったし、再会を約束し、笑いあって別れてもなんの問題もなかった。いやむしろ、明るく別れたほうが自分たちらしくていい気がする。

「アマラ様も、お元気で」

 レムが声をかけると、マリアの胸に顔を埋めていたアマラが元気よく飛び跳ね、こちらを振り返った。まさに元気いっぱいといった反応にレムが驚くほどだった。

「いわれずともうちはいつでも元気なのじゃ。ぬしらも元気でいるのじゃぞ?」

「ああ」

「もちろんでございます」

 セツナとレムが相次いで肯定すると、アマラは満足げにうなずいた。

「そして必ず、必ずまた顔を見せるのじゃ」

「約束するよ」

「約束したからの! 忘れるでないぞ!」

「ああ!」

「はい!」

 セツナとレムが力強く返答したのは、そうしなければアマラの元気に負けるという思いがあったからかもしれない。

 そのようにして、セツナとレムは、マリア、アマラと別れた。

 マリアのいった通り、今生の別れなどではない。

 またいつか、必ず巡り合う。

 そう約束したのだ。

 約束は果たすためにあるものだ。


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