第千八百話 四人の皇帝
ザイオン帝国は、いま、大きな問題に直面している。
最終戦争、あるいは世界大戦と呼ばれる戦いは、“大破壊”によって幕を閉じた。
ザイオン帝国は、大戦を引き起こした三大勢力の一角であり、小国家群を蹂躙した国のひとつでもある。総兵力二百万を超える大軍勢は、小国家群を丸呑みしても物足りないほどのものだったが、中でも二万人に及ぶ武装召喚師には、セツナたちも度肝を抜かれたものだ。
さすがの黒き矛の力を持ってしても、圧倒的にも程がある数の暴力の前には、沈黙するほかないのだ。
仮に二万の武装召喚師と正面からぶつかり合うようなことがあった場合、セツナが黒き矛の力をどれだけ駆使したとしても生き残ることなどできはしないだろう。いまのセツナならばどうにか突破口を切り開くことができるかもしれないが、だとしても、生半可な方法では為す術もなく倒されるに違いない。数の力ほど偉大なものはない。
これまでセツナは、圧倒的な数の力を黒き矛の持つ絶大な力によって捻じ伏せてきた。しかし、それにも限界があるということを最終戦争で理解した。どれだけ強大な力を誇る黒き矛であっても、使っているのがただの人間である以上限界がある。戦える間は負ける気がしないが、いずれ力尽きたときにはどうすることもできなくなるのだ。そのことを強く痛感したのが、セツナにとっての最終戦争であり、帝国の誇る物量の凄まじさを認識したのもまた、あの戦いだった。
それほどの大勢力を誇った帝国は、いまや見る影もない、というのがニーナとランスロットの評するところだった。
『帝国は、世界大戦に全戦力を投入したのだ。世界の崩壊直後、帝国全土が混沌とした状況に包まれるのは、だれの目にも明らかだろう』
ニーナが、苦い顔をしたのがセツナの印象に残った。ニーナの凛とした容貌が少なからず損なわれたからだろう。
世界大戦と帝国軍人が呼ぶ戦いの果てに起きたのは、未曾有の大災害だ。ワーグラーン大陸がばらばらに引き裂かれ、さらに地殻変動によってそれぞれが遠ざけられる形となった大災害は、ベノア島のみならず、あらゆる国、地域に被害をもたらしている。当然のことだ。世界そのものが揺れ動いたといっていい現象の中、なんの被害もない場所などあろうはずもない。
帝国領土も、例外たりえなかった。
世界大戦に参加していた帝国軍人たちは、ニーウェがいうシウェルハインの力によって帝国領土に舞い戻ることができたものの、“大破壊”によってずたずたに壊されていく世界を目の当たりにし、呆然としたという。
『世界の終わりかと想いましたが、どうやら、世界はいまも続いているようで』
ランスロットの軽口に込められた悲痛な想いは、フロードたちにも実感として理解できることのようだったが、“大破壊”を目の当たりにしていないセツナには、想像で補うことしかできなかった。セツナもレムも、“大破壊”を直接その目で見たわけではない。“大破壊”後の世界の現状こそ、ベノアガルドの現状を通して理解しているものの、それがどれほどのものだったのかは騎士たちの証言から想像するしかなかった。
それこそ、ランスロットのいうように世界の終わりというに相応しい光景だったというのだ。大陸全土を引き裂く莫大な力の拡散。天地を遮るように走る光の壁。大地に刻まれる断裂。天地が震撼したかのような激しい揺れがあったというし、しばらくは立っていることもできなかったという。多くの家屋、建造物が倒壊を免れ得ず、建物の下敷きになって命を落とすものも少なくなかった。騎士団がベノアガルド国民を守りきれなかったのも、仕方のないことだったのだ。
それほどの大災害を乗り越えて、いまがある。
ベノアガルドは、“大破壊”後、混乱期を迎えた。ベノアガルドを統治運営する騎士団内部で分裂があり、マルカール=タルバーによるサンストレアの独立、イズフェール騎士隊の決別とクリュースエンド支配、ハルベルト=ベノアガルドの離反およびネア・ベノアガルドの成立などという問題の続出は、騎士団を凋落させるほどのものとなってベノアガルド国民を襲った。
帝国も、そういった問題に直面せざるを得なかった。
帝国の絶対的支配者たる皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンが、その最期の力によって決戦の場にいた帝国軍人を帝国領土に転送した。しかし、シウェルハインそのひとは、帝国領に姿を見せなかった。ニーナたちがニーウェから聞いた話によれば、シウェルハインは、命を賭して、帝国軍を帝国領に送り届けたというのだ。
つまり、シウェルハインは命を落としたということだ。
そしてそれは、帝国という大勢力に皇帝なる絶対的支配者がいなくなったということを示していた。
“大破壊”直後から始まる混迷期において、皇帝という絶対者の不在は、帝国全土に悪影響を及ぼすことになる。
そこでニーウェは、みずから率先して皇位継承を宣言した。シウェルハインによって皇位継承権の第一位に繰り上げられていたニーウェの皇位継承には、彼の周囲のみならず、多くのものが賛同した。新たな皇帝を立てることで、混沌とした帝国領土に再び秩序を取り戻すことこそが最優先であったし、なによりニーウェは次期皇帝として明言されてもいたのだ。反対者が出るはずがなかった。
果たしてニーウェは、皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンと名乗り、帝国領土に安定をもたらすべく活動を開始した。ニーウェの三臣は、その瞬間から皇帝の側近となり、騎爵だったニーナは、帝国軍大総督に抜擢された。帝国を覆う大混乱を収束させるべく、まずは秩序建てた組織造りをしなければならない。そのためにもニーウェは信頼のおける人物で周りを固めた。当然の判断に不満をもらすものもいなかった。
ニーウェハインによる統治は、少しずつ軌道に乗り始めた。
皇帝は、ザイオン帝国という天地を支える柱であり、その不在が大混乱を招いたという事実は、新皇帝ニーウェハインの誕生後、急速に安定し始めたことからも窺い知れる。皇帝は、帝国においては絶対者であり、神に等しい存在だった。現人神といってもいい。皇帝を直接その目に入れることさえ、帝国民には恐れ多いこととされ、軍人たちでさえ、皇帝をその目で見たものは少ない。
それでも皇帝を畏れ、敬い、神の如く崇めていたのは、やはり、その後ろに神が存在していたからなのだろうか。
最終戦争を引き起こしたのは三大勢力だが、その三大勢力を率いたのは、それぞれの勢力を裏で操る神だ。ヴァシュタリア共同体の至高神ヴァシュタラを始め、ザイオンの神、ディールの神が、それぞれの目的を果たすために引き起こしたのが、世界大戦であり、その結果、“大破壊”が起きた。
帝国の神がどのようなもので、どのような名を持つのかはわからないが、本来在るべき世界への帰還を熱望していたのは疑いようがない。それでも数百年もの間沈黙を保ち、機会を窺い続けていられるだけの辛抱強さを持っていたのだから、神というのは恐ろしいというほかない。人間ならば決して我慢できるような年月ではない。そもそも、数百年も生きられないのだから、時間の感覚、概念が異なるのかもしれない。
ともかく、大戦を引き起こした張本人である神がどうなったのかは、わからない。
シウェルハインによる帝国軍の転移が神の意思と関係があるのかどうかさえ、不明だ。
そもそも、ニーナたちは、自分たちの支配者たる皇帝を影で操る神がいたことを認知していないようなのだ。おそらくはニーウェも知らないのだろう。知っていれば、神への言及をしているはずだ。いや、知っていて、セツナたちに余計な情報を与えないために話さなかったという線もあるにはあるが、だとすれば、彼女らの開示する情報の線引があやふやになる。
ニーナたちは、西ザイオン帝国の置かれている現状をほとんど包み隠さずセツナたちに話したように想えたからだ。
西ザイオン帝国という呼称は、新皇帝ニーウェハインの統治する領土のみを指す名称だ。
西という名の通り、ザイオン帝国領土の西側一帯を指す。では、東ザイオン帝国があるのか、というセツナたちの疑問は、ニーナたちの開示した情報によって肯定された。
新皇帝ニーウェハインの誕生をだれもが諸手を挙げて歓迎したわけではなかったのだ。
ニーウェは、二十人兄弟の末弟であり、母親のこともあって皇位継承権は最低とされた上、その立場から継承権争いからニーナともども脱落していたという事情がある。それが、どういうわけかシウェルハインの一存で突如として継承権の第一位に躍り出たものだから、それまで上位の後継者候補だったものたちは不満を抱いただろうし、父であるシウェルハインに対し疑問を感じたものもいるはずだ、とニーナはいう。
シウェルハインは、そんな我が子達の反発を理解し、ニーウェが暗殺される可能性を考慮していたというのだ。実力行使に出てまでニーウェの皇位継承が許せないというものがいたのだ。
混乱真っ只中のこととはいえ、ニーウェの皇位継承を受け入れようとしないものが現れたとして、なんら不思議ではなかった。
ニーウェの皇位継承を否定し、自分こそが正しい皇位継承者であると宣言し、新皇帝を名乗ったのは、長兄ミズガリス・ディアス=ザイオン。新皇帝ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンとなった彼は、帝国領土の東側を支配した。東ザイオン帝国が誕生し、西ザイオン帝国と争い合うこととなってしまった。
ニーウェは、もちろん、帝国全土の安定を優先したいため、ミズガリスに協調を求めた。だが、ニーウェの皇位継承を否定する立場にあるミズガリスは、ニーウェの協力要請を撥ね退け、西帝国は敵国であると国内に宣言、国境線に防衛網を敷いた。ニーウェはミズガリスの強硬ぶりに呆れ果てながらも、東帝国の侵攻を危惧し、防衛戦力を整えるほかなかった。
ニーウェとミズガリス。西帝国と東帝国。
実は、帝国を包み込む混乱は、それだけではなかった。
“大破壊”は、大陸全土を切り裂いた。
ザイオン帝国領も例外ではない。
ザイオン帝国領は、大きくふたつに引き裂かれた。
北と南に分かたれた領土。大陸図に引かれた境界線を見ると、それぞれ小さな大陸といっていいほどの広さがあるようだった。実際、ニーナたちは、そのふたつを北ザイオン大陸、南ザイオン大陸と読んでいた。
その上で、西帝国と東帝国が存在するのは、南ザイオン大陸であるということが知らされ、北ザイオン大陸にもふたつの帝国が成立していることが告げられた。
北ザイオン大陸において皇帝を名乗り、帝国再建に乗り出したのは、長女マリアン・フォロス=ザイオンと第八皇女だったマリシア=ザイオンとのことだ。
マリアンが皇帝に名乗りを上げるのは、ニーナたちにも理解できることだという。ミズガリスに次ぐ皇位継承権を持っていたからだ。ミズガリスがいないとわかれば、みずから皇帝を名乗ろうとするのも不思議な事ではない。
しかし、第八皇女であり、継承権争いから距離を置いていたマリシアがなぜ、皇帝を名乗り、北ザイオン帝国の支配者として君臨しているのかは、ニーナたちにもまったく見当もつかないことのようだった。元々野心を持っていたのかもしれない、と想像するほかないらしい。
マリアンハイン・レイグナス=ザイオンが支配するのは、北ザイオン大陸の北側であり、北ザイオン帝国を名乗っている。
マリシアハイン・レイグナス=ザイオンは、その南側を支配し、南ザイオン帝国を名乗っているとのことだ。
つまり、ふたつに分かれたザイオン帝国領に四人の皇帝と四つの帝国が存在するということなのだ。