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第百七十九話 失策

(まずいな……)

 ケイオン=オードは、戦場の空気に形勢の悪化を見て取っていた。

 最初の悪手は、対陣だったかもしれない。

 脇目もふらず攻め立てていれば、このような惨状にはならなかっただろう。少なくとも、弱兵で知られるガンディア兵の陣に兵力を集中すれば、敵の奇襲が来る前に戦局は定まっていただろう。こちらが有利なようにだ。

 こちらにはふたりの武装召喚師がいた。武装召喚師の運用方法については研究を始めたばかりだったが、たったひとりで通常の部隊よりも余程攻撃力のある武装召喚師をうまく運用できるかどうかが、勝敗の分かれ目といっても過言ではないことくらいはわかっていた。ひとりをルシオン側への陽動とし、もうひとりを本命のガンディア側へと当てる。中央には中央の部隊で対応させることで、ふたりの武装召喚師は思う存分暴れることができたはずだ。

(撤退させるだけでいい……か)

 聖将ジナーヴィの言葉を、いまさらのように思い出す。

 であればこそ、彼は己の失策を悔いた。

 ジナーヴィとフェイの力を当てにしたこの策ならば、敵軍をナグラシアまで撤退させることができたかもしれない。両翼が潰れれば、中央と、奇襲部隊のみとなったのだ。そんな状況でまともに戦えるとは、敵軍も思うまい。

 ケイオンは、敵本陣への強行を仕掛けにいったジナーヴィの背中がもはや見えなくなっていることに、不安を抱かざるをえない。

 彼は、勝つつもりでいる。大将を殺すことで、敵軍の戦う意味を奪おうとしている。それは、いい。上手くいけば、この状況を打開できるかもしれない。敵軍が後退してくれれば、こちらも軍を建て直す時間ができる。聖龍軍として徴兵を行うのもいい。こちらには聖将が付いている。神将に次ぐ将位だ。なにものも逆らえまい。そうして軍勢を整えた後のことは、ジナーヴィに判断を仰げばいい。彼には将器がある、とケイオンは見ている。彼にならついていける。

 だからこそ、こんな戦いで死んではいけないのだ。

「両翼将に撤退の準備を急がせてください」

 ケイオンは、考えていることとは真逆のことを伝令に命じた。伝令たちは一瞬戸惑ったようだが、こちらの目を見て、うなずいた。戦場を駆け抜けていく。

 混沌とした戦場。

 熱気と狂気が逆巻いている。

 ケイオンは、手の内に汗が浮かんでいることに気づいた。嫌な汗だ。実戦とは、こうも恐ろしいものだったのかと思い知らされる。ケイオンが日夜考えていた戦術や作戦など、机上の空論に過ぎなかったのだ。実戦経験もないものが、夢想と妄想を織り交ぜ、自画自賛していただけだ。

 歯噛みしても、もう遅いのだ。

 勢いは敵にある。

 本陣への奇襲が半ば成功してしまったことが、敵を勢いづけてしまった。全軍に通達した敵軍奇襲への警戒も、実際に騎兵の大群が雪崩れ込んでくれば意味がない。圧倒され、蹂躙されていくだけだ。

 四百人の弓兵による迎撃も、焼け石に水といったところだった。射落とせたのは半数を大きく下回ったようなのだ。多少は前列の転倒に巻き込めたようだが、要するにそれだけだ。

 奇襲部隊の壊滅には至らず、本陣に攻めこまれ、混乱が生まれた。

 ジナーヴィがどれだけ敵勢を吹き飛ばしても、戦況を押し戻すことは難しい。

 なるほど、彼らは強い。ジナーヴィもフェイも、ケイオンが想像した以上の力を以て、本陣に殺到した敵兵を殺戮してみせた。フェイなど、その華奢な見た目からはまったく予想できない活躍を見せ、ジナーヴィの供回りの士気をも高揚させた。

 だが、この状況を個人の武勇で覆すことはできそうもなかった。敵軍総大将を討つことができれば、変わるかもしれない。流れがこちらに向くことはなくとも、平衡に押し戻すことはできるだろう。

 しかし、無理だ。

 恐らく敵本陣の防御は強固で、ジナーヴィたちですら突破は容易ではあるまい。中央最前列の防壁を飛び越えたところで、中列の敵軍が待ち受けている。

 総大将の元に到達するのは至難の業だ。そうしている間に、こちらの左翼や右翼が壊滅しては意味がない。特に右翼のケルル部隊は、ルシオンの騎士たちにいいように弄ばれている。

(ここは一度撤退するべきだ)

 ゼオルに戻れば、いくらかは時間稼ぎもできよう。敵軍も損害が無いわけではない。すぐには攻め寄せてはこないはずだ。その間に態勢を整え、万全の状態で再戦する。

 もちろん、そのときにはケイオンは持ちうる限りの頭脳を働かせ、聖龍軍に勝利をもたらすつもりだった。今回の失態を帳消しにするにはそれしかないのだ。

 だが。

(そのためには)

 ジナーヴィたちが本陣急襲を諦め、戻ってくるのを待つよりほかはない。

 ケイオンの胸中で不安が膨れ上がった。

 本陣を飛び出すときの彼らは、死ぬつもりではなかったか。



「我が方、優勢!」

「か、勝てるのか……?」

 部下からの報告に、ゴードンは、ゆっくりと息を吐いた。戦場の熱気に飲まれ、呼吸すらままならないまま、ときが流れている。

 聖龍軍左翼、ゴードン部隊の陣地には、彼とわずかな供回りしかいない。ゴードン配下の七百名と借り物の三百名は、左翼最前列で敵軍と激しい闘いを演じていた。

 七百名は、彼がナグラシア以来行動をともにしてきた連中であり、ナグラシアでの数年は、彼らとの交流の記憶で彩ることもできた。軍才のないゴードンには、彼らの軍儀軍略についていけないことも多かったが、往々にして気のいい連中であり、文官上がりの彼を卑下するようなものはいなかった。

 その点、彼は幸運に恵まれていたのだろうと自覚する。しかし、そういった気のいい連中を死地に赴かせなければならない立場というのは、彼には余程似合わなかった。前線から届く報告に、いちいち心臓が痛んだ。

 軍人には向かないのは、最初からわかりきっていたことなのだ。いまさらどうしたところで、この図体の割りに小さすぎる心臓を強く逞しくすることはできない。

「翼将殿の檄が効いたようですな。弱兵は弱兵。我ら第三龍鱗軍の敵ですらない」

「は、はは……」

 ゴードンは、威勢のいい部下の言葉に愛想笑いを返しながら、鐙からずり落ちそうになった。ゴードン隊は戦線を押し戻し、川の中程までに至っているという。

 多少の安堵も束の間、騎馬の伝令が、目の前に走り込んできた。

「報告! 右翼部隊が半壊した模様!」

「な、なんだと!? ケルルは無事なのか!?」

「生死不明とのこと!」

 伝令の叫び声に、ゴードンは口をパクパクさせた。



「存外、脆いな……」

 馬上、ハルベルクは、敵部隊の陣形が崩れに崩れ、もはや壊滅的といっても過言ではなくなっていくのを見届けていた。

 ルシオン軍は、自軍双翼陣の左翼に展開していた。そのまま直進し、敵陣の右翼にぶつかったということになる。ザルワーンの軍勢。龍鱗軍とかいう組織名だったか。

 ガンディアほどの弱兵ではないにせよ、ルシオンの敵ではなかった。蹴散らしたといってもいい。

「武勇を奮え! 戦果を競え! ルシオンは尚武の国ぞ! 怯懦に堕ち、国の名を辱しめることはリノンクレアが許さん!」

 馬に乗って戦場を駆け回りながら檄を飛ばすのは、ハルベルクの妻たるリノンクレアだ。王子妃にして白聖騎士隊の隊長を務める彼女自身、武勇の女性であった。彼女が上げた戦功は数知れず、ガンディアからきた姫君の活躍は、ルシオン国民の熱狂的人気を得ることになる。

 リノンクレアは、その人気に浮かれることはなく、むしろハルベルクの手前、恥ずかしがりもした。彼女のそういう奥ゆかしさは、ハルベルクの琴線に触れるところだが、いまは関係ない。

 リノンクレアの怒声のような激励に、白聖騎士隊のものだけでなく、ルシオンの精兵たちもが狂ったように暴れまわった。にもかかわらず、被害は軽微であり、死者はいまのところでていなかった。

 敵軍への損害は、凄まじい。

 敵部隊は半壊し、掃討戦に移ったいまも、減少を続けている。兵が減れば戦意も下がり、戦意が下がればさらに兵が減った。完全な悪循環が、敵部隊に起こっている。

「我が方右翼、押されている模様!」

 伝令の悲鳴に、ハルベルクがした思案は一瞬だった。

「援軍を回す。持ちこたえろと伝えてくれ」

「はっ」

 伝令が駆け去るのを見届けもせず、ハルベルクはリノンクレアに馬を寄せた。兜の下の彼女のまなざしは、軍神のように厳しく、冷酷だ。

「白聖騎士隊長、貴隊から三百人、右翼に向かわせてほしい」

「はっ、お任せを!」

 リノンクレアはハルベルクに即答すると、すぐさま白聖騎士隊を召集した。

 ハルベルクは、妻の凛々しい姿に惚れ直しながらも、自分の下した判断が間違っていないことを確認する。こちらの敵部隊は崩壊しているといっていい。指揮系統が乱れているのが彼にもわかるくらい、兵士たちは混乱していた。それでも、命令が下らない限りは逃げることもできず、応戦するしかない。哀れだが、それが末端の兵士のさだめだ。

 白聖騎士隊を三百人、援軍に割いたところで、大勢に影響はでないだろう。むしろ右翼の味方を救援し、戦線の崩壊を防ぐことのほうが重要だ。右翼から本陣に突撃されては、こちらの勝利も意味をなさなくなる。

 もちろん、本陣がそう簡単に落ちるとも思えないのだが。

 用心するに越したことはない。

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