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第千七百九十八話 ニーナ(一)

 ベノア島北岸に築き上げられた帝国軍野営地は、外周を無数の鉄柵で囲われ、さらにその周りに堀を設けられた本格的なものであり、帝国軍がここを拠点に本格的に行動を開始するためのものであるということが予想された。鉄柵の内側には無数の天幕が設置されており、各所に篝火の設備や簡易的な厩舎があった。厩舎があるということは馬もいるのだが、数はそれほど多くはない。超大型艦船とはいえ、馬を運ぶのは困難を極めるものなのかもしれない。

 つい先程まで総督閣下の出迎えをしていた将兵たちは、ニーナが天幕内に姿を消したことで本来の任務に戻っているようだった。とはいえ、兵士たちにできることといえば、周辺の調査や野営地の強化、訓練程度のことであり、大それたことはなにもできなそうではあった。

 ランスロットに案内されるまま、セツナたち五十名近い調査部隊の面々は、帝国軍野営地の門を潜った。となると、当然、門番をしている兵士たちの視線がランスロットに集中する。そして、武装した門番のひとりがランスロットに駆け寄ってくる。若い男だった。

「ランスロット様、そちらの方々は?」

「現地の方々を発見したのでね、遥々ご足労願った」

 ランスロットが平然とした顔でうそぶくと、兵士は明らかに困惑していた。この門番がいかに無能であろうとも、セツナたちの様子がいかにも怪しいということくらい察しようというものだ。セツナ、レム、フロードら正騎士たちは堂々としていたものの、准騎士以下複数名の調査部隊員が緊張と不安のあまり、挙動不審になっていた。

「は?」

「現地のことは現地のひとに聞くのが手っ取り早いだろう?」

「それは……そうですが……」

 なにかいいたげな兵士に対し、ランスロットは笑顔のままだ。ランスロットの立場を考えれば、彼が平然としているのも理解できるし、兵士がいい淀むのも無理のないことだ。ニーウェの三臣と呼ばれる三名の家臣のひとりであるランスロットは、ニーウェが皇帝となったいま、その立場は皇帝に次ぐものといってもいいはずだ。門番を含む周囲の兵士たちが、彼の野営地への帰還を緊張でもって出迎えていたことからも、その憶測が間違いではないことを告げている。

 皇帝の側近ともあろう人物の行動を追求した挙げ句、なんの問題もなかった場合には目も当てられない事態が待っているやもしれず、さらにいえば、皇帝の側近ということでどのような行動も許される可能性まであった。帝国に甚大な不利益をもたらさない限りは、三臣が立場を失うことなど考えにくい。

 少なくとも、ニーウェの統治が盤石であり、臣民が彼を支持している間は。

「閣下は仮設本部に?」

「そうですが、なぜ……まさか、そちらの方々を閣下に?」

「ご名答。さすがだ」

「そんな勝手なことをしてだいじょうぶなんですか?」

「俺をどこのだれだと」

「そりゃあ、まあ……」

「なんなら、君はなにも見なかった、それでいいさ」

「はあ」

 一方的に話を進めるランスロットに呆気に取られる兵士に対し、彼は軽く手振りをして退けると、不承不承離れていく兵士を眺めながら、ランスロットは小さくつぶやいた。

「なんていうか、軍人も大変だあね」

「あんたがいうか」

 セツナは、ランスロットの他人行儀な一言にあきれるほかなかった。

「わたしは軍人というよりも、一介の武装召喚師ですからね」

「けど、ニーウェに仕えている」

 セツナが何気なくいった瞬間、ランスロットが目を光らせた。

「ニーウェハイン皇帝陛下。皇帝陛下でも、陛下でも構いませんが、その名で呼び捨ては良くない」

「あ、ああ。忠告、感謝する」

「素直でよろしいな、セツナ殿は」

 ランスロットがにやりとした。度々セツナの顔をまじまじと見つめてくるのが気になったが、気にしても仕方のないことだと諦める。彼が敬愛する主君にそっくりなのだ。つい見つめてしまうのだろう。

「ま、あなたの言いたいこともわからないではない。帝国軍の頂点に立つ陛下に仕え、軍事行動に随伴しながら軍人ではない、というのはただの言いわけだ、とね」

「別にそこまでいっているわけじゃないが……」

「いやいや、構いませんよ。わたしも別にそれを否定するつもりはない」

 彼がひらひらと手を振りながらいった。

「ただ、軍人気質というのは、どうも性に合わないというだけの話でね。わたしは、気楽に生きていたいものですから」

「気楽に……ね」

 ニーウェの側近など、気楽からもっとも遠いものだろう、という意見を飲み込んで、セツナは彼の言葉を反芻した。さらにニーウェは皇帝を名乗っている、気楽になど生きていけるわけもない。が、そういう生き方を望むことそのものは、別段、問題ではない。

「もっとも、気楽に生きるには片づけなきゃいけない問題が多すぎるんですがね」

 脱力気味に語ったランスロットの真意は、彼のくたびれた笑顔の中に隠れ、わからなかった。



 ランスロットに付き従って野営地内を歩いていると、帝国の将兵たちの疑問に満ちた視線がつぎつぎと突き刺さってきた。中にはニーウェハイン様や皇帝陛下などといって驚くものもいたが、即座にこんなところにいるはずはないと首を横に振った。ニーウェの容姿を知るものならば、セツナを見た瞬間、混乱したとしても不思議ではない。つまり、先程の門番は、ニーウェの素顔を知らないということだ。

「やっぱりどう見ても似過ぎなんだよなあ」

 不意に足を止めたランスロットが、セツナの顔をまじまじとのぞき込んできた。

「んなこといわれても」

「いやいや、非難してるわけじゃないっすよ、セツナ殿」

「エリナ様が見分けがつかないほどでございますもの。ご主人様が否定しても無駄でございます」

「だれも否定してねえし」

 セツナは、レムがただ自分をからかうためにいったことだとわかりながらも、口を尖らせた。

「そっくりなのは認めてるだろ。鏡みたいだったってさ」

「いまや似てもにつかない姿に成り果ててしまいましたがね」

「陛下、あれからなにかお変わりになられたのか?」

「いえいえ、あのときのままですよ」

 ランスロットの返事にセツナは少しだけほっとした。安堵していいようなことではないことはわかっているものの、あれから何事もなかったという事実は、ニーウェが息災だったということでもあるからだ。

「それが変わり果てた、ということなのですが」

 ランスロットはそういうと、この話を打ち切った。三臣として長らくニーウェに仕えている彼には、ニーウェが戦いの果てに異形化したことについて、なにか想うところがあったのだろう。


 やがて、野営地内北側の一番大きな天幕に辿り着くと、帝国軍将校と思わしき男たちが屯していた。門番やほかの兵士たちとは明らかに異なる豪華な軍服がその立場を示している。そんな将校と思しき連中でさえ、ランスロットを見ると、一斉に畏まって敬礼をしなければならないのだから、彼の現在の帝国における立場の高さというものがよくわかるというものだった。皇帝の側近なのだ。この場にいるだれよりも位が高いといってもいいのだろうし、もしかすると、閣下と呼ばれていたニーナよりも、立場上は上位に位置するのかもしれない。

 ランスロットがのほほんとした足取りで天幕に近づくと、天幕の警備をしていたふたりの兵士が緊張した。そんな反応など意にも介さないのがランスロットだ。

「ランスロット=ガーランドが哨戒任務より帰還したとの旨、閣下に伝えて頂戴」

「はっ……!」

 敬礼とともに天幕の中に入っていった兵士を見送ると、ランスロットがセツナに囁くようにいってくる。

「閣下はようやく陸に上がられたばかりで休みたいところでしょうが、ここはセツナ殿にお会いしていただかねばなりません」

「明日以降にしたほうがいいのなら、そうするけど。ねえ、フロードさん」

「ええ、名誉騎士殿の申されるままに」

 フロードは、調査部隊の隊長であるということを忘れたかのような返答をしてきたので、セツナは苦笑しかけた。調査部隊の行動方針を決めるのは、セツナの役割ではない。すると、ランスロットが怪訝な顔をした。

「名誉騎士? セツナ殿が?」

「あー、その話は長くなるからあとで」

「まあ、いつでも構いませんが。それはそれとして、総督閣下にはいますぐお会いしていただいたほうが、わたしの立場上、ありがたいのですよ」

「ランスロットさんの立場上?」

「長い船旅でしたからね。総督閣下もお疲れ気味なのです」

「それは理解できますが……でしたら」

「いやいや、だからこそですよ。セツナ殿」

「はあ?」

 ランスロットの説明は、要領を得ない。しかし、彼がなにをもってそんな考えに至ったのかは、すぐに判明した。

 兵士が天幕から出てくると、ランスロットに何事かを耳打ちする。ランスロットはにこやかに兵士の苦労をねぎらうと、セツナに目配せしてきた。ついてこい、ということのようだ。セツナは、レムやフロードたちと顔を見合わせ、頷きあった。ここで一悶着を起こしてもなんの意味もない。セツナたちの使命は、帝国軍の上陸目的を探ることであり、帝国軍の指揮官であるらしいニーナとの対面は、使命を果たすにはもってこいのものだ。

 ランスロットの後に続き、天幕内に足を踏み入れる。

 広い天幕内には、会議用の卓が置かれており、その奥に大きな机が設置されていた。机と一緒になった背もたれ付きの椅子に腰掛け、書類に目を通しているのが、ニーナだ。仰々しいまでの服装は、彼女がこの軍勢の総指揮官だからなのだろう。服装というのは、立場を示すものでもある。立場が下のものほど簡素な格好になり、上に行けばいくほど派手になるのはどこの国でも同じことなのだ。逆はまずありえない。

「なにやら騒がしいと想えば、卿だったか。ランスロット卿」

 ニーナは、書類を机の上に置くと、ランスロットを一瞥した。鋭い眼差しだった。凛とした、という表現が彼女ほど似合う女性はいないのではないか、と想うほどに研ぎ澄まされたものがそこにはある。ランスロットがどのような表情を浮かべているのか気になったのは、それだけニーナの視線が鋭いからだ。しかし、ニーナの視線がセツナに移った瞬間、厳しかった彼女の表情は一変する。

「な――」

 呆気にとられたような、あるいは予期せぬ出来事に衝撃を受け、うっかり素の表情を見せてしまったような、そんな反応だった。ランスロットを一睨みした女傑のものとは想えぬほど、間の抜けた顔だった。だが、その落差は、失望よりも好感となる。特にセツナは、ニーウェの心に触れてしまっているのだ。ニーナへの好感度はもともと抜群に高い。その上でそんな表情を見せられたものだから、セツナは、彼女に釘付けになった。

 セツナが茫然としていると、がたんという音がした。ニーナが勢い良く立ち上がり、椅子を転倒させたのだ。そして、彼女は、その勢いのまま机から離れ、セツナに向かって飛びつかんばかりの勢いで駆け寄ってくる。セツナが驚き、反応する暇もない。

「ニーウェ……!」

 ニーナは、セツナを抱きすくめるなり、歓喜に満ちた声と表情で、その豊かな胸の内に満ちた歓びを表した。

 予想できた反応ではあったが、それにしたって歓び過ぎではないのか。

 ニーナの豊かな胸の感触に気圧されながら、そんな風に考えるセツナだった。



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