第千七百九十七話 帝国の事情(三)
帝国軍野営地に着くまでの間に、セツナは、ランスロットからニーウェが皇位を継承した経緯を手短にだが、聞かされた。
ランスロットとしては、野営地に到着するまでに事前情報として知っておいたほうがいいと判断したようだ。
帝国軍野営地にいる将兵は、皇帝ニーウェハインに忠誠を誓うものばかりであるという話であり、ニーウェの現状について知っていなければ、望まぬ対立を生む可能性があるというのだ。仮にセツナがニーウェのことを呼び捨てにしたりするようなことだけでも彼らを刺激しかねないのだ、と、ランスロットはいう。
『世界大戦後の崩壊は、我がザイオン帝国領土も引き裂き、大混乱が起きたのです。そのとき、帝国領土に運良く流れ着いた我々は、陛下の指揮の元、混乱真っ只中の帝国領を纏め上げ、秩序を齎した。将兵らが陛下に忠誠を誓うのも、当然という話です』
“大破壊”直後の混乱を鎮めたというのであれば、強く忠誠を誓うというのもわからなくはなかったし、納得のいくことだ。騎士団は、“大破壊”後の混乱を纏め上げられなかったために支持力を失い、凋落の一途を辿りかけていたのだ。逆を行けば、人望が集まるものなのだろう。
それから、彼はニーウェがなぜ、皇位を継承したのかを話し始めた。
ニーウェは、彼が世界大戦という大戦争が勃発する直前、皇位継承権の第一位に繰り上げられたのだと、いう。それはランスロットにも信じがたいことであり、彼はその話をニーウェから聞いたとき、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたという心境を吐露した。
ニーウェは、彼とニーナの母親のこともあり、皇位継承権を破棄しなければならないほどの立場にあったはずだ。その上で騎爵にまで上り詰めたニーナと、闘爵へと抜擢されたニーウェは、尋常ではなかったものの、継承者争いには参加できていなかった。ニーナもニーウェも帝国領土における辺境に飛ばされ、中央から遠く離れた僻地で、得点を稼ぐこともままならないまま日々を過ごしていた。
それがセツナを認識し、同一存在の主権をかけた決戦を行うべくガンディアへ赴いたことで風向きが変わったようだ、と彼はいう。
ニーウェはセツナとの決戦に敗れ、そのまま帝国領土へと舞い戻った。そこまではセツナの想像していた通りだ。ニーウェほどの男が、セツナとの戦いに敗れた腹いせにどこかの国で暴れ回ったりするはずもない。もしそんなことがあればガンディアまでそういった話が届いていたはずだが、ニーウェの動向に関する情報は一切入ってこなかった。つまり、ニーウェがセツナに敗れたあと、すみやかに本国に還っていったということにほかならない。
ニーウェは、帝国領内のニーナが治める都市エンシエルで療養していたところ、当時の皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンにより帝都ザイアスに呼び出された。ランスロットは、ついにこの時が来たかと観念したらしい。皇帝の許しなく小国家群に入ってはいけないという、帝国の禁忌を犯した罪を問われ、処断されるとしか考えられなかったからだ。
だが、ニーウェは罪を問われるどころか、皇位継承権を復活させられた上、継承権の第一位に繰り上げられるという驚くべき事態に直面したという。ニーウェ自身、自分の身になにが起こったのかわからず、シウェルハインがなぜ、そんなことをしたのか、だれにも理解できなかったというのだ。
ランスロットたち三臣も、ニーナも大いに困惑し、混乱したものの、ニーウェが罪に問われず、さらに次期皇帝の最有力候補に躍り出たことには素直に喜んだそうだ。
その直後、皇帝シウェルハインによる大動員令が発動、帝国軍は、小国家群への侵攻準備に入った。
『ニーウェ様曰く、ご自分とシウェルハイン陛下の接触が大動員令発動のきっかけになったのではないか、とのこと。ほかに考えようがないのも事実ですが、シウェルハイン陛下がなぜ、ニーウェ様と再会しただけで大動員令を発動したのかは未だわからず』
と、ランスロットはいったものの、セツナには、なんとなくわかっていた。
おそらく、帝国を築き上げた神がその場にいて、ニーウェを通してなにか情報を得たのだろう。それが神々の求めていた聖皇復活の“約束の地”に関する情報ならば、シウェルハインが帝国の禁忌を破り、大動員令を下したのにも納得がいく。神々は、“約束の地”を得、聖皇復活の場に立ち会い、在るべき世界に還ることを熱望していた。そのために小国家群が、世界がどうなろうと知ったことではないのだ。神々は、この世界の神々ではない。異世界の神々なのだから。
大動員令は、当然、ニーウェたちにも下された。つまり、ランスロットたちも最終戦争に参加していたということであり、彼らがガンディオン周辺の戦場まで突出していれば、セツナと激突していた可能性も大いに有り得るのだ。
『セツナ殿の活躍については、聞いておりますよ。なんでも何万にも及ぶ聖王国、帝国の兵を薙ぎ払ったとか』
ランスロットはそういってから、少しばかり安堵したような顔をした。
『その話を聞いた直後に戦いが終わったのは、幸運だったのでしょうね』
というのも、セツナの戦いぶりを耳にしたニーウェは、帝国軍の損害を減らすためにはセツナを制圧する必要があると判断したといい、あのまま戦いが続いていれば、ニーウェが直々にセツナ打倒に動いたかもしれなかったというのだ。そうなっていれば、間違いなくセツナはニーウェを殺していただろうし、ランスロットたちの命も奪っていただろう。あのときのセツナには、情け容赦などあろうはずもない。
セツナがそういった素直な感想を述べると、ランスロットは、心の底からほっとしたようだった。
『それを聞くと、ますますあのとき大戦が終わったのは、喜ぶべきなのでしょう』
もっとも、と、彼は続けた。
『あのあと起きたことを考えれば、喜びようもありませんが』
無論、“大破壊”のことだ。
“大破壊”は、ワーグラーン大陸をでたらめに破壊した。小国家群のみならず、三大勢力の領土も引き裂き、原型は失われた。大激変。なにもかも以前と様変わりした世界で、だれもが絶望し、失意のどん底に突き落とされた。混乱が起きるのは当然の話であり、秩序が失われるのもまた、当たり前だったのだろう。
そんな中、ニーウェたちが帝国領土に戻り着くことができたのは、どういうわけなのか、彼らにもわかっていないという。“大破壊”の光に飲まれ、気がついたときには帝国領土にいたというのだ。ガンディオン近郊から帝国領土までの距離はとんでもなく遠い。“大破壊”を引き起こした膨大な力に吹き飛ばされただけで届くような距離ではないし、そんな力で吹き飛ばされれば、だれひとり無事ではすまないはずだ。
しかし、帝国領土に戻ったニーウェたちの中には、その現象による負傷者はいなかったとのことだ。
『なにが起きたのか、まったくわかりませんでしたが』
彼は、そのとき、遠い目をしていた。
『ニーウェ様いわく、シウェルハイン皇帝陛下が守ってくださったのだ、とのことでして』
ニーウェが涙ながらにそういったのだ、と、ランスロットはいった。
その話を聞いたとき、セツナの頭の中にひとつの仮説が浮かび上がった。
シウェルハインが帝国の神に選ばれし者だったのではないかという仮説だ。その仮説は、ベノアガルドの騎士団フェイルリング・ザン=クリュースが救世神ミヴューラに選ばれ、その力を行使することが許されていたことに基づくものであり、ここまでランスロットが語った話と照らし合わせると、合致する部分があった。
まず、シウェルハインが大動員令を下した理由だ。ニーウェとの接触が引き金になったのであれば、シウェルハインが神の力を用い、ニーウェの記憶を探ったのではないかと推測される。そして、神の意思の赴くままに大動員令を下したのだとすれば、納得がいく。
その上で、“大破壊”直後、シウェルハインが神の力を用いてニーウェたち帝国の人間を帝国領土に転送したと考えれば、ニーウェたちがガンディオンから帝国領土に移動したことの辻褄があうのだ。
もっとも、それはただの憶測に過ぎず、実際にはまったく異なる現象かもしれない。
しかし、ニーウェがランスロットに語ったという話が真実ならば、それがもっとも正解に近いのではないか、と想うのだ。
シウェルハインは、聖皇復活による世界の破滅など望んでなどいなかったはずだ。
そもそも、シウェルハインやそれ以外の人間たちは、神の真の目的を知っていたのだろうか。
聖皇の復活が、世界に滅亡をもたらすことだと、理解していたのだろうか。
セツナには、どうも、知らなかったように想えてならなかった。
ただ、神々にいいように操られていただけなのではないか。
だからこそ、最後の最後、神の思惑を理解したとき、反発したのではないか。
神への反逆行為として、帝国の将兵を在るべき国土に転送させたのではないか。
そんな想像をしたところで、明確な答えがでるわけではない。真実を知っているのはシウェルハインだけだろうし、そのシウェルハインは、いまやどうなっているのか。
ニーウェは、シウェルハインの後を継ぎ、皇帝を名乗ったという。
最有力の後継者候補であり、次期皇帝であるとシウェルハインによって明言されていたのだから、シウェルハインの生存が絶望的である以上、帝国領土を纏めるためには彼が皇位継承するのは必然だったのだろう。
そうすることで帝国領内に秩序を齎すことを最優先に、ニーウェは考えていた。ニーウェに忠誠を誓うものたちは、そんなニーウェの意向を知ってのことであり、ニーウェがだれよりも帝国の将来を憂いているという事実を理解したからこそ、彼が皇帝になることを認めたのだろう。
もっとも、それだけでは帝国領土の混乱は収まりきらなかったようだが。
話の続きは、野営地に辿り着き、帝国軍指揮官ニーナ・ラアム=エンシエルと対面してから、聞いた。