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第千七百九十五話 帝国の事情(一)


「あれは……」

 セツナは、脳内を目まぐるしく駆け抜ける他人の記憶に頭痛を覚えながら、小舟を降り、ベノア島内に到来した女性の凛々しい姿に感動さえ抱く自分を不思議に想った。

 ニーナ・ラアス=エンシエル。

 ザイオン帝国皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンの娘であり、第五皇女。シウェルハインには二十人の子供がいて、その娘の中で五番目ということだ。ニーウェと同じ母親から生まれた、ニーウェにとって唯一の姉というべき人物であり、ニーウェは彼女のことをだれよりも大切に想い、彼女の幸せだけを願っているといっても過言ではなかった。それは、ニーウェとの戦いの果て、流れ込んできたニーウェの記憶であり、セツナがニーナに感動を覚えたのは、その影響に違いなかった。黒き矛の逆流現象によってセツナに心を許したミリュウやテリウスのようなものだろう。

 なぜニーウェの記憶が流れ込んできたのかは、わからないではない。ニーウェはエッジオブサーストに選ばれた人間だった。エッジオブサーストに流れ込んだニーウェの記憶が、黒き矛との合一の際、セツナにまで流れ込んできたのだろう。そして、その記憶がいまになって心に作用したということだ。

 ニーナへの溢れんばかりの想いに動揺さえする。他人の記憶が深く根付き、感情を揺り動かしているのだ。奇妙だった。それはたしかに自分のものではないというのに、自分のものなのだ。

「御主人様?」

 レムが、セツナの異変を感じ取ったのか、そっと寄り添ってくる。そんな彼女の気遣いに感謝しながら、セツナは野営地に迎え入れられるニーナをじっと見つめていた。目が離せなかった。記憶の逆流の影響というのは、これほどまでに強力だということを知ったとき、ミリュウがなぜああもセツナに心を許し、依存するほどだったのかも理解できた。

 そして、逆流現象の恐ろしさも同時に理解する。場合によっては心が壊れることもあるというのは、まさにそのとおりなのだろうと実感として認識するのだ。

 ニーナへの愛情は、ニーウェの心に触れてしまったことによる影響だ。ニーウェと遭遇しなければ、戦わなければ、こうはならなかったのだろう。だが、決して悪い気分ではなかった。むしろ、爽やかな気持ちにさえなっている。それくらい、ニーウェのニーナへの想いというのは純粋で、素直なものだったということなのだろう。

 セツナの反応の鈍さに困惑している様子のレムやフロードたちに気づき、彼は軽く咳払いをした。気を取り直すようにして、告げる。

「閣下と呼ばれている人物のことはわかりました」

「ほう!」

「ニーナ・ラアス=エンシエル。皇帝の第五皇女で、ニーウェと唯一同腹の姉だったはずです」

「おお、ニーナといえば、女性ながら第七方面軍総督に任命された女傑でしたな。なるほど、総督なれば、閣下と呼ばれても不思議ではありません。いやはや、よくよく考えてみれば、すぐ思いつくことでしたな」

「ええ、まあ……」

 騎士団ベノアガルドは、大陸の未来を憂い、大陸を破局から救うべく活動していたのだ。三大勢力の内情を知るべく情報収集に力を入れていたことが、フロードたちの言動から窺い知れた。大陸の、イルス・ヴァレの未来に関わる活動をしていたのだ。大陸を四分する三大勢力の実情を知って置かなければならないのは、当然の話だろう。一方、小国家群統一を急務としたガンディアは、小国家群の国々に関する情報を網羅していたが、三大勢力の内情については詳しくはなかった。三大勢力の内情を探るために労力を割くよりも近隣国や小国家群内の国々の情報を集めることのほうが、小国家群統一という大目標のためには重要だったからだ。その結果、最終戦争に対して為す術もなかったなどということはない。たとえ三大勢力の内情に精通していたとして、あの戦いを防ぐことはできなかった。いまの世で最終戦争と呼ばれるあの戦いは、神々の意志によって引き起こされたものであり、そこに三大勢力の支配者たちの意図など介在していなかった。三大勢力の動きを察知し、それぞれに働きかけたところでどうすることもできなかったのだ。

 そして、“大破壊”が起きた。

 それがすべてだ。

 セツナが後悔することがあるとすれば、ガンディアを守れなかったということだが、それがどれほど傲慢な考えであるかも理解していた。当時のセツナの力では、三大勢力を殲滅することはおろか撃退することなど不可能だったのだ。たとえセツナの元に配下が集い、ファリアたちが揃っていたとしても、敵わなかった。

 あるいは打ち勝てたとして、その場合、“大破壊”以上の破局を免れ得なかっただろう。

 最終戦争は、神々による儀式だった。

 聖皇復活の儀式。

 聖皇の力を召喚するための――。

「しかし、ニーナ・ラアム=エンシエルといえば、帝国内での発言力は低く、その権勢もたいしたものではなかったはず。しかも彼女の領地は、帝国領土内でも辺境と呼ばれる小国家群近郊のエンシエル。なにやらきな臭くなってまいりましたな」

 フロードが野営地を覗き込みながら、訝しげに眉根を寄せた。基本的に野放図に明るいフロードだが、真面目くさった表情をすると、途端に歴戦の猛者としての雰囲気を身に纏い、周囲の空気そのものが変わる。

「きな臭い?」

「エンシエルは、小国家群近郊に位置する都市です。それが意味することがわかりませんか?」

「えーと……内陸地、ってことですか?」

「ご名答」

 フロードが目だけで笑う。

「つまり、いくら大地が引き裂かれたからといって、エンシエルのニーナ様があれほどの船を所有しているのは不自然だと、フロード様は仰りたいのですね?」

「さすがはレム殿。ご丁寧な解説ですぞ」

「いえいえ、これも御主人様の日頃の教育のたまものでございますので」

「ほほう、名誉騎士殿の教育、ですか」

「はい」

「なにいってんだばか」

 にこやかにうなずくレムを横目に睨んでから、セツナは、ニーナが数千の帝国将兵に囲まれながら野営地内を闊歩する様を注視した。ニーナは、長身の美女だ。ニーウェと同じ黒髪に赤い瞳は、セツナと同じだが、帝国人に黒髪はめずらしいものではない。むしろ、皇家の人間の大半が黒髪であり、帝国においては黒髪が高貴な血筋の証であるという話さえあった。もっとも、帝国人のほとんどが黒髪である以上、それ以外の髪色のほうが希少であるらしいのだが。

 ニーナは、ニーウェの記憶に見たときよりも幾分、顔つきが鋭くなっているように見えた。長い船旅の疲れは、表情には出ていない。さすがに帝国皇家の人間だけあって、心労を表情に出さないように教育を受けているのだろうが。

「わたくしはミリュウ様ほどセツナ馬鹿ではございませんが」

「そうかい」

 セツナは、レムの発言を適当に流すと、フロードに尋ねた。

「つまり、帝国の情勢に大きな変化があった、ということですか?」

「御主人様、無視は酷いですよ」

「相手ならあとでいくらでもしてやる」

「本当ですか? やった」

 レムがなにやら渾身の喜びの声を上げるのを見て、セツナは頭を抱えたくなったが、フロードはむしろ面白おかしそうに彼女を眺めていた。それからセツナの質問に答えてくる。

「まあ、そういう可能性があるという話です。実際のところ、帝国の現状がどうなっているのかなど、我々には想像することもできませんからな。とはいえ、帝国が“大破壊”の影響を受けていないとは考えられません。ヴァシュタリアの領土も“大破壊”によって大きく引き裂かれたという話です」

 フロードが語ったことは、セツナ自身、マリアから聞いていたことだ。

 マリアがファリアたちとともにたどり着いたリョハンは、ヴァシュタリア共同体の領内に存在する独立都市だ。マリアはリョハン滞在中、ヴァシュタリアの勢力圏が“大破壊”の影響をどれほど受けたのか、様々な情報によって知ったという。

 曰く、ヴァシュタリアの領土は大きく三つに引き裂かれ、大海によって引き離されたらしい。

 神に護られていた地域であるはずのヴァシュタリアでさえそうなったのだ。帝国領土や聖王国領土も同様に“大破壊”の影響を受けていないわけがなかった。

“大破壊”によって大陸はばらばらに引き裂かれた。

 直後の混乱は、セツナの想像を絶するものだっただろう。それこそ、明日を生きる希望さえ見失うほどのものだったかもしれず、騎士団が求心力を急速に失っていったのも、そういった影響によるものだということは想像できる。

 帝国内部の情勢が激変したとして、なんら不思議ではなかった。

 内陸地に領地を持っていたニーナが超大型艦船を保有しているのも、そういう理由ではないか。

「となると、今回の帝国軍の上陸も、帝国内の情勢が関係しているのかもしれませんね」

「まあ……これ以上は、無意味な詮索となりましょう。我々には、帝国の内情を知る術もなければ、想像を膨らませるだけの情報もない。そんな状態で想像ばかりを膨らませたところで、妄想の産物に振り回されるのが落ちです」

「そうですね」

 セツナは、フロードの冷静かつ沈着な判断力に敬服し、素直に従った。それから、今後の方針を話し合おうとした矢先のことだ。

「まずは、帝国軍が上陸した目的を知ること」

「――なるほど。それがあんたたちの目的ってわけか」

 気配は、声とともに出現した。

「え?」

 セツナは、突如として出現した圧力に愕然としながら視線を巡らせた。レムやフロードたちが遅れて警戒態勢に入ったときには、セツナはその男を視界に捉えている。若い男だ。青年と呼ぶに相応しいだろう。長身痩躯。黒髪を長く伸ばし、前髪が右目を隠していた。左目の虹彩は茶色。上から下まで全身黒ずくめで、右腕に装着した腕輪だけが異彩を放っていた。極彩色の奇妙な腕輪。召喚武装だろう。

「少々迂闊過ぎない? 黒き矛のセツナ殿」

「あんたは……」

 セツナの記憶がその男の名を思い起こすより早く、彼が言葉を続けた。

「ザイオン帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンが三武卿のひとり、ランスロット=ガーランド。どうぞお見知りおきを」

 セツナは、恭しくお辞儀をしてきた男のどこか皮肉めいた笑みよりも、彼が発した言葉の持つ威力に、ただ、度肝を抜かれた。

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