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第千七百九十三話 一大事


「セツナ殿―っ、国の一大事ですぞーっ!」

 などといつも以上に大袈裟に叫びながら、フロード・ザン=エステバンがフィンライト邸を訪れたのは、一月二十八日のことだった。

 その日、セツナは、穏やかな日差しが降り注ぐフィンライト邸の前庭で、日向ぼっこをしていた。昼食を腹一杯に食べたこともあり、冬とは思えないほど暖かな日差しのおかげで程よい眠気が、彼の睡眠欲を刺激していた。かつてのフィンライト邸の面影さえないほどささやかな花壇の前に置かれた長椅子に腰掛け、ぼんやりと、冬の風景を見ている。花など咲いているわけもなければ、特別ななにかがあるというわけもない。ただ、食後の満足感の中で暇つぶしをしているだけに過ぎなかった。

 レムが車椅子を押しながら庭を散歩している様が、いつもとは異なるものだ。車椅子に座っているのは、なにを隠そうシャノアであり、シャノアは、久々の外の空気にどこか嬉しそうな表情をしているように見えた。

 シャノアは、ルヴェリスが彼女の自室に運んだ食事を彼の目の前で食べてからというもの、少しずつ人前に姿を見せるようになっていた。立って歩き続ける体力さえ失っていた彼女のために車椅子を用意しようといい出したのはレムであり、そんなレムの心遣いが伝わったのか、シャノアはレムに甘えるようになった。ルヴェリスに対してはまだ警戒しているようなところがあったものの、それでも以前よりは遥かに良くなっているといっていいのだろう。

 そんな変化をフィンライト邸のひとびとは涙ながらに見守っていて、セツナはもらい泣きしそうだった。執事や使用人たちにとって、いまのシャノアほど痛ましいものはないのだ。シャノアは、元々、凛々しい女性騎士だった。ルヴェリスよりもよほど男前だという評判があるくらいの人物であり、その凛とした佇まいは、ただそれだけで絵になったものだ。そんな彼女がまるで幼児のように成り果て、その上、最愛のひとだったはずのルヴェリスを拒絶する様ほど、フィンライト邸で働くひとびとの心に突き刺さるものはなかったのだ。

 シャノアが少しずつでも良化していくことは、ルヴェリスのみならず、フィンライト邸で働くひとたちにとっても喜ばしいことだった。

 フロードがフィンライト邸の門を潜り抜け、前庭で馬を飛び降りてきたのは、そんな穏やかな日常風景に訪れた微妙な変化を喜んでいたときだった。

「国の一大事って、また大袈裟ですね」

「大袈裟でもなんでもありませんぞ」

 セツナがあくびを漏らしながらいうと、フロードは、手綱を持ったまま、真面目くさった顔でいってきた。そのただならぬ様子にセツナはいつものフロードとは異なるものを感じ、意識が覚醒する感覚を覚えた。長椅子から離れ、大きく伸びをする。眠気が吹き飛んでしまった。

「なにがあったんです?」

「詳しくは騎士団本部でお話いたしますが、もしかすると、セツナ殿にとって吉報かもしれません」

「吉報?」

 フロードのいう国の一大事とは異なる発言に、セツナは困惑するばかりだった。


 騎士団本部に辿り着くと、すぐさま会議室に通された。会議室には騎士団幹部のうち、オズフェルトとルヴェリスだけがいた。それもそのはずだ。ベインはサンストレアにいっていたし、シドはストラ要塞の再建のため、現地に赴いている。ロウファは、ユリウス派との協力関係の締結のため、団長代理としてマルディアに出向中だった。

「ご命令通り、セツナ殿をお連れいたしました!」

「ご苦労だった。下がって良い」

「はっ」

 足をぴったりつけて敬礼すると、フロードはセツナに目礼をして、会議室から出ていった。

 残されたセツナは、ルヴェリスに目で促されるまま、目の前の席に腰を下ろした。ただでさえ広い会議室が余計に広く感じるのは、室内にいるのがたった三人だからだろう。三人が囲むのは長方形の卓でセツナの対面の席にオズフェルトが、右列の奥の席にルヴェリスが腰掛けている。ふたりとも騎士団の制服を着込み、セツナはルヴェリスの手編みの衣服を身に着けていた。ルヴェリスは、衣服の制作も趣味としており、気に入った相手のために衣服を縫うことが気晴らしになっているという話だった。

「名誉騎士殿にご足労願ったのは、ほかでもない。ベノアガルドにとって一大事となるかもしれない事態が出来しゅったいいたしたのです」

 オズフェルトが真剣な表情でいってきたので、セツナはフロードの真面目くさった顔を思い出さざるをえなかった。

「フロードさんがいっていたのは大袈裟じゃなかったんですね」

「あら、彼なんていったの?」

「国の一大事がどうとか」

「そう。まさにそのとおりかもしれないの」

「ベノアガルドの一大事……ですか」

 セツナは、なんだか想像もつかない出来事のような気がして、呆然とつぶやいた。ベノアガルドは保有戦力においてベノア島内で他の追随を許さないものがある。騎士団そのものが超強力な軍事組織なのだ。准騎士以上は救力を使え、正騎士となると幻装を使うことができる。そのうえ、幹部となるとその力は比類なきものであり、ベノアガルドが危機に瀕するという可能性さえ考えにくいものがある。無論、ネア・ベノアガルドのような例もないではないが、神に支配された国がそうあるものとも考えにくい。

「ネア・ベノアガルドの最終侵攻に比べればたいしたことはないのかもしれませんが、あの戦いで戦力を消耗したいまとなっては、あれほどとはいかなくとも、本格的な戦いとなれば一大事といわざるをえませんのでね」

「本格的な戦い……どこかが攻め込んできたんですか?」

「いや……そういうわけではないんですが」

「どういうことなんです?」

 セツナは、オズフェルトとルヴェリスの反応が要領を得ず、怪訝な顔をした。本格的な戦いになれば一大事である、とオズフェルトはいったのだ。であれば、近隣国のいずれかがベノアガルドへの侵攻を企んでいることを察知したのではないか、と考えるのが自然だ。しかしどうやらまったくそうではないらしいということが、オズフェルト、ルヴェリスの表情からわかる。

「つい昨日のことですが、ある情報が騎士団本部に届いたのです」

「ある情報?」

「ベノア島北岸に巨大な影を見た、と」

「その情報は、今朝になってより正確なものとなったわ」

 ルヴェリスが意味ありげな表情をすると、オズフェルトが話を続けた。

「情報によれば、巨大な影は、要塞のように巨大な艦船だったというのです」

「巨大な……艦船……」

 セツナは、予想だにしない話の展開に愕然とした。艦船。そんなものがこの世に存在するものか、と想像すらしていなかった。オズフェルトが、セツナの内心を察したかのようにいってくる。

「小国家群の国々は、渡海用の船を持ちません。海がありませんからね。川や湖に浮かべる程度の船でよかった。ですから、ベノア島内のどの国も、海に出る方法を持たず、苦心していた。いま現在入手している限りの情報では、ベノア島内のいずれの国も渡海用の船を建造している国はないとのこと」

「つまり、北岸で目撃された巨大な艦船はベノア島内のいずれの国のものでもないということ」

「しかも、艦船は帝国軍旗を掲げているとのこと」

「帝国軍旗……!」

 帝国といえば、ひとつしか思い当たらない。

 かつて大陸三大勢力のひとつとして君臨したザイオン帝国のことだ。このイルス・ヴァレにおけるセツナの同一存在であったニーウェ・ラアム=アルスールが皇子として生まれ育った国であり、また、小国家群を蹂躙した国であり、浅からぬ因縁があった。

「ザイオン帝国海軍が保有する艦船ならば、彼方より渡航してきたとしてもなんら不思議ではありません」

 オズフェルトは、当然の知識のようにして、いった。

「二百年ほど前の皇帝アデルハインは、大陸外周を船で一周したといいます。それ以来、帝国は海軍を誇るようになったという話ですし、聖王国が公表している記録にも、アデルハインの船が聖王国領海を進んでいったという話もありますから、それは嘘でもなんでもないのでしょう」

「そして、帝国軍がなんらかの目的でベノア島に上陸したということ」

「その目的がベノア島の制圧であれば、騎士団は全力を上げて対抗しなければなりません」

 当然の帰結だ。

 そして、帝国軍が海外に艦船を派遣するということは、侵攻以外の目的を想像しにくい。“大破壊”によって大陸がばらばらになり、国々が混乱しているいまこそ勢力を広げる好機と捉えていたとしてもなんらおかしくはなかった。そういう国のひとつやふたつ存在しないわけがない。

「ですが、仮に帝国軍の目的がベノア島制圧以外にあるとすれば、あるいは」

 オズフェルトは、静かに、しかし確実に届く声で告げてくる。

「名誉騎士殿の目的も遂げられるかもしれない」

 セツナの目的。

 それは、海を渡るということ。

 大海を越えてきたのであろう帝国の巨大艦船がもしセツナを運んでくれるのであれば、願ったり叶ったりというほかない。

 だが、そう簡単に物事が運ぶわけもない。

 そのときは、セツナは、そう考えていた。


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