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第千七百九十二話 小さく、されど大きな一歩

 セツナとレムのベノアでの日常というのは、別段、変わったことはなかった。

 日がな一日、ゆっくりとしていることもあれば、騎士団本部に出かけ、騎士たちと訓練に明け暮れることもある。その際、シドら騎士団幹部と手合わせするようなことになれば、本部中、いや、ベノア中の騎士が見学に殺到したものだ。訓練とはいえ、黒き矛のセツナと騎士団幹部の戦闘など、そう見られるものではない。騎士団騎士が見学に全力になるのも無理のない話だ。

『セツナ殿との訓練が騎士たちにもいい刺激となっているようです。実にありがたいことだ』

 実戦形式の訓練のあと、シドは朗らかに笑ったものだ。

 実際、騎士団騎士の中には、セツナとの訓練を楽しみにしているものが少なくなく、セツナが騎士団本部に足を運ぶのは、そういう騎士たちの期待に少しでも応えたいという気持ちがあったからだ。セツナの訓練が騎士団の強化に繋がるというのであれば、渡海方法を探してくれている騎士団への恩返しにもなる。

 恩返しの恩返しというのも不思議な話だが、そこは気にするところではあるまい。

 訓練以外では、ベノア市内の散策のほか、騎士団立大医術院に立ち寄ることも少なくなかった。ほぼ毎日のように顔を出しては、マリアに呆れられたりした。

『そんなにあたしのことが心配なのかい?』

 顔を見せるたび、マリアはそんな風にいったが、まんざらでもなさそうな表情だった。アマラもそんなマリアの反応を見て、嬉しそうな顔をする。アマラがマリアのことを本当に大切に想っているということが、そんな表情のひとつひとつから窺い知れて、それだけでセツナは少しばかり安心したものだ。マリアにはアマラがいる。ひとりでいるよりは、ずっといいだろう。

 もっとも、アマラがマリアの前に姿を表さなければ、マリアはいまもなおリョハンにいたはずであり、その場合はもっと孤独を感じるようなことはなかっただろうが。

 アマラの知識を頼りに新薬の開発に成功しているところを考えると、マリアとアマラの出会いはむしろ必要不可欠なものだったのではないか、と思えてならない。もしマリアがアマラに出会わなければ、現在、ベノアの医術院で使われている新薬のほとんどが生まれ得なかったのだ。それは医術の停滞を示すものであり、アマラの存在がいかに大きなものであるかがわかるというものだった。

 そんな日々。

 ベノアガルドを取り巻く情勢というのは、少しずつ変わりつつある。

 マルディアのユリウス派の使者がベノアを訪れたのは、一月十九日のことだった。ユグス派の使者が騎士団との交渉を終え、ベノアから去った直後のことであり、危うく両派の使者が接触するところだったが、そのことで問題が起きる可能性を騎士団側は考慮していない様子だった。いくら敵対する組織とはいえ、協力を要請中の国で問題を起こすことは考えにくい。そんなことをして交渉が打ち切られれば、目も当てられないからだ。

 事実、これまでもベノアガルド国内で両派の使者が接触したことは何度もあったようだが、一度として事件に発展したことはなかった。一触即発の危機、という状況にさえならなかったことを鑑みると、両派の使者は、互いに問題を起こさないよう、細心の注意を払っていたのだろう。ベノアガルドの協力さえ取り付けることができれば、あとはどうとでもなるのだ。ベノアガルド国内での我慢くらい、容易いことだろう。

 ベノアを訪れたユリウス派の使者というのは、マルディアの外務大臣であり、重臣も重臣だった。当然、護衛の兵も屈強なものばかりだった。

 一行は、ベノアを訪問すると、騎士団本部にて団長以下幹部三名と会見を行った。セツナは騎士団長オズフェルト・ザン=ウォードからの直接の要請により、その会見の場に同席している。騎士団とマルディア・ユリウス派の会見は、極めて穏やかなものであり、セツナは、騎士団の意向は決まっているのだと察した。最初からユリウス派に協力する予定だったのではないか。

 初老の大臣によれば、やはりユリウスやユノの無事は確認できていないとのことだった。

“大破壊”直前、ユノは、龍府にいたはずだ。彼女の身柄は、マルディアから臣従の証として、人質としてガンディアに送られ、三大勢力の侵攻後、ナージュらとともに龍府に送られている。つまり、“大破壊”当時は、龍府にいたはずなのだ。そして、“大破壊”が起きる直前には、ヴァシュタリア軍によって攻略されているはずの龍府は無事であるはずもない。ユノをはじめ、グレイシア、ナージュ、リノンクレアといった龍府にいたはずのひとびとの安否が心配でならなかった。

 無論、シーラたちもだ。

 シーラ率いる黒獣隊、サラン率いる星弓戦団は、龍府の防衛戦力とした。押し寄せてくる三大勢力と戦ったとして勝てるわけがないことは、明らかだった。それでも龍府を防衛することを諦めるわけにもいかず、彼女たちに任せたのだ。それに加え、婚約者のエリルアルム率いるエトセアの軍勢もいた。ある程度ならば持ちこたえられるはずだった。だが、そんな程度ではどうしようもない戦力差があることを最終決戦の場において思い知ったのがセツナだ。シーラたちの無事をいまさら祈ったところでどうにもならないのだろうが、祈らずにはいられなかった。

『陛下も、ユノ様もきっと生きておられるにちがいありません。わたくしどもはそう信じています。ですのでセツナ様、どうか気に病まぬように……』

 外務大臣は、セツナの内心を気遣うようにいった。彼自身、苦心しているはずなのだが、他人を思いやることのほうに心を砕くのが、いかにもユリウスやユノの信任厚い人物だと想えた。

『セツナ様が悪いことなど、なにひとつないのですから』

 外務大臣の優しさに触れ、セツナは、やはり彼のような人物を重用し、また彼のような人物に推戴されるユリウスこそがマルディアの王に相応しいと想ったが、彼のためにも協力を約束してあげられないことが辛かった。もちろん、セツナ個人としてはいくらでも協力していいのだが、騎士団に渡海方法を模索してもらっている現状、騎士団の意向を無視した言動は控えなければならなかったし、なにより、リョハンを目指すことのほうが最優先にするべき事象だった。

 ベノアガルドに引き止められて一月近くが経過している。もちろん、留まらなかったとして、渡海方法が見つかるまではどうすることもできなかったのだから同じことではあるのだが。

 セツナは、ユリウス派のひとびとのためにできることを考えた結果、普段の食事の席でそれとなくルヴェリスにユリウス派への協力の可否を尋ねたり、自分はユリウス派であると暗にいったりした。すると、

『名誉騎士殿は、騎士団の政治に御関心がおありのようですね?』

 ルヴェリスは、そんなセツナの内心など見透かしたかのように微笑んだものだ。

『ご安心を。騎士団は、ユグス殿がいかな考えの持ち主なのかは承知ですのでね』

 ルヴェリスがそういって言及したユグス=マルディアの考え方というのは、だ。マルディアの将来のため、ガンディアという脅威の拡大を防ぐためにみずからの国土を焼き、国民に犠牲を強いることも厭わないという苛烈極まりないもののことを指しているのだろう。騎士団はジゼルコートに協力したが、まさかマルディアのような国民を国民とも想わない国が同じ協力者の中にいるとは思わなかっただろうし、自国民を愛することこの上ない騎士団にとっては信じられない想いで一杯だったのだろう。

 ユグスは、ジゼルコートの策謀を成就させるべく、自国の将兵に内乱を起こさせている。その上で反乱軍と騎士団が協力することで、マルディアに危機をもたらし、ガンディアへの救援を成立させた。ガンディアはマルディアの救援をまったく疑わなかったのは、マルディアの国土が内乱によって荒れに荒れていたからであり、まさか国王みずから己が国を焼くような愚行を犯すなど、考えられなかったからだ。そこまでしなければガンディアおよびレオンガンドを釣り出せないというのは間違いない事実だったが、だからといって自国民に犠牲を強いるのはやりすぎだといわざるをえない。 

 そんな愚行を国のためとはいえ平然とやってのける男を信頼することはできない、という騎士団の考えはもっともだったし、そんな男よりも、ユグスを排斥し、王座から引きずり下ろしたユリウスに好感を持つのは当然のことかもしれない。

 セツナは、ルヴェリスの何気ない一言という形でもたらされた吉報に心の中で喜んだのだった。

 また、その日の朝、大きな出来事があった。

 セツナとレムが部屋でいつものようにぼうっとしていると、ルヴェリスが彼の部屋に飛び込んできたのだ。なにごとかと見てみると、彼は両目に涙を溜めており、セツナとレムはただただ驚かされた。

『シャノアが……!』

 ルヴェリスのそんな第一声に身構えたセツナだったが。

『シャノアが朝食を食べてくれたのよー!』

 ルヴェリスは、歓喜に満ちた顔で泣き叫ばんばかりにいってきた。

 セツナとレムは顔を見合わせ、そして、抱き合って喜んだ。

 シャノアは、ルヴェリスを拒絶して以来、執事たちが用意した食事に手を付けないこともあり、なにも口にしない日があるほどで、ルヴェリスは気に病み続けていた。このままではシャノアの健康状態に支障が出るだけでなく、命に別状があるのではないか。マリアが用意した栄養剤も、シャノアが受け入れなければ意味がない。こんな状態がいつまでも続けば、シャノアが倒れるのは明白だった。

 そんな日々の中で、ルヴェリスが持っていた食事を受け取り、彼の目の前で食べたというのだ。完食したわけではなく、大半を残したというが、ルヴェリスの目の前で食事をしたということがなによりも大きい。

 シャノアは、ルヴェリスを完全に拒絶していたのだ。

 それなのに彼の目の前で食べたということは、彼を受け入れつつあるということにほかならない。

 ふたりの関係は、一歩も二歩も前進したのだ。

 ルヴェリスが涙を流しながら喜ぶのも当然だったし、セツナとレムは自分のことのように喜び、ふたりの関係が少しずつでも改善しつつあるという事実が嬉しくてたまらなかった。

 いずれ、シャノアが本来の自分を取り戻せる日が来るかもしれない。

 淡い希望が、少しだけ色濃くなった――そんな気がした。


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