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第百七十八話 混迷

「て、敵はたかがガンディアの弱兵だ! 恐るるに足らんぞ!」

 ゴードン=フェネックは、相対した敵陣に翻る真紅の軍旗に目をつけ、出来る限りの叱咤を部下たちに飛ばした。月明かりのまばゆい夜だからこそ認識ができた、というわけではない。朝から対陣していたのだ。だれもがとっくに理解していたに違いない。真紅の旗には、銀の獅子の横顔が描かれていた。銀獅子といえば、ガンディアの象徴であるのは、有名な話だ。ゴードンですら知っている。そして、ガンディアの兵士が弱兵なのは、軍人の間では知られた話だった。

 兵士の数でいえばザルワーン、兵士の質でいえばログナー、兵士の派手さでいえばガンディア――という話を、ゴードンは聞いたことがあった。ガンディア軍兵士は、強さよりも鎧や武器の派手さを競うという。それが平時ならば問題はないのだが、彼らは戦場でこそその派手さを競い合うというのだから困ったものだ。とはいえ、それもレオンガンドが王になる以前、先王が病床に臥せり、戦場に王が不在だった期間のことらしいのだが。

 それでも、兵士たちには多少の効果はあったのだろう。彼の麾下七百名余りが、敵部隊の進軍に対して全力での応戦を始めていた。ナグラシアでも苦楽をともにしてきた彼らを死地に送り込むような気持ちになって、ゴードンは我知らず、馬を前に進めていた。馬上、麾下の部隊と敵軍の戦闘がよく見えた。最前線では、苛烈な戦いになっているようだ。敵後方からは矢が飛んでくるが、こちらも負けじと矢を放っている。

 だが、数は敵のほうが多い。第三龍鱗軍の残兵だけでは押し負けるに決まっているのだが、聖将から預かっていた第六龍鱗軍の三百も前線に回すことで、防壁を厚くする。押し負けて陣形が崩壊するよりはいい、というのは、ゴードンの判断ではない。

「翼将殿、お下がりを。流れ矢に当たってしまいます」

「し、しかしだな!」

 部下の注進に声を上ずらせたのは、本心では後ろに下がりたいからかもしれない。ゴードンは、なぜか冷静な己の心に苦笑を漏らしたくなった。とはいえ、戦場にあるゴードンの実体は、戦いの恐怖と熱狂の中で悶え苦しんでいるのだが。

「将みずから前線に出るのは、よほど腕に自身があるか、死を覚悟したときのみですよ。あなたには戦う力なんてないんです。ここは、我々に任せてください」

 戦う力がないとまで断言されたものの、ゴードンは怒りすら沸かなかった。全て事実だ。彼は文官上がりであり、本来、翼将などという役職につくべき人間ではないのだ。中央の高級官僚になり、悠々自適に暮らすことだけを夢見てきた。それがこのざまである。笑うに笑えない。

 彼は、部下にいわれるまま後退し、戦いの行く末を見守ることにした。

 自陣中央後方で異変があったのは、その直後だ。



 本陣から左翼と右翼にかけての混乱振りに、彼は頭を振った。

 本陣後方からの敵軍の奇襲には、上手く対応できたはずだった。しかし、敵騎兵隊の数が想像よりもはるかに多かったのが、現状の混乱へと繋がっている。四百人程度の弓兵では殺しきれなかったのだ。生き残った騎兵隊の怒涛のような殺到には、彼自身、恐怖すら覚えた。

 轟く馬蹄、響く喚声が、頭の中で割れるように響いた。彼がその場を離脱してしまったのは、失策だっただろう。あの場に踏み留まり、騎兵隊の本陣侵入を防ぐために戦っていれば、混乱は最小限に抑えられたかもしれない。いまさら悔いても遅きに失していることくらいはわかっている。それでも、彼は自分の愚かさを笑わずにはいられなかった。

「ふはははは」

 天竜童てんりゅうどうによる感覚強化が、彼に数多の情報をもたらしてくれる。

 敵軍のうち、左翼、中央前列、右翼が川を渡り、自軍陣地へと攻め寄せてきていた。右翼のケルル部隊には、ルシオンの部隊が襲いかかっている。白聖騎士隊とかいうらしいが、彼の記憶にはない。左翼ゴードンの部隊には、ガンディアの正規軍が押し寄せていた。健闘はしているようだが、それもいつまで持つものか。

 中央は、よく持ち堪えている。さすがは第四龍牙軍といったところだろう。

 双翼陣中央には、第四龍牙軍五百名を前列に配置し、第六龍鱗軍五百名を中列から後列に並べていた。しかも、第六龍鱗軍の二百名は敵奇襲部隊の迎撃のために借りだしており、実質、八百名が中央の戦線を維持していた。彼らの敵は武装召喚師だ。時折起こる爆発は、彼らにとっては理不尽な暴圧にほかならない。圧倒的な力に蹂躙され、為す術もなく散っていく。

 やがて、中央の前線も崩壊の憂き目を見るだろう。

 兵士たちが、意味もなく死んでいく。無意味に戦い、無意味に命を散らし、無意味に絶望し、無意味に慟哭する。この戦いに意味などはない。あるはずがない。そんな自嘲が、彼の脳裏を過った。

 ジナーヴィの夢が遠のいていく。

「夢?」

 彼は、月光の下で、躍るように敵を切り刻むフェイの姿を網膜に焼き付けていた。夜とは思えない明るさの中、彼女の剣舞はジナーヴィの心を慰めるように美しく、凄まじい。騎兵を馬ごと切り裂き、一瞬にして肉片へと変えてしまう。血の雨が降り注ぎ、戦場を赤く染めていく。

「夢とはなんだ?」

 ジナーヴィは、背後から迫ってきた騎兵を振り返り様の一太刀で切り殺すと、馬を蹴り飛ばした。強化された脚力ならば、馬の巨体を退けることも容易い。馬は嘶きながらどこかへ走り去った。死なずに済んだということだ。

「新たな国……新たな天地……いや、違うな」

 彼は首を振る。周囲から、無数の敵意が接近してくるのがわかる。洪水のような殺意の群れ。ジナーヴィを敵軍総大将と見定めたのかもしれない。

 見ると、数十の騎兵がジナーヴィを包囲し、旋回していた。その幅を徐々に縮めていく。逃げ場を潰したつもりだろう。高速で旋回しながら迫ってくる騎兵たちの様子は、それは恐ろしいものだ。確かに、逃げ場はなく、このまま圧殺されるのが目に見えている。

 だが、彼は嘲笑った。 

 瞑目し、力の拡散を脳裏に思い描く。そうしている間にも、騎兵による包囲は狭まっている。フェイの手助けは来ない。彼女が殺戮に夢中になっているからではない。信頼だ。ジナーヴィの実力を疑いもしていない。それがわかっているから、彼も彼女を放っておくのだ。そこにも信頼がある。彼女の力を疑う必要はない。

 彼は瞼を開いた。眼前、騎兵の槍の切っ先がきらめいていた。しかし、その槍がジナーヴィに触れることはなかった。ジナーヴィの足元から噴出した爆発的な力の奔流が、旋回中のすべての騎兵を空高く打ち上げたからだ。渦巻く力が唸りを上げ、龍の咆哮のように聞こえる。舞い上げるのは敵騎兵だけではない。砂礫を巻き上げ、周囲の味方兵をも空へと飛ばす。傍若無人。もはや、敵も味方も関係なかった。

 強大な力の奔流の中で、彼は、光を見ていた。

 前方、ただ一直線に突き進む道が見えている。光の道。勝利への道がある。その先に、敵軍総大将がいるのだ。

 挑発するように掲げられた大将旗の下に、敵総大将がいることは確認済みだった。報告によれば、アルガザード=バルガザール。ガンディアの白翁将軍。彼の名は、ジナーヴィもよく知っていた。十年以上前から、アルガザードは現役だった。

 彼を殺せば、敵軍は兵を纏めて引き上げる可能性が高い。総大将だ。指揮官を失ってまで勝利を得ようとするものが、どれほどいるのか。いないだろう。ジナーヴィだって同じだ。ジナーヴィが死ねば、彼の配下はこぞって逃亡するか、降伏するだろう。そういうものだ。

 ジナーヴィは、口の端に自嘲的な笑みを浮かべると、フェイを見やった。つぎつぎと落下してくる敵兵や馬、そして自軍兵士の姿には目もくれない。苦痛に満ちた悲鳴も、馬の鳴き声も、ジナーヴィへの恨み事も、彼の耳には届いてはいたが、記憶に残らなかった。

 月光の中で踊る殺戮の女神は、ジナーヴィを見て、艶然と笑った。



「敵が来る……!」

 クオンは、圧倒的な悪意の接近に緊張を覚えた。シールドオブメサイアの召喚による感覚の肥大が、それを捉えている。強烈な気配だ。純然たる殺意の塊とでもいうべきか。それは、敵陣中央後列から、こちらを目指して進撃してくるのがわかった。

 クオンは、団員たちに命じた。

「防壁構築!」

「はっ!」

 敵中央部隊との乱戦の最中、数十人の団員がクオンと横一列になって壁を構築していく。厚くはないが、鉄壁の盾に違いはない。いかなる攻撃にも耐えうる強固な防壁。頭上にさえ気をつけていれば、突破されることはまずないといっていい。しかし、乱戦中である。敵の攻撃が無力化されるとはいえ、味方の護りにつけなくなるのは厄介なことだった。

 轟然たる爆音に目を向けると、ミオンの騎兵隊と思しき騎馬兵たちが、再び宙を舞っていた。敵武装召喚師の召喚武装なのだろうが、だとしても、シールドオブメサイアの脅威ではない。騎兵を打ち上げる程度の威力ならば、団員全員を守り切ることは可能。だが、守護対象外の《蒼き風》団員たちには被害が及ぶ。

 クオンは、迫り来る敵の進軍速度に目を見張った。気づいたときには、クオンの視界に入り込んできていたのだ。白金の胴鎧を纏った男。低空を滑るように飛行し、こちらに迫ってくる。背に女が乗っているのも視認した。ふたり。圧倒的な悪意の正体はそれだ。ふたりが、ひとつの意志となっている。

 クオンの眼前まで接近してきた男の皮肉そうな笑みは、なにに対してのものかはわからなかった。暴風を纏っているのか、彼の進路上の敵も味方も吹き飛ばされ、川の水が吹き上げられ、小石が巻き上げられている。無論、クオンたちに作用するほどの力ではない。シールドオブメサイアで制圧しうる力だった。だが、飛行するものを止めるような能力ではない。

 では、どうするのか。

「イリス!」

 イリスは、クオンが叫ぶより早く、彼の頭上を飛び越える男に向かって飛びかかっていた。両手の剣が閃くも、男には届かない。金属音。男の背から飛び降りた女が、イリスの斬撃を受け止めたのだ。女の両手には小刀が握られている。ふたりは着地すると睨み合うこともなく、剣をぶつけ合わせた。

 男が、悠々と《白き盾》の布陣を突破していく。左右に展開したウォルドとマナでは、間に合わない。

「抜かせん!」

《蒼き風》のシグルドが男に向かって戦槌を振りかぶるが、叩きつけようにも、男の纏う暴風の前に近づくこともできずに吹き飛ばされた。続くジンも同じだ。だが、ルクスは違う。凄まじい速度で男の背後に接近し、飛びかかった。暴風が彼の全身をずたずたに切り裂くが、ルクスは気にもしていない。そして、どういうわけか暴風の防壁を突破していた。

(剣鬼……!)

 クオンの脳裏に過ったのは、彼の異名だった。

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